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嬉しい悲鳴

ちっ。


この角から、もう何人の人が俺の前を歩いていったのだろう。

手持無沙汰の俺は、足もとにあった小石をつま先で軽く弾いていたりしたのだが、

気がつけば、俺の周りの小石は無くなっていた。

知らない家の塀に寄りかかり待つ事30分。

俺だけ時間の流れがゆっくりなんじゃないだろうか、なんて馬鹿な事を考えてしまう。


この前の事もある、もしかしてまた肩すかしを食うのだろうか。

昨日の今日なので美佐に探りを入れる間も無かった……

というかふいに沸いたこの幸運に浮かれて、そこまで考えつかなかったというのが正解なのだが、探りを入れておけば良かったかもしれないと、ここにきてマイナスな考えが浮かんできた。


携帯で時間を確認。

もう、香也がいつもの電車に乗るには出てこないと怪しい時間になる。

先程より頻繁に携帯を取り出す自分がいた。

何度目かに時間を確認した後


香也だ。


時間に追われているんだろう、結構な早足で俺の目の前を通り過ぎる。

まあ確かにそんな時間だ。

クリーム色のスーツを着た後ろ姿を見つめながら、一歩踏み出した。

香也には早足のつもりだろうが、コンパスの違いがあってか、さほど必死にならずとも横に並ぶ事ができた。


「よお」

本当はバクバクしている鼓動。言葉は軽いがうわずらないように慎重に声を出した。

「あっ俊平君おはよう。珍しいねこの時間」

こんな些細な言葉でさえ、香也の口から俺の名前が出たって言う事に嬉しいと思ってしまう、願わくは「君」が余計なのだが。

今にもニヤケそうな顔を抑え

「そうだな」

なんて答えていた。

香也の足は先程と同じように忙しなく動くのだが、俺にとってはあまり気になる程の速さではなくて、とういうかこれは普通の部類ではないだろうか。その事に気がついたのだろう。

前を向きながら

「何だか、私は必死に歩いているのに、俊平君は余裕ってどういう事」

なんて自分で言っておきながら、私の足が短いってことなのねと独り言を言っている香也。

すっとぼけた奴だ。

「そりゃ、こんだけ身長差があって香也と同じ足の長さだったら、俺泣くって」

ふわりとしたスカートの下からのぞく、無駄の肉がついていないスラリとした足。

短い事はないだろうと、その足に目がいった。

駅へと急ぎながらも、会話を重ねる香也と俺。

やっぱり待っていて正解だったなと一人ほくそ笑む。

香也の早足で駅の階段を上がる頃には、時間もかえって余裕が出来たくらいだった。

「俊平君まで、付き合わなくても良かったのに」

なんて、つれない事を言い始めた香也に

「付き合ったわけじゃなくて、今くらいが俺の普通の速さなんだよ」

とどさくさにまぎれて、頭を小突いた。

柔らかな香也の髪の感触が俺の指にしっかりと残った。


出勤、通学時間の重なるこの時間、人も多いが電車も多い。

改札口を通る頃には1本前の電車が到着するアナウンスが構内に響いていた。

目的のホームに降り始めると、丁度電車の頭が甲高いブレーキ音を響かせながら入ってくるところだった。

いつも香也の定位置はここからだいぶ離れた自動販売機の向こう側。

階段から離れるそこは当然、この階段下よりも空いている。

俺の目の前の階段下は電車に乗り込もうとする人で溢れ返っている。

普段だったら勿論空いている方がいいのだが。一つ前の電車ということで、香也はゆっくりと階段を降りている。


「なぁ、お前がいつも電車待つ場所って、お前の会社のとこの駅でも階段から遠かったりするんだよな」

早く答えてくれ。この溢れる人を見て願望に火がつく。

「そうだね、だいたいここら辺が丁度いいけど、ここに乗る勇気はないでしょ」

横目でちらりと幾重にも重なる人を見る香也。

待っていたその返事を聞いたその時に、扉が開かれた。

全く興味がありませんといった顔で、いつもの場所に向かって歩く香也の肩を引きよせ無理やり列の後ろから、電車に飛び乗った。

香也の足がホームから離れると直ぐに、プシューという音と共に扉が閉められた。


「しゅ、俊平君」

思っていた以上の込み具合で香也の顔が俺の胸に隙間なく押し当てられた。

俺は香也をドアの隅に押し寄せて、香也を潰さないよう抱え込むように香也を囲む。

待ち望んだ香也との電車での時間。

「たった3駅だろ、俺がここに立っててやるから。早く行きたかったんだろ」

いつぞやと同じように香也の耳元でそう言ってやった。

そう、たったの3駅なんだ。

この朝の通勤時間、本数も多い電車で、1本早いものに乗れたとしても、会社に着く時間はそうは変わらないだろう。恩着せがましいその言い草に、我ながら呆れてしまう。

だけどな、香也。

俺はもうお前無しの世界は考えられないんだ。

だから、大人しく捕まってくれ。

ファンデーションが俺の服に着くのが心配らしく、必死で俺から顔を離そうとする香也の後頭部に手を添えた。

あんまり動いてくれるなよ、と。

幸いな事に向こう2駅は反対側のドアが開く。

あと3駅。

誰にも触れさせないからな。

小さくなる香也。

抱きしめたくなる衝動を抑える事がこんなにも辛いものなのか。

嬉しすぎる悲鳴だ。


ふってわいた幸運に誰もが俺の味方をしているように思えてしかたが無かった。









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