優、ストーカーに告白される
(1)
あたし、告白されてしまいました・・
えーっと。
その。
ストーカーからです。
いやちがう。
これは違います。
ストーカーは忘れてください。
とにかく、私の28回目の誕生日の夜。
私は人生4回目となる告白をされてしまったのです・・
第七話
『優、ストーカーに告白される』
「ねえねえ、聞いてる!隆二くん!
焼酎の甲と乙!
別に間違えたっていいじゃない!
それをさ、やれコンパニオンは学がないとか!
ちょっと間違えただけじゃない!
そもそもヤヤコシイのよ!あれ!。」
ジャズが流れる一枚板のカウンター。
私の隣で焼酎のグラスを揺らす美咲は、私が来た頃にはもうすでに出来上がっていたよです。
何だか今晩は、美咲の虫の居所が悪いです。
ほわんと、甘辛いいい香りがします。
カウンターの内側。
隆二はそんな美咲の話を聞きながら、私達の焼酎に合うようにと、飴色に煮込まれた肉厚の豚バラ肉のブロックと、大根を大きな鉢に盛り付けています。
事の始まりはついさっき。
お宿の仕事の終わりしなに飛び込んできた、美咲からのメールでした。
「優~。
飲みたい気分なの!
付き合って!」
そんな内容です。
高校時代の3年間。
私と最強のコンビを組んで西山荘でアルバイトした美咲とは、今でも大の仲良しです。
ですが、あれから10年が過ぎて、最強のアルバイトコンビも、今では最強の飲み仲間です。
ちょくちょく二人で飲んでいます。
まあ、美咲がこんなメールを送ってくるのはいつもの事です。
恐らくバイトのコンパニオン先のお宿で何かトラブルでもあったのでしょう。
かれこれ十二年も親友やってますし。
こんな時に、お互い愚痴れる相手がいる。
ってのは有り難い事です。
それでもまあ、
「愚痴を聞かされながら今日も飲むのか・・。」
という気持ちも無くも無かったのですが、実は私も近々美咲に聞いてもらいたい悩み事があったのです。
ですから今回のお誘いも二つ返事で乗らせてもらいました。
さて、では私が美咲に聞いてもらいたかった悩み事はなんなのか?
と、言いますと、
実は私。
ストーカーに狙われてるみたいなんです。
今年の春くらいからでしょうか。
なんだか誰かに見られてるような気がしてたんです。
それでも最初は「気のせいかな?」とか思ってたんですよ。
だって、私ですよ、私?
可愛い吉乃ちゃんならいざ知らず。
あまり意識するのも、自分が自意識過剰になっちゃったみたいで嫌な気がしたので、極力気にしない様にしてたんです。
それが、最近、前にも増して頻繁に視線を感じるようになったんです。
通勤途中、コンビニでお茶を買ってVTZに見とれてる時も。
お宿に到着して、ヘルメット脱いでる時も。
お宿の門で、お客様をお出迎えする時や、お見送りする時だって、
じっと、誰かの視線を感じるのです。
さすがにそこまで行くと、いくら鈍感な私だって
「これはストーカーだ!」
って勘付きます。
だから、そういうのに詳しそうな美咲に相談したかったのです。
だって美咲、
「最近妻子持ちのオヤジが付きまとってきてウザい!」
とか良く言ってますから、相当慣れてそうです。
それで、いつもの如く、女二人で隆二のお店。
と、なったのですが・・。
肝心の美咲は頻に焼酎の甲と乙の事を愚痴ってて、なかなか私の話なんて聞いてくれそうにもありません。
それでも、なんとか合間を縫って、ストーカーの相談もしたのですが、
「あ、気のせい。気のせい。」
と、見事に一刀両断されてしまいました。
どうやら、今の美咲には、焼酎の甲と乙の方が大問題のようです。
まあね。
確かに焼酎の甲と乙ってややこしいですもんね。
あれって、字から来るイメージも大きいと思うんです。
だって、イメージ逆じゃありません?
本当は
乙=本格焼酎
甲=安物焼酎
なのに、字は、甲の方がしっかりと四角いじゃないですか?
「かぶと」とも読みますし。
ちゃんとしてるイメージが強いんですよね。
方や乙って、イメージ悪くありません?
ヒョロっとしてて頼りないし、最近じゃ「乙!」とか言って、ふざけた感じがする字なんですもの。
「ねえねえ、隆二くん!
焼酎の甲と乙ってそんなに違う物なの!?」
隣では美咲のそんな声が聞こえます。
隆二は鉄菜箸で、大きな鉢に相変わらず角煮を盛りつけながら、美咲の質問に答えています。
「乙種(本格焼酎)と、甲種(安焼酎)の一番の違いは蒸留の回数なのさ。
乙は基本1回、甲は複数回だ。
多いヤツは何十回も蒸留を重ねる。」
「え?
何回も蒸留する方が、手間がかかって高いんじゃないの!?」
美咲はそんな事を言ってます。
確かに聞いた感じはその通りです。
「『1回しか蒸留しない。』
という事は、裏を返すと
『風味が残る』
という事だ。
方や『複数回蒸留を重ねる。』
という事は、香りも何も飛んでしまう。」
「本格焼酎は、その1回の蒸留で、良い風味を残そうとして、材料や、麹に拘る。
だから高いんだ。
方や複数回蒸留を繰り返すやり方は、そもそも焼酎を作るための方法じゃないんだ。
単に純度の高いエタノールを取るための方法なんだ。
だから風味も何も残こす必要がない。
エタノールさえ取れればいいから、正直、材料なんてアルコールが出来ればなんでもいい。
コストの安い外国産のトウモロコシや麦といった、飼料に使われる物が主流だし、砂糖を取った後のサトウキビってのも良く使われる。」
「ちなみに、焼酎=アルコール度数25%。
というのが定番になっているが、あれは焼酎本来の度数じゃない。
その昔流行った『下町のナポレオン』という言葉があるが、あれが全てを物語っている。
実は、蒸留酒である焼酎は、同じ蒸留酒のウイスキーなんかと同じように40%くらいのアルコール度数がある。
でも、それでは高くなってしまうから、庶民が気軽に飲めるように水で薄めて25%までアルコールを落としてるのさ。
『洋酒に比べて焼酎は、味が薄っぺらくてどうも・・』
なんて声をよく聞くが、あれはそのせいだ。
加水せずに、オーク樽で寝かせた焼酎なんて、もうウイスキーさ。」
隆二はそう言って、盛りつけていた角煮の入った大きな鉢を私達の前に出すと、振り返って後ろの沢山お酒が並んだ棚から、何やら焼酎の一升瓶らしき物を取り出して、トン。とカウンターの上に置きました。
『奄美 黒糖 30%』
と、その一升瓶には書いてあります。
隆二は透明なガラス製のぐい呑を2つ出してくると、ストレートでその焼酎を注ぎました。
「ほいよ。
こいつで角煮を食ってみろ。」
そう言って、私と美咲の前に焼酎の入ったグラスを差し出したのです。
私と美咲は、プルプルとまるでプリンのように揺れる鉢の中の角煮を、
お箸で切って口に運びます。
舌の上に、お砂糖と脂の甘味。
そして香ばしいお醤油の風味が広がります。
噛む必要なんていりません。
軽く舌先に力を入れるだけで、ホロリと脂身が割れ、ほぐれたお肉の繊維の隙間から肉汁が滲みだして来ます。
にんにくや、生姜といった定番の調味料は主張しすぎず、でも、しっかりとお肉の旨味を引き出しています。
驚いたのは、豚の角煮の味の決め手となる八角です。
今まで私の食べた事のある角煮は、いささかこの八角の風味が強い物ばかりで、豚の旨味よりも、ツンとした、まるでハッカのような風味が強い物でした。
だから正直「豚の角煮」とか「トンポウロウ」ってあまり得手ではなかったんですよ。
でも、隆二が作ってくれたこの角煮は、とにかく八角の使い方が絶妙で、とても優しくて、柔らかくて、後味にほんの少し涼風のように香って、脂のしつこさを和らげてくれるんです。
「まるで品のいい香水の使い方みたい。」
私はそんな事を思ってしまいました。
私は隆二の角煮にうっとりとしながらも、左手に持ったガラス製のぐい呑を口に着けて、コクリと傾けました。
その瞬間、誰かが私の頭をトンカチで殴りました。
美味しい。
とか
素敵。
とか、そんな言葉は出てきません。
ただ、まったく意味が分からない驚きが頭の中で弾けています。
ほんとに訳が分かりません。
とにかく凄いんです。
一升瓶には30%なんて書いてあったから、もっとこう、
『カーーーッ!』
っと、口に火がつくのかと思ったら、めちゃくちゃまろやかなんです。
角とかないんです。
これは、隆二の角煮の脂の力もあるのでしょうが、たぶんそれだけではなくて、この焼酎本来がもっているまろやかさなのでしょう。
あんなに脂の乗った豚のバラ肉なのに、少しも口の中でベタベタしません。
それどころか、焼酎と相まって、まろやかで優しい甘さが口いっぱいに広がっています。
私はしばらくの間、舌の上でコロコロと味を堪能していましたが、ちょっともったいないけど、コクリと飲み込みました。
さっきまで、口の中だけで広がっていた旨味と甘味が、今度はフワリと鼻から抜けて行きます。
鼻から抜ける甘い香りは少しキャラメルのようで、私はさらにうっとりとして、瞳を閉じてしまいました。
瞼の裏には青い海と、青い空。
そして大きな入道雲が見えます。
奄美の海です。
目の前いっぱいに広がる海と空。
それを見下ろす丘の上には一軒の古いお家があります。
縁側には二人のお爺ちゃんの背中。
野良仕事の帰りなのか、ランニングシャツに麦わら帽子。
首には手ぬぐいが掛けられています。
汗を拭うお爺ちゃん達の間には焼酎の一升瓶。
そして手には、焼酎が入った湯のみです。
にこやかに二人で海を眺めながら、手にした焼酎を呑んでいます。
「今年は熱くなりそうだ。」
とか話しているんでしょうか。
私は、少し恰幅の良い左側のお爺ちゃんに「豚バラさん」。
右側の細いお爺ちゃんに「黒糖さん」と名づけてしまいました。
「っんまい! 旨いよこのトンポウロウ! 隆二くん!」
酔って叫ぶ美咲の声で、私はやっと我に帰る事ができました。
しかし、酔っているからか、はたまた今だにこいつに未練があるのか?
美咲が褒めたのは隆二の角煮だけでした。
隆二は照れくさそうに、カリカリと鼻の頭を掻いています。
「よせやい。
トンポウロウじゃねぇよ。
ただの豚の角煮だ。」
とか言ってます。
「えー?
嘘だー!?
この前クソオヤジに奢ってもらったトンポウロウより、全然美味しかったよ!」
と、美咲が力説しています。
ちょっと照れていた隆二は、少しだけ真面目な顔になって
「俺は中華料理はちゃんと師匠について修行してないからな。
そんな俺が『トンポウロウ』なんて中華料理の名前使っちゃいけないよ。
ちゃんと修行した人に失礼だ。
ちなみに、今俺が回してるのも、「ピッツア」じゃなくて、「ピザ」な。」
そう言いながら、隣のカウンターからの注文のピザの生地を、器用にクルクルと指先で伸ばしています。
「隆ちゃんは相変わらず職人だねぇ。」
と、笑っているのは、カウンターの端の方で飲んでいる、隆二一派の構成員の美容室のマスターでした。
「この国は四方を海に囲まれていて、なかなか異国文化が入って来ないです。
それをいい事に、どこの国の、どこの工場で、いつの時代に加工されたかも分からない冷凍食品に、ご大層な名前だけ付けて、レンジでチンして食わせる国です。
当の消費する側も、本物なんて分からないから、有難がってそれを食う。
だからせめて、ちゃんと見てきた俺だけはきっちり守りたいんですよ。」
「それにあれです。
『人間のエゴで命を奪われた生き物達が、この世から消えて無くなるる最後の瞬間くらいは、皆から喜ばれる幸せな最後にしてあげなさい。
それが私達料理人の使命です。』
ってのが、師匠の教えなんです。
だから、俺、料理と食材には嘘をつきたくないんです。
そんだけです。」
ばっちい隆二が、カッコつけてそんな事言ってます。
「確かにね・・。
うちらがガキの頃なんて、料理はなんでもそうだった。
母ちゃんが作ってくれた塩加減間違ってるような手料理だって、
感謝しながら食べたもんだ。
あれは旨かった。
いつの間にか、この国はレトルトばかりの国になっちまったなあ。」
美容室のマスターは、ビールのジョッキを片手になんだかシンミリとしています。
「カッコいい!
隆二くん、めっちゃカッコいい!!
私とヨリ戻したくなったらいつでも言ってね!
お台所綺麗にして待ってるから!」
方や美咲は、目をハート型にしてはしゃいでいます。
ええ。
あのバカは、私の元カレであると同時に、美咲の元カレだったりもするのです。
ほんと。
大バカタレです。
ちなみに、私と隆二が文通していた事も、その時私達が付き合っていた事も、美咲は知りませんし、いまさら言う必要もないような気がします。
というか。
私自信、いいかげんその事実は闇にしちゃってもいいのかな?
って思っています。
だって、隆二自体、もうそんな事忘れちゃってるみたいですもん。
私一人が覚えてて、私一人が気にしてるみたいで、バカみたいです。
「どうよ、優?
ストーカーの事なんて、頭からすっ飛んだだろ?」
隆二が、笑っています。
そうでした。
あたし、ストーカーで悩んでるんでした。
余計な事は覚えてるくせに、大切な事忘れちゃってました。
「マズイ事になりそうだったら、その前に・・
長沼さんにでも相談しろや。」
と、隆二は笑っています。
私がコクリと頷くと、隆二は微笑みながら、目の前に置かれた伝票に
「奄美 黒糖 2」
と、正の字をつけました。
お ご り じ ゃ ね ― の か よ こ の や ろ う
「あ、そう言えば優?
優んトコの、あの宴会でお尻触られて泣いちゃったメガネちゃん。
最近コンパニオンの帰りにここらへん通ると、結構遅い時間に繁華街ウロウロしてるよ。大丈夫なの? あんなウブな娘があんな時間に。」
突然美咲が、そんな気になる事を言いました。
私は、その話を聞いて
「まさかあんな大人しい麻子ちゃんが。」
とも思ったのですが、最近の麻子ちゃんの擦り傷や、痣を思い出すと、何か少し嫌な予感がしたのでした。
だけど、そのすぐ直後、そんな噂ばかりの話だと思っていた麻子ちゃんの姿を、私は自分の目で確かめる事になったのです。
酔いつぶれた美咲をタクシー乗り場まで支えてあるく道中。
よっぱらいで溢れる深夜の街角の人混みの中、右へ、左へと揺れる大きな三つ編みが見えたのです。
「え?
麻子ちゃん?」
私がそう思った時にはすでに角を曲がっていましたが、それは確かに見覚えのある三つ編みだったのです。
(2)
さてさて、隆二の豚の角煮のおかげで、最近感じる視線も気にしすぎなのでは?
と思っていた昨日。
そう、私の誕生日。
「人生4回目の告白」
という形で、春先からの視線の主が判明したのでした。
事件は、全てのお仕事が終わった時に起こりました。
翌日の朝食の下準備やセッティングが終わると、私達の一日も終わります。
厨房にある、さっきまで朝食の小鉢を盛り付けていたステンレスの大きな盛り付け台にはお茶菓子が並べられています。
朝の女子会同様、今度は夜のおつかれ女子会が開催されるのが日課となっているのです。
さすがにこの女子会には私も参加しますし、女子ではない板場の松さんや、今日は高校を中退して板場の修行をしている丁稚の二郎くんなんかも参加しています。
そう言えば、二郎くんはまだ年も年なので、いつもなら仕事は9時になると上ってしまうのですが、仕込みの量が多くて居残りでもさせられたのでしょうか?
今日に限って女子会に参加するようです。
始めて体験するちょっとアダルトな時間帯の、アダルトなメンツによる女子会に慣れないのか、二郎くん、ちょっとモジモジとしている様子です。
しきりに私の顔をチラチラ見たり、麻子ちゃんの顔を見てモジモジしています。
年頃の男の子なんですね。
そして、ごくごく普通にお茶菓子が並べられ、湯のみにはお茶が注がれて各自に配られていきました。
私は何気に
『シメシメ、いつもと同じ流れだぞ・・。
誰も私の誕生日に気がついてないぞ。』
と胸をなでおろしていました。
だって。
あれですよ。
28回目の誕生日ですもの。
祝って貰ってる感よりも、晒し者になってる感の方が強くありません?
27の時は感じなかった「ほとんど30歳」というプレッシャーが「28」という数字にはあるのです。
乙女としては、ここはスルーしてもらいたい気分でいっぱいす。
この女子会。
私は極力喋らない。
目立たない。
に徹します。
熱いお茶だって、我慢して音たてずに飲んでます。
願わくば、このまま解散です。
ところが、ふっと吉乃ちゃんが席を立つと、
「るんたった♪」
と鼻歌を歌いながら、厨房の大きな業務用の冷蔵庫に向かって歩き出したのです。
私は心の中で
「やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ。
お願いだから、スルーして、スルーして、スルーして。」
と、念仏の様に唱えます。
だけど、無情にも吉乃ちゃんは、おもむろに冷蔵庫の扉を開けてケーキを取り出してしまいました。
「るんたった♪」
そしてまた、訳の分からない鼻歌を歌いながら、ケーキを持って女子会の席に戻ってきます。
もちろん、吉乃ちゃんが戻ってくる間も
「これは夢だ。 夢だ。 夢だ。」
と、念仏の詠唱です。
「優姉ぇ! お誕生日おめでとぉ~♪」
でも、やはり夢ではありません。
吉乃ちゃんは手に持ったケーキを私の前に置いてしまいました。
皆からは
「おめでと~」
という声と拍手が湧き上がります。
そりゃあね。
吉乃ちゃんが席を立った時には予感してましたし、
ケーキが見えた時点で十分驚きましたよ。
でもね。
ケーキが見えてから、もう何秒も経ってるじないですか。
もう一度驚く顔するってのも、なかなか大変なんですよ。
でもね。
一応ね。
私も大人なのでやりましたよ。
「え?
まさか?
うそ??
ホント!?
あたしにっ!?」
って。
大人って、悲しい生き物なんですね。
次いで板場の松さんが
「ほいよ!」
と言って足元からビールの瓶を盛り付け台の上にドン!と置きました。
基本的に中居のおばちゃん達はお宿の近所の主婦が多いものですから、仕事終わりの一杯は大好きです。
嬉しそうに食器棚から、人数分のビール会社のロゴが印刷されたガラスの1合コップを取り出してきました。
松さんも嬉しそうに、次から次へと瓶ビールを開けて、まずは私、そして吉乃ちゃんにビールを注ぎ、そのあと次々とおばちゃん達のグラスをビールで満たしていきます。
「お前らはこっちな!」
まだ未成年の麻子ちゃんと、丁稚の二郎くんは瓶のオレンジジュースがグラスに注がれます。
吉乃ちゃんは
「最近苦いだけだったビールが、なんだか美味しくなってきちゃったの。
・・どうしよう?」
なんてコップ片手にニコニコしています。
まるで大女将を見てるみたいです。
最近益々似てきました。
梅雨が明ければ西山荘にも忙しい夏がやってきます。
ビールを片手に楽しそうに雑談する従業員達を見ていると、
私の28回目の誕生日も、ある意味、決起集会みたいになってくれて少しは役だったのかな?
なんて思えてきます。
みんな、なんだかありがとうね。
私がしんみりしていると
「優姉、優姉。 実はまだまだあるんだよぉ。」
と、少し悪戯っ子のような顔をした吉乃ちゃんは、飲みかけのグラスをテーブルの上に置いて、盛り付け台の下から可愛らしい箱を取り出しました。
花殻の包装紙とリボンでラッピングされた可愛い箱です。
「おめでと。」
と、吉乃ちゃんは短く言って、私にそれをプレゼントしてくれました。
私がそれを受け取ると
「開けてみて!開けてみて!」
と、楽しそうに急かしてくるので、私はなるべく包装紙を破らないように丁寧にセロテープをはがすと、中からはコーヒーカップの入った箱がでてきました。
コーヒーカップは、やはり包装紙と同じ淡いピンクの花柄でした。
結構上等な物なのでしょう。
受け皿にもカップにも、花柄だけではなくて、金の縁取りや装飾が施されています。
「吉乃ちゃん、これ・・」
と私が尋ねると
「優姉、いつもマグカップでしょ?
たまにはコーヒーカップも使ってね。」
と微笑んでいます。
ほんと、吉乃ちゃん大好きです。
私はついつい嬉しくなって、まだカップが入っている箱を思わず抱きしめてしまいました。
あれ?
私がお礼を言っても、なぜだか吉乃ちゃんは小悪魔のようなほほ笑みをやめません。
ああ。知っている。
私これ知ってます。
吉乃ちゃんがこういう顔する時は、だいたい、まだなにか企んでいる時です。
「まだ、実はあるのよぉ。」
ほら。
案の定です。
吉乃ちゃんは、にこにこしながら肘で隣に座っている麻子ちゃんをツンツンとつついています。
ガタガタッ
物凄い音が厨房に鳴り響きます。
スチール製の椅子が踊っています。
その音と同時に、最初は何やら下を向いてモジモジしていた麻子ちゃんが、おもむろに座っていた椅子から飛び上がりました。
なんだか、「驚いて飛び上がった。」という感じにも見えます。
麻子ちゃんは勢い良く立ち上がったものの、その先は座っていた時と同じで、赤い顔で下を向いてモジモジとして黙っています。
後ろ手に何かを持っているようです。
「あ・・
あの・・
その・・
あの・・
わたし・・
その・・」
一生懸命何かを言おうとするのですが、いっこうに言葉にならない麻子ちゃん。
この娘はいつもそうです。
初めて会った面接の時から、緊張すればするほど人前では話せなくなってしまうのです。
「優ちゃんに何か渡したい物があるんでしょ?
ほら、落ち着きなさい。」
そう声をかけたのは、「研修」がいまだに卒業できなくて、ずっと麻子ちゃんとコンビを組んでいる仲居頭の上村のおばちゃんでした。
俯いたまま麻子ちゃんは、首だけ大きくうなづいています。
再度チャレンジのようです。
「あの・・
その・・
わたし・・
あの・・」
やっぱり言葉は出てきません。
「あの・・
その・・・」
皆は麻子ちゃんが何を言うのか、息を呑んだまま見つめています。
私は、そんな麻子ちゃんを急かしません。
もどかしくなって、
「あ、後ろの私へのプレゼント?ありがと。」
と、言ってしまうのは簡単です。
でも、今から私は何かを貰うのだろうけれど、それよりも、口下手で内向的な麻子ちゃんが、こうやって喋ろうとしている気持ちの方が嬉しいです。
だから、多少もどかしくても、最後まで麻子ちゃんの言葉を聞いてあげなきゃ。
私はそう思って、もじもじと頑張る麻子ちゃんを眺めていました。
キョロリ。
ずっと俯いていた麻子ちゃんが、少し顔を上げました。
目で、テーブルの上を物色しています。
あ。
止まった。
麻子ちゃんの目線は、自分の手元の少し斜め横あたりで止まっています。
何かを見つけたのでしょうか??
私も、麻子ちゃんの視線の先に目をやると、そこにあったのは吉乃ちゃんの飲みかけのビールです。
まさか?
と、思った瞬間
麻子ちゃんはテーブルの上に置いてあった、吉乃ちゃんのコップをおもむろにつかむと、そのままグイっと飲み干してしまいました。
そしてゴクリと大きく息を飲むと
「わ!わたし!!
その!
大好きです!!!!!!
ずっと番頭さんの事、見てました!!」
そう言って、後ろ手に隠していたプレゼントの袋を、力いっぱい私に差し出したのです。
私を始め、全員の目が点になって固まっています。
吉乃ちゃんも、まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのでしょう。
麻子ちゃんの趣旨を前もって理解していて、後押ししてた様子だったのに、
吉乃ちゃんの頭の上には珍しく
「ギョッ!?」
という書き文字が頭の横に飛び出ています。
「あ、あの。
その。
え?
なんと申しますか。
その。
ありがとう。」
今度はまるで、私が麻子ちゃんの喋り方が伝染ってしまったようです。
言葉につまりながらも私は麻子ちゃんにお礼を告げると、差し出していた包を受け取りました。
若草色の紙袋。
これも初々しい麻子ちゃんによく似合う色です。
袋を開けると、中にはバイク用のレーシンググローブが入っていました。
普段私がしているグローブは、茶色いバックスキンのシンプルなデザインなのですが、麻子ちゃんが私にプレゼントしてくれたのは黒い革製で、拳の所と、指の関節の部分にカーボン製のプロテクターが付いる、かなり本格的なグローブでした。
手の平の部分を見ても、何箇所かカーボンのプロテクターがついています。
一見無骨なグローブですが、黒の単色ではなくて、所々にワンポイントの赤い皮が使われていて、ちょっとお洒落な感じもします。
「あ、ありがとう。」
私はグローブを見つめていた目を上げて、麻子ちゃんに微笑みました。
だけど、さっきまでそこに居たはずの麻子ちゃんの姿がありません。
「あれ?
麻子ちゃん?」
私がそう口にするのが先か、音が先か。
とにかく、物凄く大きな音が、厨房に響き渡りました。
厨房の床も揺れます。
私が慌てて駆け寄ると、ぐるぐると目を回した麻子ちゃんが、床に倒れています。
こうして私の28回目の誕生日は幕を下し、それと同時に、この春先からずっと気になっていたストーカーの正体も「麻子ちゃんの愛の告白」という形で判明したのでした。
だけど、新しい心配も生まれました。
ぐるぐると、まるで蚊取り線香のような目をして倒れる麻子ちゃんの、はだけた着物の隙間から見える白い肌には、やっぱり痣や、痛々しい傷が見えたのです。