表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょっと大人な私達の日常  作者: にしやま そう
はじめまして! 優です!
3/46

トンテンカンとツバメは囀(さえず)る  ~ 朝寝坊 ~




ガヤガヤ



・・なんだがお外が賑わしいです。



ガヤガヤ



・・私はさながらコアラのようにギュっとお布団にしがみつくと、ゴロリと右に寝返りをうちました。



ガヤガヤ


・・今度は左に寝返りをうちます。


ゴロリ。



まだほんのりと昨夜のお酒の残っているのか、それともすっかり春めいた陽気でホンワリと気持ちがいいからなのか、とにかくホクホクと気持ちが良くて自分が起きているのかはたまたこれはまだ夢の途中なのか、すぐには区別がつきません。



トンテンカン

ガヤガヤ



・・窓の外が賑やかです。

  きっとツバメさんですね。


一昨日、お宿の宿直番が終わって帰宅すると、玄関の真上にある私の部屋の軒先にツバメが巣を作っているのに気が付きました。


春が来たんだなー。

って感じです。



巣の中の卵が孵って小さなヒナ達が騒いでいるのでしょう。

お父さん、お母さんはどこも大変なんですね。



なんだかこの賑わしさも微笑ましいです。



ごろり。



このまま瞳を閉じていたら、そのまま二度寝ができちゃうかしら・・


なんて思ったりもするのですが、この温かい陽気の中ぼやけた頭でゴロゴロするのがあまりにも気持ちが良くて、このままも一度寝てしまうのも、はたまた起きてしまうのも何だか勿体無い気がして私はこの「寝てる」と「起きてる」の中間をふわふわと堪能する事に決めました。



トンテンカン



・・昨夜のお酒も美味しかったなあ。



ゴロゴロしながら思わず顔がほころびます。



最初に浮かんだのは白木のカウンターで私の隣に座るぬまさんの横顔。


細身でスラリと背が高くて、目もやっぱり糸みたいに細くて、ちょっとタレてる沼さんの優しい横顔。



私達の前にはネタケース。

色んなお魚のサクが並んでいます。


切ったのが並んでるのではないですよ。

注文が入ってから親方がちゃんと一枚一枚切って握ってくれるのです。

もちろん回ってなんかいませんよ。


親方もニコニコ笑っています。


沼さんは、ヒョイっと指先でお寿司をつまんでひっくり返します。


そして、ちょんと一回ネタ・裏っ返したお寿司のお魚の部分に醤油をつけて、

ぽいっとお口に放り込みます。



これです。

これ。

鮮やかです。


見ていてシビレちゃうんです。


ザッツ沼さんです。



沼さんの食べ方は物凄くお上品。

というわけではありません。


どちらかと言うと、割りと大胆に食べるほうです。


でも、お寿司を指先でヒョイと掴む瞬間から、お口の中に消えて行くまでの流れはまるで清流。

一点の澱みもなく、まるでサラサラと流れるように清々しくお口にお寿司が消えて行きます。


日本舞踊の達人みたい・・

とまでは言いませんが、本当に清々しくて小粋に物を食べる人なんです。




私はこんな沼さんが色々大好きです。


色々って言うのは、本当に色々です。


先輩としても凄く尊敬してますし。

人としても凄く出来た人です。

優しくて、思いやりがあって、いつも私を導いてくれる。

そんな理想のお兄ちゃんみたいな人です。


男性として・・

という部分はよく分かりません。


こんな凄い人をそういう目で見るのって、私ごときが何だかおこがましくて

想像すらしたことないからです。


嘘です。

ほんとはちょっとだけ。

仕事場だけではなくていつも隣にこんな素敵な人が立っててくれたら・・

そう思う事は多々ありますよ。

私だって女の子ですもの。



そんな事考えてまた一段とニヤけた私はベッドの上をさらにゴロゴロ転がります。


沼さん。

いえ、長沼崇ながぬまたかしさんは、版画の宿 西山荘で働く古株の営業マンです。


「一年の大半」とまでは言わないものの、まあ大体が旅の空の人です。

それでもお宿に戻って来てくれた時は私と同じく番頭業に勤しんでくれる大先輩です。


うちの街始まって以来の大不良だったとか。

喧嘩を売った大番頭にコテンパンに負けて弟子入りした。


なんて妙な噂も聞きますが。

とても物腰が柔らかくて、言葉使いも丁寧。

そして何より、いつもにこにこしているお兄さんです。


愛ちゃんていう、来年高校生になる娘さんがいます。


奥さんは・・

いません。


愛ちゃんを産んで間もなく亡くなってしまったそうです。



年は私とちょうど一回り。

12歳違ったはずだから・・。


あら。

やだ。


沼さんも今年で40歳じゃない。




初めて沼さんとお話した時、私は確か16歳だったから。

沼さんも20代の頃でした。


はあ・・。


あれからお互いちっとも変わってない気がするのに、時間だけは残酷にも通り過ぎて行ってしまう物なんですね。




トンテンカン



沼さんと初めて話したのは・・。


あら。

やだ。

あの日だわ・・



「宙を舞った思い出」の日。



沼さんは私が習字塾に通いだした小学生の頃にはもう、大番頭に弟子入りして西山荘で働いていたそうでした。

目立つヒョロリと背の高い方でしたし、確かに何度かお宿の中で見かける事はありました。


でも、直接話しをしたのはあの晩が初めてだったと思います。



あの夜16歳の私はお宿の勝手口で膝を抱えて泣いていました。


悲しいやら

恥ずかしいやら

情けないやら


座り込んで黒いレースのアダルトパンティを両手で広げている姿を、よりにもよって中学の卒業式に私に告白してきた倉田隆二に見られてしまったのです。


倉田隆二とは小学校からの同級生で、中学も一緒でした。

高校は別になってしまったのですが、彼のお父さんがこのお宿の大番頭さんだったので高校が別になってもバイトで顔を合わすのです。


背中側。

勝手口の奥からは賑やかな声が聞こえます。


たぶん一日の仕事が終わった皆が盛り付け台にお菓子とお茶を並べて

「お疲れさん会」

の真っ最中なのでしょう。


もちろん普段は私もお父さんが迎えに来るまでの間その会に参加するのですが、


だめ。

今日はあたし混じれない。



だって、倉田隆二まだいるもん。


さっきの倉田隆二の顔を思い出したらまたため息が出てしまいました。


そんな感じで、薄暗い中膝を抱えて泣いていると、別棟へと続く石段をヒョコタンヨコタンと降りてくる影が見えました。


それはぬいぐるみを抱えた、当時まだ小学生の吉乃よしのちゃんでした。


毎晩この時間になると自宅のある別棟から厨房にやって来るのは吉乃ちゃんの日課です。



「優ねえちゃん、どうしたの?」



案の定、勝手口に座る私はあっけなく吉乃ちゃんに見つかってしまいました。



「ううん。 

 なんでもない・・

 なんでもないんだよ。 

 吉乃ちゃん!」


めいいっぱい微笑んで、私を見下ろす小さな吉乃ちゃんに微笑んだつもりではいたのですが、顔も目もまだまだ真っ赤だし、瞳には涙の粒が浮いたまんまだし、

何かがあった事なんて小さい吉乃ちゃんにもすぐにバレてしまったようです。



「優ねえちゃん、これかしてあげるからもう泣かないでね。」



そう言って吉乃ちゃんは、抱えていたお気に入りのぬいぐるみを私に貸してくれたのでした。

そしてそのままパタパタパタと、吉乃ちゃんはお勝手口の向こうに消えて行きました。



しばらくの間吉乃ちゃんが貸してくれたぬいぐるみに顔をうずめていると、次に現れたのが沼さんでした。



「尾折さん、旨い中華そばでも食べに行きませんか?」



そんな声で顔を上げると、そこにはいつもお宿で見るヒョロリと背の高いお兄さんの細くて優しいタレ目がありました。

あまりに細いその目がまるで糸みたいになって微笑んでいます。



その沼さんの笑顔があまりにも暖かくて、私は考えるよりも前に


こくり。


と頷いてしまっていました。




私は西山荘から麓の繁華街へと降りていく細い坂道を、真夏なのにスーツに帽子といったまるで昔のスパイ映画にでてくる主人公のような沼さんの背中を追って歩きました。


腕にはもちろん吉乃ちゃんのぬいぐるみです。



沼さんが連れて行ってくれたのは坂を降りて繁華街の入り口のあたり。

町の中心から見たら、繁華街の外れにある一軒の中華そば屋さんでした。


いったいいつの時代からあるのだろう?


と、いった雰囲気のそのお店はお世辞にも綺麗とは言いがたく、それどころか常連さんでもなければちょっと入るのに勇気がいりそうな店構えでした。



沼さんは何の躊躇もなく、ひょいと暖簾をくぐるとお店の引き戸を開けました。

私もそれに続きます。


引き戸の先のお店は思った以上に小さくて、カウンターの向こうには湯けむり。

そしてその湯けむりの先にはお爺ちゃんが一人立っていました。


沼さんは手慣れた感じで中華そばを2つ注文してくれました。



ああ。

そうだ。


この日初めて私は沼さんの食べっぷりに惚れ惚れしたのでした。



出された中華そばを沼さんは気持ちいいくらい清々しくすすります。


ズルズルと、小さなお店に良い音が響いています。


豪快な音がしているのに、食べている沼さんの姿はちっとも下品じゃありません。

なんとも清々しくて美味しそうです。

思わず私がその姿に見とれていると


「伸びちゃいますよ。」


と沼さんは、細いタレ目をさらに細くして微笑みます。



私は慌てて割り箸を手に取ると、

パキ

っと割って丼の中の麺をすくいました。

そしてちょっとだけ沼さんの真似をして、ズズと音を立てて麺をすすってみたのです。



口いっぱいに澄んだスープのまろやかさが広がり、

噛むごとに軽い弾力の縮れた細麺の弾力が口の中で弾けました。


それがあまりに美味しかったので、私は夢中で二口目を口に運びました。


沼さんはニコニコしながらそんな私の食べっぷりをみています。



そして3口目をすくおうとした時に、私はある事を思い出して箸を止めてしまいました。


「どうかしましたか?」


沼さんも、お店のお爺ちゃんも、なんだか不思議そうに私を見ています。

私はとんでもない失敗をしでかしてしまったと思い、物凄く気まずい顔で



「あたし・・

 スープ飲む前に麺を食べちゃいました・・。」



と答えました。

これには正直勇気がいりました。

だってラーメン屋のおじいちゃん、とっても頑固そうで怖い顔してるんですもの。



私が思い出したのは、前に見たテレビのラーメン特集でした。

テレビによると


「ラーメンは麺より先にスープを飲むのが礼儀。」


なのだそうです。


なのに私はそんな礼儀を忘れて麺から先に食べちゃいました。

「怒られちゃう・・」

「怒られちゃう・・」

私がそれに気付いて青い顔で固まっていると、隣からもカウンターの中からも大きな笑い声が響きました。


「中華そばは大衆の食べ物です。

 礼儀や作法にこだわらなくていいのがウリの食べ物ですよ。

 自分が一番美味しく食べれる方法で美味しく食べる。

 それでいいんです。

 唯一礼儀があるのだとしたら

 自分のためにまごころ込めて作ってもらったものですから

 感謝して美味しそうに食べる事くらいですよ。」



そう言って沼さんは笑っています。



カウンターの中のお爺ちゃんも


「おうよ!お嬢ちゃん。

 うんちくタレながらチマチマ食われるより

 お嬢ちゃんみたいに旨そうに一気に食べてくれるお客さんが

 おっちゃんは大好きさ。」


と、腕を抱えて笑っています。


怒られないで、逆に褒められちゃいました。

安心したのか体中の力が抜けてしまいました。

私は大きく頷いて、最後の一滴まで残さないように一気に中華そばを食べました。






いい思い出です。


まあ、切っ掛けはホロ苦い思い出なのでけどね・・





トンテンカン

ガヤガヤ

トンテンカン




それからと言うもの、私が落ち込んで居る時沼さんは理由も聞きませんし、アドバイスもしてくれませんが必ず私を食べに誘ってくれるのです。


時にそれはラーメンだったり、お寿司だったり、お蕎麦だったり。



そしていつも、その清々しいくらいに気持よく食べる沼さんの姿を見て私は勝手に救われて、そして勝手に立ち直って行くのです。


それは今でも変わりません。


昨夜もそうでした。

昨夜も私は項垂れていました。



昨日は宴会場で、地元の工務店の新人歓迎会があったのです。

普段はいい社長さんでお宿にも良くしてくれるんですけど、お酒が入るとね・・。


昨日は酔って気分がよくなってしまった社長さん。

よりにもよって、配膳係で宴会に出ていた新人の麻子まこちゃんのお尻を撫でてしまったのです。


広い宴会場に響き渡る麻子ちゃんの泣き声。

本当に漫画のような泣き方でした。


あれ程賑やかだった宴会なのに、今では麻子ちゃんの泣き声以外聞こえません。


皆さん呆気に取られて沈黙です。



まあ、その場は何とかコンパニオンで呼ばれていた美咲が場を丸く収めてくれました。


昔はあんなにオドオドと可憐に乙女だった美咲も、今では昼は保険の代行業、夜は百戦錬磨の宴会コンパニオンの二足のわらじを履くシングルマザーです。


うん。

母は強し。

です。




トンテンカン

ガヤガヤ

トンテンカン

コトシハアツクナリソウッスネ



・・右へごろり。


・・左へごろり。



・・今日はツバメのさえずりも一段と賑やかなようです。



そう言えば、昨夜お寿司屋さんで、沼さん何やら大事な事言ってたような気がします。


なんだったかしら。



大吟醸は旨いが、味が淡い分お料理に負けてしまう。

純米は味が濃いから、今度はタンパクなお料理はお酒に負けてしまう。

意外と安価な本醸造の方がお料理との相性が良い物だったりするのですよ。



だったかしら?



うん。

違う。




トンテンカン

ガヤガヤ

トンテンカン

ユウハキョウハオヤスミデスカ


ウン、アサカラオヘヤデネテイルヨ



ん?

これ、ツバメじゃない??

あたしの名前を呼んだような気がするぞ。




トンテンカン

トンテンカン


アツイノハイイノデスケドネ


ガヤガヤ



ちょっとまて。

これは人間だ。

ツバメでも小鳥でもないぞ。

私の部屋の窓の外。

玄関の前あたりがえらく騒がしい。


どうやら私の噂をしているようだ。

名前を呼ばれて一気に目が覚めました。




トンテンカン

ガヤガヤ

トンテンカン


ヒデリハコマリマスヨネ




日照りは、困りますよね?

・・だと?



ぴくり。


何だかあまり聞きたくも、言われたくもない単語が耳に入ってきて思わずぴくりと体が反応してしまいます。



べ、べつに私が日照ってたって、

なんであなた達が困るのよ。

あたしだって困っているわよ十分に!



私は思い切り窓を開け、玄関先でたむろして私の悪口を言う連中を思いっきり睨みつけると、大きな声で叫んでやりました。




「男日照りでどこが悪い!

 適齢期過ぎて彼氏が居なくて何が悪いんじゃ!

 ぼけえ!!」






麗らかな小春日和のお昼前。


真っ赤な顔で2階の窓から叫ぶ寝癖いっぱいの私。



「よ、よう。

 おはよう優。

 今日はえらく斬新な髪型だな・・

 なにそれ?

 ・・ミラノコレクション??」




そして、とっても気まずそうな顔をする倉田隆二がそこにいました。





あら。

やだ。

またこのパターン?



そしてそんな私達を見て沢山のおじさん達が大きな声で笑っていました。

開け離れた窓からは私の頬を撫でるように春の麗らかな風が吹き込んでいます。

目の前には広がる雄大な日本アルプスが広がっていました。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ