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食事

『いってきます』

『いってらっしゃい』


 僕に見送られて、彼女はどこか嬉しそうな顔をして仕事へと向かっていった。


(やっぱりちゃんと言葉が伝わるっていうのはいいな)


 勿論今までも仕事に向かう彼女を見送っていたけれど、あそこまで嬉しそうな雰囲気をした彼女を見たのは初めてかもしれない。そりゃあ伝わらない日本語や、変なポーズで見送られるよりはずっといいだろう。僕自身も、分かりやすさを重視したとはいえ、どんな場面でもあのポーズをするのは正直しんどかった。


 ちなみに仕事に向かった彼女ではあるが、実はしばらくしたら一旦帰って来る。魔法使いである彼女の仕事のスケジュールは、他の村人と少し違う。それは魔法使いが村のライフラインを担当しているという事に関係していて、まず彼女がそれらを配らないと他の村人が行動を開始する事が出来ないからだ。

 そんな責任重大な魔法使いの仕事ではあるが、仕事始めに関してはそれなりにおおらかな気がする。どうやらあの鐘の音は、魔法使いがそろそろ最初の巡回に行くという村長さんからの合図であって、最悪目覚まし代わりに鐘の音で起きてから行っても問題無いそうだ。

 考えてみれば、昼の間は多少時間をかけた所で暗くて仕事が出来なくなるという訳でも無いし。仕事終わりの鐘にしたって、村長さんが村人全員の仕事が終わったのを確認してから鳴らしているのだとか。要するに村長さんの基本的な仕事は、村全体のスケジュール管理のようなものなんだろう。


 さて、そんな彼女が一旦帰ってくるまでの間にやる事がある。それは仕事始めの食事の準備だ。今までは全ての家事を彼女に任せてしまっていたけど、言葉が通じるようになった事だし手伝いを申し出る事にした。そこで彼女が提示してくれたのが仕事始めの料理当番だ。確かに一回戻ってきてから料理に取り掛かるのは大変だし、家に残っていてもやれる事は無い僕がやるのは当然といえば当然だろう。


 ちなみに僕がこの世界に来た初日に彼女が一旦帰って来なかったのは、村長さんと僕の事について相談していたかららしい。その後も彼女は寝不足と空腹のまま仕事をこなしていた訳だけど、僕の事が気になっていてそんな事は忘れてしまっていたのだとか。

 あの日の食事の後、二人揃ってすぐに寝てしまったのはそういう疲労を考えれば当然だ。おかげで起きた後、本来なら寝る前にやるべきだった歯磨きや体を拭いたりするのを急いでやるハメになったのも仕方の無い事だろう。


(お風呂は当然無かったけど、衛生観念がしっかりしてるのは助かったなぁ)


 昔の歯医者なんて、削って詰め物なんかしないで抜くしか無かっただろう。それを知ってか、この村ではやや硬めの動物の毛を使って歯を磨き、糸を使って歯の間まで綺麗にするように教えられているそうだ。

 衛生面といえば、家の中の一角には地下室への入り口があって、そこが食品の貯蔵庫になっている。木製の梯子を使って上り下り出来るようになっていて、地下は地上に比べて気温が低く食料の保存には良さそうな感じだ。一応召喚された初日に案内をされていたのだけど…あの時の僕は余裕が無くて、とても手を出す気にはならなかったという経緯がある。


(水を飲むのも怖がってたっけ)


 結局水でも食べ物でもお腹を壊すような事は無かったし、保存されていた食材だって日持ちがするように加工もされていた。日本という世界でもトップクラスの衛生さを基準にしないで、この世界の衛生さを理解していくのが大事なんだろう。


(もしかしたら…彼女が魔法で殺菌とかもしてくれてたりして)


 また一つ、彼女に聞きたい事が出来てしまった。昨日みたく魔力切れにならないように、もっと魔力を蓄えておけるようにならないと。


(さて、そんなことよりも)


 時間はまだまだあるとはいえ、料理に取り掛からなければ。幸いな事に、この世界…というかこの村の料理はそんなに手が込んだ物ではない。野菜等の食材を煮込んだスープと、固い黒パンとチーズが基本のメニューになっている。その内調理が必要なのはスープだけで、今回は彼女が食材を用意して行ってくれた。料理経験ほぼゼロの僕でも、これくらいならなんとかなるだろう。


 鍋に水を入れてかまどに設置、後は火が通りにくい物から順番に材料を入れていくだけだ。手でちぎれる野菜や乾物はちぎって入れて、皮を剥く必要がある野菜はナイフを使って処理していく。


(このナイフ…結構いい切れ味してるな)


 金属製の食器といい、器やコップが木製の割にはしっかりとした作りだ。母さんがたまに包丁を研いだりしているのを見ていたので、こういう刃物はちゃんと手入れをしないと切れ味を保てないイメージを持っている。彼女がしっかりと手入れをしているか、もしくは鍛冶師のような仕事をしている人が村に居るのだろうか。


(言われて無かったけど…一応アクは取った方がいいんだっけ?)


 グツグツといっている鍋の表面には白い泡が固まっている。僕は木製のお玉を使って、出来るだけそれを除いていった。取り除いたアクは野菜の皮等の生ゴミと一緒に、ゴミ用の器に移しておく。

 こういったゴミは、その日のうちに彼女がどこかに持って行っていた。多分だけど、一か所にまとめて肥料にでもするんじゃないだろうか。


(ちなみにこのままの味は…薄いな)


 味見も忘れずにして、とんでもない味になっていない事を確認する。そして手ごろな大きの岩塩を一粒鍋に放り込んだ。しばらくかきまぜた後再度味見をしてみると。


(もうちょっと?…いや、彼女が作ったのはこのくらいの濃さだったかな?)


 ここで基準にするのは彼女の料理だ。しばらく暮らして分かった事だけど、この辺りの気候は日本に比べてかなり過ごしやすい。気温で言えば春くらいで、湿度もそんなに高くない。お風呂には入れないけれど、そもそもそんなに汗をかく事は無かった。寝る前に水をしみこませた布で、くまなく拭けば問題無いくらいだ。つまり塩分はそれほど取らない方が良くて、僕の好みで濃くするような事はしない方が良いという訳だ。


(外国の人が日本に来て湿度に驚くっていうのは本当だったんだなぁ)


 そんな事を考えながら鍋をかきまぜていると、食材の色から程よく火が通ったのが分かった。僕は鍋をかまどから外し、鍋敷きを置いたテーブルに移動させる。


(器と食器も用意したし、パンとチーズも持って来ておこう)


 地下に降りて、一食二人分のパンとチーズを手に取った。最初に見せて貰った時よりも、貯蔵庫の食材は確実に減ってきている。


(そういえば、この食材達はどうやって補充をしているんだろうか?)


 今まで気にしてなかった…というか気にする余裕が無かった事が次々に気になってくる。「意思を使える魔法」が使えるようになった事で、彼女から色々と教えて貰いやすくなった事もあるのかもしれない。今後の事を考えれば、そういった村の事も知っていかなければダメだと思う。いつまでも彼女に依存して生活し続けるのも悪いし、僕も何か村の仕事をしなければいけなくなるだろう。


『ただいま』


 パンとチーズを持ったまま物思いにふけっていると、梯子の先から扉を開ける音と彼女の声が聞こえた。僕は慌てて梯子を上り、家の中をキョロキョロとしている彼女の姿を認めると。


『おかえり』


 僕は地下から頭だけを出して彼女に声を掛けた。彼女はそんなところから声を掛けられると思ってもいなかったのだろう、きょとんとした表情で僕を見下ろしている。


『…食事にしようか。ほら、たったいま準備が出来たんだ』


 地上に出てきながら、両手にパンとチーズをかかげる。彼女はそんな僕を見てクスリと笑い。


『うん、食べましょう。とっても美味しそうに出来てるわ』


 彼女は嬉しそうに笑うとスープの用意されたテーブルに向う。それに続くように僕もテーブルに向った。向かい合って椅子に座り、僕と彼女は揃って両手を合わせる。


『いただきます』

『いただきます』

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