戦闘
「こんな時のお約束は、やはり“私が引き受けるので貴方はその隙に”でしょうか?」
唐突に呟かれたリィの言葉に対し、呆れたアルフの声が、思わずと言った感じで発される。
「・・・お前、何がしたいんだ?」
場所は山林の中。リィとアルフは横に並び、普通の歩調で歩いている。
「冗談です。」
「・・・お前の口調は本気の時との区別がない。」
飄々と返す彼女に対し、心底嫌そうにアルフは言う。リィは軽く微笑んでどこ吹く風だ。
「正直体力的にはつらいところなんですが、・・・最後の試練としては、まあ適当でしょうね。」
声音はあくまでも平淡としていたが、しかし彼女の口元が先程とは別の理由で僅かに吊り上がっているのを、アルフは見逃さない。
「・・・難儀な性格だ・・・。」
あらぬ方へぼそりと吐かれる言葉に対し、リィは今度こそ明確な笑みを浮かべて傍らの彼を見上げる。
「自分でもそう思います。・・・ですが、どうせなら少しでも物事へ“楽しさ”を感じた方が得じゃないですか。こんな時に己を“殺す”のは、他者ではなく絶望です。」
さらりと言葉にされたそれは、しかし何らかの経験に基づくものでありそうだった。
そしてこれは、アルフにとっても頷けない話ではない。
現在、林の中で何者かの気配―それも複数―が俄かに二人との距離を詰めてきていた。
遂にアルフが林の奥に視線を向け、リィもまた、腰の武器へと手をかける。
次いで、周囲の木陰に幾人もの男たちがついにその姿を見せ始めた。明確に追っ手を認識している動きを二人がしたために、隠れていることを無意味と判断したのだろう。
その者たちは既に二人をほぼ包囲しており、うっそりと木々の間からこちらを見つめてくる。
彼らは一様に身軽そうな暗色の装備を身に着け、その雰囲気は明らかに一般人のそれではない。
例えば、いずこかに忍び込み標的を拉致する、あるいは暗殺する、といった暗部の仕事に慣れていそうな感じを受ける。
この様な者たちがついているあたり、件の奴隷商人が一体何に手を出しているのかが窺い知れそうだった。
当然の如く、リィとアルフに動揺の色はない。何しろしばらく前から彼らの存在は認識していたのだ。
スラリとリィは剣を抜き、牽制するかのようにそれを片手で構える。その視線は鋭く敵に向かい、姿勢にも隙が無い。
一方のアルフは僅かに体勢を変えたのみだった。片足を引いて両腕を外套から出し、しかし気負いは見られず自然体だ。その表情もこれといって感情を示していない。
そして彼が所持する剣には、一切の意識が払われていなかった。
二人は半ば背中を合わせ、無言で敵に警戒を向ける。
視認できる敵はざっと7、8人。国境付近のこんなところにまで手が回るところをみれば、下手をするともっと付近にいる可能性もある。
実際のところ、リィの体力は限界に近かった。
元からして女性には不可能な経路でタニタを出たのだ。一昨日のこととは言え、さすがの彼女でもとても回復する消耗ではない。
先程、追手の気配に気づいていながら逃走を選ばなかったのもそのためだ。
とはいえ、現在の包囲された状況も決して良いものでないのは当然のこと。
だが・・・。
「・・・ここでなら、何の遠慮もなく殺れるな。」
唐突に、アルフが呟く。
まるきりの独り言だ。
その金の瞳はどこまでも凪いでいて、一切の感情が窺えない。そしてそれが、見る者に得体の知れない圧を与える。
しかし、男たちは身じろぎ一つしなかった。彼らも玄人であり、精神の御し方は心得ているのだろう。
そして、彼らが共通して知り得ている情報として当然ながら、アルフが既に一度は捕らえられ、奴隷にされていたのだという事実がある。
そんな判断材料から次々と得物を抜き放って臨戦態勢に入る男たちを前に、アルフはそれまでの無表情に初めて感情をのせた。
それは嘲笑。
口端を動かしたのみのごく淡いものだったが、しかしその瞳は雄弁に語っていた。
―この俺を、お前らごときが捕らえられるものか。
心なしか、彼の姿勢が変わる。
その手に武器はないが、重心が前に移り、戦闘動作に入ったのだと知れる。
それと同時に男たちも踏み込んでくる。しかも一斉にではなく、三人ほどが距離を保ったままだ。何を狙っているかが知れない。
一方、残る者たちは発する声もなく急迫してくる。
リィはアルフの背後で危なげなく応戦した。
二人を同時にさばいていたのだが、相手が生け捕ることを狙っていることもあり、今のところは不安を感じさせない立ち回りを行っている。しかし、それが何時までもつのかは未知数だ。
けれども、いつもより重い身体を操りながら、彼女は気分が高揚するのを抑えられなかった。
自分で自分の思考に苦笑する。
命の懸かったギリギリの攻防。
日頃の鍛練が問われる数少ない修羅場。
生きている、という感覚を鮮烈に感じるのだ。
そしてこれは、すぐそばでアルフが立ち回っているのことも大きい。
何しろ彼の身体能力は目覚ましい。
現在、一対二では全く勝負になっておらず、後ろに引いていた三人の男たちも既にアルフの方へと動いている。その手にあるのは拘束具だ。
けれどもとてものことアルフを捕えられそうにはない。
今でこそ彼は剣を抜き放ってはいるが、実際の動きとしては圧倒的に蹴りや殴打が多い。剣の扱いには不慣れならしく、相手が切り込んだところをその武器で受け止め弾き返し、体勢が崩れたところで四肢を用いて打撃を与える。
もう何度も彼の蹴りや拳での打撃が男たちには入っており、それでも戦意を喪失していないのがいっそ素晴らしいくらいの勢いだ。
同時に剣を持ってかかる敵の人数も三人に増えている。
とはいえ彼の戦い方を常人が行っても早々できることではない。第一に、相手を弾き返せるだけの膂力。そして弾かれ、距離が離れる相手へと即座に追いつく俊敏さ。アルフは十全なそれらの能力をもって相対している。
加えて言えば“眼の良さ”も群を抜いていた。相手の僅かな身動きが彼には見えているらしく、いわゆる初動を捉えているために、彼の一見無茶苦茶な戦闘が可能になっているのだと言えた。
更には視野も広い。
アルフの身体は常に風を切りながら縦横に動き、その手足が一切の無駄なく複数の敵へと損傷を与えていく。
彼の動きは乱闘に慣れた者のそれだ。
そして、とても常套手段では捕獲できないと男たちは判断したのだろう。
いつの間に合図があったのか、アルフが男たちを捌くため、一瞬動きを留めさせられたところ、その隙を逃さず“それ”が突然、彼らの頭上へと投げられ、覆いかぶさってきた。
咄嗟に回避しようとしたアルフだが、男たちに絶妙に阻まれ叶わない。
さすがの彼も姿勢を崩してたたらを踏む。
ついにアルフの動きが止められる。
被さってきたのは投網だ。すぐには切れそうにない荒縄で頑丈に編まれ、その端にはこれでもかと重石が取り付けられている。よく投げられたものだと感心さえできそうだ。
そして、現在その下にいるのは、アルフは勿論、彼と交戦していた男の一人も巻き込まれていた。
他の二人は何とか逃れ、またリィについては十分に範囲外であり、一瞬の動揺は見せたものの変わらず剣を振るい続けている。しかし、その動きに精彩を欠き始めているのはいなめない。
巻き込まれた男はバランスを取れずに網の中で倒れこんでいた。荒く息をついているそこへ、容赦なくアルフが足でその男の首を抑え、身動きがとりにくいながらも周囲へと視線を向ける。
それまで比較的淡々と向かってきていた男たちの表情にも、さすがに驚愕と動揺、そして僅かな恐怖の色が見えた。
何しろ投網に捕らわれながらそれを支え、倒れもせず、アルフは変わらず彼らに敵意を向けてくるのだ。しかも今まではなかった明確な怒気が、その金の瞳に映ってぎらついてさえいる。
仲間を犠牲にしながらも、確かに男たちは現状アルフを行動不能にしたというのに、気圧されているのはなぜか彼らの方だった。
男たちは決して弱い集団ではない。かの奴隷商人の下、様々な暗部に携わってきた者たちなのだ。その役割の中には、今回のように人を奴隷として捕らえることも入っている。その対象も多岐に渡り、屈強な戦士を相手にするのも珍しくはない。
にも関わらず、彼らは即座に次の行動に移れなかった。完全にアルフの視線に射すくめられ、足を動かすことができなかったのだ。
そんな彼が、言葉を発する。
「お前ら、せいぜい死んで後悔しろ。」
人が変わったかのような獰猛な表情を見せながら、アルフが低く呟き、次いで、人間には出し得ない唸り声が、その喉から湧きあがった。
次話も一週間後に更新します。