私にあてた手紙
どんCにしては珍しく、おばあさんのお話です。
「あちゃ~今年も切手余っちゃったか~」
私は切手を入れている缶を見て苦笑する。
年々年賀状の数が減る。
特に昨年は会社を定年退職した。
私は保険のセールスレディをしていた。
仕事仲間に出していた年賀状の返事は返って来ない。
時代の流れと言うか。
年賀状をメールで出す人も増えたとか。
最も私の場合、年賀メールも来ないのだが。
お得意様へのご機嫌伺いの年賀はがきを送ることももうない。
今、手に持っている十数枚の年賀はがきは、高校のクラスメイトからの物だ。
会社を辞めると言うことは社会とつながりが切れると言う事だとしみじみ思う。
私は三十数年前に夫を亡くした。
二人の娘を懸命に育てた。
幸い、夫の生命保険と私の会社勤めで二人の娘を大学までいかせる事が出来た。
今、長女はアメリカの作家と結婚してニューヨークに住んでいる。
次女はイギリス人と結婚してデザイナーとして夫の会社に勤めている。
二人共孫を二人ずつ産んでくれた。
二人共こちらに来て一緒に暮らさないかと言ってくれたが。
この年で外国暮らしは堪える。
孫の顔を見に、たまに遊びに行くのはいいが。
外国に骨をうずめるつもりはない。
眠るのなら夫と同じ墓で眠りたい。
夫は筆まめでとても字が綺麗な人だった。
マイナーな映画が好きで、よく二人で映画を見に行ったものだ。
そうそうあの映画は面白かった。
中世の修道院で不可解な事件が起きて、若い修道士が師匠に助けを求めた。
映画の主人公は50代の修道士で森の奥で隠居生活を送っていて。
一人の少年の弟子がいた。
主人公は修道院に行くつもりが無かったが、彼の元に鈴蘭のシーリングスタンプが押された手紙が届く。
それは昔の恋人からの手紙だった。
主人公と恋人は結婚を誓ったが添い遂げられる事は無かった。
恋人は別の男と結婚して、恋人の夫は戦争に出て帰らぬ人となり。
彼女は修道女となった。
主人公も同じ戦争で戦い英雄となったが。
世俗を捨て修道士となって自分が殺した者や死んだ同胞の冥福を祈っていた。
主人公に助けを求めた若い修道士は、彼女の甥にあたりどうか甥を助けてくれと書かれている。
主人公は元恋人の願いを聞き入れて、島の中にそびえ立つ修道院に向かった。
その手紙のやり取りで主人公が使ったシーリングスタンプはドラゴンで、元恋人の使っていたシーリングスタンプは鈴蘭だった。
因みに若い甥っ子が使っていたシーリングスタンプは二本の麦が交差した物だった。
なんやかんやで事件を解決した主人公は事件のあらましを報告するために、元恋人がいる修道院を訪ねた。
そこで主人公は元恋人が3年前に亡くなっていることを、彼女の同僚から聞かされて手紙の束を渡される。
その手紙の束は主人公に宛てた恋文だった。
主人公は湖のほとりにある彼女の墓でその手紙を読むと言う、切ないシーンで終わっていた。
私はハンカチを濡らし、夫も目が赤かった。
気まずくて私は目をそらしたら、売店にあるあ(・)れ(・)が目に入った。
数日後が夫の誕生日だったから、私はあ(・)れ(・)を買って夫に贈った。
夫はとても喜んでくれた。
「あ(・)れ(・)はまだあるはず」
私はクロウゼットからあ(・)れ(・)を取り出す。
文箱の中にあの時買った物が大切に収まっている。
映画の中で主人公が使っていた羽ペンとシーリングスタンプだ。
シーリングスタンプは主人公が使っていたドラゴンの図案と恋人が使っていた鈴蘭の図案の二種類が収められている。
後で買い足したシーリングワックスとスプーンとティーライトキャンドルもちゃんとあった。
残念ながらインクは使い物にならなかった。
新しい物を買わなければ。
主人は私と違って達筆で良く友人に手紙を書いていた。
主人はドラゴンのスタンプを好んで使っていたわね。
私は恋人が使っていた鈴蘭のスタンプを使おう。
そうよ切手も余っているし。
文字の練習がてらに自分に手紙を書こう。
下手な字も自分宛なら恥を書く事もない。
(郵便局員と郵便配達の人が見るって? カウントしない。知らない人だし。旅の恥は搔き捨てじゃないが。下手な字は書き捨てよ)
ドキドキしながら自分に手紙を書く。
ああ……昔、学校の庭にタイムカプセルを埋めたわね。
その時未来の自分に手紙を書いたけど。
あのタイムカプセルは校舎の建て替えで、結局何処に埋め直したのか分からなくなって。
がっかりしたのを思い出した。
私は自分に手紙を書き、シーリングワックスを溶かしスタンプを押す。
封蠟をまじまじと見つめる。
この鈴蘭の図案は可愛い。
主人公に手紙を贈った元恋人の顔は映画の中では出てこなかったが。
きっとこの鈴蘭のように、可愛い人だったんだろう。
私はスタンプが渇くのを待つと。
バックに手紙を入れて、散歩がてらに郵便局のポストまで歩いた。
近頃ポストが減ったな~
昔はタバコ屋の横に公衆電話とポストがあったが。
タバコ屋は減り、それとともに公衆電話とポストも減って。
代わりにコンビニの中にポストが設置された。
あら?
それならポストは減ってないと言うことかしら?
それに公衆電話も皆が携帯を持つようになったし。
若い人は携帯のメールを使う。
あら?
これもどうなのかしら?
形態が変わっただけなんでしょうね。
ことり
手紙はポストの中に、軽い音を立てて消えていく。
文字の練習をしましょう。
それで綺麗な文字が書けるようになったら、友人に手紙を書こう。
数日して私の所に手紙が届く。
手紙はドラゴンのスタンプが押され、夫の綺麗な文字が書かれていた。
えっ?
私は震える手で封を開けて、手紙を読む。
___ 拝啓 僕の奥さん ___
___ 突然僕から手紙が来てさぞや君は驚いている事だろう ___
___ 正直僕も驚いている ___
___ 僕が居なくなって、二人の子供を抱えて君は途方に暮れていたね ___
___ 君と子供達を残して突然死んでしまって、本当にすまないと思っている ___
___ でも君は持ち前のバイタリティーと笑顔で子供達を育ててくれた ___
___ ありがとう ___
___ 君と添い遂げる事は出来なかったけれど、君と出会えて本当に僕は幸せだった ___
___ でも君は急いでこちらに来る必要は無いよ ___
___ 孫たちと老後を楽しんでくれ ___
___ 愛している ___
涙が止まらなかった。
嗚咽が漏れる。
ポタポタと手紙の上に涙がこぼれ。
夫の綺麗な文字が霞む。
気が付けば朝になっていた。
夫の手紙は消えていた。
その代わり封を開けていない鈴蘭のスタンプで封蠟された手紙がポツンとテーブルの上に置かれているだけだった。
「貴方……私はまだまだあなたの所に逝かないわ。貴方の代わりに孫達を見守っていかなくちゃね」
私は鈴蘭のスタンプを見ながら微笑んだ。
数日後に娘からの手紙が届いた。
~~~~ ~~~~
「おばあちゃん。この段ボールこっち?」
「ああ……その段ボールはキッチンに置いて」
「うん。」
「今日は引っ越し祝いにお寿司を取ろうよ」
イギリスに住んでいたタバサは食いしん坊だ。
「まあまあ。この近くに配達してくれるお寿司屋さんはあるかしら?」
今日から娘達が買ってくれたマンションに住む事になっている。
5LDKのマンションで二人の孫と暮らす事になった。
二人の孫の名は、アメリカに住んでいた孫のメアリーとイギリスに住んでいたタバサだ。
二人共黒髪で琥珀の瞳だ。
マンションを買ったのは私の為でもあるが。
二人は日本の大学に通ってオタクを満喫するらしい。
大学に通うなら防犯のしっかりしたマンションが良いし。
序でに私も一緒に住まわせようと言うことらしい。
二人の孫は姦しくはしゃいでいる。
まるで娘二人と暮らしていた時のように賑やかだ。
「貴方、孫の結婚式を見てひ孫を見るまではそっちに逝かないわ」
私は仏壇の夫の写真にそう呟いた。
~ 完 ~
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2020/8/5 『小説家になろう』 どんC
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最後までお読みいただきありがとうございます。