トラックドライバーは異世界に復讐しに行くそうです
短編です。
けたたましいアラーム音で目を覚ます。
もぞもぞと手探りでアラームのスイッチを切り、怠そうに顔を洗いに洗面所へと向かう。冬の水は意識を覚ますのにちょうど良い冷たさだった。
簡単に朝食を済ませ、テレビを見ながら一服する。いつのまにかルーティーンとなったこの行動を終えると、ちょうど会社に行く時間になった。社宅から歩いて10分ほどの場所に会社はあり、いつも一番乗りだ。
「今日も早いなぁ、久作」
「おはようございます安藤さん」
やや遅れてやってきた先輩ドライバーの安藤に久作は元気よく挨拶をした。安藤もそれに応えるようにおはようと挨拶を返す。
「久作、お前まだ社宅に住んでんのか? 彼女と同棲したらどうなんだ?」
突飛な質問に久作はたじろいだ。
「いや、でも、同棲するなら結婚してからがいいと思ってまして……」
久作には付き合って半年になる彼女がいた。
「そうか。じゃあ早く金貯めて結婚しなきゃだな」
「はい」
がはははと勢いよく笑いながら安藤は去っていった。久作もその後をついていった。
「よし、残り一軒か」
宅配便のドライバーとして働く久作は、この日最後の荷物を届けに行っていた。
まだドライバーになって2年目だが、仕事に対し真面目で、誰に対しても優しく接する性格が相まって仲間からの評価も高く、まずまずの人生を送っていた。
常に安全第一を心がけたドライブテクニックのおかげで、今まで事故もなく過ごしてきた。
今日も最後まで気を抜かず運転する。
しかし、平穏ほど脆く不確かなものはない。
一人の少年が横断歩道を渡ろうとしている。歩行者信号は赤だが、スマホを見ながら歩いているせいでそのことに気づいていない。
慌てて久作がクラクションを鳴らす。少年もその音に気がつくが、足がすくんでいるのか動こうとしない。急いで久作はブレーキを踏むが、もう間に合わなかった。鈍い音が、感触が、はっきりと伝わってきた。
久作は、いやに冷静だった。運転席から降り、少年の姿を確認しに行く。赤黒い血がトラックの前面とコンクリートに染み込み、周りの人々はざわざわと騒いでいた。
その血溜まりの先に少年がいた。横たわっており、既に死んでいた。その死体を見て、久作はこれが現実なんだと否が応にも認識した。
その瞬間、喉の奥が熱くなり思わず吐瀉物を道路にぶち撒けた。そしてその後で大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
「なんで…………なんで俺なんだよ」
道路にへたり込みながら弱りきった声でぽろりと呟いた。
やがて警察が到着した。
事後は、まさに地獄だった。
少年の家族に泣かれながら責められ、ひたすらに謝った。
当然の如く会社はクビになり、それどころか「君のせいで我が社の売り上げが落ちたらどうする!」と上司にひたすらに叱責された。当然仲間――良き先輩の安藤――も誰一人として関わろうとしなかった。
社宅に戻り、テレビをつける。ちょうど夕方のニュースがやっていた。そこには事故現場が映っており、淡々とアナウンサーが事故の内容を喋っていた。久作は慌ててトイレに駆け込み、吐いた。
トイレから戻ると、電話が鳴っていた。彼女の雪からだ。気が進まないまま、久作は電話をとった。
「……もしもし久作? 雪だけど」
「どうした、雪?」
「別れましょう、私たち」
予想通りの話だった。
「そりゃそうだよな」
「うん。じゃ、さようなら。もう金輪際かけてこないでね」
電話の時間は十秒ほどだった。椅子に座り込み、深くうなだれた。そこに、電話がかかってきた。見ると母親からだった。
「久ちゃん、テレビで見たけどほんとなの?」
震えた声で、早口になりながら尋ねる。
「……うん。ほんとだよ」
「……そう。なんて言えばいいか分からないけど、その、ちゃんと反省するんだよ」
それだけ言うと、電話は切れた。
今朝までは皆んな親切だったし、彼女だっていた。それが今や犯罪者扱い。どうせ刑期を終えたとてこれからの人生を前科者として過ごすことになる。
これからの人生に、希望なんてありはしない。気がつくと、久作は自分の首に縄をくくりつけていた。
そこに未練はなかった。
光が差し込み、瞼の裏の血管が見える。ゆっくりと目を開け、体を起こす。
「どこだここ?」
全てが真っ白の空間だった。上下左右どこを見ても白く、どこまでも続いていた。
「もしかして天国か?」
「天国じゃありませんよ」
急に聞こえた声に、久作は「わっ!」と声を出した。しかしあたりを見回しても人影はなく、気のせいだったかと思い前を向くと、そこに女性が立っていた。
「あ、あのどちら様ですか?」
「はじめまして。私は女神です。火野久作様ですよね?」
「そうですけど、どうして女神様がここに?」
「久作様を異世界に転生させるためです」
「……え?」
何を言っているのか分からなかった。転生?異世界?何を言っているんだこの女神は。いやそもそも女神なのかも怪しい。
「しかし、まさか一日で二人も転生させることになるとは」
「ふ、二人? 俺の前に、誰かいたんですか?」
「はい。トラックに轢かれた方が一人」
「トラック……」
久作はまさかと思いながらも、立て続けに質問をする。
「もしかして、その人若い?」
「少年のような見た目でしたね」
「黒髪?」
「はい。黒髪短髪でした」
聞けば聞くほど、あの時の人物像と一致する。興奮してタメ口になってしまう。
「その人は、今どこに?」
「見ますか?」
そういうと、女神は空中に小さなスクリーンを出した。そこに映っていたのは、紛れもなくあの時轢いてしまった少年だった。
「彼は今、転生先の異世界で女の子たちと旅をしておるようですね」
「俺をここに転生させてくれ!」
久作は急に叫び出した。
「え、いやでもまだ何も説明を」
「いいから! 転生させてくれ!」
久作は女神の両肩を掴み、真っ直ぐな瞳を向ける。その勢いに女神は気圧された。
「本当に、もう転生させていいんですか?」
「大丈夫だから転生させてくれ」
久作が急かすのには訳があった。
異世界でハーレムを築きたいとか、前世での苦しい思いを上書きしたいとかそんなものではなかった。
それは、この少年に対する復讐心だった。
前世で轢いてしまった時は、申し訳ないと思った。しかしさっき見た映像で、そんな思いは消え失せた。
少年の家族は泣き叫びながら俺に突っかかってきた。しかし当の本人はあんなに女を侍らせ、鼻の下を伸ばした性欲の塊のようなやつになっている。
俺はあいつに自責の念を感じたのか。仲間も、彼女も、仕事も、あんな奴を轢いたことで俺の人生は台無しになってしまったのか。
この私怨にも似た復讐心が、はらわたが煮え繰り返るほどの怒りが、久作を異世界へ転生させる決定打となった。
「じゃあ、転生させますよ」
「あ、あの少年の名前はなんですか?」
落ち着きを取り戻した久作が、丁寧な口調で尋ねた。
「彼は喜山傑様ですけど……どうかしましたか?」
「喜山くんか。……まだ若いのにかわいそうに」
ぽつりとそう呟くと、久作の全身が光に包まれた。