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 伏せていた縁切りの名を出されては敵わない。


 別に隠す気はないがそれほど目立ちたくもない八紘は、だめ押しで脅された気になりながら、ひょろりと背が高い神足の背を追っていた。


「僕の家は神社でね。賽ノ木神社って知ってる? 姉が後を継いでいるんだけど」

「ああ……あのでっかいご神木がある所ですよね。中に入ったことはないですけど、知ってますよ」

「あれが悪いものを封じてるんだよ。神社の大きさ自体はそれほどないけど、ここら辺ではそれなりに力はあるし、知名度もなかなかあると思うよ」

 

 クリーム色のビルの中は思った通り味気なく、エレベーターの故障のせいで階段を使う羽目になった。

 まだ日は出ているが階段は薄暗く、時折窓から差し込む光に安堵を覚える。不気味さを緩和するという意味では、好き勝手に話し続ける神足にも少し助かっていた。

 八紘は、呼吸を整えるため一度息をついて、神足を見上げる。


「力? 権力ってことですか?」

「それもあるかな。でもどっちかというと、除霊能力とかそういう力って意味だよ。縁切りにもあるんじゃないの?」

「え?」


 急に尋ねられ、八紘は首をかしげた。

 縁切りの除霊なんて聞いたことはない。そもそも、家族や親族で霊感があるという話も聞かない。八紘自身もそうだ。


「ジョレイなんてできないですよ、私。霊感もないし」

「ふーん、ほんとにそうかな?」

「なんで疑ってるんですか……」

 

 除霊能力、とまたオカルトチックな話を出され、八紘は呆れまじりに尋ねる。


「部長さんはご実家が神社なのに、なんでそういう……怖いのが好きなんですか」

「ん? そうだね、僕は昔からなんだか霊的なものに縁が深くてね」


 八紘よりもいささか息を乱しながら、それでもどこか楽しそうに神足が続ける。


「いわゆる霊感がある人間なんだよ。で、よく霊感がある奴と一緒にいると見えるようになるって言うけど、僕は人一倍その力が強いらしくてさ。僕といると大抵、同じものが見えるようになるらしいんだ」


 ここまで聞いて八紘は、やっぱり帰ろうかな、と階下を見た。


「僕は好奇心も強いから、たくさんの物事を、隅から隅まで全部知りたいんだよ。心霊現象って、温泉みたいにただ幽霊が出ましたってわけじゃないだろ? そこに至るまでの過程があるし、理由があるはずだ。僕はそれが知りたいから、汗水たらして調べてるんだよ。だから、怖い話とか心霊現象が好きというか、知識欲が刺激されてるって方が正しいかな。……くそ、この階段はほんと忌々しいほど長いな」

「なんか思ったより……いや、なんでもないです。休憩します?」


 思ったよりまともな理由ですね、という言葉をのみこんで、息が荒くなっている神足を見上げた。

 自称運動音痴は鷹揚に頷いて、メッセンジャーバッグから取り出した飲み物をあおる。


「あーやれやれ、これだから上の階に人が少ないんだよ。そもそもここのエレベーター、直す気ないのかもね」

「直す気がない? どうしてですか?」

「三か月前から故障中なんだよ、あれは」

「三か月前? そんな前からここに来てたんですか?」

「いや、僕が初めてここに来たのは先週。でも、僕以外の人がここについて調べてくれてるからさ。ほら」


 言いながら神足が取り出した紙の束を受け取って目を通すと、どうやら新聞記事の切り抜きを印刷したもののようだった。見出しはどれも小さなもので、内容はある『投身自殺』についてだ。

 八紘は、見覚えのある住所に眉根を寄せた。


「これ……ここじゃないですか」

「そうだね。それは三か月前の事件だけど、階段を上っていく男性が外から見えたって証言があるんだ。ほら、ここの階段って窓が多いからね。で、十三階までわざわざ階段を使ったのはエレベーターが壊れてたからじゃないかってそれに書いてある」

「あ、ほんとだ」


 指でなぞっていくと、その部分が容易に見つかった。

 それにしても、自殺現場をわざわざ見たいとは悪趣味だ。十三階建てというのもなんだか不吉な感じがするし、何よりあのわけのわからないスチールウールだってある。

 ため息をつこうとしたとき、神足が階下に視線をやっていることに気付いた。

 同じように視線を向けるが、変わったものは何も見えない。

 やはり階段では大変だからか、マンションのくせに五階を過ぎたあたりから人が住んでいる気配がなかったから、当然と言えば当然だ。


「あの、なにか……?」

「ああ、うん。来たみたいだから」

「来た?」

「うん。ちょっと壁側に避けようか」

「え?」


 言う通りに壁に背をつけると、明るい橙色の糸がするすると上ってくるのが見えた。糸はずっと同じ色で、神足の右手首と繋がっている。

 普通は繋がっている同士の印象の違いから糸の色が分かれるはずだが、一色ということは、相手が神足を知らないか、神足が相手に対して一方的に興味を抱いていることになる。


 ――なるほど、被害者仲間か。


 旅の道連れにできるのでは、と少し期待して待ってみる。しかし、階段は静まり返っていて足音すらしない。

 黙っていると、神足が小さく「やっと来た」と呟いた。

 何が、と問う前に、八紘も〝何か〟が階段を上ってきたことに気付いて、ひっと息をのんだ。


 幽霊が見えたわけではない。何も見えなかった。


 ただ先が輪になった橙の糸が、ゆっくりと階段を上って行っただけだ。

 落ち着き払って見送っている神足が強く意識している〝何か〟が、八紘たちの横を音もなくすり抜けたのだった。


「え、い、今のって……」

「ああ、見えた? あの人が落ちて死んだ――」

「あ、あの人!?」

「……あれ、見えてないの?」


 眼鏡の奥の目を驚きに見開いて言う神足に、八紘は何度も頷く。


「ぶ、部長さんが何か見てたのはわかりますけど、何かがここを通ってったのもわかりますけど、人なんて私にはぜ、ぜんっぜん……!!」

「そうなんだ、珍しい。……その代わりに別のものが見えるってことかな?」


 感心したように小さく付け加えて、神足はまた階段を上り始めた。顔を青くして、八紘は慌てて止める。


「ちょ、ま、まだ行くんですか!?」

「え、当たり前だろ? 僕らが目指してるのは屋上なんだから」

「で、でも……」

「大丈夫だよ。あの人は僕らに興味なんてないから」


 そうかもしれないが、いい気はしない。

 八紘が口を開こうとしたとき、外で大きな破裂音がして、びくりと肩が跳ねる。

 例えるならまるで、大きめの果物を地面に落としたような音だ。そう考えて、何の音か想像がついてしまい、背筋が凍る。

 もしかして、今上って行った〝何か〟が、神足が言う〝あの人〟が、屋上から――。


「ああ、中だと少しは静かだな。あの人、落ちるまでが一連の流れみたいだから、外歩いてるときはやかましいわ飛び散るわで散々だったよ」


 少しすっきりしたような顔で言う神足の言葉に眩暈がする。八紘は額に手を当てて、一度大きく深呼吸をした。


 ――見えないんだから、何が飛び散ろうが私には関係ない。せめてさっさと終わらせよう。一刻も早く!


 休憩から俄然元気になった神足の後を、この数分で開き直った八紘も足早に追った。



◆◆◆



「さて、ここだ」

「うわっ」


 錆びついた音を立てて開いたドアの向こうに目をやって、八紘は思わずひるんだ。


 遠くからはスチールウールでも、近くで見るとちょっとした羊くらいの大きさがある。

 一体どこから伸びているのか、糸の切れ端を探すべくそれを睨みつけていると、にやにやと笑みを浮かべた神足に視線を遮られた。


「勘がいいねえ、上桐サン。あの人はそこの角から落ちていくよ」

「そ、そうですか……」

「今はまだ上ってる途中だけどね」


 八紘が知りたくもなかった情報を残して、神足は鞄から取り出した小さなデジタルカメラで撮影を始めた。スチールウールにカメラを向けていることから、やはり落ちた場所に何かがあるのかもしれない。


 八紘もゆっくりと近づいて、様々な角度から糸の塊を眺める。

 黒く細い糸が、蜘蛛の巣のように四方八方に伸びているようだ。一体どこへ、と目を眇めてその先を追っていると、一本が近くのビルの窓に繋がっていることに気付いた。


 ふと顔を上げて、八紘は違和感に首を傾げた。このビルの屋上は、やたら遠くのものまで見える。

 高さが群を抜いているわけではない。どうやら、ビルとビルの隙間や高低差から、偶然遠くの建物まで見えているようだ。

 ビル群に監視されているような気味の悪さを覚えて、そろそろ帰ろうと声をかけるために神足の方へ近づく。


 と、スチールウールの近くまで寄った神足が小さく声を上げた。

「……ん? なんだ、あれ」

「えっ、ちょ、部長さん?」

 

 急に何かに興味を持ったらしい神足が、スチールウールに向かっていく。

 神足の手首から伸びる明るい橙色の糸が、スチールウールと繋がっている部分からみるみる黒味を帯びていった。


 ――あれに引きずられてるんだ!


 スタートダッシュだけは人一倍速い八紘は、一気に距離を詰めて神足の細い腕を掴む。しかしそれを気にも留めず、神足はまるでとりつかれたかのように黒い糸に身をうずめ、手を突っ込んで何かを探り出した。

 途端に、神足が左手で寄り掛かっていたフェンスが奥へと倒れ、体が外へと放り出される。


「部長さん!」


 八紘は咄嗟に神足の腰に腕を回し、後ろに体重をかけて引く。糸が絡んでいないフェンスの支柱を蹴るようにして、なんとか神足を屋上まで引きずり戻した。

 やはりこの黒い糸を切ってしまおうかと、八紘はポケットの糸切り鋏に触れる。

 顔を上げると、だいぶ近くにある塊から出た黒い糸が、遠くのビルへと伸びているのがわかった。


 ――これは、もしかして――。


「ありがとう上桐サン、助かったよ。……ってどうしたの? 顔色悪いけど」


 と、我に返ったらしい神足に声を掛けられ、八紘は険しい表情のまま立ち上がった。


「屋上から出ましょう、部長さん。ここ、見られてるかもしれません」

「見られてる? 誰に?」

「誰かはわからないですけど……多分、ここが見える建物にいる人たちに」


 おそらくこの糸は、先ほど神足が落ちかけた屋上の角を見たい人間たちのもとへ繋がっている。しかも、悪意を持ってこの場所を、フェンスを見たい人間たちのもとへ。

 これほどの数なのだから、一人や二人ではないはずだ。気味が悪い。

 八紘は神足の肘を掴んで立ち上がらせ、屋上の出口へと急いだ。神足はなにやら考え込んでいるようで、大人しくそれに従った。




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