4
「やあこんにちは上桐サン! 仲良しのお友達が最近彼氏とお昼ご飯を食べるせいで、後輩の志波か隣のクラスの雛田クンしかお昼ご飯仲間がいないっていうのは本当みたいだね!」
「うわ部長さん、余計なお世話ですこんにちは!」
閑散とした手芸部室で一人飯を楽しんでいた八紘のもとに、二日ぶりに神足が現れた。
何か企んでいるらしく、とても人好きのする笑みを浮かべている。八紘も少しやけくそになって、にっこりと愛想よく笑ってみたが、新聞部長は意にも介さずメッセンジャーバッグからなにやら取り出した。
「さて、結果も出たから答え合わせの時間だよ」
「答え合わせ……? ああ、あのスチ……屋上の話ですか」
「そう。はい、今日の新聞」
「新聞?」
開くと、蛍光ペンで囲まれている部分がある。顔を近づけると、『投身自殺、殺人か』と見出しがついていた。
三か月前に起きた投身自殺の事件に関して、そのビルの管理人が出頭し、事件について殺人をほのめかす供述をしているという。心当たりのある話題だ。
どうやら被害者は悪質な取り立てを行ってきた金融会社の社長らしい。管理人は小学校時代から付き合いがあり、長年の苦痛に耐えられなかったとの供述が二行ほどで書かれていた。
続けて、共犯者の存在もほのめかしていることから、それに関しても慎重に捜査を行う、とある。もしかしたら周りのビルの〝観衆〟たちの存在や〝囮〟の中身も明らかになるかもしれない。
「結論から言うと、きみの答えは大正解だよ。正直予想以上だったね、連れてってよかった」
神足は満足げにうんうんと頷いている。八紘は卵焼きを頬張りながら呆れた視線を送った。それでは、どうして八紘があんな目にあう羽目になったのかについて、全く説明になっていない。神足は至極嬉しそうに言う。
「うん、不満げだね。じゃあ捕捉説明しようか。あの日、僕の目的は二つあった。一つは不自然な投身自殺の真相を暴くこと。もう一つはきみの言った通り、〝縁切り〟の能力をはかること。そのために僕はわざわざあのカセットテープを仕組んだってわけ」
「あ、じゃあやっぱりあの仕掛けを一回見てたんですね」
「仕掛けを、って言うか、僕はあの幽霊が落ちる所を見たんだよね。あのフェンスのところでしゃがみ込んだと思ったら頭から真っ逆さまなんて、どう考えても自殺じゃないじゃん。事故かと思って屋上に見に行ってみれば、現場にはおかしいところは何もない。仕方がないからずーっと観察してたんだけど、どうも何か拾おうとしてるらしい。で、例のフェンスの一つ隣のフェンスのねじを外して見てみたら、あの小さい箱がついてたってわけ」
「ちょ、ちょっと待ってください。隣のフェンスを外したんですか? どうやって……っていうか、何でまたそんなことを」
「だって危ないじゃないか。そんな怪しいフェンス触って僕まで落ちたらたまらないよ。ねじはいつも持ってる工具で外した」
なぜ工具なんて持ち歩いているのか、と尋ねようとして、この部長なら持っていてもおかしくない気がした八紘は、大人しく口を閉じた。
「で、それからこれは殺人じゃないかと思ってね。足跡がフェンスの上と外側にあったから、警察はフェンスを乗り越えて自殺したって考えてたみたいだけど、それも後からつけられたんじゃないかと考えた。僕は『これは一大事だ、記事になりそう』と思って、ビルの管理人にかまをかけてみることにしたわけだ」
「うわっ……いや、なんでもないです、続けてください」
悪びれもせずに不謹慎なことを口にした神足に、神妙な顔で忠告する後輩の姿がちらついて、八紘はうっかり「さすがは極悪非道の変人ですね」と言いかけてのみこんだ。
悪名高い新聞部部長は、笑みを悪人めいたものに変えて口を開く。
「ついでに、帰りに最近目をつけていた〝縁切り〟の上桐八紘サンと目が合ったから声をかけてみた。〝縁切り〟については記録が少ないからさ、人間関係とか執着とか呪いとかを断ち切るらしいとしかわからなくてね。普通に話を聞いてもつまらないから、反応を見ようと思っていたずらしてみたんだ。結果は、さっきも言ったけど期待以上。共犯者っていうか、観客がいるなんて思ってもみなかったよ」
「それは……よかったですね……」
なんだかどっと疲れた気がする。嬉々として語る神足を横目に、八紘はペットボトルのお茶を喉に流し込んだ。
可愛い後輩が言っていた『目をつけられたらやばい』の意味がわかったかもしれない。おそらく、ありとあらゆる手で〝検証〟されるのだろう。今回の八紘やあの管理人のように。
「でも、あの時はどうしてわざわざ怪しいフェンスに手をかけたんですか? それだけはわからないんですが」
あの時は確かに、神足が引きずられていた気がした。そんなに魅力的な罠だったのだろうか、と八紘は首を傾げる。
神足は、ふと真顔に戻ってから、中指で眼鏡を上げながら少しばつが悪そうに視線を逸らした。
「ああ……まあ、興味があったのもあるし、警察の捜査が入った後だからさすがにもう大がかりな仕掛けはないと思ってね……ま、要するに油断したから、って感じかな」
「……なんていうか……早死にしないといいですね」
「よく言われる褒め言葉だね」
八紘の呆れまじりの言葉に得意げに頷いて、神足は手に持っていたファイルから一枚の紙を取り出した。
「ちなみに、今回の取材を活かした記事がこれだよ。題して『落下する霊』! あの霊みたいに落ちて死んだ人間っていうのは、得てして自分の死を理解できずに生前の行動を繰り返すことが多いんだ。あの人はあんまり害がないから、来週あたり姉さんが優しく祓う予定だけどね。今回の記事ではどういうところでああいう霊を見ることができるのかっていうポイント解説と、悪質なのに魅入られたらどうするかっていうささやかなアドバイスを載せてあるよ。はい一部」
「えっ、あ、どうも……」
いらないです、と正直に言うことができず、おどろおどろしい字体が躍る紙を受け取った八紘は、誰に押付けようかと考えをめぐらせる。叔父にでも押しつけてやろうか。
神足は、顎に手を当てて神妙な調子で続ける。
「実は〝縁切り〟について書こうかとも思ったけど、実際に縁を切ったところを見たわけでもないから、取材不十分ってことで記事にはできないと判断したよ。それに、今一番興味があるのは、本体が髪の毛なんじゃないかってくらい毛むくじゃらの悪霊の出没で――」
――と、立てつけの悪い手芸部室の引き戸が、乾いた音と共に勢いよく開かれた。
わずかに訪れた静寂を裂いて、凛と響きの良い声が八紘を呼ぶ。
「――上桐はいるか?」
「……雛田くん?」
「ああ、一昨日ぶりだな。昼食を一緒にどうかと思って」
「あ、えーっと、ごめん、わたしもう食べちゃって……。ていうか、雛田くんそれどころじゃなくない?」
隣のクラスのイケメン・雛田享は、顔面蒼白で呼吸も浅く、立っているのもやっとという状態で扉にもたれかかっていた。左手にはかろうじてランチバッグがぶら下がっている。
しかし、何よりも八紘の目を引いたのは、足首から首回りまでぐるりと巻き付いている巨大な三つ編みだった。黒髪のように見えるそれは、注連縄ほどの太さがある。
一目でわかる、強烈な悪縁だ。
「……いや、少し体がだるいだけだ。病院に行ったが疲労だと言われた。昨日は点滴もしたぞ……大丈夫だ……」
「あ、うん、なんかわかったからとりあえず座って」
椅子を近くに寄せると、崩れ落ちるように腰を下ろして、手のひらで目元を覆った。そのしっかりとした首回りをじっとりと三つ編みが覆う。
〝生贄体質〟だという雛田は、兎角よくないものに好かれやすい。
八紘は制服のポケットから糸切り鋏をとり出して、祖母から教わった言葉を小さく呟く。
「――悪縁、絶たせていただきます」
躊躇なく絡みついたそれに鋏を入れると、切り離されたところから重たげに落ちて、所在なく宙に消えていく。
学生服を纏ったバランスの良い体躯がはっきり見えるようになる頃には、雛田の顔色もだいぶ良くなっていた。
「――やはり上桐に会うと調子が上がるな。無理をおして来てよかった」
「えーと、うん、あんまり無理しないでね」
涼しげな目元を優しく緩めて力なく微笑む雛田に、自他ともに認める面食いである八紘は咄嗟に目を伏せた。
眼福ではあるが、刺激が強すぎる。さりげなく鋏をしまった右手で頬を押さえると、じんわりと熱を持っていた。
気恥ずかしくてふと視線を逸らすと、真顔でカメラを構えている新聞部部長と目が合った。
なんとなく、なんとなく悪い予感がした。背中を嫌な汗がつたう。目の端をかすめた橙色の糸は無視した。
しかし、予想が的中したかのように、神足は目を細めて唇をつり上げた。あの笑みだ。というか、神足の笑顔には悪い予感しかしない。
「――上桐サン、きみ、やっぱり除霊もできるんだね」
「……できないですよ?」
「いや、あれは除霊だから。ときに上桐サン、折角のネタを目の前で祓われた僕の心を癒すために、今のやつをもう一回見せて欲しいなあ、なんて思うんだけど」
猫なで声で言いながら首を傾げて微笑む神足から逃げるよう視線を移すと、状況を理解していない雛田がきょとんと首を傾げていた。
――同じ仕草なのに、どうしてこうも違うんだろう。
魔法の言葉、「機会があれば」を告げた声は、随分と白々しく響いた。
うっすらホラーものでした。
神足は計算高いですが、本質的には無邪気に迷惑なタイプです。
2013年に出した「縁切りかみきり」の続編小説本を修正したものになります。
お手にとって下さった皆様、ありがとうございました。