3話 またひとり
しばらくその姿に釘付けとなっていた。
それもそのはず。
目の前に現れた少女はリリスに瓜二つだったのだから。
夢か幻か、しかし現に彼女はシルビアと会話している。
「気が済んだか?」
「はい! ありがとうございましたシルビアさん。明日から乗り放題かと思うと今日は寝れなそう」
「アホか、明日は入学式だけだよ。それに、新入生はしばらく航空魔術の基礎を学んでからだから、ほいほい空を飛べる訳ないだろ」
「えっ、嘘ですよね! やだな~、もう。ね? 嘘ですよねシルビアさん?」
「ああ、うっさい! ベタベタ触るんじゃないよ!」
初耳だったのか、少女は心底ガッカリしている。
この世の終わりかと言わんばかりに、膝を落としてシルビアにしがみ付いていた。
しかし入学説明会でその事には触れているはずである。
「あんたまさか、説明会で寝てただろ?」
「えっ、説明会? ……い、いや~やだな~、寝る訳ないじゃないですかぁ」
「じゃあなんで、明日から航空機に乗れるなんて思ってたんだい?」
シルビアの推察に、彼女は分かりやすく「ギクリ」と口を動かした。
そして、助け船を求めんばかりに縋った視線をジークに向けている。
掠れた音の口笛を吹きながら。
初対面であるにも関わらず、視線だけで「助けて」と懇願しているようだ。
それはまるで、昔から見知っている友人へ接しているかのよう。
それでもジークは、ただただ見つめるばかり。
と言うよりも、彼女がリリスと似ているのは容姿だけではない。
仕草のひとつをとっても、本人を思わせる素振りでドキリとさせられてしまう。
明朗快活だったし。
人懐っこい。
よく居眠りをして話を聞かなかったし。
心の内がすぐ顔に出てしまう。
おまけに、リリスも口笛が吹けなかった。
出会ってたった数分しか経っていないのに、こんなにも思い出が重なる。
ここまで酷似していたら本人と錯覚したっておかしくない。
「おいジーク」
ようやくデジャブにとらわれた思考が覚める。
「シルビアさん……この子は……?」
「くっくっく、鳩が豆鉄砲くらったような顔してやがる。お前でもそんな顔するんだな」
すると、今の今までとぼけた仕草だったリリス似の彼女が目を見開いた。
「シルビアさんっ、今この人のこと『ジーク』って呼びましたよね?」
「ああそうだよ。こいつはあんたの姉ちゃんの仲間、あんたが憧れたその本人……」
「ああっ、わーわーわーっ、な、何言ってるのかなぁ~シルビアさん? あ、憧れとかそう言うの今、か、関係ないですから~!」
少女は突然シルビアの言葉を遮った。
しかしジークは、いきなり大声を上げて焦った様子など、すぐに頭の隅においやる。
耳を疑った。
今確かに『姉』と言う言葉を聞いた。
どう言う事なのか。
リリスはそんな事、終ぞ口にした事は無かったはず。
シルビアは、もう何本目かも知れない煙草を取り出す。
それに火を点ける間、倉庫に沈黙が訪れた。
ジークと少女の間に、得も言えぬ空気が流れる。
「なあジーク、こいつリリスにそっくりだろ? 正真正銘、リリスの妹だから当然さ。名前はイリス、【イリス・ナイザック】だ」
「この子が……リリスの妹……?」
「出生国定住法のせいだね。隣のゼイレン帝国で生まれたイリスはずっとそっちに住まなきゃいけなかったそうだ」
聞き慣れないその法律。
しかし、その存在自体は知っている。
近隣の同盟諸国で作られた、子供のスパイ工作を抑止する法律。
この法律の下で生まれた者は、十五歳になるまで出生国から住居を移す事が出来ない。
戦乱の時代を経た今、当時の教訓を活かした結果だ。
十歳にも満たない幼子を、敵対国に送り込んでスパイ行為をさせていた事があった。
奴隷さながらに子供たちはかき集められ、各国へと潜入する為に過酷な訓練を受けさせられる。
その戦略とも言えない非人道的な行いの果てには、自爆行為も含まれていた。
終戦後。
国の宝である子供を犠牲にしない為にも、十五歳になるまでは祖国に定住させる法律が施行されたのだった。
一泊のみの旅行なら許されるが、それ以上の滞在は特別な許可と大枚が必要となる。
倉庫内でひとりだけ満足気なシルビア。
根元まで吸い尽くした煙草を灰皿に押し付ける。
まるでイタズラが成功して嬉しそうにする子供の様だった。
「じゃ、あたしの用は終わったよ。イリス、明日からジークがあんたの指導教官だからね。しっかりと言う事を聞くんだよ? 居眠りするとケツに変な魔術陣敷かれてヒリヒリしちまうから気を付けな」
「えっ? ジークさんがわたしの教官だなんて……って、シルビアさんもう行っちゃうんですか?」
満足気に「今日の酒はどんな味かね~?」と言いながら、イリスの問いかけには答えず去ってしまった。
必然的に、倉庫にはジークとイリスだけが残される。
そう認識したと同時に、気まずい空気に包まれてしまった。
が、そう感じていたのはジークだけ。
「ねえねえ、ジークさん! お姉ちゃんってどんな人だったんですか? わたし手紙でしかお姉ちゃんの事知らなくて……もう死んじゃって会えないからジークさんが教えてください!」
そう言ったイリスの笑顔を見て、ジークは驚きを自覚した。
何故この子は姉の死をこんなあっけらかんと言葉に出来るのか。
会った事がないから、悲しみもさほど深くなかったからなのか。
リリスの死。
と言う出来事の捉え方が、自分とは決定的に違うのだと戸惑ってしまう。
同時に湧き上がる苛立ち。
リリスそっくりな妹が、既に姉の死を乗り越えている事への感情。
甚だ手前勝手ではあるが、ジークはそんなイリスの言葉に対して、心の中で配慮不足を指摘してしまった。
もちろん、イリスの事など何もわかっていない。
いくらリリスと似ていたって、彼女の全てが同じとは限らないから。
だからジークは彼女の奥底にある感情など、想像できるはずが無かったのだ。
未だがんじがらめになった悲しみの糸。
イリスの言葉はジークにとって、それを余計複雑にするものになった。
そこでようやく幻から覚める。
「ああ、この子はリリスとは違うんだ」と。
リリスならそんな事言いはしない。
いつだって自分の感情を察して、想いに寄り添ってくれた。
だから、今聞いた言葉。
リリスの死を軽んじている様なその口調に腹が立ってしまう。
それが偏見だと言う事には「まだ」気が付かないまま、ジークの言葉から温度が消える。
「よろしくお願いしますイリスさん。不本意ではありますが、一応指導教官ですから『航空魔術』の事で不明な事があったら何でも聞いてくださいね」
「はいっ、ありがとうございます! それで、ジークさんとお姉ちゃんとはどんな関係だった……」
「では、用事がありますので、僕はこれで帰ります」
それはジークなりの宣告。
指導教官として以外の関係を望まないと言う表れだった。
しかし、憤りと戸惑いで余裕が持てなかった事に気付いていない。
「あ、はい。忙しいのに引き止めて……ごめんなさい」
そう言ったイリスの顔からは、さっき見せていた明るさが消える。
ジークは既に入り口へと向いていたので、それを見ていない。
まるで、捨てられた子猫のように寂し気な顔をするイリスだった。
バタン。と言う音と同時に扉が閉まる。
「あ~あ。また独りだ……」
そう呟きながら、イリスは胸元から何かを取り出した。
小さな蝶番のある銀色のロケットペンダント。
中には薄く削り出したガラス状の魔晶石がはめ込まれている。
そこに映っているのは、満面の笑顔で笑う幼い少年と少女。
「こんな風に笑った顔、わたしにも見せてくれるかな……ねえお姉ちゃん?」
震える様なか細い声が倉庫に広がった。
同時に見せるイリスの儚げな表情は、さっきまでの明るい少女とは思えない。
もしジークがこんな顔を見ていたら、とても姉の死を乗り越えただなんて偏見は持たなかっただろう。
それでも少しだけ。
本人は何も気付いていないだろうが。
ジークの心は未来へ向けて動き出したのだった。
お読みくださりありがとうございます。
ここまで情けない主人公。
ああ、早くかっこいい一面を書きたい・・・。