第8話
苫前ののか。
それは聞き間違えではありません。
たしかに彼女は、佑を想うツインテールの2年生――――伊達瑞希は、今日はまだ自己紹介していないのにも関わらず、私の名前を口にしました。
「な、ぜ・・・」
さっきは『なんとなく』だと言っていたのに、なぜ私の名前がわかったの・・・?
まさか私と話す中で記憶を取り戻したとでも言うのですか・・・?
「私は、これまでずっと、あなたのことを忘れたことなんてありませんよ」
「ずっと・・・?」
「はい。私は、『ある人』が望んでいることを実行する者――――『実行委員』とでも呼んでください」
「実行委員・・・」
なんて学生に馴染みあるネーミングでしょう。
そんなことより。
「答えてください。『ずっと』というのは、どういう意味ですか」
「言葉どおりの意味ですよ」
私の質問にあっけらかんと答える瑞希。
当たり前じゃないですか――――そう言わんばかりに。
「では、『ある人』というのは・・・? 何者なんですか?」
まさか、神・・・?
「私にとって大事な存在――――とでも言っておきましょうか」
「瑞希は、ヒト・・・ではないのですか?」
驚くことに、この世界にはヒトならざる生き物が存在しているのです。
それはもちろん犬とか猫とか、そういった存在のことではありません。
ヒトの形はしているのに、次元の違う生き物――――たとえばそれは天使であったり悪魔であったり、そういった『実在するはずのない存在』とでも言うべき存在のことです。
「どうでしょう。あなたよりは、ヒトに近い存在だと思いたいところです」
「おもしろい返しですね。私がヒトではないみたいではありませんか」
「そうですか? 解釈はご自由になさってください」
「・・・・・・」
私は、ヒトではありません・・・。
そして瑞希は、私の正体を知っている――――そうでなければ、今のような言葉がでてくるはずがない。
とはいえ私には何か不思議な力があるわけでも、獣に変身できるわけでもない、なんの変哲もないごくごく普通の女子高生なわけですが。
「ヒトではないから、あなたには記憶があるのですね」
「少し違いますが、そんなところです」
「・・・・・・」
瑞希は、ずっと私のことを憶えていた。
それは、つまり・・・。
「ループしたこれまでの記憶も、あるということでよろしいのですね」
「はい。もちろん」
私が抱える問題はふたつ。
ひとつは『忘却現象』。これについては今さら改めて説明はしません。
もうひとつは私が『ループ現象』と呼ぶもの。
私は、高校3年生――――より正確に言えば、2019年4月1日から2020年3月31日までの1年間を、何度も・・・何度も何度も何度も・・・途中で数えるのを放棄してしまったのですが、おそらくは何百か何千もの回数、経験しているのです。
病気になろうが、男たちに蹂躙されようが、肉体が滅びようが、2020年3月31日を終えると、私は2020年4月1日を迎えることなく、2019年4月1日の朝、健康そのものの体で『高校3年生の苫前ののか』として目を覚ますのです。
そしてその『ループ現象』に気付いているのが、私ただひとり――――そう思っていました。
「なぜ、今になって私に接触してきたのですか」
「それは私に訊かずとも、あなたは気がついているかと思いますが?」
「・・・佑、ですか」
北見佑。
前回の世界までには一度も現れたことがなく、今回の世界で初めて入学してきた男の子。
佑は私がこの『ふたつの現象』から解放されるためのキーパーソンで間違いない。
『ふたつの現象』はきっと、私が思い出せないある年の3月31日の記憶と関係している。
そして瑞希は、私にはその過去を思い出してほしくないらしいので、瑞希にとって佑の存在は邪魔者以外の何者でもないのでしょう。
「では、あなたが佑を好きだというのは、嘘だったのですね」
「嘘ではありません。脚本・・・つまり、演技です」
「そうですか」
嘘でも演技でも構いません。
大方、私と佑を遠ざけるためにそのような脚本とやらを練ったのでしょう。
「こうして私を止めるより、佑を殺したほうが手っ取り早いと思いますが」
「それは無理です。先ほども言いましたが、私は『ある人』の望みを叶えなければなりません。そして――――」
「『ある人』は、佑の死を望んでいない・・・」
「そういうことです。理解が早くて助かります。伊達に長生きしていませんね」
その言葉は皮肉のように聞こえました。
『長生き』という表現がこの場合正しいのかはわかりませんが、私だって長生きしたくて長生きしているわけではないのに。
「その『ある人』に会うことは可能ですか?」
「会ってどうするんですか?」
「『ふたつの現象』についてなにか知っているかもしれません」
瑞希が『忘却現象』の影響を受けず、『ループ現象』を認識しているのであれば、そんな瑞希に命令を下している『ある人』もそうであるはず。
そして『ある人』は私の過去を知っている。
私が思い出すことのできない、3月31日の記憶を・・・。
「知りませんよ」
「知らない・・・?」
「はい。『ある人』はなぜそんな『現象』が起きているのか、そして誰がどのように起こしているのか、知りません」
瑞希のその言葉を聞き、私は自分の頬が緩むのを感じました。
可笑しい。笑い方なんて忘れてしまったはずなのに・・・。
「・・・安心しました」
「なにがでしょう?」
瑞希は私が笑っているのを不思議そうに見つめています。
笑っている私ですらなぜ笑っているのかわからないのですから、不思議がって当然です。
「『ふたつの現象』は人為的なものだと――――神のいたずらではないと、知ることができたからです」
瑞希は「誰がどのように起こしているのか」と言いました。
先ほど「神はいますよ」なんて言っていたのですから、神のせいにすればよかったのに。
変に濁してしまったものだから、私が気付いてしまうのですよ。
「それがどうかしましたか?」
瑞希はなにもわかっていないようです。
『ふたつの現象』が神のいたずらではなく、人為的なものであれば、解決策が存在する。
さすがに神が相手だったなら、相手は神――――この世界を生み出した張本人。そんな存在が起こした『神秘』とも言える『現象』をどうにかすることは不可能だったかもしれない。
『ある人』は神ではない。
「いえ。ありがとうございます」
「神はいますよ」
私の考えを知ってか知らずか、瑞希が唐突にそう口にしました。
「あなたも聞いたことくらいはあるはずです。神の使い・・・それが、天使であると」
「天使が存在するのなら、神もいる・・・そう言いたいのですか?」
「はい」
「・・・・・・」
そこに人がいればその人には母親がいる、みたいな理屈ですね。母親がいなければ子供は生まれてこない。
「でも、あなたは神を見たことがあるわけではありませんよね?」
「それはもちろん。でも、たとえば日本であれば『八百万の神』という考え方が一般的ではありませんか」
八百万の神――――物には魂が宿り、それが神である・・・とか、そういう感じだったでしょうか。夜中に人形がひとりでに動き回るとか、人形の髪が伸びるとか・・・真実はともかく、よく聞く話ではありますね。
「そういった形で神を認識することはできる――――私はそう思っています」
「あなたの信仰心はわかりました。ですが先ほども言ったように、それを私に押し付けないでください」
「私も先ほど言ったはずです。あなたの思う『神』と私の思う『神』は違うと」
正直どちらでもいいのですが・・・。
とりあえず『ふたつの現象』が人為的なものだと知れただけで、私としては収穫なのです。
「とにかく私は佑の元へ行きます」
「悲しくて、つらくて、一度は忘れたいとすら願った過去を、どうして思い出す必要があるのですか?」
「・・・・・・」
それには答えずに、私は歩きはじめました。佑の部屋へ向かうために。
今度は瑞希も止めないようです。諦めたのでしょうか。
「どんな結果になっても、私は知りませんからね・・・」
背後で瑞希がそうつぶやいた気がしました。
※※※
「ここがあの男のハウスね」
佑の部屋があるマンションの前に到着した私は、とあるゲームのセリフをマネてみました。でも誰もツッコんではくれません・・・。
マンションの中に足を踏み入れ、1階で停止していたエレベーターへ乗り込みます。
自称未来人から渡されたメモに書かれている部屋番号は『603号室』――――おそらく6階でしょう。
6階で部屋を探すと、エレベーターから降りて3番目の扉に『603』の表示を見つけました。
表札は見当たりませんが、ここで間違いないはずです。
「・・・・・・」
インターホンのボタンに手を伸ばすも、私はすぐに引っ込めました。
ここまで来たのはいいものの、なんと言って佑を説得しようか、まったく考えていなかったことに気がついてしまったのです。
「あなたは代わりなんかじゃありません」
声に出してみました。
「安っぽい・・・」
ありきたりすぎて、なんだか説得力に欠ける気がしてしまいます。
「私、佑のことが好き――――ダメ。嘘はつけない」
もちろん佑のことは少なからず好意的に思っていますが、恋愛対象として好きかと問われるとそういうわけではないのです。
「再来週の中間テストに向けて、勉強を教えに来ました」
あ、これいいです。
・・・・・・手ぶらでした。
財布とスマホでなにを勉強するつもりなのでしょう。
「こうなったら佑を虜にするしかありませんね」
男の人はとりあえず胸を触らせておけばどうにかなると、以前なにかの雑誌に書いてありました。
オペレーション〝パフパフ〟でいきましょう。
今度こそインターホンのボタンを押す。
「・・・・・・」
返事がない。ただの――――
「はい」
「・・・・・・」
誰が訪ねてきたのか確認もせず扉を開けるなんて不用心ですね。
そう言いたかったのですが、口は動いてくれませんでした。
内側から扉を開けたのは、髪がボサボサで、目元にはクマがあり、顔にはシミが見て取れる高校生にしては老けている印象を受ける男性でした。
背は佑と大して変わらず、、顔もどことなく佑に似ています。首にはチョーカーもつけています。
つまり、彼は本来の――――30歳の姿をした佑、ということになるのでしょう。
「女子高生の胸は好きですか?」
「は?」
キョトンとされてしまいました。唐突すぎたのかもしれません。
佑の視線が一瞬、私の胸元へ向きます。
なにを思ったのかは聞かないほうが私のためかもしれません。
「学校へ行くなら、私の胸を触らせてあげます」
「はぁ・・・あの」
「なんですか。服の上からとかそういうオチではないですよ。生乳です」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「安心してください。成長途中です」
「いや、だから違くて・・・」
「その先の行為はいくら佑でもダメです」
「え・・・?」
「たしかに私と佑は恋人ですが、そういうことは正式に交際したらいくらでもしてあげます」
「あの・・・」
「なんですか。不満なんですか」
「いえ、その・・・なんでオレの名前、知ってるんですか・・・?」
「え・・・」
佑の顔を見つめる。
恥ずかしいのか顔を逸らされてしまいましたが、嘘を言っているようには見えませんね・・・。
「確認してもよろしいですか」
「あ、はぁ・・・」
「『苫前ののか』という名前に、聞き覚えはありますか」
「ないと思いますけど・・・」
「もっとよく考えてください」
「え、はぁ・・・・・・・・・やっぱ知らないですね」
「もっとです。もっと真剣に」
「あの、もしかしてキミ、人違いしてるんじゃないのかな・・・」
「人違い・・・」
「あ、うん。一度、知り合いに確認したほうがいいですよ・・・」
「・・・そうですね。失礼しました」
「う、うん・・・」
パタン――――扉が閉ざされてしまいました。
「・・・・・・」
扉を背に、アルマジロのようにうずくまります。
「なんで・・・」
もう、忘れていた気持ち・・・。
「なんで・・・佑・・・」
人に忘れられて、悲しいとか、寂しいとか、そういった気持ちがこみあげてくる。
「ばか・・・佑の、ばか・・・」
佑が、思い出させたせいだ・・・。
私に、人と接する楽しさを・・・人を包み込んだときのぬくもりを・・・。
一緒にデートして、一緒に勉強して・・・それは私が過ごしてきた時間に比べれば本当に短い時間――――1ヶ月にも満たない時だったけれど、それでも私にとっては特別な時間だった・・・。
なのに、佑は私のことを忘れてしまった。
それどころか大人の姿になっているではありませんか。
私に、こんな気持ちを思い出させておいて、なんて勝手なんでしょうか。許せません。
「佑のアホーーーーーーー!!!」
廊下の窓を開けて大きく叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
「近所迷惑ですよ」
突然の声は女性のもの。
見なくても声の主はわかります。先ほど聞いたばかりの声だったので。
「・・・うるさい」
「忠告はしましたからね。彼はあなたを悲しませると。どんな結果になっても知らないと」
私は窓枠から身を乗り出します。
ここは6階。
地上には、何台もの車が行き交っていました。時間が時間なので、仕事帰りの方々でしょうか。
「あなたが、佑を元の姿に戻したのですか?」
彼女に視線も向けず、質問してみます。
「まさか。『ある人』はそんなこと望んでいませんでしたよ」
「そう、ですよね・・・」
なんとなく、そんな気はしていましたが・・・。
彼女――――伊達瑞希の言う『ある人』は、たぶん・・・私のこと。
そして私の脳に話しかけてきていた悪魔の声――――それも瑞希。
「おかしいですね。ヒントになるようなことは言っていないはずですが」
それを肯定するように、私の思いに対して瑞希が口を開きました。
『ある人』は佑の死を望んでいなくて、佑が大人になることも望んでいなくて、『現象』についてもよく知らなくて、瑞希にとって大事な人。
瑞希も悪魔の声も、私に過去は忘れろ。過去を思い出す必要はないと、何度も何度も囁いてきました。
それは、私を想ってのこと。
私のことを、大事に想ってくれているがゆえの言葉。
つらい過去を――――私が思い出せない3月31日にあったであろう出来事を、知っているからこその言動。
「確証はありませんでしたよ」
「なるほど。私はまんまとあなたのカマにかけられたというわけですか」
「伊達に長生きしていませんので」
瑞希の目的もはっきりしたところで・・・。
「私は佑が高校生になることを望んでいます」
実行委員の瑞希にはっきりと伝えます。
「彼を高校生に戻すことはできません」
だけどはっきりと断られてしまいました・・・。
「瑞希は『ある人』の望みを叶える実行委員で、その『ある人』は私なんですよね?」
「はい。ですが私が優先して叶えているのは過去の『苫前ののか』の望みです。過去の――――記憶を失う以前のあなたの願いに背くことは、私にはできません」
「過去の私は、佑に会っているのですか?」
「ノーコメントです。ですが彼が高校生になれば、またあなたに危害を加えかねません」
「危害・・・」
なにひとつ危害を与えられてはいないのですが、瑞希目線では違うのでしょう。
佑が高校生へと戻ることで、私の記憶が戻ることを恐れているといった感じでしょうか。
「ひとつ、訊いてもよろしいですか?」
「なんでしょう」
私は疑問が残っていたので、それを瑞希へ投げかけることにしました。
「どうして瑞希は、そこまで私の・・・過去の私のことを、想ってくれているのですか?」
瑞希と友だちだったという記憶はありません。
同じ学校ですし、校内ですれ違うことはあったのでしょうが、3年生――――『ループ現象』の最中に知り合うまでは、会話すらしたことがなかったはずです。
とはいえ私の記憶は年数でいえば既に数百年にもなるはずですので、忘れているだけかもしれませんが・・・。だとしたら私はとても失礼な女ですね。
「私は神を信じています」
瑞希が口を開きます。
また神ですか・・・。
「神の使いは天使――――つまり、あなたです」
「・・・とても単純な理由で驚いています」
瑞希の言うとおり私は天使なのです。
比喩でもナルシストでもなく、『天使』という一個体。種族名。
しかし背中に翼は生えていませんし、頭の上に輪っかが浮いていたりもしません。天使だけが使える特殊な能力なんかもありません。
それからもちろん神なる存在と会ったことも対話したこともありません。
なので私には、天使という実感はなかったりします。
「敬虔なる信徒よ。私を崇めなさい」
「神を愚弄しているのですか?」
「・・・すみません」
ガチなトーンで怒られてしまったので素直に謝っておきました。
「それで、瑞希は何者なのですか? 人ではないと言っていましたよね」
「魔女です」
「・・・・・・」
「今風に言うと魔法使い、でしょうか?」
「意味はわかりますよ。ただ、即答だったので驚いています」
「天使であるあなたが、魔女の存在を疑うとは思えなかったもので」
「そうですね」
私が天使であることや『ふたつの現象』に巻き込まれていること――――こんな非現実的なことだらけの日常なので、瑞希が魔女だと言われても疑問はありませんでした。
「確認したいのですが、佑は人ですよね」
「はい。人そのものですね」
「ありがとうございます」
自分で訊いておいてなんだけど、どこを見て判断しているのか気になるところです。魔力の流れが見える、とかそんな感じでしょうか。
「では、死のうと思います」
瑞希にそう告げる。
「そうですか」
瑞希は短くそう答えただけだった。
止める気がないのは、私がこれまでも自殺をしたことがあるからでしょうか。
死ぬほど・・・というか死ぬのですが、死ぬほど痛いのですが、私は悲しみや寂しさに耐えきれなくなって、これまでも死を選んだことがあります。
でも結局、私は2019年の4月1日の朝、寮の自室で目を覚ますのです・・・。
最近は痛いのがイヤだったり無意味であることを知っているので、ループするのを利用して様々なものに手を出していました。それは趣味であったり、人間関係であったり。もちろん後者は日が変わるごとにいろいろ面倒ではありましたが・・・。
「おやすみなさい」
最後に聞いた瑞希の言葉は、母親が子にかけるような、そんな優しい言葉でした・・・。
体が急速に落ちていく感覚。
私は、死ぬ。
死んで、2019年4月1日からやりなおす。
また佑と出会って、今度は忘れさせてあげない。
『ふたつの現象』から抜け出して、そして・・・そのあとは・・・。
そのあとは・・・どうするのでしょうか。私は・・・。
3月31日のことを思い出して、みんなの中に私の記憶が戻って――――でも、そうしたら本来30歳である佑はどうなるのでしょう・・・。
その続きを考えるより先に、私の思考は停止した。
――――結果を言ってしまうと、次の世界で『北見佑』という男の子は入学してこなかった。
――第9話へ続く――