『冬が来る』
これは私の父が書いていた原稿で、2015年の4月に父の先妻という若い女性から頂いた。私も色々とあり、発表が遅れてしまったことを父と義母に侘びたい。
なお、義母は「内容は真実かもしれません」と最後に言って別れた。
発表が遅れたのはわたしの手術も原因であるが、私はそれ以来、義母にあっていない。
あれは戦後という言葉がまだ死語になっていなかった頃。でも、戦争を知らない子どもたちで溢れていた時代のこと。
僕は編集部のFさんと共に取材旅行へ東北の寒村へと車を走らせた。バスも電車も、それこそ汽車すらない土地だった。
「今年は例年以上に夜の東北も暑くなることでしょう」
カーラジオから流れてきたのはニュースアナウンサーの抑揚のない声だった。これだけ東京から離れていても報道関係は標準語である。
「旅館とかないですかねぇ」
運転手をしているFさんに話しかける。Fさんとはかれこれ6年の付き合いになる。この取材もFさんの務める出版社が出している月刊誌『史跡と旅程』に1年連載で契約が決まったからだ。僕は東京生まれの東京育ちであるから、地方には少し詳しくない。大学時代にはいろいろな地方からやってきた学生もいたが勉強一辺倒で、故郷の教師になるというヤツが多かった。
Fさんはこの大学の先輩である。僕もよく呑みに連れて行ってもらった。卒業後、Fさんは出版社に就職。僕はしがない歴史編纂者という名の無職と言うところであったが、2年前にFさんから連絡をいただき、今回の記事を書くことになった。
テーマは日本の怪異。文明開化以来100年が来ようとしている時代だが、それでも奇異な風習や怪奇現象の話が絶えない。だから、1年ではあるが連載してみようということが編集部内で決定し、Fさんの推薦で僕に白羽の矢が立ったのだ。
「旅館はなかったと思うぞ」
くわえタバコでFさんが答えた。この一見、武闘派やくざにも似た強面であるが、面倒見の良い人物である。今年の2月には3人目のお子さんが生まれたというパパさんでもある。
「じゃあ、またキャンプですね」
「ははは。テントの中も良い旅館だよ」
Fさんが屈託なく笑う。地図を見ながら僕は辺りを確認する。仙台から2時間ほど県道を走っている。この先は舗装すらされていない、田舎道に出る。5分もしないうちに車は砂埃が少しキツい乾いた道を走っていた。この車も車種に興味のない僕は名前すら聞いていない。だが、これはFさんの私物ではなく、出版社の公用車ということである。それだからなのか、タクシー以上に乗り心地が良い。ただ、今はガタガタと揺れている。エンジンの調子が悪いのではなく、道路のせいである。
「田舎道はコレだからなあ」
Fさんが苦笑いしながらタバコを灰皿へと押し込んだ。そして、本日4本目のタバコを咥えた。ヘビースモーカーのFさんらしい。時間は午前10時を少し過ぎていた。日差しも強くなっている。目的の村まであと、2時間ほどであろうか? 窓から見える風景も農家の緑から、山の木々の緑に変化していた。
これだけ人里から離れている理由は色々な憶測が考えられていた。かの村の住民は妖怪の類で人間と交わらないという、とんでもないものもある。時の領主の重税により独立して、領主の勢力範囲から逃れていたのではないかという考察もあった。
僕も僕なりに調べた。これから行く村は雪琴村という。雪国であるから、『雪』の字が使われているのであろう、最も命名は明治になってからである。それまで彼らは特に外部との接触もなかったので、特に村名はなかったようだ。しかし、この雪琴村発祥ではないかという伝説もある。ラフカディオ・ハーンの『怪談』や国木田独歩の作集にも、それらしい痕跡はいくつか散見される。
雪琴村の怪異を調べていると、雪による被害が多かったのであろう。雪に関する怪異が非常に多い。雪山遭難で巨人『おっくりさん』というものを発見した。その他、恐らくシベリア寒気団の事を指しているのであろう『雪鳥』、雪崩を起こす『こひょう』など現代の科学で解明されているような現象を怪異として記録しているようだった。
その中で僕が気になったのは『かじかみ様』という怪異であった。これは雪の話であるが、季節が夏の話なのである。夏でも山なら気候の急な変動で稀にあるらしいが、起こった場所は野原である。『かじかみ様』の記録を調べてはみたが、当時の村民は祟りや呪いの類として書き記したもののようであった。ただ、気になったのは被害者が村民ではなく、外部から来た者で、これは恐らく村の存在を外部に知られないように殺害したのではないかと思われる。そこから『かじかみ様』という怪異を生み出し、その所為にしたのだろう。
今回、我々は外部の人間であるが、明治以降、村民も開放的になったとのことであるから大丈夫だと確信している。村民も外部と接触しているとの話もある。でなければ、取材に行こうとはならない。さすがにガス、水道などの設備は整ってはいないものの、電力は通っている。今走っている公道から鉄塔と電線が見える。排他的であった村が政府を受け入れたという証左になるのであろうと僕はメモ帳になるべくわかるように書いた。この揺れでメモを書くのは少々難儀であるが。
そうこうしている内に雪琴村に到着した。村の入り口付近には、恐らくこの村で唯一の雑貨屋が店を開けていた。Fさんと僕は車を道の傍らに停め、雑貨屋に入った。この雑貨屋は電気が通っているのか、アイスクリームや冷たい飲み物も売っているのが嬉しかった。
「すみませーん」
僕よりもコミュニケーション能力に長けたFさんが店の奥に向かって言った。そうすると、細くて小柄なお婆さんが慌てる様子もなく、家屋になっている奥から出てきた。
「はいはい。何か御用ですか?」
お婆さんは年相応だが、はっきりとわかる声だった。僕らの姿を珍しい動物のつがいを見るような表情をした。ここらでは見ない顔なのだから当たり前だろう。
「私、K出版『史跡と旅程』編集部のFと申します」
Fさんがよそ行きの顔と声で財布から名刺を出した。お婆さんは名刺を受け取り少し怪訝な顔をした。こんな村に何の用だと言うような表情だ。
「この雪琴村の伝承を記事にしたく伺った次第です」
こういう時のFさんは頼りになる。編集部をクビになっても、ちょっとした企業の営業としてやっていけるのではないかと思う。交渉はFさんに任せ、僕は店内を物色する。雑貨だけでなく本や駄菓子も扱っている。カップ麺を売っているのを見て、その新しさを痛感した。
「ええ。一晩、櫛枝山で。まあ、車がありますから大丈夫ですよ」
「いいや、村長さんの家に泊めてもらうのがいい」
Fさんとお婆さんは何かあったのか、少し騒々しい。だが、このお婆さんもこの村の人ではなく、どこか他の地方から嫁いで来たのだろう。興奮しているようだが、この地方の方言が出ていない。だから、こういう雑貨屋を営めるのであろう。
「ははは! 大丈夫ですよ。私達はその解明にやってきているのですから」
「ダメだ! 冬が来る! 今夜は冬が来るから!」
「え? 冬?」
Fさんとお婆さんの会話に僕も割って入ってしまった。コレも一種の作家のもつ習性というやつである。
「そう。冬だ。今日は『かじかみ様』が来るから!」
まさにそれだ! 僕は『かじかみ様』を知りたいのだ! この炎天下でどうしたら凍死するのか? それを知りたいのだ! もしかしたら、違うかもしれないけど……
「僕たちは『かじかみ様』を見たいんです! 詳しい場所はわからないですか?」
お婆さんは目を丸くして僕の方を見た。こんなことを聞きに来る、ましてや見たいなどという人間は見たことがないのだろう。すぐにブスっとした顔になったが
「あの山を超えた野原へ行けばいい」
吐き捨てるように、面倒くさげに、お婆さんはため息とともに教えてくれた。僕は小脇に抱えている地図でその原を調べる。この雪琴村から出て、お婆さんが指差した山『普羅施山』を迂回することになる。僕は時計を見る。時計はまだ1時になってはいない。今から行けば間に合うだろう。櫛枝山を東に普羅施山を南にすることになるその間の盆地のような野原である。もしかしたらデンデラ野の1つだったかもしれない。
「ありがとうございます」
とりあえず、僕らはラムネを2本買い、その場で飲みながら野原への道程を確認する。どうも、車でも行けるようだ。一応、テントなどのキャンプ用品は用意しているが、薪はこの雑貨屋で買った。これらは経費という形であるし、Fさんの財布から出るお金なので僕は何も心配しなかった。Fさんのことだ、1に<を書き足して4000円とかにするだろう。
「よし! 行くか」
Fさんは領収書を手に運転席に座った。僕も助手席に。雑貨屋のお婆さんは僕らを少し心配そうな表情で見ている。言うことは言った、という責任も感じられた。僕らはこれで生活費を稼ぐ人種であるから仕方がない。
車のエンジンがかかり、排気音を吹き出して動き出す。僕はまだこっちを見ている、お婆さんに軽く会釈だけした。
「今日もこんな暑いし、熱帯夜になるってラジオでも言ってたのにな」
Fさんも、あのお婆さんの言葉が気になっているようだった。文明が入ってきて便利にはなるけれども、なくなって寂しいモノもあるのだろうな。または解明されたくないモノとか。
この雪琴村も開発が進んでくれば町になり……となったら、特に湖や河川も火山もない普羅施山や櫛枝山は崩され、近隣の池や沼は埋め立てられる、その野原の工事中に何十体もの人骨が発見されたら事件にはなるだろう。それを恐れているのかもしれない。そんなことを考えながら、軽くぞっとはした。まあ、ラジオからの電波も届いており、新人アイドルの歌声で気を紛らせながら普羅施山を迂回した。普羅施山はそんなに広くもない山であることが幸いした。道が、もう道とは呼べないような場所にFさんは車を停めた。
「この辺でいいだろう」
まだ真昼の内にキャンプの準備をする腹積もりだろう。周りを見渡すと草以外なにもない。その草はそんなに高くない。というよりもあきらかに雑草レベルだ。土も多少湿ってはいるが、これなら大丈夫だろう。北の方に小さな池が見える。
「ここをキャンプ地とする!」
Fさんが高らかに宣言した。こういった取材の時はキャンプ前に必ず宣言する。この宣言を以ってキャンプの開始である。学生時代からの仕来りである。車の荷台からキャンプ用品を降ろし、テントを建てる。今夜の夜露を凌ぐ我が家である。テントの組み立てや固定などはFさんも手慣れたもので、僕が辺りを踏み鳴らしている間に終わらせていた。その後、テントの周りに堀を掘る。これで蛇がテントに入ってくることがないはずだ。少し離れたトコロにも深めのアナを掘る。トイレである。準備が終わった時点では少し日が傾いていた。Fさんは一眼レフのカメラを用意する。社費で買った『私物』である。その一眼レフで周りを撮り始める。フイルム1本撮り終えたところで、少し早いが食事にした。焚き火で湯を沸かしてカップ麺である。浅間山山荘事件で有名になったやつだ。鶏ガラ風のスープが汗ばんだ身体に丁度良かった。塩っぱいものを美味いと感じるのであるから、僕も結構な汗をかいていたのだろう。
エンジンバッテリーじゃない乾電池で動くラジオを点けるこの地方のニュースだったが、やはり、今日は熱帯夜になるとキャスターが締めくくった。
「ホントに『冬』がくるんですかね?」
僕は食事から晩酌のポーズをしているFさんに尋ねた。
「とーぜんだよ、キミぃ~……ここで、我々が怪奇を暴いて文明の良さを確認しよう!」
そういったFさんの顔は呵々大笑で安心感を与えてくれる。
食後はビール大会になる。下戸だった僕もそれなりに飲めるようにはなっていた。
「まだまだ、あるからな!」
Fさんは元気よく乗用車のトランクから箱に入った瓶ビールを持ってくる。これだけアルコールがあれば多少の寒さなど、どうということはないという気持ちにさせてくれる。この時点で僕も相当、酔っているのであろう。
ラジオ番組であるが、さすがにこんな田舎では深夜放送は届いていなかった。そうなると、最早、なにもありませんでした。との報告と、原稿をどう書くかが僕の脳裏に浮かんだが全ては酒が持っていった。Fさんも小用を足し、ブルリとふるえる。
「さすが、山間のこういうところだし、呑みすぎたよ」
ぼくもFさんに倣って小用を足し、テントに入りで寝袋に潜り込む。それからFさんも僕も会話がなかった。それは30分ほどだったかもしれない。
「なんか、冷えないか?」
「ああ、そういえば、少し風が出てきましたかね?」
寝袋から出、テントの出入り口を開けた僕は何を言っていいか言葉が見つからなかった。ただ「冬が来た」としか呟けなかった。
僕らの眼前は猛吹雪というほどではないが、すでに雪風が巻いており、早く離れなければ危険な状態だと、当然のことながらもFさんも2人分の寝袋を持って、ここまで乗ってきた乗用車へと走った。
「こっちだ! 早く!」
僕もFさんと共に車中の人となった。
「なんなんだ! これは!」
Fさんも突然のことに自体が把握できていない。今の僕らの状態を正しく把握できる人は、あの雑貨屋のお婆さんだけかもしれない。いそいで、僕らは寝袋に入り込んで、乗用車の運転席と助手席に陣取った。Fさんは頻りに乗用車のエンジンを入れようとキーを回すも、プスンとも言わない。エンジンが凍りついたのかもしれなかった。僕は窓の外を見る。もう、すでに吹雪と言っても遜色ない雪と風であった。
「ちきしょう……オレは次の子をプロレスラーにするんだぞ……」
「ええ、BI砲にも負けないレスラーですよね」
「お、お前には、ないの、か?」
「ぼ、ぼくにも、ありま、すよ、この旅行、が、終わった、ら、結婚の!」
凍死を防ぐには意識を失わないことだ、Fさんの顔色も悪い。Fさんからみれば僕の顔色もわるいことだろう。
しばらく、1分程度、僕は意識を失った。
「Fさん! Fさん! Fさん!」
返事はない。ちくしょう……こんなトコロで死ぬのか……一体、これはなんだ? 一体、これは何なんだ!
僕はフロントガラスから吹雪く空を見る。
そこで白い巨人が手を降っているのを見た僕は『冬が来た』と呟いた。誰にも聞こえない声で。
そのまま、僕も意識を失った。
もはや、どうなるのかはわからない……
おわり
とーぜん、フィクションです。たまには、こういうのも書けるということを。
去年の入院前には発表したかったんですが、今年の手術の前に発表できてよかったです。
まあ、いろいろと、やっていきますので、よろしくお願いいたします。