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 ゴクリと、温かい緑茶が喉を通り抜ける。


「はぁ~…」


 思わず吐き出した息が、一瞬だけ白くなってすぐに霧散した。傍らのお盆に湯呑を戻すと、手に残った暖かさがあっという間に冷えていく。

 本格的に寒くなってきた11月のある日。僕は家の縁側で、日課であるお月見をしていた。本日の月は見事な満月、雲も無い快晴で絶好のお月見日和だ。月はどの顔であってもそれぞれの風情があって飽きが無い。けれど僕の中では満月は特別で、今後厳しくなっていく受験戦争を前にしっかりと鋭気を養えそうだ。


 隣をチラリと見ると、そこにはスマホが置いてある座布団がある。そこはかつて祖父が座っていた場所で、僕が高校に上がる少し前から空席になっていた。


(おじいちゃん…少しずつだけど確実に月に近いてるよ)


 今はスマホが置いてある座布団だけど、昔は電話の子機を置いていた。祖父の体が悪くなったのは、僕が高校受験の勉強で忙しかった夏の頃だ。祖父は入院してからも毎日電話を掛けて来てくれて、消灯時間のギリギリまでお月見に付き合ってくれていた。その時の名残から…亡くなった祖父に少しでも思いが届くようにと、僕は座布団に電話を置き続けている。


 そうして祖父の事を思い出すと、小さい頃に月の兎の話をしてくれた事も思い出す。今も目に映る満月では、兎が寂しそうに餅をついているように見えた。

 勿論今では月に兎が居ない事なんて百も承知だ。けれど、一度向いた月の…宇宙への興味は無くなる事は無かった。祖父も亡くなる寸前まで、どうすれば宇宙に行けるのかを一緒に考えてくれていて。進学についても、両親を説得してくれたりと感謝をしてもしきれない程の応援をし続けてくれた。


「昇、今日はもうこれくらいにしたら?最近めっきり寒くなってきたし、風邪でも引いたら大変よ」


 もう一口お茶を飲もうとしたことろで、後ろの障子越しに母さんに声を掛けられた。

 折角の綺麗な満月なのだからもう少し眺めていたいけれど母さんの言う通りだ。実際寒いのには違いなく、持った湯呑はもう暖かさを失いつつあった。


「うん、もう戻るよ。ありがとう」


 ぬるくなったお茶を一息で飲み干し、体をほぐしながら立ち上がる。母さんは僕の返事を聞いて家事に戻っていったみたいだ。

 傍らに置いていたお盆とスマホを拾おうとしたところで、名残惜しいのでもう一度月を眺めてみる。


「?」


 気のせいだろうか、月の真ん中辺りに小さな光が見えた。


「わ!?」


 飛行機でも通ったのかとその光を見ていると、それは急激に光を増して、目も開けていられないほどの眩しい光を浴びせてきた。その光を遮る為に手をかざそうと所で、僕の鼻に強烈な土と植物の匂いが飛び込んできた。


「…え?え?え?」


 まだ目を開けられない中、突然全身で感じる違和感に足がもつれる。そしてバランスを取り切れず、尻から座り込んでしまった。すると「ジャリ」という音と共に、明らかに縁側の板では無い地面の感触が、パジャマ越しに伝わってきた。滑って庭に落ちたのかと思ったけど、それならもっと衝撃があったはずだ。


『…嘘』


 その声は、まるで機械で合成したような女性の声だった。しかもイヤホンをしている訳じゃないのに、頭の中で響くように聞こえてくる。


(なんだこの声は?誰か居るのか?)


 顔を見上げると、青空と林のような背景に、人の形をしたシルエットがぼんやりと見えた。

 場所もおかしいけど、なんでここはこんなに明るいんだろうか?さっきまで夜だったはずなのに、この明るさは絶対に真昼間の明るさだ。夢でも見てるのかと思ったけれど、地面についた手に刺さる砂利の痛みがそうでは無い事を訴え続けている。


「………」

『………』


 向こうは僕を見下ろしているだけでそれ以上何も言わないし、僕もなんて声を掛けて良いのか分からない。


(女の子?)


 光に慣れてハッキリとしてきた視界に映ったのは、僕と同じくらいの年であろう女の子だった。

 欧米人のような彫の深い端整な顔、やや赤みがかった茶色の髪、日に焼けたような褐色の肌。明らかに日本人ではない彼女だが、さらに奇妙なのはその服装だ。中世のヨーロッパ?というのが正しいのか分からないが、そんな感じの布の服を身につけている。

 いや、それよりもおかしいのは周りの風景だ。さっきまで居たはずの家の縁側どころか庭でも無い。これもまた中世ヨーロッパ…いや、いっそのことファンタジーなRPGに出てくる村というのがしっくりきた。


『………』


 彼女は相変わらず何も喋らず、その茶色の瞳で僕の事を観察するように見つめていた。

 このままでは何も進展しない。先ほど聞こえた声はとりあえず日本語のように聞こえたんだ、外国人のようだけどまずは話しかけてみよう。英語は日常会話なら問題ないし、簡単な受け答えならロシア語もいける。こんなところで宇宙飛行士を目指して習得した事が役に立つとは思いもしなかった。


「ふぅー…」


 僕は一度大きく息を吐いた。あまりの事態に無意識に息を止めていてしまったのか、少し気分が楽になった。僕は顔を上げ、彼女に挨拶をしようと今度は大きく息を吸い込んで…。


「ぐぅ!?ゲホっ!」


 息を吸ったとたん、喉や胸が急に痛くなった。まるで吸い込んだ空気が毒だったかのように、僕の体は必死に咳を繰り返し続ける。

 熱い、痛い、苦しい。それしか考えられなくてどうすればいいのか分からない。口に手を当て、体を折りたたむ様にうずくまり、目を固く閉じて早く痛みが収まってくれと祈り続ける。


『大丈夫?』


 また…この機械のような声。喉や胸に感じた痛みは、既に頭や腕や足…全身にまで広がっていて、頭に直接響くようなその声がとてもつらい。

 僕はその声を目の前の彼女が出しているのかと思い、限界の状態の中でわずかに顔を上げて目を開く。


『痛いの?大丈夫?』


 涙で滲む視界の中見えたのは。先ほどまで呆けたような表情とはうってかわって、必死の表情で僕に声を掛け続けている彼女の顔だった。

 いったいここは何処で、彼女は何者なんだろう?それが最後の思考となって、僕の意識はプツリと途切れてしまった。

設定資料


月見里昇やまなしのぼる

主人公。祖父との約束から宇宙飛行士を目指す高校三年生。某有名大学への推薦も決まっていて成績優秀。性格も温和。順調に行けば宇宙飛行士はさておき、その分野での活躍は約束されていたような逸材。

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