前編:桃太郎、大地に立つ
昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
そしてある時。お爺さんは山へ柴刈に、お婆さんは川へ洗濯に出掛けた日のことです。
お婆さんが川で洗濯をしていると、川上からドンブラコドンブラコと何かが流れてくるではありませんか。
「おやまあ なんて大きな桃だろう」
川から流れてきたのは一抱えもあるような大きな桃でした。
お婆さんはその桃を懐から取り出した投げ縄で、シュバッ……ビシィッ!と引き寄せ掴み取ると、お爺さんが待っている家へ持って帰りました。
柴刈から帰ってきていたお爺さんはお婆さんが持ち帰ってきた大きな桃を見て驚きます。そして直ぐに喜びます。
「こんな立派な桃を食べれば きっとお迎えが来るまで元気に生きれる」
お爺さんは早速この桃を2人で食べようと、取り出してきた包丁で切り分けようとします。
「さて……―――ッ!」
―――大上段に構え、裂帛の気合いでもって包丁を叩き下ろします。
「チュェストゥォオオオオオオオオオオッッ!!!」
ズドンッ!! そんな音を立て、人の胴三つは優に切断できるであろう一撃が大きな桃に振り下ろされます。その凄まじい衝撃は桃の下に敷いていたまな板を両断したほどです。
※(『チェスト』とは大陸から伝わった言葉であり、刀剣の試し切りにおいて掻っ捌いた人体胸部の数を数え読んだ“One Chest.Two Chest.Three……”が由来の物。武人は刀剣の切れ味を最大限に発揮する為に斬る対象であるチェストの名を叫んで渾身の一撃を振り下ろした……その情景を描いた『御様御用死箔図』は余りにも有名)
「あらじいさんや。これで何枚目ですか」
「……フシュー……百から先は数えておらん」
衣服が爆散し筋骨隆々の上体を晒すお爺さん。お婆さんはそんな風に発擂流したお爺さんを愉快そうに見ます。
※(『発擂流』とは、自身の内に秘めた気の“流”れを“発”し尽く“擂”ること意である。そうして普段は内に抑えている気力を外へ放出して活力を漲らせることを発擂流と呼ぶことになったのは余りにも有名)
そしてお爺さんは包丁を振り下ろした桃を見て瞠目します。
「……ムムッ!? 切れておらん! 桃が! 一寸たりとも切れておらん!」
「これはなんとも不思議ですねぇ」
桃無傷。その輝き、まさに赤子の尻の如し。
「ばあさん! これは尋常な桃では無し!!」
「大きさを見ればわかります」
「それもそうか! それを普通に切ろうとしてしまうとは抜かったわ!」
「じいさんは昔からそそっかしいですねぇ」
「大事ない! 別の手を打てば済む話しよ!」
お爺さんはそう言うと包丁を手放します。そして拝むようにバンッ!と柏手を打って手を合せます。
「川上から来た桃! つまりこれは川の始原たる地から来たということ! それ即ちこの桃は『武陵桃源』から来た神仙果の類い……ならば刃でなく気功で割るッッ!」
お爺さんは胸部が一回りも大きくなるほど息を吸い込むと―――
「……喝ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアツッ!!!」
怪鳥のような嘶きで桃に叫ぶ。家を震わす爆声が桃に直撃する。
内部浸透する気功が桃を揺さぶり……内側から破壊せんと猛威を奮う。只の桃であったならたちまち液状化したであろうそれを―――この桃は耐える。
後一押し。もう一押し足りぬ。この桃を開かせるには。
「じいさんや!」
叫ぶお爺さんとその目の前に有る桃を挟んで正面に立つお婆さん。そのお婆さんが洗濯用の桶を構える。―――するとお爺さんの叫び声が桶の中にぶつかり反響……その力を増幅させる。そしてその増幅されたお爺さんの声は……再び桃へと返された。
正面からのお爺さんの咆吼。そして後方からのお婆さんによる反射。
既に家は彼等を中心に吹き飛ばされ、竜巻のように天へ巻き上げられた。……そんな二つの破壊的音撃に曝された桃はついに―――
ポンッ
見事。桃は半分に割れました。……すると驚くべきことが起こったのです。
「オギャー! オギャー!」
なんと桃の中から赤ん坊が出てきたではありませんか。
「ムムッ!? 桃尻から赤子がひり出されおった!?」
「じいさんや、言い方に語弊が有りますよ」
家の残骸が散らばる中でお爺さんとお婆さんは赤ん坊を中心に集まります。
「桃から産まれるとは仙人の子か? それか鬼の類いか……」
正体如何によってはお爺さんはこの赤子を斬り捨てる覚悟です。
「まあまあ、じいさん。ここは長い目でこの子を見守ってあげようじゃありませんか」
相変わらずそそっかしいお爺さんをお婆さんは諫めます。産まれたばかりの赤子に罪は無いのですから。
「それもそうか! なら儂等の手でこの子を立派な男子に育ててやろうではないか!」
「そうですじいさん。それが良いです」
「オギャー! オギャー!」
元気に泣き喚く赤ん坊をお爺さんは高々と持ち上げます。
「桃から産まれた男児……お前は今日から桃太郎だ!」
「オギャー!」
―――こうして、桃から産まれた男児は桃太郎と名付けられお爺さんとお婆さんの手によって育てられることとなりました。
◆◆◆
お爺さんとお婆さんの手により桃太郎が育てられ十余年。赤子は一端の男となった。
身の丈六尺七寸。重さ三十貫。
心身を極限まで鍛え抜いた桃太郎は、正義の炎を心に灯し悪逆非道を許さない。
―――だから桃太郎は激怒した。かの邪知暴虐の鬼共を除かねばならぬと。民草を襲い私利私欲を貪る忌まわしい鬼共を成敗せねばならぬと。
「お爺さん、お婆さん。……劣生は鬼を倒す為に旅立つ」
「行くかッ! 桃太郎ッ!」
「男の子の旅立ち。見送りましょう」
お爺さんは桃太郎の怒りを察していました。だからこそここ数年の修練は苛烈を極めていました。それも全て桃太郎が鬼を打倒せしめる力を授ける為に。
お婆さんも別れの辛さを耐え忍んで我が子の旅立ちを見送ることを決めます。
しかし旅立ちには準備が必須。備えあれば憂い無し。
「桃太郎ッ! お前にこれをくれてやるッ!」
「これは……甲冑ッ! 有り難くッ!」
桃太郎はお爺さんから授けられた甲冑を着込みます。……しかしお爺さんが現役の頃より体格に恵まれていた桃太郎に全ての装備を着ることは叶わず、手直しが可能な一部のみ……籠手と膝当てと二振りの刀だけを装備するに留まりました。ですが桃太郎は感無量で一筋の涙を流し、お爺さんに感謝の意を示しました。
「オヤジ殿ッ!」
「桃太郎ッ!」
猪の如きぶち当たり、からの熱い抱擁。桃太郎誕生で一度大破して改修した家(これまで更に五度壊れたこと有り。その度改修した)が震えます。男の親子に細かい言葉など不要。二人にはこれで十分互いの気持ちが伝わりました。
桃太郎とお爺さんの話が済むと、次はお婆さんが我が子へある物を授けます。
「桃太郎。これを持ってお行き」
「これは……きび団子ッ! 有り難くッ!」
桃太郎はお婆さんから授けられた実に旨しきびだんご入りの袋を腰に下げます。
炊き上げてから丁寧に搗いた黍に発芽玄米から生まれる蜜を練り込んで作られしこのきび団子は一つ食べれば腹の底から活力を与えてくれる。大好物であるこれを受け取った桃太郎は一筋の涙を流してお婆さんへ感謝の意を示しました。
「オフクロ殿ッ!」
「桃太郎」
猪の如きぶち当たり……は、お婆さんにひょいと避けられ桃太郎は床板に顔面を擦り付けます。そんなちょっと間抜けな我が子をお婆さんは優しく撫でます。母にとって息子とは幾つになっても子供なのです。
「―――ではッ! ……劣生……旅立ちまする」
両親からの思いを受け取った桃太郎は外へと踏み出します。その歩みに迷い無し。
「貫け桃太郎ッ!! 我が道をッ!!」
「達者でね。桃太郎」
お爺さんとお婆さんは遠ざかる我が子をいつまでも見送りました。―――そうして桃太郎を育て上げる為に精も根も使い果たした2人はそのまま天寿を全う。拳を突き上げ自力で天へ召されて逝きました。
桃太郎は天を向き、堪えきれぬ涙を滴らせます。
「劣生ッ! 必ずやオヤジ殿とオフクロ殿の御前に錦を飾りましょうッ! ……ヌゥウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
産声のような咆吼を上げた桃太郎は一度も振り返ることなく故郷から旅立ちました。
草葉の陰で見守るお爺さんとお婆さんの想いに応える為に。
日ノ本全土に轟く、立派な男と成る為に。
「……しかし……オヤジ殿とオフクロ殿は天と地のどちらで劣生を見守ってくれているのだ?」
―――天に召されて草葉の陰で見守るお爺さんとお婆さんは桃太郎の夢枕に立って「細かいことは気にするな」と言ってくれたそうな。この教えを桃太郎は大事にすることにした。