第1話
翌日の4月3日の昼休み。
今日はオレのほうから苫前さんに話しかけるという謎ミッションを一方的に与えられているので、学食で苫前さんの姿を探すことにした。
小泉高校の学食は五十名強の生徒数に反して無駄に広い。そもそも校舎も敷地も広いのだ。昔の名残なのだろう。どうして生徒数が年々減っているのかは資料にも載っていなかったので謎だ。
とにかくそういうわけで、苫前さんを見つけるのに数分の時間を要してしまった。
「ふぅぅ・・・はぁぁ・・・」
話しかける前に緊張で舌が回らなくならないよう、周囲の「あのひとなにしてるの?」的な視線を気にしないふりをして深呼吸をする。
大勢の人の前で女性――――というか女子に話しかけるなんてハードルの高いマネ、オレという弱虫で臆病な生き物には簡単にできないのだ。
「きょ、今日はラーメン・・・?」
なんとか喉の奥から言葉を発しつつ、苫前さんの右隣の席を陣取る。
「・・・・・・」
苫前さんは麺をすすっている途中の状態で硬直していた。
その瞳にはオレの昼飯であるチャーハンが映っている。
二日続けてチャーハンでもいいじゃないか。美味しいんだから。
とりあえず硬直している苫前さんを無視してチャーハンに手をつける。
皿の底が半分ほど見えてきたところで、ようやく隣に座る苫前さんがずるずると食事を再開した。
「どなたでしょうか」
飲み込んでからの第一声がそれである。
勇気を振り絞って話しかけたのになんて仕打ちだ。
「えと、北見です。北見佑」
「そうなのですね。では私の名前はなんだったでしょう」
昨日と同じ淡々とした声色でそんなことを訊いてくる。
オレは人の顔と名前を覚えるのが得意ではない。とはいえ昨日の今日で話した女子の名前を忘れるほど薄情でもないつもりだ。
「苫前さんだよね。下の名前はののか・・・だっけ?」
「よく憶えていましたね」
少し驚いた様子でそんなことを言ってくる。
「そりゃそうでしょ」
さてはオレのことをとんでもないバカ野郎だと思っているな。
「どうして憶えていられたのですか?」
「どうしてって・・・昨日話したばかりだし。忘れられるわけないじゃないですか」
「そうですか・・・そうですね」
よくわからないが勝手にひとりで納得している。
自己完結はオレもよくするが、今回は説明を求めたい。
「今日は塩ラーメンです」
また唐突に話題が変わった。
スープの色でわかってはいたが、とりあえず「そうなんだ」と言っておく。
「薄味ですが250円で食べられます」
どうでもいい情報を淡々とした声色で話しはじめた。
残り半分のチャーハンを口に運びつつ苫前さんの話に耳を傾ける。
「・・・・・・」
なんだろう。淡々としているのにどこか楽しそうに話している感じがした。
「あ・・・話していたら麺が伸びてしまいました。どうしてくれるのですか」
「え、オレのせい?」
苫前さんが勝手に話していただけなのに理不尽すぎる。
「お詫びに週末、デートしてください」
「・・・はい?」
あまりも無感情な口調で飛び出した単語に、一瞬反応が遅れてしまう。
デートとは・・・デートのことだろうか。いやなにわけわからんこと考えてんだオレ。
「佑の部屋は3031号室でしたよね。日曜の朝迎えに行きます」
「なぜ当然のようにオレの部屋を知ってるの」
男子なら同じ寮だから知っててもおかしくないけど、オレが教えたわけでもないのに女子である苫前さんが知っているのはおかしい。
「梓さんに訊いたら教えてくれました」
「梓さん・・・?」
「男子寮の寮母さんです」
なるほど。余市さんの下の名前か。
「個人情報の漏洩・・・」
「男子は女子寮に近づくだけで警戒されますが、女子は男子寮に正面から入っても怒られません」
「なんという男女差別・・・」
どうしてこんな世の中になってしまったのか。
総理大臣にでもなれば時間はかかるにせよ、そのあたりは改善できるのかもしれない。なるつもりはないけど。
「苫前さんも寮から通ってるの?」
「部屋は教えませんよ」
なんとなくで訊いただけなのにひどく警戒されていた。
オレが女子寮に侵入するヤバいやつに見えるのだろうか。
人畜無害な男子高校生なのに。
「苫前さんって、悩みとかあるの?」
しつこく女子の部屋番号を聞く趣味はないので、話題を変える。
そもそもオレが高校生になっているのは、世界滅亡を食い止めるためにとある女性を救わなければならないからだ。
ぶっちゃけ『世界が滅ぶ』とか言われても実感が湧かないのでどうでもいいけど、オレが救うべき女性はオレにとって大切な存在になるとのことなので、生まれてこのかた女性とお付き合いしたことのないオレにとっては人生初の彼女ができるチャンスなのだ。浮かれているのだ。
まぁその相手が苫前さんとは断定できていないけど。
「なんですかやぶからぼうに」
「・・・・・・」
やぶからぼうに。
女子高生――――に限らず日常会話で使うような言葉ではない気がする。
苫前さんってけっこう変な子かもしれない。
「ほら、昨日も今日もひとりで食べてるし、友だちとかいるのかなぁって」
オレのような新入生ならひとりで食べていてもおかしくはないが、苫前さんは3年生だ。それなりのコミュニティがあって然るべきだと思う。
「いませんがなにか」
「・・・・・・」
今までの淡々とした物言いとは違い、語気が強めだった。
もしかして地雷踏んだ・・・?
「な、なんかごめん・・・」
「気にしないでください。慣れていますので」
「っ・・・!」
――――慣れています
知ってる。それがどういう意味なのか、オレには理解できてしまう。
でも、それ以上は踏み込めない。
彼女の心に近づく勇気も、近づくことを許されるほどの親密度も、今のオレには足りていない。
「あなたはどうなんですか」
「え」
「高校生になってまだ二日目です。学食で私と話してる場合ではなく、クラスに溶け込む努力をするべきだと思いますが」
おっしゃる通り。
しかしそもそも『明日はそっちから話しかけろ』と言ってきたのは苫前さんではなかったか。
いや、苫前さんのことがなくてもオレは学食でボッチ飯に興じていただろうけど。
「まぁあなたのクラスでの『ありかた』には興味ありませんが」
「・・・・・・」
「日曜日は予定を空けておいてください」
苫前さんはそう言うと食器が乗ったトレイを持って立ち上がった。
どうやらいつの間にかラーメンを食べ終えていたらしい。
対してオレの皿の上にはまだチャーハンが残っている。
「・・・あむ」
残りのチャーハンをひとり寂しく口へ運ぶ。
苫前さんの意図がまったく読めない。
なぜオレとデートをしようと思ったのか。
友だちがいないと言っていたし、そんなボッチに話しかける物好きなオレに興味がある、とか・・・?
いやさすがに自惚れすぎか。
いくらボッチでも女子ならイケメンと仲良くなりたいはずだ。
そしてもちろんオレはイケメンではない。自己評価だがよくても中の下といったところだろう。
最後の一口を口に入れて水で流しこむと、オレは深いため息を吐いた。
アホらしい。自分への評価はもっと過小であるべきだ。
中の下? バカ言え。おまえの顔は下の下だよ。
心の中の自分がオレをディスってくる。
ちょっと女の子とまともに話せたくらいでなにを舞い上がっているんだか。
「・・・・・・」
などと虚しい脳内コントを繰り広げつつトレイを下げたところで、見知った人物が視界に入った。
三つ編みの女子高生。ふたりの友だちとなにやら楽し気に会話をしている。
実年齢29歳でおまけに新入生のオレの高校生の知り合い。
バイト先――――じゃなかった。元バイト先で働いていた高校2年生――――いや今は3年生か。とにかくその女の子――――白老さん。フルネームは白老美玖・・・だったか。
先月バイト先へ連絡した際には彼女が電話に出て、「北見なんて知りませんが?」みたいな反応をされた。
おそらく今のオレが話しかけても不審がられるだけだろう。
そう思って立ち去ろうとしたが、彼女たちの会話が聞こえてしまって足を止めた。
「お金欲しいからバイトでもしよっかなー」
「えーバイトとかかったるくない? 部活やってたほうが楽っしょ」
「ってかお金欲しいならカレシ作ればよくない? おじさん相手じゃなくても、大学生なら体許せばお金くれるよ?」
「えーやだよお金目的で体許すとか」
「来年は受験生でしょ? バイトなんてしないで今年は楽しまなきゃ!」
「美玖はウブだからなあ。セ●クスなんて一度経験しちゃえば怖くないって」
いやぁ最近の女子高生の会話は怖い。
そんなことより、白老さんバイト増やすつもりなのか・・・?
「・・・・・・」
違う。そうじゃない。
来年は受験生・・・?
白老さんは3年生へと進級しているはずだ。つまり受験生。まさか来年になってから受験勉強をするつもりじゃないだろうに。
考えられるとしたら、留年・・・?
もしかしてオレが救うべき相手は白老さんなのか・・・?
ミライくんは「彼女から接触してくる」と言っていた。
今のところオレに接触してきた女性は苫前さんただひとり。しかも入学初日に。
・・・たしかめてみるか。
学食のおばちゃんにプリンを注文すると、すぐにカップに入ったままの市販されているプリンが出てきた。一個120円と高校生にとってはなかなかのぜいたく品だと思う。二個注文するとラーメンが一杯食べれてしまうだけの値段だ。
オレはプリンを手に、何気ない素振りで白老さんの位置から顔が確認できる席へと座った。
ミライくんの言葉を信じるなら、オレの顔を見た白老さんは話しかけてくるはず。
入学式で一度全校生徒を前に自己紹介をしているが、後輩相手に初日から話しかけてくるとは限らないからな。
苫前さんという例外はあるけど。
プリンを一口口に運んで白老さんの様子を窺う。
しかし彼女はオレのことなど気にした風もなく友だちと談笑しているだけだった。
ちらりとこちらを見る気配すらない。
「・・・・・・」
気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか・・・そもそも彼女はオレが救うべき女性ではないのか・・・。
オレに女子グループに話しかけることができるコミュ力があれば、直接訊くんだけどな・・・。
・・・年下相手になにを臆しているのか。
オレは自分のふがいなさにため息を吐いた。
でもプリンは美味しい。
※※※
4月7日。日曜日。
惰眠を貪っていたのだけれど、ルームメイトの和真くんにたたき起こされてしまった。せっかくの休日くらいゆっくり寝かせてほしいものだ。
和真くんに対する好感度が下がった。
「北見くんに女子のお客さんだよ」
「・・・・・・」
女子? 休日にオレを訪ねてくる物好きな女子なんているはずがないだろうに・・・。
「おはようございます。佑」
「・・・・・・?」
どこかで聞いたような淡々とした声が覚めきっていない脳に語りかけてくる。
「一応確認しておきたいのですが、私のことはわかりますよね?」
「・・・苫前さん・・・?」
目は閉じたままで声に返事をする。
「では、今日がデートをする日ということも憶えているはずです」
「まだ眠いんですよ・・・」
「女子にデートに誘われてテンションアゲアゲかと思いましたが、佑は乗り気ではないようですね」
そんなことはない。
昨晩は今日のデートが楽しみで、そしてそれ以上に不安で寝付けなかったくらいなのだ。
「・・・楽しみでしたよ」
「言葉に気持ちがこもっていませんね」
普段から言葉に感情をこめていない苫前さんにだけは言われたくない。
そもそも寝起きでまだ意識がはっきりしていないのだ。気持ち云々以前に脳が起きていないので、数秒前、あるいは数分前に自分が発した言葉すらはっきりとは思い出せそうにない。
まだ半分夢の中にいる気分だ。
「佑はいつも寝起きが悪いのですか?」
「どうでしょう・・・おれはいつも早めに部屋を出ているので」
「なるほど。つまりあなたが部屋を出るときは佑はいつも寝ているのですね」
「そうですね」
苫前さんと和真くんの会話が聞こえてくる。
苫前さんは爽やか系イケメンがタイプなんだろうか。
「・・・・・・」
いい加減起きなければいけないとわかってはいても、脳がそれを拒んでいる。
起きてしまえばオレは苫前さんとデートすることになる。
30年近いオレの人生において、女子とデートをするというビッグイベントはこれまでに一度も発生していないレアなものだ。
それゆえに怖い。
ただでさえ女子とどう接していいかわからないのに、苫前さんは女子高生。オレと12歳も年が離れている。緊張や不安があるのは当然だ。
「苫前先輩でしたっけ? 北見くんとは恋人同士なんですか?」
和真くんが的外れな質問をしている。
入学して一週間と経っていないのに彼女ができるほど、オレは肉食系男子でもコミュ力高めでもない。
「いえ。私が一方的に気になっているだけです」
「うわお。先輩すごいですね」
「そうですか?」
・・・え? なに今のセリフ。
一方的に気になっている? まるでオレなんかに気があるみたいな言い回しじゃないか。
いやいやまさかそんなわけがない――――とか否定しつつも喜んでいる自分がいた。
なんだか顔が熱い。
まさか女子高生の何気ない一言がこんなにくるものだとは・・・。
しばらくは起きれそうにないな。
「早く起きないとズボンを脱がしますよ」
苫前さんが好きな子にいたずらする小学生男子みたいなことを言いだす。
しかし女子が男子のズボンを脱がせるわけがない――――などと高を括っていると、布団の中でなにかが動き、腰のあたりが何者かにつかまれた。
そしてそのままずるっと一気にズボンを下げられてしまう。
「なにするんですか!?」
「大丈夫です。見えませんから」
たしかに布団のおかげで見えないけども。
「そういう問題じゃありませんよね!?」
布団の中でズボンを穿きつつ激しく抗議する。
「人と円滑なコミュニケーションをとるには、下ネタが手っ取り早いと教わりました」
「だれに教わったんですかそんなこと!?」
それは同性を相手にするときではないだろうか。
というかズボンを下げるのは下ネタじゃなくてただの痴女だ。
「苫前さんには恥じらいとかそういうのはないんですか!?」
叱咤しつつベッドから起き上がる。またズボンを下げられては敵わない。
「そんなものは何十年も前に捨ててきました」
18歳の女子高生がなにを言ってるんだ。
「そのパジャマ、可愛いですね」
出た。唐突な話題転換。
「こ、これはオレのじゃなくて・・・」
オレが着ているのは、男子寮の寮母・余市さんに借りた無地のパジャマ。その色は上から下まで薄いピンク色だ。
パジャマ派ではないのだけれど、入寮したその日にわざわざ部屋まで持ってきてくれて、せっかくなので借りている次第である。
なにが『せっかく』なのかは察してほしい。
「でも早く着替えてください。それとも着替えを手伝ってほしいという意思表示ですか?」
「違いますよ。着替えるので外で待っていてください」
「了解しました」
「・・・・・・」
たまに苫前さんは本当に女子高生なのかと疑問に思うことがある。
男のズボンを脱がしたり、高1姿のオレに対してやたらと敬語を使っていたり、髪を手入れしていなかったり・・・。
「あれ・・・」
ようやく気付く。
苫前さんが着ているのは学校指定の紺色のセーラー服――――すごくオレ好みだ――――だが、髪型がいつもと違う・・・? 手入れしている・・・?
「なんですか。ひとの顔をまじまじと見て」
「すみませんっ!」
言われて即座に視線を逸らす。
可愛い・・・。
もしかしてオレのために手入れしてくれたのだろうか・・・などと驕るつもりはない。デートするうえでの最低限のマナーとかそんな感じだろう。
「では廊下で待っています。急がなくてもいいので、それなりの恰好をしてきてくださいね」
苫前さんは最後にそう釘を刺すように言い、部屋の外へ出て行ってしまう。
「北見くんって意外とモテるんだね」
和真くんがさらっとひどいことを言ってくる。本人に悪意はないだろうけど。
意外とは言ってくれる。
これでも小学生の頃はオレのことを好きになってくれた子がいたんだぞ。
「・・・・・・」
虚しい気持ちになった。
「先輩には告白されたの?」
「まさか」
苫前さんは『オレに気がある』的な発言をしていたけれど、あれはきっと違う。上手く説明できないが、あれは『男子に好意を寄せている』のとは別の感情からくるものだと思う。
それでも頬が緩んでしまうのは、30――――じゃない。29歳にもなるのに壊滅的に女性経験のないオレの未熟さゆえだろう。
しかも相手は女子高生だ。嬉しくないはずがない。
ん・・・?
というか今のオレは高1なわけだから、女子高生に手を出しても問題ないのでは・・・?
高校生バンザイ。
「うちの学校、生徒数少ないから割と先輩の顔も憶えちゃったりするけど、苫前先輩は見かけたことないかも。北見くん、学校では言い寄られてないの?」
「ないよ。先輩とは学食でお昼食べるくらい」
「そっか。どおりで。おれは弁当だからなぁ」
「ってか、その弁当ってどこから調達してるの?」
制服に着替えつつ質問を投げかける。
和真くんがいつも教室で弁当を食べているのは知っていたが、自分で作ってる様子もないし、寮生活の男子高校生が果たしてどこから弁当を入手しているのか。
おじさんは興味津々です。
「あれ? 言ってなかったっけ。おれの姉ちゃん、うちの3年生なんだよ。それで毎朝作ってくれてるんだよね」
そんな情報は初耳だ。お姉さんがいることすら知らなかった。
「うらやましいねぇ・・・」
「でも姉ちゃんって言ってもあまりいいものじゃないよ」
オレの言葉は『弁当を作ってくれる身内がいる』ことに対してだったが、じじくさくなりかねないので深く言うのは控えた。
「北見くんはひとりっ子?」
「いや。兄がひとりと、妹がひとり。どっちももう自立してる」
オレと違って・・・。
「え、妹さんも? 妹さんいくつ?」
しまった口を滑らせすぎた。
今のオレは高校1年生なのに、それより年下の妹が自立しているというのはおかしい。あまりにも不自然だ。
「ごめん。先輩を待たせてるから」
そうごまかし、洗面台で顔を洗い、歯を磨いてから部屋を出た。
女の子との初デート。
頑張るか!
――第2話へ続く――