オープニング 若き岩永朔夜の悩み
初投稿です。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
オープニング 若き岩永朔夜の悩み
ガイーン。ガイーン。ガイーン。ガイーン……。
鍛冶場で鋼を鍛えるときの重い金属を叩き合わせる激しい音が鳴り響く。だが、ここは鍛冶場ではないし、鋼を――叩いてはいるが金槌で叩いているわけでもない。
音の発生源は、鋼の人形を拳で叩いている少年だ。
ここは岩永家の地下修練場。少年の名を岩永朔夜という。
連続する槌音は朔夜の連撃。一打毎に鳴り響く音は間隔を短くしていき、やがて一つの長い轟音と化した。鋼の人形が耐えきれず変形していき、渾身の力を込めた一撃でとうとう千切れる。丁度鳩尾から吹き飛ばされた上半身が地下室の壁にめり込み、落ちた。
「ハア……ハア……ハア……ああ、やっちゃた……」
荒い息をつきながら顎から垂れる汗を拭う朔夜。汗水漬くの身体は中背中肉ながら、岩石や巨木の根を思わせる筋肉に覆われ脂肪の欠片さえ見当たらない。その上に可愛らしい作りの顔が乗っているのは凄まじいギャップを生む。脱いだらスゴイんですどころか脱いだらヤバイんですのレベルだ。
落っこちた人形の上半身と、自らの拳を眺め溜息を一つ。
藁を巻いた丸太、束ねた竹、木人と進みとうとう鋼鉄製の人形すら耐えられなくなった。
「明日からは何で鍛えれば良いんだろう……金だと重いけど柔らかいし、超超ジュラルミンだと硬いけど軽いんだよねえ……」
そういう問題ではない。ジッと手を見ていると地下室の扉を開けてどこか間延びした少女の声が近づいてきた。
「さくちゃーん、ごはんだよーってなにを掌眺めてぼんやりしてるの?」
我が暮らし楽にならざり? と小首を傾げる少女は、木花媛佳という。岩永家と対をなす木花家の少女だ。朔夜の従姉弟に当たるが、両家は長い歴史の中で何度も血縁関係を結んでいて例えば朔夜の祖母の祖父は木花家の人間だったりして、もう何が何やらである。
ともかくも媛佳は朔夜にタオルを被せると、濡れた犬にでもするようにワシワシと汗を拭き取る。たれ気味の目やのんびりした声、おっとりした外見に似合わずその手つきは荒い。
「ワッぷっウェっ。ちょ、ヒメちゃん、自分で拭けるから」
「さくちゃんは意外とだらしないので信用なりませんー。ご飯冷めちゃうからお風呂はあとにしてねー」
仕方なく為すがままに拭かれていく。まあ、朔夜も慣れたものではあるのだ。この世話焼きの少女のおかげで助かっていることは数多い。このくらいの仕打ちは甘んじて受けようとして。
「ここかーここがえーのんかー」
「ヒメちゃん、セクハラはアウト」
脳天に一撃。
「ううっさくちゃんの拳は痛いんだから人を殴っちゃいけないんじゃないの?」
プロの拳で殴るのは犯罪行為である。まして鋼の人形をぶっ千切る拳は何をか言わん。
「自己防衛の拳は許されてるよ」
「過剰防衛だよー」
やはりそういう問題ではない。
岩永家――2245年現在も残る巨大な武家屋敷だ――の縁側を歩く。面した中庭に設けられた枯山水は、それは見事なものなのだが見慣れているのと、とんと価値がわからないので二人は目もくれずに居間に向かって足を進めた。
「おじ様とおば様はもうお出かけになられたからねー」
辛塩の鮭が汗をかいたあとの舌に心地良く染みる。そこに白飯を放り込み、二三度噛みしめれば米の甘みが馴染む。ワカメの味噌汁を啜り、深い旨味で胃に流し込む。ほう、と熱い息が漏れる。
「相変わらず落ち着きないなあ、父さん達は。婆様は?」
ほうれん草の胡麻和えには、僅かに混ぜられた人参の細切りがシャッキリとクドさを消して、砂糖醤油と深煎りの胡麻の風味が嬉しい。
フキと油揚げの炊き物。フキは筋取りされて柔らかく、それでいて歯に残る噛み心地。涼やかな香りが鼻に抜けていく。油揚げはよく汁を吸って口の中で溢れる。二つは決して争わず、一つの味わいとなって合わさる。
「昨日遅くまで飲んでいたみたいだから、まだ眠っていらっしゃるよー」
一汁三菜の完全無欠の和朝食を話しながら口に運ぶ。二人の前に並んでいる量は三倍近く差がある。無論朔夜の朝食が多い方である。もっとも媛佳の分も随分と大盛りではあるが。ボリボリと付け合せの漬物を齧れば、いぶりがっこの薫香がまた箸を進めさせる。
やがて食べ終えて焙じたばかりの茶で締める。厨房の多月さんは今朝も良い仕事をした。
「じゃ、さくちゃんはお風呂。さくちゃんの部屋で待ってるからー」
「部屋漁んないでよ」
「今更だよー。それに……」
「それに?」
「うーふーふーふー。ひーみーつー。上がってからのーお楽しみー♪」
トテトテと音が聞こえそうな軽い足取りで媛佳は去っていった。残された朔夜は悪い予感しかしない。朝食の満足感がモリモリ抜けていく。
「風呂行くか……」
媛佳があんな調子の時はたいてい何かやらかしているのだが、それも朔夜には慣れっこである。せめて気分をさっぱりさせようと元からの予定通り風呂に向かった。
「あー………………」
岩風呂風の浴槽で手足を伸ばせば、朝の稽古の疲れが口から声に溶けて漏れていく。熱い湯が生む至福である。
腕を擦る。返ってくる硬い感触。擦る方の手も、硬い。鋼の人形を素手で破壊する程に。
「…………」
朔夜には最近ひとつの悩みがあった。夢であった。欲望であった。岩永流剛体術を免許皆伝してよりの悩みだ。他に誰もいない風呂場で思わずそれが口からポロリと零れた。
「誰かを思いっきり殴ってみたいなあ……」
なんの言い訳も効かない、まるっきり異常者の台詞が零れた。どう足掻いても誤解のしようもない。
だが、敢えて。敢えて弁護するならば、二つ理由があった。
一つ。岩永流剛体術は正確には武術ではない。武術の側面も持つ長寿延命術である。
二つ。一つ目の理由により、普通の人間に振るう事を許されていない。
岩永家の始祖とされる石長比売。岩の如き永い命を司る女神の肉体を再現するべく生み出された岩永流剛体術。これを修めた者の肉体は常識を超えた剛性と寿命を宿す。代償として燃費と体重は最悪なことになるが。
素手で鋼を引き裂くその手を通常の人間にかければ……結果は言うまでもない。そして、同門において武術として免許皆伝に至るまで修めているのは師である父と朔夜のみ。軽く殴っても大丈夫な程度にしか一族は修めていない。型と肉体を極めたので免許皆伝は得ても実戦経験はゼロ。
闘うことのできない武術家。それが岩永朔夜であった。
「あ、さくちゃんお帰りー」
ほこほこと湯気を上げつつ、部屋に行くと媛佳がはしたなくも朔夜の布団に座っていた。布団を片付けていない朔夜も悪いのだが、これには大きな理由があった。文字通り大きな、何やら見慣れぬなんとも巨大なダンボール箱が部屋を占領していたのである。
そびえ立つダンボール箱の威圧感とその横でニコニコしついる従姉の笑顔。朔夜の部屋が異音を立てて歪んでいくようなイメージすら抱かせる組み合わせだった。
「何、これ?」
「ふははははー。これはさくちゃんの夢を叶える私からのプレゼント」
呆れ返って案の定やらかしていた媛佳に尋ねれば、慎ましい胸を張って高笑いしはじめた。そしてこの時のことを朔夜は生涯忘れなかった。
媛佳の胸のことではなく、この時出会った一つのゲームのことを。
「最新のぶいあーるえむえむおー、あるてぃめっときいおんらいんだよー!」
朔夜くんマジ人外。
名前の不統一を訂正しました。