面接
カンカンカン
外から聞こえる鐘の音で目が覚めた。体を起こして時計を見てみると、針は4時頃を指している。
あの後、泣き疲れた僕は寝かされていたベッドに潜り込んで寝る事にした。外には出られないし、家の中でやれる事は無い。普段なら体力作りの為の筋トレをするところだけど、とてもそんな気分では無かった。
(いつもなら…学校から帰ってきてるぐらいかな)
昨日までの日常とはかけ離れた現状にまた感情が揺さぶられる。けれど、一度泣いたからだろうか涙が出る事は無かった。
(鐘の音…)
そういえば、この鐘を合図に魔法使いの彼女は仕事へと出ていった。それがもう一度鳴ったという事は、もしかしたら仕事が終わった事を知らせる鐘なのかもしれない。つまり、しばらくしたら彼女は帰って来るんじゃないだろうか?
ベットから降りて化粧台で自分の顔を確認してみる。そこにある品質の悪そうな鏡には、案の定泣き痕がバッチリ残った自分自身が映っていた。
(この顔のままっていうのはマズいな)
正直、泣いてしまった事自体は仕方ないと自分自身で思っている。突然こんな所に連れて行かれて、何も思わなかったりすぐに冷静に行動出来る人の方が少ないだろう。
ただこのまま彼女に泣いていた事を知られると、また彼女の罪悪感を刺激してしまうんじゃないかと思うのだ。彼女が自分のした事に反省しているのは十分に伝わっている。これ以上あっちに落ち込まれても困るし、僕も必要以上に被害者を振りかざし続ける必要も無いと思う。
いざ顔を洗うにしても、この家には洗面所のようなものは無かった。水があるのは炊事場だけなので、そこで洗うしかないだろう。そうしてとりあえず炊事場まで来たところで、僕はどうやって顔を洗えば良いのかという問題に気付いた。
(タオル…いや濡らしていい布の場所は聞いてなかったな)
飲料水として桶に貯めてある水をそのまま使う訳にもいかないので、一旦コップに汲んだ水を手に移して洗っていくしかない。なんともスッキリしない顔洗いになってしまったけど、やらないよりはいいだろう。
(そういえば…お風呂ってあるのかな?)
あまり期待はしないでおこう。そもそも毎日風呂に入るという習慣は、世界的に見ればかなりの少数派だ。良くてシャワーを浴びるくらいで、体臭は香水などで誤魔化すのが普通らしい。魔法を使えば可能かも知れないけど、どちらにしてもそんな贅沢な事を言える立場でもない。
(体を洗う事についてはまた彼女に聞こう)
僕があれこれ考えて期待したところで、結局はこの村のやり方に従うしかない。そもそも僕みたいなよそ者を、この村の人達はどう扱うのだろうか?
コンコンコン
「っ!」
突然鳴った玄関の扉をノックする音に驚いてしまう。僕はとりあえず息を吐くと、手に持ったままだったコップを炊事場に戻し、濡れた顔をパジャマの裾で拭った。
「…はい」
言葉は通じなくても、返事くらいなら分かってくれるだろう。扉の向こうに居るのが彼女ならば、その辺りも察して入って来てくれると思う。もし、それ以外の誰かだったら…。
ガチャ
扉が開き、見えた顔に安堵する。帰って来たのは魔法使いの彼女で間違いなく、彼女は顔だけを中に入れて『…ただいま』と呟きながら家の中を見渡し始めた。
(もしかして…逃げたとでも思われてる?)
そうして炊事場に立っている僕を見つけると、彼女は緊張していた顔を緩ませた。
「…おかえり」
とりあえず目が合ってしまった事だし、「おかえり」と言いながら手で〇を作った。出かける前も〇でやってしまったし、しばらくは相槌として使っても問題無いだろう。
『………』
僕に返事を返された彼女は、何故か呆然としたように固まっていた。
(どうしたんだろう?何か僕に変なところでもあったのかな?)
『どうした?何かあったのか?』
声を掛けようか考えていると、頭の中に男性の機械音声が響いた。その声を聞いた瞬間、全身にぞわりとした悪寒が走る。
(知らない…男性?)
鳥肌が服にこすれて肌が不快感を訴えてくる。さらにこれが冷や汗というものなのか、手のひらがジワリとざわめいて湿り気を帯びていった。
『すみません』
彼女は申し訳なさそうな表情でそう言うと、半開きだったドアを開ける。そしてそのままドアに張り付くように道を開けると、その先…玄関の外には一人の男性が立っていた。ヒゲを生やした50~60台の白髪交じりの黒髪、彼女と同じような褐色の肌と布の服。やはり欧米人のような顔立ちで、威厳を感じさせる表情と瞳で僕の事をじっと見つめている。
『………』
無言で見られているというプレッシャーが苦しい。僕は直感的に、この人はこの村の村長なんじゃないかと思った。
僕の短い人生経験から、このような雰囲気をまとう人と出会った事は数えるくらいしか無い。それは学校の先生だったり、入試の時の面接官といった僕よりも目上の人だ。
(彼女が呼び出してしまった僕を…確認しに来た?)
普通に考えればそうだろう。小さな村ならばよそ者が来ただけでも警戒するだろうし、それが言葉も通じない異世界人だったらなおさらだ。彼女が同行してきた事から、僕が侵入してきたのではなく、彼女の召喚魔法で連れて来られたと聞いているとは思う。しかし、ここでの印象次第では危険人物と判定されて追放…最悪の場合殺されてしまう可能性だってある。ここは警察や裁判官が居る日本ではない、僕という個人を守ってくれるものはどこにも無いんだった。
そう思ったとたん、手足がガクガクと震え始めた。手どころか背中や脇の下からも汗が出ているだろう。男性から目を逸らしたい気持ちと、逸らさない方が良いという気持ちがせめぎ合って視界がグラグラと揺れる。
『まずは謝罪を、異世界から来た者よ』
僕の心と体が限界を迎えそうになった時、男性は厳めしかった表情を緩めてそう言った。
「…え?」
急にプレッシャーから解放されて頭が真っ白になった。
(謝った…?)
『私はヒト族の南の村の村長だ。魔法使いから事の顛末は聞いている、君がどのようにしてこの村に来てしまったかもな。不躾に見てしまって事は申し訳ない。どのような事情であれ、君がどのような人物なのかを知る必要があったからだ。私の見立てでは、君は暴れたり無作法な事をしそうな人物では無いと判断しよう』
心なしか、同情をするような優しさを感じる表情で村長さんは話し続ける。
『君の処遇についてはまだ決めかねるが、生活の保障はしよう。ひとまずは魔法使いの家に住み、可能ならば「意思を伝える魔法」を使えるようになって欲しい。その時が来れば、また改めて君と話し合いがしたい』
そこまで言った所で、村長さんは口を閉じて僕の事を見続ける。
(…もしかしなくても、僕の返事待ちなのか?)
といっても言葉が通じないのは村長さんだって聞いているだろう。僕がその提案に対して返せる返事なんて…。
「あっ!はい!」
慌てて僕は、彼女と決めた両手で〇を作るポーズをした。
彼女から話を聞いているのならば、二人で決めた「はい」と「いいえ」のジェスチャーについても知っているという事だ。
『ありがとう。そして重ねて申し訳ない。村人の管理は村長である私の責任だ、理不尽に連れて来られた君を邪険に扱うような事はしないと約束しよう』
真剣な表情でそう言ってくれた村長さんに、僕はまた〇のポーズで答える。
仕方が無いとはいえ、村長という身分の人への返答がこんなジェスチャーというのが申し訳なくなってきた。村長さんの言う通り、もし「意思を伝える魔法」を覚えられるのならば早く覚えたいところだ。
『ではまた、君と話せるようになるのを待っているよ』
最後にそう言うと、村長さんは踵を返して帰って行った。
「はぁー…」
思わず大きく息を吐いた。威厳たっぷりの村長さんではあったけど、良い人そうで本当に良かった。ここまでお膳立てをして貰ったのならば、是が非でも「意思を伝える魔法」を使えるようにならないと。
(…あれ?)
村長さんが帰ったというのに、魔法使いの彼女は扉の前から動かなかった。呆然としたように動かない彼女の目は、どこに焦点が合っているのか分からない。
「だ、大丈夫?」
言葉は通じないけれど、声を掛けずにはいられなかった。例え通じなかったとしても、心配して声を掛けている事は通じてくれるかもしれない。
「あ…」
一瞬、その可愛らしい声にドキっとした。
『すみません…大変な事になってしまって』
今の声は何だったのかと思う間もなく、彼女は申し訳なさそうな顔をして僕に謝ってきた。それに対して僕は、手で〇を作るポーズを返すしかない。
『とりあえず、「意思を伝える魔法」が使えるようになるまで頑張りましょう。私は…早く貴方と話がしてみたいです』
そう言ってわずかに微笑んだ彼女の顔は、なぜか哀しさを感じさせるようなものだった。僕は再度〇のポーズを取って彼女の意見に同意する。
(僕も…早く彼女と話してみたい)
こうして、僕の異世界での一日目は終わった。果たして僕は、この世界でどう生きていく事になるんだろうか。