第3話
結果から言ってしまうと、基礎力診断テストとやらは散々だった。
働き始めてすぐの頃は「学校に行っとけばよかったな」って思ったけれど、やはり学校生活において『テスト』とは切っても切れない存在なのだろう。今すぐ絶縁してもらいたい。
でもこれからはもう少し授業をマジメに受けようと思った。
「全教科の平均点がクラス平均より20点以上低いひとは補習だからなー。来週末までに再テストを受けるように」
クラス担任の男性教諭・鹿追先生が慈悲のない一言を投げかけてくる。
当然オレの平均点はクラス平均より20点以上低い。
診断というのだから個々の能力が低くてもそれで認めるべきではないだろうか。
それにこんな紙切れ1枚――――いや5枚でひとりの人間のなにがわかるというのか。教育委員会はそのあたりどうお考えなんですかね。
「・・・・・・」
苫前さんって頭いいのかなぁ・・・。
不意に友だちの結果を知りたくなった。
まぁテスト前日に男とデートするくらいだし、頭は悪くないのだろうけど。
※※※
基礎力診断テストから数日が経過したある日の放課後。
何度目かの再テストの結果もダメダメだった。
目標はクラス平均とのことだが、果たしてオレがクラス平均に到達する日はくるのだろうか・・・。
「はぁぁ・・・」
深いため息が漏れる。
テストさえなければ学校も楽なんだけどな・・・。
そんなどうしようもないことを考えつつ昇降口で靴を履き替えていたときだった。
「おっすおっす北見クン。これから帰り?」
バスケのユニフォームを着たポニーテールの女子生徒に声をかけられた。
部活の最中なのだろう。
身長が高く、同性にもモテそうなかっこいい顔立ちをしている子だ。
というかたしか同じ1年生のはず。
名前は思い出せそうにない。
「うん。なかなかいい点とれなくて」
「再テストって要は問題は同じなわけでしょ? なんでそんなに苦戦してるの?」
「ワタシニホンゴヨメマセン」
「嘘つけぃ。ってか、いい家庭教師紹介しよっか? あぁ、家庭教師っていってもお金はいらないからね」
「家庭教師・・・」
なんだその魅惑的な響きは。いけない個人レッスンとかされてしまうのだろうか。
望むところである。
「私のお姉ちゃんなんだけどね。去年学年1位だったんだよ」
「へぇ」
とりあえず家庭教師が女子であるという重要な情報は手に入った。
あとは――――。
「じゃあお願いしよっかな」
頷くだけ。
「おっけー。じゃああとで連絡しておくね。お姉ちゃんの部屋は3階の『3150号室』だから」
「ん・・・?」
「時間はえっと、5時頃でいいかな」
「???」
「そういうわけだから、5時くらいにお姉ちゃんの部屋に行ってくれる?」
「え・・・?」
「じゃ、またね!」
名前も知らないクラスメイトはつむじ風のように去っていった。
「・・・・・・」
女子の部屋に訪ねろと。
コミュ障のオレにはハードル高すぎなんですけど。
※※※
4月12日金曜日。午後5時頃――――。
オレはつむじさん(仮称)のお姉さんを訪ねるべく、女子寮の前までやってきた。
しかしここからが問題だ。
男子にとって女子寮は不可侵領域。秘密の花園である。
悪いことをしているのではと錯覚してしまいそうになる。
「・・・・・・」
男子寮はオープンなのに女子寮はクローズ。つまり施錠されている。
オレは壁に備えつけられたボタンを押した。
『男子がなんの御用でしょう』
開口一番トゲのあるひと言。女性の声だ。
どうやらカメラが付いているらしい。男子寮にはないのに・・・。
「えっと、勉強を教えてもらいにきました」
『どなたにですか? 本人に確認をとるので、用事がある女生徒とあなたの名前を教えてください』
「オレは北見です。用事があるのは・・・」
困った。家庭教師をしてくれる先輩の名前を知らない。
部屋番号でも大丈夫だろうか。
「名前は聞いていないのでわかりませんが、部屋番号は3150号室です」
『わかりました。確認しますのでそのまま少々お待ちください』
「あ、はい」
高校生相手にやけに事務的な話し方をする人だな・・・。
1分ほど経ったところで、寮の扉が開いた。
「お待たせしました。お入りください」
姿を見せたのは先ほど応対してくれた声と同じ声の女性。
オレが真っ先に目を引いたのは、女性が両脚に纏う漆黒のストッキングだった。
実に素晴らしい。
スーツ姿でメガネをかけているその様は、まるでどこぞの秘書のようだ。
年齢はたぶん30代前半くらい。
「ど、ども」
「私は女子寮の管理を任されている三笠弥生と申します。以後お見知りおきを」
「は、はぁ」
今のオレはだれがどう見ても高校生にしか見えないのに、なんだって三笠さんはこんな丁寧な話し方なんだ。
「お、オレは北見佑です」
「瑞希さんの部屋まで案内します」
「あ、ども」
瑞希さんというのがつむじさん(仮称)のお姉さんの名前かな?
歩き出した三笠さんの後ろをついて行く。
三笠さんはすぐに立ち止まった。エレベーターの前まで来たのだ。
「どうして男子寮にはエレベーターがないんでしょう?」
「経費の問題ではないですか。私にはわかりかねます」
「そ、そうですか・・・」
高校生に現実的な返しをしないでほしい。
黒ストなのに性格はお堅そうだな・・・。
なんてことを考えている間に、エレベーターが下りてくる。
そのエレベーターから、ひとりの女子生徒が出てきた。
「佑・・・?」
苫前さんだ。
フラれて以来会っていないからとても気まずい・・・。
「私に用事ですか・・・?」
「あ、いえ・・・」
「そうですか・・・」
オレの返答になぜか苫前さんは寂しそうな表情になってしまった。
いつもつまらなそうな顔をしているので、無意識にしてもふとした瞬間にそういう顔をされると意識されているのではと自意識過剰になってしまうのでやめていただきたい。
「最近学食に顔を出さないみたいですが、なにかありましたか?」
苫前さんは呑気にそんなことを訊いてくる。
自分をフッた相手に会いに行けるほど、オレのメンタルは強くないことを理解してほしい。
「その、友だちが弁当を作ってくれて・・・」
「友だち・・・? 佑には私以外に友だちがいるのですか?」
とてもしつれいなことを言われた。
オレにだって友だちくらい・・・・・・いないわ。
「よければ、来週からは私が佑のお弁当を作りましょうか?」
「え・・・? オレのために作ってくれるんですか・・・?」
「はい。友だちですので」
「・・・・・・」
嬉しさはあるけどオレに気がないのは知っているし、この複雑な気持ち・・・これが恋か。
「じゃあ、その・・・お願いします」
とはいえ今まで身内以外に弁当を作ってもらったことのないオレが断るはずもなかった。
女子高生の手作り弁当が食べれる日が来ようとは・・・もう死んでも悔いはない。
「わかりました。では来週の月曜日、お昼に学食で待っています」
「あ、はい。ありがとうございます」
「・・・・・・」
「・・・・・・?」
会話が終わっても苫前さんが立ち去る様子はない。
「ど、どうかしました・・・?」
「いえ。また敬語に戻っていたので」
「あ・・・気にしないでください。これは癖みたいなものなので」
「それ、すごくわかります」
今まで黙ってオレと苫前さんのやり取りを見守っていた三笠さんが同意してくる。
この人もいろいろ苦労しているのかもしれない。
「そうですね。私が気にしすぎかもしれません。それでは」
「あ、はい」
苫前さんは立ち去ってしまった。
「今の子、何年生でしたっけ・・・?」
エレベーターに乗り込むなり三笠さんがそんな言葉を口にした。
「え? 3年生ですよ。3年の苫前さん」
「とままえ・・・とままえ・・・そういえばそんな子もいたような・・・」
「・・・・・・」
寮母にあるまじき発言。
まぁ苫前さんは他人との接触を避けている節があるからな・・・。それで憶えられていないのかもしれない。
「とままえ、さんとは、仲がよろしいのですね。まだ入学して間もないのに、あなたはコミュ力が高いのですね」
「はは・・・」
愛想笑いでごまかす。
オレのコミュ力が高いって? 笑えない冗談だ。
オレはなんとなく仕事をしていて気がついたら彼女はおろか友だちすらいないまま30歳を迎えようとしているコミュ力0のボッチマスターだぞ。
「ふ・・・」
思わず自虐的な笑みがこぼれてしまう。
「どうかしましたか?」
「いえ、思い出し笑いです」
「楽しい思い出って、大人になればなるほど存在が大きくなっていくんですよ。『あの時は楽しかった』『あの頃の彼は私に夢中だった』・・・そしていつしか『あの日に戻りたい』と思うようになってしまうのです」
3階へ到着。
「は、はぁ」
突然なにを語りだすんだこの人。
たぶん元カレの話なんだろうな。
「佑さんも将来『あの時ああしていればよかった』と後悔しないよう、今を存分に楽しんでください」
あの時ああしていればよかった・・・ね。
何度そう思ったことか。
人生の分岐点はオレがわかる範囲でもかなりあった。
でも『あの頃は子供だったからそんなこと考えていなかった』りだとか、はたまた『子供だからその選択肢を選ばざるをえなかった』りだとか。後悔なんてそんなどうしようもないことばかりだ。
後悔したところで過去に戻ってやりなおせるわけではない。
しかし誰しもがそれを理解したうえでなお後悔する。
「生きていれば、後悔したくなることなんていくらでもありますよ」
「男子高校生がなにをわかった風なことを言っているのですか」
「・・・・・・」
そう言うなら男子高校生にシリアスな話を振らないでほしい。
「失礼ですが、三笠さんっておいくつですか?」
「そんなことを聞いてどうするのです。さ、着きましたよ」
気がつくと『3150号室』の前へ到着していた。
「では私はここで失礼します」
「ど、ども」
三笠さんは深々と頭を下げるとエレベーターがあるほうへ去っていく。
頭を下げるべきなのはこの場合オレだと思う。
それはともかく。
オレは壁に備え付けられたボタンを押した。
『北見くんですか?』
すぐにかわいらしい女の子の声が返ってきた。
名前はたしか瑞希さんだったか。
「はい。えっと、妹さんの紹介で家庭教師をしていただけるとか」
『えぇ。歩から話は聞いています』
歩――――それがつむじさん(仮称)の本名なのだろう。
『すみませんが、少し待っていてください。シャワーを浴びていて、これから着替えるところだったんです』
「わかりました」
これから着替えるということは、今は素っ裸ということなのだろう。
・・・その姿で出迎えてくれても一向に構わないんだけどな。
というかオレが来ることを知っていてなぜシャワーを浴びていたのだろうか・・・。
謎だ。
――――それから5分ほど待っても部屋の扉は開かなかった。
女という生き物はどうしてこうも準備に手間取るのだろうか。
「佑」
なんてことを考えていると、不意に名前を呼ぶ声がした。
振り向くと、先ほど1階のエレベーター前ですれ違った苫前さんが、すぐ隣に立っていた。
いったいいつの間にそこにいたんだろうか・・・。
「ど、どうしました?」
「伊達さんに、どういった用件がおありなんですか?」
質問に質問で返されてしまう。
伊達さんとはこの部屋の主・瑞希さんのことだろうか。
「勉強を教えてもらうんですよ。テストで赤点とってしまって。何度か再テストを受けてるんですけど、なかなか脱することができず・・・」
「どうして伊達さんに・・・? 仲がよろしいのですか・・・?」
「いえ。会うのは今日が初めてです」
「・・・私と佑は、友だちですよね?」
「え・・・? は、はい・・・たぶん・・・?」
苫前さんとは仲良くしたいけれど、友だちとして傍にいるのはつらいのが正直なところだ。
「では、私に教えを請えばいいではないですか」
「そ、そう言われても・・・」
好きな子に勉強を見てもらうとか恥ずかしいだろ。
それにフラれた手前やはりつらい。
苫前さんと軽い言い争いをしていると、『3150号室』の扉が内側から開き、ツインテールの髪型にかわいらしい顔立ちをした女子生徒が顔を覗かせた。
「すみません。どちらが北見くん?」
「オレですよ」
わかってて訊いているな・・・。
「初めまして伊達瑞希さん。3年の苫前です」
苫前さんはペコリと頭を下げつつそう挨拶する。
って初対面かい! 瑞希さんの部屋だと知っていたみたいだから、てっきり顔見知りなのかと思った。
「これはご丁寧に。2年の伊達です」
・・・ん?
男子寮は学年によって何階の部屋か決まっているけど、女子寮はそうではないのだろうか?
でなければ苫前さんが2年生の階にいた意味がわからない。
「佑に勉強を教えてくださるとのことですが、たったいま私が教えることになりましたのでお断わりします」
いつそんな話になったっけ?
「行きますよ。佑」
苫前さんは呆けているオレの手を掴むと、オレの意思も確認せずに歩きだしてしまった。
「えっと、すみません・・・」
困惑している瑞希さんに謝罪しておく。
オレに非はないのだけれど・・・。
「は、はぁ・・・」
オレたちがエレベーターに乗り込むまで、瑞希さんは顔を覗かせたままだった。
※※※
女子寮2階――――2018号室。
言わずもがな。苫前さんの部屋である。
「・・・・・・」
ベッドに小さいテーブル、冷蔵庫、それから本棚があるだけの質素な内装だった。テレビもパソコンも見当たらない。
とても女子高生の部屋とは思えなかった。
いや、今はそんなことを考えている場合ではなくて。
「・・・・・・」
なぜオレは苫前さんのベッドの上で正座させられているのだろうか・・・。
しかもそれを命じた当の本人はシャワーを浴びに行ってしまった。
なんだってみんなおかしなタイミングでシャワーを浴びたがるんだよ。
おじさんは変に意識しちゃうぞ。
保健体育の勉強を教えてくれるならやぶさかではないのだけど。ドキドキである。
「・・・・・・」
本棚に目をやる。
数はさほどないが、パッと見ただけでも様々な種類の本が並べられていた。
オレがわかる物だと漫画やライトノベルの単行本、アニメの雑誌。
他にもいろいろあって、中には英語のタイトルの物もある。苫前さんは英語得意なんだろうか。
そんなふうに本棚を眺めていると、『DIARY』と書かれた一冊の本を見つけてしまった。
日記帳のこと、だよな・・・。
ベッドから離れて本棚へと近づく。
「・・・・・・」
ほんの少し。ほんとちょっと覗くだけだ。
ほら、オレが助けるべき相手が苫前さんであればなにか手掛かりになるかもしれないし。
誰にともなく言い訳をし、日記帳を手に取った。
2019年4月1日(月)
またこの日がきてしまった。
2019年4月2日(火)
知らない男子が入学してきた。初めての経験だ。
北見佑という名前らしい。
接触を試みたが反応はいまいち。神の使いではないのか?
「・・・・・・」
神の使い・・・中二病か・・・?
なんだこれ。
苫前さんってそっち系だったのね。
続きに目を落とす。
2019年4月7日(日)
佑に告白された。私に惚れたみたいだ。罪な女だ。
丁重にお断りした。彼もいずれは私を忘れるはず。親密な関係になるのは避けたい。
でも男子に告白されるのは初めてなのですごく嬉しかった。
2019年4月11日(木)
最近佑が学食に来ない。
この現象が起こってから初めての友だちだったのに・・・。
告白への断りかたがまずかったのだろうか・・・。
またぼっちに逆戻りしてしまった。
でも大丈夫。ぼっちには慣れっこだから。
「・・・・・・」
顔が熱い。
なんだこの日記。
オレのことしか書かれてないじゃないか。
え、苫前さん、オレのことこんなに考えてくれてたの?
やばいなんだこれ・・・見てはいけない物だったろ絶対・・・。
いや、そもそも他人の日記を勝手に読むのはどうかと思うけども。
「っ!?」
バスルームのほうからドライヤーの音が聞こえてきたので、慌てて日記帳を本棚へ戻した。
跳ねるようにベッドの上へ行き正座する。
「・・・・・・」
自分の鼓動の音がやたらと大きく聞こえてくる。
やかましい。
平常心だ・・・平常心・・・落ち着けオレ・・・。
ポケットからスマホを取り出し、写真フォルダを開いて猫の写真を見つめる。
実家で飼っている猫だ。
・・・かわいい。
癒された。
もう大丈夫。平常心を取り戻した。
しばらくするとシャワーを浴びる前と同じセーラー服姿で苫前さんが姿を見せた。
どことなく艶っぽく見えてしまうのはシャワーを浴びたからだろうか。それとも・・・。
「佑。変なことはしていませんでしたか?」
「し、してませんよ・・・」
日記帳は覗いたけれど。
「そうですか。では勉強を始めましょうか」
しれっとそう言う苫前さん。
「そ、その前に質問いいかな・・・?」
「なんですか?」
「どうして、勉強するのにわざわざシャワーを浴びる必要があったのでしょう・・・」
「・・・昨日いろいろと考えていたら、浴びるのを忘れてしまったのです。それで、佑と会うのに、汚いままではイヤだったので」
「な、なるほど・・・」
その心遣いは嬉しいがタイミングがタイミングなだけにおかしな勘違いをしてしまったおっさんの純情な気持ちを返してほしい。
などと言えるはずもなく。
「それで、佑はどの教科が苦手なのですか?」
「全部です・・・」
「え・・・?」
苫前さんに答案用紙を見せた。
それはまさに地獄絵図。
「佑は裏口入学でもしたのですか? この点数でよく合格できましたね」
「ははは・・・」
ミライくんやオレの年齢のことを説明するわけにもいかず、適当に愛想笑いでごまかすしかなかった。
「中学からやりなおしたほうがいいかもしれないですね。マジメに勉強していたのですか?」
「う、うーん・・・どうかな・・・」
正直なところ、中学2年の前半まではそれなりに勉強していたんだけど、それ以降はいろいろあってまったく勉強していないのだ。より正確に言えば登校拒否をしていて勉強ができる状態ではなかった。
「再テストの期限は来週の金曜日で、今のままでは退学になってしまいます」
「え!? そういうシステム!?」
「はい。今回のテストは過去――――1年生であれば中学校で勉強をきっちりしていれば、赤点をとることはまずない優しいものなんです。そんなテストでつまずくような落ちこぼれはいらない――――と理事長が言っていました」
「マジか・・・高校って厳しいのな」
「まぁ冗談なんですけど」
「・・・・・・」
苫前さんでも冗談言うのね。
少しばかり面食らってしまった。
「素行が悪くなく単位をきっちり取っていれば誰でも簡単に卒業できますよ」
「そ、そっか・・・よかった・・・」
いやいいのか? そもそもオレは卒業するまで高校生やってるの?
「とはいえ今のままでは授業についていけていないのでは?」
「はい・・・なに語しゃべってんだよとか思ってました・・・」
「友だちなんですから、こういうことは相談してほしかったです」
「はい・・・すみません・・・」
「別に怒っていません。では、買いに行きますよ」
そう言って立ち上がる苫前さん。
「え? なにを?」
「中学生用の参考書です。1万もあればいいのが買えますよ」
「・・・・・・」
抗う術をオレは持ち合わせていなかった・・・。
※※※
軽くなった財布の代わりに重たい紙袋を胸に抱え寮の近くまで来ると、苫前さんはなぜか男子寮の中へと入っていった。
「どこ行くんですか?」
「佑の部屋です。女子の部屋に男子を泊めるわけにはいきませんから」
「・・・はい?」
話が見えない。
「私が佑の部屋に泊まって、みっちりと勉強を教えるということになったではありませんか」
なってません。
そんな話は一切していません。
いったい苫前さんの脳内でどんな妄想会話がなされたのか。
「あ、あの、オレ男なんですけど・・・」
「知ってます。なに当たり前のことを言っているのですか」
「・・・・・・」
オレを男としてこれっぽっちも意識していないと言うつもりだろうか。
しかしあの日記を読んだ限りじゃそんな感じでもなかったけど。
もしかしてポーカーフェイス・・・?
苫前さんって普段からなにを考えているのかわからないというか、感情なんてないのではと疑いたくなるほど無表情で、おまけに声音も淡々としているけど、それでも感情はもちろんあるわけで・・・つまり感情表現が苦手なのではなくわざとそうしている可能性が・・・。
なにか感情を揺さぶることを言ってみようか・・・。
「苫前さんって、神の存在を信じている人ですか?」
「なんですか急に」
至って平静な声。
「いえ別に」
あの中二病日記に『神の使い』がどうとか書いてあったから反応すると思ったんだけどな。
「もしかしているのかも――――とは思っています。と言っても、いい印象はありませんが」
「それはなぜ?」
「この世に神なる存在がいるとすれば、いたずらがすぎるからです」
「いたずら?」
「はい。こんな不条理な世界にいる神なんて、いたずら好きなお子ちゃま神に違いありませんよ」
神を相手に不条理ときたもんだ。しかもお子ちゃまとは。
「そう言うってことは、苫前さんはなにか不条理な現実を押し付けられているの・・・?」
「はい。非常に迷惑しています。佑が神と交信できるのであれば、私を大人にしてくれと伝えてください」
「こ、交信はちょっと無理かな・・・」
早く大人になりたいお年頃なのだろう。
大人になってもいいことなんてなにもないんだけどな・・・。
むしろ学生のほうが楽だったよ・・・。
「どうして、大人になりたいの・・・?」
「どうして・・・それは考えたことありませんが、誰しも年を重ねれば大人になるものじゃないですか」
「ま、そうだね」
オレは大人になんてなりたくなかった。
・・・いや、今も年を重ねただけで、まだ子供のままなのだと自覚している。
『学校』という単語が『職場』へと変わった。ただそれだけ。
ただそれだけで、オレは大人なんかじゃない。
そうこうしているうちにオレの部屋である『3031号室』へ到着してしまった。
鍵を開けるや否やオレより先に中へ入っていく苫前さん。
「北見くんおかえり・・・あれ?」
ルームメイトの和真くんの声がする。
入ってきたのがオレではなく苫前さんでさぞびっくりしていることだろう。
「3年の苫前です。佑の友だちです。いきなりで申し訳ないのですが、週明けまでふたりきりにしていただけないでしょうか」
苫前さんがまくし立てるようになにかを言っている。
というかなに言っちゃってんの!?
顔を覗かせると、呆然としている和真くんと目があった。
親指をグッと上に向けて爽やかな笑顔を投げかけてくる。
なにか勘違いをしているぞ和真くん。
「月曜の朝には戻ってくるので、そのとき変なことしてるとかはなしですよ」
「安心してください。佑にそんな度胸はありません」
たった2週間足らずの関係で言ってくれる。
いやそのとおりだけど。
「北見くん」
和真くんはオレの耳元へ口を近づけると――――
「ゴムがなかったら、本棚の上の段に隠してあるからね」
と囁いてきた。
爽やかな顔でなにを言っているのか。
「それじゃ」
まるでなにかを悟った主人公の親友のごとく、颯爽と去っていく和真くん。
勘違いとはいえかっこいい・・・。
「なんと言われたのですか?」
「えっと、あとで焼きそばパン奢りな、と」
「彼は焼きそばパンが好きなのですか?」
「う、うん。毎日食べたいくらい好きって言ってた」
もちろん嘘である。
「なるほど。新情報です」
苫前さんはなぜか真剣な表情になっていた。
「佑といると、新発見がたくさんですね」
「そ、そう・・・?」
焼きそばパンのなにが新発見なのか。
最近の子はわからん。
――第4話へ続く――