02 報酬なき勝利
初戦闘のお話。
アバターの作成を終えると、自分が人でざわつく噴水広場に立っていることに朔夜は気づいた。
始まりの町、アルブァン。UltimateKeyOnlineの世界、アールブにおいて世界の中心に存在する交易都市。
多国籍の文化が入り混じるエキゾチックな街並みが特徴だ。
道を通り抜ける風の暑さが異国情緒と共に、現実と見分けのつかないVR世界の精巧さを感じさせる。
どうやら本当に身体のデータを読み込んだらしく、指を動かしたり口を開けたり、ちょっと飛び跳ねてみたりしても全く違和感がない。高まる期待に駆け出したくなる朔夜。
媛佳からの連絡はまだ来ない。撃士系列ではなく通常のアバターから作成しているために時間がかかっているのだ。
媛佳とはいえ女性の身だしなみには時間のかかるものだろうと考えた朔夜が、街並みやそこを歩く様々な姿の人や人以外達を見て暇をつぶしていると、広場に並ぶ串焼屋台の一つから声をかけられた。
屋台なのにコック帽とコック服の白が目に眩しいヒゲオヤジであった。いかにもシェフと言わんばかり。串焼だが。
「おう、兄ちゃんも第二陣組の初心者か?」
「第二陣?」
「キョロキョロピョンピョンしてるからよ。VR初心者丸出しだぜ?」
少々気恥ずかしくなった。
「あー悪い悪い。気を悪くさせたな。ま、こいつは初心者サービスに一本やるよ」
何かの肉にピリッときそうな、香辛料の匂いもふんだんな赤いタレが塗られた串だ。朔夜は大きく口を開けてかぶりつく。溢れる肉汁にタレが合わさる美味に目を丸くする。何の肉だかはさっぱり分からないがとにかくスゴい串焼きである。噛み締める赤身の肉を飲み込むのすらもどかしく、一息に食べてしまった。
「ハッハッハ。まるで現実と変わんねえだろ? ま、俺の料理の腕も良いんだがな」
「ごちそうさま。本当に驚くくらい美味しかったよ。それで第二陣って?」
「ああバリューパックが発売されたからな。俺らみたいなオープン時から始めたのが落ち着いてきたところに、お前さん達みたいなのが大量入荷。始まりの町もまだまだ盛り上がりそうだって話さ。しっかし羨ましい話だぜ。本体とセットなら俺が買った時より一万も安いっつんだからよ」
まさかスーパープレミアムプラチナパックとは言えない朔夜であった。
「串焼気に入ってくれたなら、今度は稼いで客になってきてくれよ? 『串焼ロビンソン』今後共ご贔屓にってね」
串焼の礼をもう一度言ってヒゲオヤジ――ロビンソンと別れると、ようやく媛佳からメールが届いた。南東噴水を通り過ぎた先の道具屋『アイテムショップ犬小屋』にいるらしい。名前がヒドイ。
指定先に行けばそびえ立つのは赤い屋根に白い壁。窓の一つも無い巨大な犬小屋。看板と言うか名札と言うべきかには汚いひらがなで『わんこのゔぃっち』と書かれている。一見して道具屋には決して見えない。初見お断りにも程があろう。
勇気を出して扉を開ければ、種別に整理されたアイテムと値札が部屋中に並んでいる。各種ポーション、松明、ランタン、10フィートの棒、金の針、棒に巻きつけた糸、携帯食料、破魔札、藁人形、解剖専用水溶液、目薬、火炎鳥の尾羽などなど……どうやら本当に道具屋らしい。
カウンターに寄りかかっていた少女が振り返る。赤ずきんを彷彿とさせる頭巾を被りバスケットを持っている。色は青いので青ずきんと言うべきか。町娘風の衣装は、長くふんわり広がったスカートが可愛らしい。
振り返る顔は媛佳そのものだ。なお、この時代には実名プレイや実顔プレイもごく普通である。ネット上に個人のデータが開放されているのが当たり前になっているのだ。隠すのはやましいことされる一方で、ゲーム等ではハンドルネームも根強い文化として残っている。
「あ、さくちゃー……」
ピタリと駆け寄る動作を止める媛佳。わなわなと震えて朔夜を指差す。失礼である。朔夜は慣れっこなので気にしない。
「さ、さくちゃんがアラビアン美少年になっておるー……」
「ああ、アバターを髪や肌くらいしかいじれないから、ちょっとはっちゃけてみたんだ」
似合わないかなあーと店内に飾ってある鏡を見る朔夜。その姿は正にアラビアン。褐色の肌に金色の瞳、白い髪の組合せ。シミターとか角笛とか持ってターバンでも被るのが似合いそうである。
何種類か有った拳撃士の初期装備から選んだのは、前合わせ袖無しの白いボタンシャツ。ゆったりとした動きやすいズボンは濃いワインレッド。底の薄い黒い靴を履いている。
「ヒメちゃんこそその角は何さ」
「ロールパンみたいでしょ? 羊人はIntとDexが高いからねー。将来サブ職業に錬金術士つけてアイテム自作するのに良いなあって。めー」
媛佳の本来耳があるべき所にはグルグルと巻いた角が。耳はその上に横向きに伸びる羊耳がちょこんと生えている。耳尻尾型にしたらしい。尻尾は長いスカートに隠されて見えない。確かめるにはまくる必要がある。
「あ、尻尾が気になるー? 尻尾はねー」
朔夜にお尻を向ける媛佳。まさかこの場で捲り上げるつもりだろうか? 足首から徐々に黒いストッキングが見えていき……。
「おい、媛佳。いちゃつくなら他所でやりな。ウチは道具屋でデートスポットじゃないよ」
朔夜がハスキーな声に顔を向ければ、今まで媛佳に隠れて見えなかったカウンターの向う側。そこにいたのは。
「ボルゾイ?」
「おや、あんた犬には詳しいのかい? 柴犬とも迷ったんだがね。実際に飼ってる分こっちに愛着が湧いてねえ」
犬であった。そこにいたのは細い顔、身体と尻尾を覆う長い毛、すらっとした手足を持つロシア原産の犬、ボルゾイ。 縁に銀糸の刺繍の入った黒い半袖短パンを着て、椅子の背もたれに身を預けている。こちらは小人獣人型のようだ。
「『アイテムショップ犬小屋』店主のワンコノヴィッチだよ。よろしく」
伸ばされた前足。手ではなく犬足なので握手だと気づくのに時間がかかって、朔夜は慌てて握る。肉球ぷにぷに。流石のVR技術である。
「もー名前に反してエロイことには厳しいんだからヴィッチさんはー」
「ガキンチョが色気づいたって見苦しいだけさ。アタシぐらいの年になってからやんな」
色っぽい声の通りに大人の女性らしい。外見からならメスの成獣というか。しかし。
「ロシア語でヴィッチって〜の息子って意味では?」
「そりゃもちろん雌犬とかけてるんだよ」
犬顔で笑うワンコノヴィッチ。
「あんたが媛佳の『さくちゃん』かなるほどねえ」
ニヤニヤと朔夜を見る。媛佳からいったい何を聞かされているのか、何だか非常に不安になる視線だ。
「あー……朔夜です。よろしくお願いします。で、ワンコノヴィッチさんは……」
「ヴィッチさんで良いよ。ギルドの皆にゃそれで通ってる。そこの小娘は新キャラ作るって辞めちまったけどね」
「そういう知り合いで。ヒメちゃんがご迷惑をお掛けしました」
「なーに、円満退職さ。そもそもゲームなんだから好きにすれば良いのさ。引き止めるだけならともかく、辞めるからってグダグダ言う方がみっともないよ」
気風の良い姐さんタイプらしい。男前である。
「ヴィッチさんには新キャラの挨拶がてら、アイテムの補充をしてもらってたんだよー。私はアイテム士だからねー」
名前の通りにアイテムの使用に長けた職業である。アイテムが無ければ何もできないとも言う。序盤は皆、金欠ゆえに避けられている金食い虫だ。
「戦闘はさくちゃんに頑張ってもらうけど、サポートや回復は任せたまえー。お金が貯まれば攻撃アイテムも使えるしー、サブを取ったら自分でアイテム作れるようになるよー。それまでよろしくね。ヴィッチさん」
「ああ、たとえ媛佳でもお金を払ってくれるならお客様扱いしてやるよ。低級ポーション『リポビッタD』が五つで500マール頂くよ」
「『たとえ』とか『媛佳でも』とかなんだよーヴィッチさんのいけずー」
ぶーぶーと文句を垂れながらも楽しそうにお金を払う媛佳。元々ギルドでも仲が良かったのだが、抜けても態度の変わらないワンコノヴィッチは媛佳にとって大切な『お姉さん』なのである。実姉には爪の垢を煎じずに飲ませたいと常々思っている。割と本気で。
「はいよ。お代は確かに。またおいで」
ワンコノヴィッチに別れを告げて店を出る。次の目的地は初心者御用達、東の平原『戦場ヶ原』である。
「武器防具は節約も兼ねて取り敢えずそのままでー。早速狩りに行くよさくちゃん!」
朔夜に戦闘を楽しんでもらうのが目的のため、とりあえずパーティーは二人だけである。UltimateKeyOnlineでは職業にもよるが、最大六人までパーティーを組める。
この世界を解放するという、『究極の鍵』を手に入れるのが目的であるメインクエストを進めるなら、最初からパーティー編成も考えて組む必要があるが、今のところ二人にその予定は無い。
街を守る防壁の門を抜け、広い街道が伸びる『戦場ヶ原』へ。
かつてアルブァンの町を作るための戦争があったという古戦場跡も、今はただ風が吹き荒ぶ野原である。遠く目にも幽かな砦跡が、僅かにここが戦場であったことを伝えるのみ。
街道を外れ、膝丈の草がまばらに生えた場所を歩いていると岩陰から何かが飛び出した。
人間の子供程の大きさをした蜥蜴のような生物である。目には知性の欠片もなく、口を開けて威嚇している。脳裏に表示されたシステムウィンドウには『接敵!』とシステムメッセージ。
UltimateKeyOnlineでは、モンスターと呼ばれるような存在以外にも、野生の動物や、NPCなども敵として現れる。今、二人の前に立つのは敵性の動物とされる『コドモオオトカゲイヌモドキ』。コモドではない。子供なのか大きいのか蜥蜴なのか犬なのかモドキはどこにかかっているのか。
とにかくも現れた敵に対し、既に身構えている朔夜。その首を狙い飛びかかるコドモオオトカゲイヌモドキ。蜥蜴にあらざる跳躍力で首にかぶりついてくるのが主な攻撃手段である。
朔夜の意識は敵の動きに集中する。開かれた口に生えた牙が唾液で濡れている。そこへ。
大上段から振り下ろされた朔夜の拳槌が。
風が悲鳴をあげるなかで叩きつけた拳がコドモオオトカゲモドキを貫通して地面にクレーターを作り揺らす。
岩永流剛体術『ダイダラ落とし』。天より地に落つ巨拳を模した拳槌である。しゃがみ込んだ姿勢から残心を解く。コドモオオトカゲイヌモドキは地面の赤い染みと化した。無惨である。
システムウィンドウに次々と表示される『クリティカル!』『敵死亡!』『ワンアタックキル!』『オーバーキル!』『アイテムブレイク!』『Expボーナス追加!』などのメッセージが高速で流れていく。だが、朔夜の関心はそこにない。
無言のままにぶるりと身を震わす。自らの拳で柔らかくも硬い敵の肉体を打ち砕く感覚。初めての実戦の勝利。えも言われぬそれを十二分に堪能する。
「ヒメちゃん!」
側に立つ従姉の身体を抱き締める。本来なら媛佳の脳裏にシステムメッセージで『セクハラとして運営に報告しますか?』と表示されるのだが、媛佳は朔夜に対するそこら辺のチェックをすべて外している。親愛表現でハグやらキスやらされるのは世界中で見られるため、プレイヤーが個人に対し設定できるのだ。
伝わる体温と力強さに媛佳の息がもれた。朔夜は感謝感激雨あられとばかりに強く抱き締めてぐるぐると振り回す。
「さ、さくちゃん、目が回るよー」
「ヒメちゃん、ありがとう! 最高のプレゼントだよ!」
「さくちゃん落ち着いてー!」
「ヒャッハー!」
20回転程してようやく止まる。敵が近寄って来なかったのは幸運なのか不運なのか。媛佳はふらふらである。
「あー世界が回るー。でもさくちゃんが喜んでくれて良かったよー」
「ちょっと興奮しちゃって回し過ぎたよ、ゴメン」
「いいよいいよーようやく夢が叶ったんだからね。じゃ、気を取り直してどんどん行ってみようー」
「うん!」
その後、何体も何体も倒すのだが……。
「ああ、やっぱりー」
「ううっヒメちゃん、ゴメンよ……」
問題が一つ浮き上がった。素材が一切出ないのである。すわバグか! の前におかしいと思った二人が、システムメッセージを確認して出てきた『アイテムブレイク!』の文字。これが元凶だった。
UltimateKeyOnlineでは、金銭を所持している敵対NPC以外、敵は金銭を落とさない。倒した際に落とす素材アイテムを換金する事で金銭を得るのだが、朔夜の攻撃力が強すぎて素材を得ることは不可能とシステムに判断されてしまったのである。
通常なら皮、骨、爪、牙、肉などが手に入るのだが、『オーバーキル!』にも程があるHPの10倍以上のダメージが一度に入った場合、『アイテムブレイク!』になる。木っ端微塵になったと判断されるのである。その代わりと言ってはなんだが、Expに一割のボーナスが付く。『ワンアタックキル!』『オーバーキル!』と合わせて三割増。お金と引き換えのこのボーナスを高いと見るか安いと見るか。
ちなみに『ワンアタックキル!』は一撃で敵を倒したときに、『オーバーキル!』は最後の一撃で敵のダメージ総計が最大HPの1.5倍になったときに付く。
簡単に言えば、やりすぎだよ! さくちゃん! という訳である。
「うーん、さくちゃんの攻撃を受けても素材が残るような敵にはまだまだ私はついて行けないしー」
そんなところに行けば、媛佳が『オーバーキル!』されてしまう。下手したら『アイテムブレイク!』だ。
「何とか手加減を覚えるよ……」
「そうだねーさくちゃんは手加減の練習するとしてー仕方がないから、ちるちゃんも仲間に入れようかー」
「チルちゃん? チルちゃんもこのゲームやってるの?」
「一週間ぐらい前からソロでやってるよー。ああ、こんなに早く教えるつもりは無かったのにー」
ため息をつく媛佳に、朔夜は首を傾げる。
「あれ? チルちゃんと仲良くなかったっけ?」
「それとこれとは別なんだよー……」
もうちょっと二人っきりでいたかったという話である。
妹登場フラグ。姉はまだ。
ステータスは次回。
オーバーキルの数値に関して修正しました。