8 予想通りの誤算
城への突入まではさほど梃子摺ることはなかった。軍の連中もそろそろ異変に気づいているだろう、訓練どころの話じゃねえ。
さて、どう攻める――? 中央階段か、北階段か?
城の入り口が見えたところで、俺はその向こうに僅かに見えたような気がした白に、どきりと心臓を跳ね上げた。見間違いなら、いい。ただふわふわと風に舞ったリネンなら。そうであって欲しい。
「フェル、真剣で行け!」
振り返らずにそう指示して俺は模造刀を抜く。重いだけで切れねえなんざ、役に立たない代物だ。それでも、ないよりはマシってやつだろう。ずしりと手に響く重さを肩に担ぎ上げたまま、俺はまっすぐに城へと飛び込んだ。
その飛び込んだ瞬間、俺は、さっきの予感が正しいのを感じた。暗い城の中に、確かに誰かの気配がする。後ろか、前か――そして、敵か、味方か。
「フェル、止まるな!」
ともすれば怯えてしまうかも知れない若い近衛兵に俺はそう叫び、中央広間へ向かう。そこを抜ければ中央階段に続くルートだ。
「ハリーさんっ、後ろに……!」
悲鳴のような声に俺は一瞬躊躇したがそのまま駆け続けた。カキィンと高い剣戟が響く。やっと中央階段へ続く角の廊下にたどり着く。……が、警備兵の姿がない。
ちっきしょうめ、なにやってンだあのバカどもが!
チッと舌打ちをひとつしておいて振り返ると、フェルが後方で三人を相手に攻め込まれていた。三人おそろいの、白い布。
手にしていた模造刀を握り直して俺はその中へと飛び込んだ。こちとら鈍い得物なんだからな、メいっぱいブチかましても死ぬわけじゃねえ。それなら多少は思いっきり――やらせて、もらうぜ!
「手加減、しねえぜ……っ!」
当然ながら斬った感触はしない。いつも以上に腕にかかる衝撃をぐっと堪えて俺は剣を振り回した結果、フェル自身の腕もあってなんとか三人が倒れこむ。
「大丈夫か」
「はい……かすり傷です」
言いながら、フェルは斬られた肩口を軽く点検する。うっすら赤が滲んではいたが、本人が言うように軽かったらしい。特に何もせずそのままフェルは俺に向き直る。
「ハリー様、剣は……?」
「ああ、俺のは真剣じゃねえんだ。ユーカイされちまってな」
「ゆ……うかい、ですか?」
俺の手の剣をじっと見ながら、フェルが呟く。
「そ。ワルいやつらにな」
視線を階段へ向けると、フェルもなんとなく推測が出来たらしい。きっと表情を引き締める。
「警備兵がいませんね」
「だな。なーんか、やな予感」
こくん、とやつも頷いた。それだけ外が大変なことになってるのかも知れねえが……でも、さっきの三人が既に城内にいたってことは、もっといたっておかしくねえ。
「急ぐぞ」
「あ、はい」
フェルの返事の途中で俺は駆け始めた。すぐにもうひとつの足音が追ってくる。
まっすぐ、中央階段へ。何か嫌な予感がする。階段へ近づくにつれて、慌しい足音や剣戟が聞こえてくる。最初の一段に足をかけようとしたそのとき、だった。
頭上から模造刀のギインという鈍い音と一緒に近衛兵がひとり、階段を転げ落ちてくる。フェルが咄嗟にそっちへ駆け寄るのを横目に、俺は階段上にいるヤツを見上げた。
幾つもの白い布。……そして、ばらばらに取り落とされている王宮印のついた剣。
そして、やつらと王座の間へ向かう階段との間に立ちはだかる、近衛の制服。銀色の刃がその制服をまさに切り裂こうとしたその間に、俺は今出来る限りの最速で割り込んだ。
ガツ、と耳に近いところで妙な音がする。痛みは、ない。まだ来ないのか存在が無いのかはわからない。俺の目の前で恐怖にぎゅっと目を瞑っていた近衛兵が、恐る恐るその瞳を開けるのを、俺は見守る間もなく身体を捻る。
そこで何が相手の剣を止めたのかわかった――マントの留め金具だ。両肩についていたそれは、国王軍のマントから失敬して留めていたものだ。
ぱらぱらと留め具が崩れる音は聞こえなかったが、さらりと右肩からマントがずり落ちる。
「フェル、剣、をっ……」
「真剣を持て!」
俺の意図を汲んだらしいフェルの叫び声が響く。近衛兵が数人、一瞬立ち止まってからやっと動き出す。まるでスローモーションだ、ったく。
マントを掴んで身体を捻りながら、俺は次の剣を迎撃する。手に重い振動が伝わる。
「……わっ、うっ」
引っつかんだ布を思い切り相手にぶつけると、向こうの視界がゼロになる。その隙に思い切り腹を蹴り込んで俺も続けて叫ぶ――
「反乱軍を上にあげるな!」
階段の攻防は、かつての革命を彷彿させる。ルート八の夜、やはりこんな風に近衛兵の中をあいつらは駆け上がったんだろうか。二人で――セレはレダと、カルはティアと、こうやって入り乱れながら王座の間を目指したんだろうか。
あの時と今と、決定的に違うのは近衛兵の力量だろう。決して今の兵士たちの才能や訓練が劣っているわけじゃないが、やはり実戦を経験していない者たちの意識はどうしても下がる。緊張感に欠けるのは仕方の無いことだ。
あの頃は国中ギスギスしてた上に、あのタヌキは無意味にあちこちの村や町を焼き払った。兵士たちは望むとも望まざるとも、その手を血に染めざるを得なかっただけだ。その結果、彼らには緊張感が漂う。剣は恐怖により強く振るわれ、圧倒的な力での統制がされていた。
それがいいって思うわけじゃねえ。アレは恐怖政治でしかない。けれど経験だけは不本意に積んでしまうわけだ。それによって、腕が上がっていく。
今は穏やかな分、訓練の場以外での戦闘はあまり無い。俺たちみたいに国内巡回に出てればそれなりに小競り合いはあるが、城の警備をメインにしてる兵士たちにあの緊張感を感じろという方が無理だろう。……どっちがいいんだか、わかんねぇな。
真剣を取りに行った兵士たちが戻ると、攻防はどうやらこっちが有利になりそうだった。しかし、あの男――俺の剣をかっぱらっていった男はいない。
確かにあのとき、ヤツは王座の間で、と言ったはずだ。それならこの辺りにいてもおかしくない、のに。
「ハリーさん!」
つい、男を目で捜していた俺は油断してた。そいつは認める。その声がそういえば城に残してきたはずのあのイヌのもんで、ずいぶんと切羽詰った口調だと気がついたのは――俺の背中に、ドンとそのイヌがぶつかってからだった。
「デイル! 馬鹿!」
俺が振り向くより先に、フェルが焦った声で友の名を呼ぶ。俺の背に当たった身体がそのままずるりと崩れ落ちそうになるのを、フェルが駆け寄って抱きとめたらしい。
「デイル」
身体を捻って振り向けば、フェルに支えられてなんとか立っているイヌが顔をしかめて俺を見上げる。
「大丈夫です。……サンキュー、フェル」
左腕だった。出血は酷いが動いている。フェルが慌てて止血をするのに、デイルがニヤリと笑って見せながらそう礼を言った。
「動けるか」
俺の問いに、その意図を掴みかねたデイルが「へ?」と間抜けな答えを返してきた。
「まだヤれるかっつーの」
「……はい!」
腕を押さえたものの、デイルはきらりと目を輝かせて頷く隣で、フェルが心配そうに眉を寄せている。
「ここには親玉がいねえ。たぶん別ルートで上に行ってンだと思う。――いけるか」
「行きます!」
「デイル、でも」
「お前もついて来い」
即答したデイルに制止のブレーキをかけようとしたフェルの言葉を遮って俺がそう言うと、諦めたように「了解です」とフェルが呟いた。視線は心配そうにデイルの傷へと向けられている。当の本人はまったく気にしちゃいねぇけどな。
俺は二人に向かってにやりと笑みを返すと、くいと顎を上へと向けて「援護しろ」と言った。そして階段を駆け上がる。俺の得物は相変わらずで反乱軍を仕留めることは出来ないが、近衛兵たちにはやっと真剣が行き渡ったようだった。俺の後ろでは剣戟の音と一緒に、デイルとフェルの会話が途切れ途切れに聞こえる。
「援護………ハリーさん、怪我……」
「模造剣…んだ……」
「……武器庫……て来ようか」
「違う、…………らしい」
「奪われ………?!」
真剣ならではの甲高い音に、俺の剣が鈍い音を時々響かせる。ったく、コイツは防御にゃいいが、攻撃力ゼロに近いぜ。そういや、デイルももう真剣持ってやがったな。随分と手回しがいいもんだ。
「反乱軍を制止しろ!」
中央会談を上りきる前に俺は振り返り、攻防戦に関わっている近衛兵に向かって指示を叫ぶ。近衛兵たちの中に小隊長の姿を見つけると、「あとは頼んだぜ」と声をかけて俺はその上の階段へと向かう。王座の間に続く、道。
そして予想通り、王座の間の扉の前には――男がいた。さっき見た姿、黒髪に黒い瞳、白い布。そして、手には湾曲した三日月。
当然ひとりじゃねえ。お供が五人、お揃いの布を口許に巻いてきっちりヤツをガードしてやがる。
「さっきぶり、だね」
「ああ」
短い言葉を交わしながら、俺は左手で二人に待ての合図を送った。血気盛んなイヌが飛び出したりしたら危ねえからな。手負いの癖に、やりそうで怖いぜ。
「そいつを返してもらいにきたぜ」
「それはそれは」
口許を隠していても笑っているとわかるイヤな笑い方を、そいつはまたしやがった。数度肩を揺らすと、俺をまっすぐ見て、俺の相棒をひょいと肩に担ぎ上げた。
「ヴェンセル副隊長」
「ハリー、だ」
「役職はお嫌いですか」
男はそう言ってまた、くつくつと笑う。今度は短く、すぐに真顔に戻る。
「んじゃ、ハリー。悪いけど邪魔をしないでくれないかな。これからちょっとした会談をしようと思っててね」
親指で王座の間をさして、男が言った。
「会談、だと?」
「ああ」
男は軽く頷くと、ちらりとその視線を奥の扉へ向ける。会談の相手がいる場所を。
「これだけ暴れ回っておいて、今更話し合いか」
「だって、普通に訪ねても入れてくれないだろうからさ」
軽く肩を竦める様子に、悪びれた風もない。口だけは達者だ。
「ンなことねえよ。本ッ当に話し合いたいなら、アシュレはいつでも席を設けるだろう」
本当に、にアクセントを置いて男を睨みつけると、その瞳から笑みの気配が消える。そら見ろ、本性現してきやがった。
「デイル、アシュレは中か」
低い声で後ろに問う。この距離なら男には聞こえねえ。俺が独り言でも呟いたようにしか見えねえはずだ、デイルさえ反応しなきゃ。
「えっ、あっ、はい!」
……やっぱ、コイツを城に置いてきたのは間違いだったか?実戦の中でもちっと鍛えてやるべきかもしれねーな…
男は余裕そうにこっちを見てやがる。俺とデイルが交わしてる声は聞こえなくとも、何か言い合っているのはわかるはずだ。それを随分と楽しそうに奴は眺めていた。
仕方なく、俺は続けて訊ねる。
「セレとレダは」
俺の声の低さに気づいてやっとデイルが声を潜める。
「隊長殿は北階段です。マクレーガン様は塔へおいでになりました」
一瞬、思考が止まった。ったく、何やってんだあいつら! よりにもよってあの扉の向こう、王座の間にはアシュレひとりか……!
俺は大仰に溜息をつき、模造剣を担ぎ上げる。
「何で止めねぇんだよ」
アシュレを、と続く言葉だけを飲み込んで、それは潜めずに普通の声で訊いた。ヤツにも聞こえているだろう。デイルがちらりとヤツを見やって、そしてやはり慎重に言葉を選んで答える。
「……止めたって聞く方ではありません」
「だよな」
そしてもうひとつ、溜息。
お供の五人がスイと切っ先を俺に向け、警戒度を高めた。よく訓練されてやがる。腕も悪くねえ。だのになんだってこんな連中に手ェ貸してんだか。
「本気でアシュレと話がしたいなら止めねえけどな、まずはそいつを置いていけ」
顎で俺の相棒をさしてそう言うと、ヤツの目に笑みが浮かぶ。
「悪いね、気に入ってるんだ」
「人のモンばっか横取りすンのは良くねえぜ?」
「ばっか?」
黒い瞳が聞き逃さずにじろりと俺を見やる。俺は担いでいた模造剣を構えると、「だろ?」とニヤリと笑った。
「剣も国も、他所ばっか良く見えてるだけだろー…、がっ!」
仕掛けたのは俺からだった。模造剣と人数と、そして手負いがひとりの不利な状況下、五人のお供どもがまずは床を蹴る。さすがに五人をそのままデイルとフェルに任せるわけに行かず、俺はヤツの動きを確かめながら模造剣を振るった。