贅沢な願い事
デスクに置いてある携帯からカノンが静かに流れた。
香也からの着信音。隣の席の相馬が、ニヤリと笑いやがった。
「おっ、愛しの彼女からか」
俺はこれみよがしにニヤリと笑い、携帯に手を伸ばした。
――俊平、お疲れ様~今週の休みなんだけど、水族館希望! 宜しくね――
にやける顔を抑える間も無く
――了解、朝一出発な。という訳で金曜の夕飯宜しく――
送信っと。
あれから、俺達の関係は変わったんだ。
俺も変わったし、香也も。
俺は待つ事を止めた、強引なところは変わらないかもしれないが、素直に気持ちを出す事にしたんだ。
そして、香也はこうやって、俺を誘うようになった。
勿論多少の駆け引きもあるけどな。
初めっからこんな付き合い方をすれば良かったのかもしれない。
だけど、きっとあれも必要な事だったんだよな。
あの日、お互いの気持ちをぶつけあった事。
これから、ずっと一緒に居る為に必要な事だったと今はそう思っている。
「徳山”顔”戻ってねえよ」
相馬の突っ込みで我に返った。
「うるせぇーよ」
「おっ照れてるー」
調子に乗った相馬が大きな声で俺をからかいやがった。
「ふーん、そんな事があったんだ」
俺に背を向け、夕食の準備をしている香也。
リビングには煮物の香りが漂い始めてきた。
醤油の甘辛い食欲をそそる匂い。
「相馬の奴、調子に乗って声でかすぎだっつうの」
ソファに座り、香也の後姿をじっと見つめる。
俺のずっと思い描いていた光景。自然と頬が緩んでくる。
「それで俊平は否定しなかったんだ」
即席で作ったきゅうりの漬物をテーブルに置きながら、俺を見る香也。
「否定って、何を?」
「ん~愛しのってとこかな?」
自分で言いながら恥ずかしくなったのか、くるりと背を向けキッチンへと足を踏み出した。
「かーやっ」
「んっ?」
煮物の鍋に菜箸を入れながら顔だけをこちらに向ける香也。
マジ可愛い。
俺は、空いたビールの缶を片手に持って、香也の後ろに立った。
「解らない? 愛されてないとでも?」
そう耳元で囁いた。
「俊平、そんな耳元で……危ないよ」
香也の耳の後ろが真っ赤に染まった。
マジ可愛い。
「そんな事は聞いてない、まだ足りない俺の愛情?」
もう一度耳元で囁いて、ふーっと耳たぶに息を吹きかけてみた。
「俊平!」
頬をふくらませながら、こちらを向いた香也。思い通りの行動。俺はすかさず香也の頬に唇を落とす。
ゆでだこのような香也の出来あがりだ。
こんなところで欲情してしまう俺も何なのだが、折角の香也の手料理を無駄にする訳にはいかないからな。
菜箸を持ったまま固まってしまった香也の後ろを通り過ぎ、2本目のビールを冷蔵庫から取り出した。今日は金曜。まだまだ時間はあるからな。
「全くも~」という香也の嘆きを背中に受けて、ゆっくりとソファに沈んだ。
明日水族館に行けるか? きっと今夜も手加減出来そうにもない。そんな自信がしっかりとあたりして。プルトップを引きあげながら、今日何度か目か分からない自嘲。
妊娠させたら怒るかな? そんな不埒な考えもちらほら。
そんな時に目に入ったカレンダー。
月末の土曜日にアンダーラインが引いてある。
大安吉日。
その日が俺の勝負の日。
一番の強敵である香也の父親に……
まだ早いと言い張る香也を説き伏せて、予定を立てて貰ったんだ。
一日も早く、この香也がいる空間を日常に変える為に。
俺の贅沢な願い事。
それは、香也と一緒に過ごす日常。
カーテンの向こうに見える星空に、ずっと一緒にいられるようにとそっと願いを込めた。
ここまでお読み下さりありがとうございました!