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ちょっと大人な私達の日常  作者: にしやま そう
はじめまして! 優です!
2/46

宙を舞った思い出 ~お宿って大変なんです!~




遠い日の思い出



あれは高校一年の夏



しゃがみ込む私



見上げるように振り返った先には黙りこむあいつ



真っ赤な頬



耳まで真っ赤



黙って、見下ろすように私の事を見てる



私も真っ赤



鏡なんてなくても分かる



今にも顔が燃えてしまいそう




何か話しかけなきゃ

って思うんだけど、上手に言葉にならなくて



言葉もないまま見つめ合う私達



流れる沈黙



広げた私の手の中にあるのは、夢?



ううん

違うの

夢じゃないの









黒くて紫色のフリルがいっぱいついた、めっちゃスケスケのパンティ

しかもすんごくアダルトなヤツ・・






私は勇気を振り絞ってあいつにこう言うの









「こ、これ、あたしんじゃないからね・・・。」












『ちょっと大人な私達の日常』


第一話


「 宙を舞った思い出 」

 ~ お宿って大変なんです ~





昼間が随分と長くなりました。


つい数日前まではこの時間になるとお外はすっかり暗くなっていたのに、今は夕焼け空が広がっています。



街ではまだ傷ひとつない、大きくてピカピカと光るランドセルを鳴らして走る子供達の姿が目につくようになりました。


カタカタカタカタ、まるでマラカスのようです。




そんな頃になって、ようやく私達の街では桜の蕾が色づき始めます。


そうです。

長い雪国の冬が終わって、私が働く温泉旅館の「版画の宿 西山荘」にも少し遅い春がやって来たのです。


ほんの数週間前まではそこらかしこが雪に囲まれてゆったりと流れていたお宿の空気も、春の訪れと共に慌ただしさを増してきました。



あ、ごめんなさい!

はじめまして!

優です!


花も恥じらう(あ、これ死語ですか?)27歳!

訳あって老舗温泉旅館「版画の宿 西山荘」で番頭をやってます。


女なのに番頭やってるの?

ですって?


ほんとにそうですよ!

毎日ペコペコとお客様に頭を下げたり、重い荷物を持って走り回ってます!

あ、でもね。

私これ天職だと思ってます!

西山荘大好きです!


これからお話するのは、こんな私が経験する

笑いあり、涙あり、バイクありにグルメあり。

そんな日常の1コマです。


拙い一人喋りではありますが、どうか最後までお付き合いいただけたら幸せに思います。





さてさて、夕暮れも深まってチェックインのお客様の勢いも落ち着くと、そろそろご夕食の時間が近づきます。


私は予約台帳に目を通し、ひと通りのお客様のチェックインが終了したのを確認すると、フロントの脇から二階の客室へと登る階段を何気に眺めていました。



板張りの階段の上に敷き詰められた赤い絨毯の上を、スタスタスタと早足で歩く中居頭の上村のおばちゃんの姿が見えます。



そしてそのすぐ後をまだ少し着物に慣れていない様子の新人の麻子マコちゃんが続きます。


両手いっぱいに夕食の御膳おぜんを抱えて、パタパタパタと必死に追いかけてます。


慌ただしい麻子ちゃんの足取りに合わせて、二つに結んだ大きなおさげ髪もピョンピョンと右へ左へ踊ります。



麻子ちゃんがあまりにパタパタ走るので、汗で滑った眼鏡はすっかり斜めにズレてしまってます。 


そんな危なげな状態なのに、麻子ちゃんはお料理がいっぱい入った重い脇取りに両手を取られて眼鏡を直そうにも直せなくて困っているようです。

そんな麻子ちゃんは上村のおばちゃんの後を曲がった眼鏡のまま必死に追いかけて行きます。




本来なら中居さんと一緒に各部屋を回るのはハッピを着た私のような番頭や、アルバイトの役割で、中居さん同士がペアを組む事なんてありません。


でも、つい先日入社したばかりでまだまだ中居見習いの麻子ちゃんは、『教育』という名目で仲居頭の上村のおばちゃんと一緒に各お部屋を回っています。



初々しいです。


春ですね。




時折麻子ちゃんが首を振って眼鏡の位置を戻そうとしているのですが、そんな麻子ちゃんの思惑とは裏腹に首を振る度に眼鏡は右へ左へ。

首を振れば振るほど思いも寄らない方向にズレちゃうようです。


見ているこっちももどかしくなっちゃいます。

さすがにあれでは真っ直ぐ前も見えないでしょ。


あまりの危なっかしさに私はフロントから飛び出るつもりでいたんですが、

2階に登り切ってすぐにあるパントリーから姿を現した若女将の吉乃よしのちゃんが、そんな麻子ちゃんを見つけて呼び止めています。



吉乃ちゃんは春らしい桜柄の淡いピンクの着物の袖口から、やはり淡いピンクのハンカチを取り出してニコニコしながら麻子ちゃんの汗を拭ってあげてます。


なんだか良いですね、こういうの。


そんな微笑ましい姿が可憐な吉乃ちゃんにはピッタリで、フロントのカウンターの中の私の顔までほころんでしまいます。



春ですね。

私の頭の中も。


吉乃ちゃん大好きです。




温泉旅館のお食事時。

この時間帯の女将の吉乃ちゃんのお仕事はお部屋回りです。

客室から客室へと渡り歩いてお客様に挨拶をします。

もちろん忙しい時には中居さんと同じように番頭やアルバイトを引き連れて各部屋のお食事を出して回るのですが、普段はわりと別働隊として動いたりします。



女将はお宿の華ですから。



今しがたパントリーから姿を現した吉乃ちゃんも、前のお部屋の挨拶が終わって今度は次のお部屋に行く途中だったのでしょう。



麻子ちゃんの汗を拭ってあげて眼鏡を真っ直ぐかけ直してあげた吉乃ちゃんは、二言三言、優しく声をかけているようです。


あ。

吉乃ちゃんがフロントから愛でるように見上げている私の視線に気付いたようです。


私に向かって小さなガッツポーズを作ると、これまた小さなウインクを1つして軽く手を振りながら廊下の奥へ消えて行きました。




いつもはお淑やかで、きっちりと女将を演じる吉乃ちゃん。

そんな吉乃ちゃんだけど、私にだけ歳相応な女の子の顔を見せてくれます。

今のそんな仕草がそれです。


赤ちゃんの頃から知ってる吉乃ちゃん。

私の大事な妹みたいな女の子です。





「ほら番頭さん! 

 佐藤さんが松の間の料理が上がって来ないって内線きたよ! 

 若女将に見とれてないで、早くお料理上げとくれ!」




え?


あら。

やだ。



あたしそんなに見とれてました!?





私は慌ててフロントから奥に繋がる暖簾をくぐると、料理が一杯に詰まった脇取りを抱えて一目散に走り出しました。





さてさてここからの時間帯、温泉旅館は戦争です。


「◯◯の間、お食事始まるよ!」


そんな軍隊の号令じみた声が厨房から響くと、中居さんとアシスタントは沢山のお料理が詰まった脇取りという二段重ねの重くて大きな木製の箱を持って客室を周りはじめます。



昔は予め全てのお料理がこの脇取りに収められていたそうです。

そして、お食事の時間になると一式まとめてお部屋の前に積んでおくのがアシスタントの仕事でした。

後は中居さんが各部屋を回って配膳してくれる。

というシステムだったのだそうです。


だけどそれでは大半のお料理が冷めてしまうので先代の女将が


「焼き物は焼きたてを」

「揚げ物は揚げたてを」

「お蕎麦は茹でたてを」


と言った具合に、出来たてをお客様に提供するスタイルを徹底したのです。

大女将、本当に優しい方でしたから少しでもお客さんに喜んで貰いたかったんでしょうね。


でも、ただでさえお料理の詰まった脇取りは重いのに、さらに追加料理でお部屋と厨房を行き来するハメになった私達アシスタントの運動量は殺人的な物になってしまったんですけどね・・。






そんなこんなで今日も私は走り回ってます!

もう重い御膳もなんのそのですよ!

これはこれで充実感あるのですが、こうやって走り回っているとついついあのほろ苦くて、思い出すと耳まで真っ赤になる「宙を舞った思い出」の事を思い出してしまいます。



今でこそこの温泉旅館「版画の宿 西山荘せいざんそう」に番頭としてお世話になっている私なのですが、実は高校時代の三年間はアルバイトとして汗水を流しておりました。


もっと言うと、元々は先代の女将が宿の傍らにやっていた習字塾に通っていた可愛らしい少女だったのですが、あまりにこのお宿の居心地が良くて気がつけばアルバイトを始め、そして今では女だてらに番頭にまでなってしまいました。




これは高校1年生の夏も近づいた頃のお話です。


その日も今日と同じ大入りでした。

私は相方の美咲みさきと一緒に両手いっぱいにお料理を抱えて部屋から部屋へと、さながら大運動会のように駈けずりまわっておりました。


美咲は高校に上がって知り合った私の親友で、私達の街から少し離れた郡部の出身でした。

当時は女の子の私の目から見ても少しだけオドオドとした感じの性格の子でしたが、この戦乱吹き荒れるお宿の修羅場を私とコンビを組んで3年間やりぬいた強者でもあります。


私の通う高校は原則としてアルバイトは禁止されていました。

でも、そこら辺は高校生です。

皆お小遣いも欲しいですし、アルバイトとか興味ありますよね?

私の場合は子供の頃からの持ち上がりでアルバイトを始めたのですが、私がお宿で働いているのを知った同級生達はこぞって

「私も!」

「私も!!」

と、このお宿でのバイトを希望したもんです。


バイト禁止の高校生にとって、温泉宿でのアルバイトってのは凄くメリットが多いんですよ。

だって、ほら、お仕事はお宿の中だけで外には出ないでしょ?

お客さんも旅行の方ばかりで、地元の人の目には付かないからバレないんですよ。


あ、あと、週末とかはまかないとかも食べれました!

板長の松さんが作ってくれるんですけどね、これがまた美味しいんですよ!

普段は怖い顔したおじちゃんなのに、器用に色んな料理を作ってくれるんです。

これが私の友達の間では凄く評判が良くて、


「美味しいです! 板長さん!」


って女の子に言われる度に怖いはずの松さんの顔がほころぶんです!

あ、だからか!?

だから松さん色んな料理のレパートリーを持ってたんだ!



と、まあ、こんな感じで私達の間ではかなり好条件なアルバイト先ではあったのですが、実は長続きした子はあまり数多くはいませんでした。

問題はやはりあの殺人的に重い「脇取わきとり」と呼ばれる夕食の御膳と、エレベーターの無い築100年のお宿でのエンドレスとも思える階段での板場と客室の往復でした。


1ヶ月保てば良い方で、早い子になると


「足が太くなる・・」

「腕が太くなる・・」


と言って2日もしないうちに辞めてしまいました。

それは初めのうち、私にとってはかなりショックな出来事でした。


いや、辞めた事じゃないですよ・・

バイトしたい子は沢山いましたから。


そっちじゃなくて、「足や腕が太くなる・・」って方です。


私は子供の頃からよく男の子に間違われてしまう事が多かったのですが、

その言葉を聞くまでは


「私だって女の子なのにどうして男の子と間違われるんだろう・・」


なんて思って落ち込んだりもしたんですけどね、やっぱり根本的に「ちゃんとした女の子」とは考え方が違ったみたいです。

だって私、腕や足が太くなるとか考えた事すらなくて、

むしろ充実感覚えてましたもん、その頃・・。


まあ、昔からあまり食べても太らない方でしたし、どっちかというとガリの部類に入っていたので子供の頃からわりと体型には無頓着なダメ女子高校生だったんですよね・・。


「なるほど・・

 年頃の女子高生たるもの、本当ならそういう部分を気にしないとダメなのね・・」


なんて目から鱗が飛び出たような感覚も覚えたには覚えたのですが、

あの頃の私には「異性の目を気にする」 というのはまだまだ早いような気がして色付いていく友達達がまるで違う世界の住人のように見えていたのもやっぱり事実でした。


まあ、振り返ってみると、すでに私は16歳にして恋愛ベタだったんでしょうね・・

そういうところはお恥ずかしながら今でも変わりません。


さてさて、そんな激務なお宿でのお仕事に当時クラスの中でも1番「女の子」だったはずの美咲が音も上げずに耐えぬいたのには驚きでした。




「優ちゃん・・

 やっと最後の部屋だね・・」


私と比べて幾分体力の落ちる美咲は肩で息をしながら私にそう言います。


その日もお宿は大入りで、私達アルバイトは夕食が始まってからと言うもの水も飲めない、トイレにも行けない という状況の中で


「◯◯の間、夕食始まるよ!

 バイトちゃん御膳頼むね!」


「◯◯の間、夕食終わったよ!

 全部片付けてお布団敷いてきてね!」


と声を掛けられる度にお宿中を所狭しと駆けずり回っていました。


もちろん美咲だけでは無くて私だってヘトヘトでしたが、私まで弱音を吐いちゃダメな気がしたので


「美咲!

 あと一部屋だよ!

 頑張って終わらせちゃお!」


と、ガッツポーズを作りました。





トントン



さてさて、私と美咲は肩で息をきらしつつも最後のお部屋をノックします。



だけど返事がありません。




もう一度。


トントン


やはり返事がありません。

困りました。

このお部屋が終わらないと仕事も終わりません。



「優ちゃん・・

 お客さんお風呂行ったんじゃないかなぁ・・」


弱々しい声で美咲がそう言います。

それはそれで面倒くさい事態です。

だってこのお部屋3階なんですもの。


お風呂に行ってて施錠してあるとなると、フロントに戻って大番頭に部屋のマスターキーを借りないとダメなんです。

フロントでは前もって、お布団を敷く際にお部屋に入る許可はいただく事になっているので鍵を開ける事は問題ないんですけど、このヘロヘロの状態で3階と1階のフロントを階段で往復するって事がもうね・・


『ダメ・・

 優ちゃん・・

 私絶対にダメ・・

 1階まで往復とか本当にムリだから・・』


美咲を見ると、瞳を潤ませながら無言でそう主張しています・・


私だよね・・

どう考えても私だよね・・

そう思いながらも試しにドアノブに手をかけると、ガチャリと音を立てて回ります。



『あれれ?』



施錠してありません。

私達は目を見合わせました。



これはお風呂じゃないかも知れません。

お風呂にでも行ったのであれば鍵がかかっていてもいいはずですが、ノックをしても返事はないし、鍵は開いてるし。



ひょっとしたら、この部屋にたどり着くまでにバタバタとかなりの時間がかかってしまいました。

あまりに布団を敷にくるのが遅いので、お客様が不機嫌になってしまったのでしょうか?

そんな想像が頭を過ります。



少し怖い気もしましたが、兎にも角にもこの部屋の布団を敷かないと仕事が終わりません。



私と美咲は意を決してお部屋の扉を開ける事にしました。





「・・失礼いたしますぅ・・」




おっかなびっくり、扉を開けて中をのぞき込むと、そこには館内用のスリッパが2つ並べてありました。


またも返事はありませんが、どうやらスリッパを見る限りお客様はお部屋にいるみたいです。



私と美咲はビクビクしながらも、中に入ります。


扉を開けてすぐ右手は浴室です。

今は静かで暗いです。

誰もいません。


浴室の脱衣所を通過するとその先には襖があります。

そこが客室です。




私と美咲は襖の前に並んで正座すると、中からテレビの音が聞こえます。

やっぱりお部屋にみえるじゃないですか。



「お布団を敷きにまいりました。」


と、私達は声を合わせます。


・・・・・


だけどやっぱり返事はありません。




「優ちゃん・・

 やっぱり相当怒ってるよ・・

 どうしよう・・」


美咲は私の耳元で、怯えたように小声でそう言います。


もちろん私も少し怖かったのですが、とにかく今は布団を敷くのが最優先事項です。

怒られる覚悟を決めて、するするするっと少しずつ襖を開けて部屋を覗き込みます。





こっちに背を向けるように座椅子を並べてテレビを見ている背中が二つ見えます。

入り口からは一番遠い場所です。


なんだ、いるじゃないですか。



「・・・遅くなってしまい申し訳ありません・・」


恐る恐る謝ってみたのですが、やはり返事がありません。

こちらに背を向けた2つの背中は無言で無関心のままです。 



これ、相当怒ってみえるみたいです。



ふるふるふる


横では美咲が青い顔で首を小刻みに震わせています。


私は大きく息を吸って立ち上がり、美咲の手を引いて部屋に入りました。

そしてもう一度、


「お布団を敷かせていただきます。」


と、無言の背中にそう告げると、美咲の手を引きつつ押入れの襖を開けました。


押入れの中にはお客様用の寝具が並んでいます。


私と美咲は各々が1つづつ厚いマットレスを押入れからひっぱり出して、お部屋の中央に並べました。



さっきまでオドオドしていた美咲も、今は私と同じ事を考えたようで、

『ここは淡々と布団を敷いてしまうのが吉』

とばかりにいつも通りにテキパキと作業をしています。



私達はマットレスに続いて敷布団を押入れから取り出すと、先ほど敷いたマットレスの上に重ねました。


ここからは各々1つではなくて、二人で1つのお布団を仕上げて行きます。

まずはシーツ掛けです。



お布団の頭側に私が移動して、押入れに近い足側を美咲が担当します。


美咲はくるりと私に背を向けて押入れの中からシーツを取り出すと、ぱたっと私の目の前に放りました。

小さく折りたたまれたシーツは真っ白で、キッチリとのり付けがされています。


私と美咲は二人でシーツの四隅を探します。

そして私が頭側の隅を、美咲が足側の隅を手に取ると、スルスルと広げていきます。

七割程両手でシーツを広げたあたりで、向かい合った私達はコクリと互いに頷くと、次の瞬間


パン!


と景気の良い音を立てて残りの3割を一気に広げます。

こうする事によって糊付けされたシーツの折り目が柔らかくなるのです。


私はこの瞬間が大好きです。

パンという音とともに、洗いたてのシーツの香りが鼻の奥をくすぐって、何とも清々しい気持ちになります。



無論、ご機嫌斜めなお客さんの手前ですし少し躊躇もしましたが、やっぱりこの快感は忘れられずこの時ばかりはきっちり音をたててシーツを広げました。


そして今度は手に持ったシーツを、着陸するパラシュートのようにゆっくり敷布団に重ねます。



足側の美咲は、短めにマットレスと敷布団の間に。

頭側の私はたっぷり余裕を持って、一番下のマットレスごとシーツを織り込んで行きます。

こうすると寝返りを打ってもでもマットと敷布団がズレないように固定されるのです。



さて、一組敷布団が完成しました。

もう一組です。


美咲はまたこちらに背を向けると、もう一組分のシーツを押入れから取り出して放りました。


美咲の投げ方が悪かったのか、布団の上に落ちたシーツは少し型崩れしています。

まあ、大した問題でもないので、私と美咲は淡々と作業を続けます。

今度も二人でシーツの四隅を手に取って、パン!と景気良く鳴らします。


さっきより良い音がしました。


でも次の瞬間。

何か黒い影のような物が凄い勢いでシーツから飛び出して、一直線に天井に向かって飛んで行きました。

 

あまりにも物凄い勢いだったので私も咄嗟に目で追うことは出来ず、そのボンヤリとした黒い影は私の視界を下から上に通り過ぎて行きました。

 

美咲に至っては全く気付いてない様子です。




何?? 何が起きたの??



私は少しの間、正に目が点になったまま広げられたシーツの中心を見つめていました。


何も気付いていない美咲はすでにシーツの折込みを初めています。




ぱさり。



次の瞬間、物凄い勢いで宙を舞った黒い影が私の見つめるシーツの上に落ちてきました。




私の顔面から脂汗が吹き出ます。

時間にしたら僅かな間だったと思います。


1秒?


ううん。

そんなに長くなかったはずです。



次の瞬間、私はシーツに落ちた黒い物体を鷲掴みにして一目散に部屋から逃げ出しました。


もう頭の中なんて真っ白です。



背中の方から、何が起こったか理解していない美咲の


「優ちゃん?? どうしたの??優ちゃん???」


というオドオドした頼りない声が聞こえて来ますが、今はそれどころではありません。



逃げろ!

逃げろ!


です。


それしか考えられません。

頭の中は逃げろ逃げろでいっぱいです。



私は握りしめた黒い物体を確認なんて事はしないまま、握った拳ごとポケットに押し込んで走りました。

客室を出てすぐ外は3階から2階へ下りる階段です。



一段抜かし?


いえいえ


二段?


いえいえ。


あたし、飛び降りちゃいました!


途中の踊り場で一旦着地すると、即座にターンしてまたジャンプ!


着地の瞬間にグキリと足首が痛みましたが、そんな事気にする暇もありません。


今は

逃げろ!

逃げろ!

です。



ポッケの中。

ギュッと握りしめた手の中ではモゾモゾと、まったくもって嫌な感触がします。



ヒラヒラと宙を舞って落ちてきた黒い物体。

それが何だったのか?

じっくり観察する時間も余裕も私にはありませんでしたが、それが何だったかは直感的に分かりました。 


パンティです。

黒くてアダルトなやつ。


しかもあのモサっとした感じは脱いだやつです。

洗いたてとかではありません。



一六歳の女のカンってやつです。



そしてそれを直感したと同時に背筋が氷付きました。

ただでさえ不機嫌なお客様のお部屋でこんな異物がシーツに混入していたなんて、お宿にしてみたら大事件です。



脳裏に激怒するお客様の姿が浮かびます。


平謝りする女将や大番頭さんの姿も浮かびます。


浮かぶ脂汗はますます量が増えて、顔中ドロドロと気持ち悪いです。



私は足首が痛いのなんて忘れて、誰の物とも分からないパンティ握りしめて長いお宿の廊下を疾走していました。



さて、逃げろ逃げろと疾走し始めたのはいいものの、

私は何処へ向えばいいのでしょう・・?


そんな答えも見つからないまま、私は二階の廊下をとにかく前へ前へと進みます。



『やだ。

 あと少しで二階が終わっちゃうじゃない。

 ここからあたしは何処へ向かって逃げればいいの??』



そんな事を考えていた私の目に、一枚の黒いプレートが見えました。




『ここだ!』




私の目に飛び込んできたのは、黒いプレートに書かれた

privateプライベート

という文字でした。


そこはパントリーと呼ばれる、下げ物や残飯なんかを一時的に集めておく小部屋です。



あまに慌てて走っていたので、私がそのプレートに気付いた時にはパントリーを通り越しちゃってました。


今度は慌ててフルブレーキング&ターンです!


だけど、お宿の絨毯はフカフカで。

そして私はスリッパで・・

ターンと同時に両足が滑って転びそうになっちゃいます。


だけどそこは前につんのめりながらも、腕をグルグル回して我慢です。

転んでなんていられませんっ。

もちろん、握りしめたパンティも一緒にグルグル回ります。



私は砂漠でオアシスを見つけた旅人のようにヨレヨレになりながらも死に物狂いでその小部屋に逃げ込みました。


 



幸いパントリーの中は真っ暗で、誰もいません。

私は大きな音をたてて後ろ手にパントリーの扉を閉めました。


それと同時に腰が抜けてしまいます。


ペタリと床に座り込むと、さっき階段を飛び降りた時にグキリと鳴った足首が今更ながらにジンジンと痛み始めます。



二回

三回

四回と、大きく息を吸い込みます。



とりあえず、お客様にも、美咲にもバレないまま客室から退散できたのだからたぶん私はよくやった。


よくやった・・はず・・。


これでお宿の名誉は守られた。


うん。

守られた・・はず・・。



ポケットの中のモソモソとした感触は、相変わらず忌々しいくらいにモソモソしています。



『もう!』



しっかりと見たわけではありませんが、このモソモソは間違いありません。


パンティです。

しかもめっちゃアダルトなやつ・・。



もう、腹立たしいったらありゃしません。

なんでこんな物がシーツの中に混じってたの!?


花も恥じらう16歳。

乙女な私は掃除のおばさんがうっかりして、前日のシーツを回収するのを忘れてしまったのだと思いました。

まさかね、あまりに夕食が終わってから布団を敷に来るのが遅いから思わず新婚さんが自分達で一組だけ布団を敷いて・・

なんて考えが付くわけないですよね・・


それにしても、ほんとに憎ったらしいモソモソです。

こんなのがシーツに混じって入って居なくて、使用感のある使い古しなシーツが混じっていただけの話しだったなら


「あ、美咲? シーツの新しいの持ってきてくれる?」


と頼めば終わっただけの話しです。


まったく、こんな物が宙を舞うから、私が嫌な汗かいちゃったじゃないの。

足だって痛いし。



そう思うと、パントリーの中にある残飯用のゴミ箱にこのモソモソを捨ててしまうのは簡単でしたが、どうにもモンクの一つも言わないと私の気が収まりません。



私は大きく息を吸い込んで、ポッケの中から忌々しいモソモソを取り出しました。



『ほら!

 しっかりその姿を見せなさい!

 今から小言をいっぱい聞いてもらうんだからね!』


私は心の中で叫びました!

そして憎ったらしいモソモソを両手いっぱいに広げて睨みつけた瞬間、

ガラリとパントリーの引き戸が開く音がしてパチリと電気がつきました。




思わず私が反射的に振り返ると、そこには顔を真っ赤にしながら憎たらしいくらいにアダルトな黒いレースのパンティを広げている私を見下ろす、言葉を失った倉田隆二が立っていました。






「こ、これ、あたしんじゃないからね・・・。」






この日一番高く宙を舞ったのは黒いパンティなんかじゃなくて私の心臓でした。












あの頃とちっとも変わらない重い御膳を抱えて三階に続く階段を登り切ると、私はそっと客室の前に置きました。

ああ、確かあの時もこの部屋でした。


曲げた腰を伸ばすと


イテテテテ。


腰がきしみます。



おかしいな?

昔は腰なんて痛くならなかったのにな?



トントンと腰を叩いて徐々に背筋を伸ばしていると、後ろからクスクスと可愛らしい笑い声が聞こえます。



振り向くと、立っていたのは若女将の吉乃ちゃん。



「優姉ぇ。 なにそれ、お年寄りみたいよ。」



なんて言って微笑んでます。


「いやいや、あたしもそろそろ・・」


と言いかけて言葉を止めました。


27歳の私がこんなセリフ言ってしまったら、このお宿には怒り出す中居のおばちゃんがゴマンといます。



くわばらくわばらです。




遠くでは、ズレた眼鏡のまま上村のおばちゃんに叱られてる麻子ちゃんの姿が見えます。




廊下の窓から見える夜空には、丸るいお月様が光ってました。





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