思考
『ごちそうさまでした』
『ごちそうさまでした』
食事を終えて、食事前と同じく二人揃って手を合わせる。
この「ごちそうさま」と食事の前の「いただきます」を日本の事を知らない彼女がやってくれている理由は昨日にさかのぼる。「意思を伝える魔法」が使えるようになった昨日、僕はずっと聞きたかった事を次々と彼女に質問していった。
そんな中、僕の質問に割り込む様に聞いてきたのがこの作法についてだ。言葉が通じなかった時でも僕はそれを欠かさずやっていて、そのたびに彼女は不思議に思っていたのだという。
僕は彼女のその問いに、「二つの挨拶は、自分の一部となってくれる食べ物自体。それを採ってくれたり育ててくれた人。さらに美味しく調理してくれた人。それぞれに感謝の気持ちを表す作法で、僕の住んでいた場所の文化の一つ」と説明した。
その説明を聞いた彼女は、『とても素敵な考え方をしているのね、私も次から一緒にやってもいいかしら?』と、非常に感心をした表情を見せてくれた。僕にこの考えを教えてくれたのは祖父と祖母だ。子供の頃は良く分からずマネをしてただけだけど、今ではある程度理解をした上でやれていると思う。
(おじいちゃん達に教わってきた日本の文化が、異世界でも受け入れられるってなんか嬉しいな)
宇宙飛行士を目指す過程で様々な国の文化を調べた影響だろうか、僕はその国独自の文化や考え方をなるべく尊重したいという考えを持つようになっていた。祖父にも「宇宙飛行士になるには外国の人とも仲良くしないとダメだ」なんて言われていたし、僕はこのような考え方が出来るように育った事を幸運に思っている。
『じゃあ…任せて大丈夫かな?』
『うん、片付けは任せて。いってらっしゃい』
『うん、いってきます』
そうして彼女は、また仕事へと向かっていった。
出会ってから地球時間で約一周間、昨日の「意思を伝える魔法」の習得もきっかけになったのか、彼女とは大分打ち解けられた気がする。当初は沈んだ表情を見る方が多かったけど、今日なんて会話をするたびに笑顔を覗かせてくれていた。
(彼女が原因で異世界になんて所に来てしまったけど、それが彼女と仲良くなってはいけないって訳じゃない)
食事で使った食器類を洗いながら、僕は自分自身に言い聞かせるようにそう思った。
正直今でも「なんで僕をこんな所に召喚したのか」という思いはある。「意思を伝える魔法」を使えるようになった今ならば、それを問いただす事は出来るだろう。しかし、彼女は彼女なりに呼んでしまった僕の事を非常に気にかけてくれているし。僕は僕で、彼女の触れて欲しく無さそうな所をなるべく触らないようにしてしまっている。
彼女の本心は分からないが、僕の方はいつのまにか築かれたこの関係を壊したくないと思っているのだろう。藪をつついて蛇を出すとか、触らぬ神にたたり無しとは言うけれど、本当は彼女ともう少し踏み込んだ会話をしたい。だから昨日、彼女の方から僕の世界の事を聞いてきてくれた時は内心凄く嬉しかった。
(僕を召喚した、本当の理由か…)
お互いに避けているそれを、もし腹を割って話し合う事が出来たのならば。
(今までは話せなかったけど…今はもう話せてしまうからなぁ)
「意思を伝える魔法」が使えるかどうかは、確実にストッパーになはなってた。その壁が無くなった今、その時が来るのはもう近いのかもしれない。
食器を片付け終わった後、僕は庭に出て用を済ませた。彼女の家は庭は林の方向を向いているので人が通る事は無いそうだけど、いつまで人目を気にしてやらないといけないのか。
(「意思を伝える魔法」を使えるようになったんだから、そろそろなんとかしたいなぁ)
トイレは村全体での共同らしいので、僕が使うには村の人全員に僕の事を認知してもらうしかない。その為に必要なのは村長さんからの紹介とか…。
(そうだ。「意思を伝える魔法」を使えるようになったんだから、村長さんと話が出来る)
約一周間前の村長さんとの会話が思い出される。村にとって危険分子ともなり得る僕に、寛大な処置をしてくれた事には感謝するしかない。しかし村の村長としては、このまま何もしないニートを村に置いておく理由は無いだろう。話す事が出来るようになったのだから、何らかの仕事に割り当てられるという事もあるかもしれない。僕だって好きでニートをしている訳じゃないし、これで村の人とも交流をしていく事が出来る。
(それで一番楽になるのがトイレっていうのも情けない話だけど)
実際切実なんだから仕方ない。彼女が仕事から帰って来たら、村長さんと話が出来るように頼んでみよう。そうと決まれば、僕もやるべき事をやっておかないと。
僕は自分が使っているベットまで行くと、サンダルを脱いでベットの上にあぐらをかいて座る。
「すぅー…はぁー…」
目を瞑り、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
これは「意思を伝える魔法」が使えなかった僕が、それを使えるようになるための訓練だ。彼女はまず、魔法とは意思…イメージを魔力によって具現化するものだと教えてくれた。意思を伝えるのも、水を出したりするのも本質的には同じで、目に見える形にするほど魔力を多く必要とするものらしい。つまり目に見えない「意思を伝える魔法」というのは魔力の消費が少なくて、水を出したりする方が魔力を多く消費する事になる。
ここで一般の人と魔法使いの違いについて。一般の人は産まれてから成長する過程で、物心つく頃には「意思を伝える魔法」を使えるくらいには自然と魔力が蓄えられるようになるらしい。一方魔法使いはライフラインの提供で、一般人よりも多くの魔力が必要になってくる。ではどうやってその魔力を確保するのかというと、僕が今やっている訓練を毎日こなして地道に貯蓄量を増やしていくのだそうだ。
そこで僕なのだが、魔法や魔力が存在していない世界から来たせいで「意思を伝える魔法」すら使えないくらい魔力が少なかった。せめて一般人の魔力量に追いつくためには、魔法使いになるための訓練をして貯蓄量を増やしていくしか無いという訳だ。
「すぅー…はぁー…」
これはいわゆる瞑想というものなんだろうか?よくゲームとかでこんなスキルの名前を聞いた事があったけど、まさか自分でやる事になるとは思わなかった。彼女は魔法と同じように魔力を貯めるイメージを持ってやると効率が良いと言っていて、僕は何となく風船が膨らんでいくようなイメージでやっている。
「すぅー…はぁー…」
魔力はこの世界のあらゆる物含まれている。食べ物からも取れたりするし、空気中にもあるから呼吸をするだけでも少しずつだけど取り込んでいける。魔力がを自分の中の風船に注ぎ込んで、徐々に徐々に大きくなるようなイメージを持ち続けておく。
「すぅー…はぁー…」
いつしか頭の中には風船だけが浮かんでいて。ゆっくりと大きくなったそれは空に浮かんでいって。地面が段々と遠くなって。そのまま僕は空の超えて宇宙まで…。
カンカンカン
外から聞こえた鐘の音で意識が戻ってきた。
「はぁー…」
最後に一つ、大きく息を吐いて目を開ける。ベッドから降りて体を伸ばすと、体のあちこちから小気味よい音が鳴った。
(なんか今日は集中出来たなぁ)
いつのまにか寝てしまった時とは違い、自分の中の風船が確実に大きくなったような感じがする。あくまでも自分の感覚なので実際にどうなのかは分からないけど、目に見えないものなのだからそれでいいだろう。
「さてと…」
仕事終わりの食事については決めて無かったけどどうしようか?まぁ、食事のメニューはいつも同じようなものだったし、朝と同じ物なら材料も用意出来るかもしれない。間に合わないにしても準備くらいならやっておいていいだろう。
ガチャ
地下の貯蔵庫へ降りようとした所で、ドアが開いて彼女が帰ってきた。
『おかえり』
振り返って彼女を迎えると。彼女は明らかに落ち込んでいるような表情をしていた。
『どうしたの?』
いつもと違う彼女の様子に、僕は慌てて彼女に駆け寄った。すぐそばまで来た所で、彼女は顔を上げて僕と視線を合わせる。
『大丈夫?』
どこか思いつめたような表情で、彼女は僕を見つめ続ける。どうしたものかと僕も彼女を見つめ返していると、彼女はゆっくりと口を開いた。
『これから…村長さんの家に行きましょう。あの時約束した通り、村長さんと話をしに…』
それを言った彼女の顔は、まるで怯えたような表情をしていた。「意思を伝える魔法」が使えるようになった以上、僕から提案しようと思っていた事でもあるのに。なんで彼女がそんな表情をしているのか、僕には理由が分からなかった。