第0話 「ちょっと大人な私達の日常」
春の柔らかい日差しが新緑の合間から差し込んでます。
小川のせせらぎに沿って伸びる林道のアスファルトも鮮やかなマーブル模様に輝いて、まるで幾何学模様の絨毯のようです。
甲高い音。
地響きのような低い音。
フォンフォンと優しく回る音。
ガラガラと響く音。
私達は色んな音を奏でながら、列をなして春の景色の中を流れます。
景色を切り裂くのではなくて、溶け込むのでもありません。
まるで、自分達も春の小川のせせらぎに揺れる落ち葉になったように、サラサラと景色の中を流れて行くのです。
うん。
流れてる。
本当にそんな感じ。
次の丘を越えると、私達の街が木々の隙間から姿を現すはずです。
私達が出会い、そして笑い合い、時には辛い思いも分かち合った、そんな大好きな田舎街です。
本当は春の陽気に誘われて、ほんのちょっとだけバイクに乗りたくなっただけでした。
クローゼットを開けて、冬の間中袖を通す事のなかったライダースジャケットを漁ります。
気がつかないうちに、私のクローゼットの中には女の子らしい洋服以上にバイク関連の服が増えてしまった。と、改めて苦笑いです。
お気に入りはこれ。
初めて買った本格的なライダースジャケット。
色んな思い出が詰まった一着です。
折角だから、今年の初乗りは一番お気に入りのこのジャケットで。
とも思ったのですが、やっぱりまだメッシュ素材だと寒いですよね。
結局、私はしばらくクローゼットの中に綺麗に横一列に並ぶジャケット達とニラメッコした結果、お父さん譲りのB-3を選びました。
はい。
めちゃくちゃ重い革ジャンです。
愛車にまたがり目指す行き先はお髭の似合うマスターがいるいつもの喫茶店。
お店に着いて挽きたてのコーヒーの音と香りを楽しんでいると、不思議なもので次から次へと冬眠から目覚めたバイク乗り達が姿を表しました。
もそもそと店内に現れるその姿は本当にクマさん達のようで、思わず吹き出しちゃいます。
小春日和の昼下がり。
いつしかお店は知った顔でいっぱいです。
「いい天気だし、お店閉めて皆で走りましょうか?」
と、提案したのはお髭のマスターではなくて、マスターとお揃いの赤いエプロンをした新婚間もない奥さんです。
短く揃えた髪が楽しそうに揺れています。
何の約束をしていたわけではなくて。
誰かが誰かを呼び出した訳でもない。
だけど私達はまるでそうするのが当たり前なようにここに集い、そして走り出します。
いつものように。
とても自然に。
春風がヘルメットの隙間から流れ込んで、私の頬をなでて行きます。
探し続けた『幸せの形』という物はなかなか見つかりません。
正直、探せば探す程、思い描けば思い描く程、その形は鮮明さを失ってどんどんおぼろげになってしまいます。
ヒョイヒョイ
千鳥になって私の斜め前を走る広い背中が左手で合図を送っています。
ヒョイヒョイ
(気持ちいいからお前が先頭走りな)
その手の動きはそう言っているのだとすぐに分かりました。
私は少し気が引けて後ろを走る人達を振り返るとマスターと奥さんが親指を立ててます。
さらにその後ろでは大袈裟に両手で GO!GO! とジェスチャーをする姿も見えます。
ヘルメット越しで表情は見えないけれど、皆が笑ってるのもすぐに分かります。
不思議ですね。
木漏れ日の中、私は覚悟を決めると目の前を走る広い背中を追い越して先頭に出ました。
私の視界いっぱいに一面のマーブル模様と、雄大な山々が広がります。
いまだに見つからない私の『幸せの形』。
でもそれは自分で想像して見つけるものではなくて、ふとした瞬間に
『こういう形が幸せなんだな。』
って感じる物なのかも知れません。
こうやって皆で走っていると、生意気にもそんな確信めいた事を思ってしまうわけで。
でもやっぱり、扉を開けて待っているだけでは不真面目な気がしてしまうから、探し求める事はこれからもやめないでおこう。
そういう姿勢もきっと大事なのだとあたしは思う。
ゴールなんてまだ見えない。
いつも迷う。
道も間違う。
でも私達は走り続ける。
今までも、そしてこれからも。
急に視界が明るくなりました。
道はいつしか木漏れ日の林道を抜けて、緩やかな丘の下には私達の街が広がっています。
皆が奏でる様々な音達も春の風の中に溶けていきます。
うん!たぶん私、今わりと幸せかも!
「 ちょっと大人な私達の日常 」