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実戦演習  作者: 香住
7/10

7 陽動炎上

 午前二時。ビロードのような夜空に上弦の月がかかる。雲は、ない。

 西の門の方角は合っている。時々軍の連中が警護に回ってるのは致し方ない。まっすぐに城につながる道から一本外れて、俺はポケットから煙草を取り出した。この先はもう無理だろう。赤い光が黒にチラチラ目立ってしょうがねえ。

 深く肺まで吸い込み、目を細めて煙を空へと吐き出した。曇りのなかった金色の月に、うすい膜がかかって見える。

 さて、そろそろ―――

「誰だっ?!」

 煙草を踏み消したざりっとした音で、緊張をはらんだ声につかまった。ぴたりと動きを止めていると、相手はどうやら一人のようだ。じりじりとにじり寄ってくる足音が一人分、だんだん近くなってくる。

 ……ちっと早えが、ま、いいか。意を決してこっちから仕掛けようとしたとき、別の声がした。

「おい、門のあたりに怪しい連中の影が!」

「なにっ、どこの門だ?」

「西だ、急げ!」

 急速に立ち去っていく足音に俺は思わず長い溜息をつく。そしてすぐに今の会話を反芻し、眉根を寄せた。

 『連中』と言ったな。フツー、その単語は複数に使うだろう。西門での陽動はキールひとりのはずだ、それなのに、何故?

 なんだかヤバい気がするぜ、ったく。あのガキが巻き込まれてなきゃいいんだが……あの無鉄砲な性格じゃ、難しいかも知れねえ。

 今度はしっかりと身を潜め、俺は西門へと向かった。軍の姿は見当たらない。っかしーな、何かあったんなら、もう少し警戒しててもいいのによ。

 遠く、西門が見えた。しかし警護はいつもどおりで、さっきの連中が言ってた怪しい影はどこにもない。門兵がどことなく緊張して見えるのは、俺たちがいつ来るかわからねえからだろう。そいつは仕方ない、緊張感を持ってやってくれ。

「ハリー」

 低い声が後方からして、振り返るとキールがいやに真面目な顔で少し後ろの木に隠れていて、目が合うと微かに頷いた。どうやらこっちも緊張してるらしい。

 チョイチョイ、と俺が背中に背負ってる模造刀をつつくと、キールはやっと少し笑みを浮かべ、視線だけでその隠し場所を伝えてきた。ちょっと西門から離れた、古びた小屋だ。

 まあ、さすが元盗賊、こーいうときは便利だな。

 キールに向かってくっきりと唇をゆがめて笑みを返すと、俺はそっと後退する。俺が小屋に近づくのをちらちらと見ていたキールに向かってゴーサインを出すと、ヤツはこくんと頷いて西門の方角へ向かった。

 さて、これであと五分もすれば陽動が始まる。フェルも恐らくその辺りに身を潜めているだろう。あとはいつもの剣を持って行きゃいいだけだ。

 近づくと様子がわかってきた。小屋というよりは屋根があるだけの物置場所だ。藁やら農具やらがとっ散らかっている。ったくキールのヤツ、この藁の山のどっかに隠したっつーのか―――

 突如、ガサガサガサッと藁の山の向こう側で音が――して、その山の下から銀色の光がずるりと向こう側に抜けたのが見えた。湾曲する銀色が、月の光に反射してきらり、光る。

 一瞬、綺麗だと思った。そしてすぐ、そんな風にしか感じねえ自分に腹が立った。

「……誰――!」

 誰何する時間さえ惜しかった。咄嗟に背中の剣を抜いて藁の山を回りこむ。

 銀色の三日月を手にした男は鼻から下を白い布で覆い、闇夜のような漆黒の髪と瞳で俺を待っていた。さらりと薫る夜風に、男の、癖のない短い髪がなびく。

 後方で、ワァッと騒ぎが起こる。漆黒の男はその方向へちらり視線をやると、大きな目を弓なりに細めてにやりと笑い、俺の模造刀を真剣で受け流して飛び退る。

「いい得物だ」

 くぐもった声が白布の下から聞こえる。当然だ、そいつは俺の――相棒だからなッ!

 次の攻撃も、剣でかわされる。重みは同じだが弾く力は向こうのほうがずっと強い。じいんと、俺の手に伝わる衝撃も然り。

「急がないと、お嬢ちゃんが困るよ」

 今度はすいと左手を伸ばして、男は西門の方角をさした。騒ぎの声はどんどん大きくなっているのがわかる。キールがちゃんと仕事をした証拠だ。フェルは……あいつ、俺がいなくてもちゃんとやってのけるだろうか。

「そいつを返せ」

 今度は剣を振りかぶらず睨みつけたまま、俺は男に言った。目の感じ、声の感じからして男はまだ若そうだ。そして頭は悪くない。俺が向こうを気にしてるのにちゃんと気づいてやがる。

「気に入ったよ」

「返せ」

 押し問答が続くと、男はもう一度目を細めて笑う。口許は布で覆われて見えないのに、その隠された唇が歪んでいるのが手に取るようにわかる。

 嫌なヤツだ、と感じた。過去に戦った相手にはほとんど抱いたことのないマイナスの感情だった。これなら剣でやりあうほうがどんなにか、いい。

「返して欲しくば、王座の間で」

 男がそう言ったのを俺は確かに聞いた。一瞬その意味を理解するのに初動が遅れ、はっと気づいて駆け出そうとしたときは既に男は身を翻していた。

 チッ、と舌打ちをする。あの男が何者か――もうわかっていた。例の、『反乱軍』だ。

 やはりどこかで張っていたに違いない。城で行われる演習の話は既に向こうに伝わっているんだとすれば、しばらくこの周辺を張っておけば引っかかる。見事にキールの動きが筒抜けだったみてえだな。

 仕方なく、俺は模造剣のまま西門へと向かった。ちっこいキールの機敏な動きが見える。ヤツは模造剣を使っていた。相対している国王軍も同様だ。彼らにはやはり戸惑いと――それから、どこか安堵したような表情も見える。緊張感からの解放だ。

 だが、そんな簡単に緊張感を解いてもらっちゃ困る。これからが、勝負だ。

「ハリー様」

 ひそやかな声に、俺はすぐに声の主を察知して近くの木影に身を潜めた。ざわざわと木々が揺れて、俺のすぐ傍へフェルが近づく。

「おう」

「始まりましたね」

 フェルの顔は青白かった。それが緊張によるものなのか、もしくは夜の灯りのせいなのかはわからない。

「剣、準備したか」

 視線は西門のままそう訊ねると、フェルはこくりと頷いた。

「しかし、何故……」

「頼むぜ、俺は今回、模造オンリーだからな」

 僅かに唇の端を上げてそう言うと、フェルは一瞬驚いたように背に担いだままの模造刀を見やる。

 こーいうときにいつも思うんだよな、短剣を買っときゃ良かったって。ま、今更言ってもしょうがねえ。

 西門では、キールがなかなかの善戦をしていた。あいつはすばしっこいからな、近衛の連中でもすぐにはあのスピードに追いつけないだろう。でも――長時間は、保たない。そろそろキツいだろう。

「――陽動だ! 正門に複数の侵入者有り! 第一小隊は正門へ戻れ! 第二小隊は……」

 叫ぶ声があたりに響き、情勢が変わった。キールの体力が落ちるのとほぼ同時に、近衛兵たちが半分以上ハケていく。キールひとりの陽動作戦と取ったらしい先方は、人数どころか戦闘に割く体力も減らしているようで、かなりの隙が見え始めていた。

「よし、行くか。俺が言うまで、模造刀で頑張れよ」

「――はい」

 今度は確実に緊張感に包まれて、フェルが低い声で答えた。その答えと同時に、西門へ向かって駆け出した。

 西門を守る近衛兵が、その動作を一瞬止める。何が起こったのかわからない、と言う風に。俺とフェルがキールの傍に揃ったところで、やっとことの次第を飲み込めたようでもあったが――もう、遅い。

「ゴクロサン」

「遅! もっと早く来てよ!」

「んじゃま、次のオシゴトだ、頼むぜ」

 肩を上下させながらキールはじろりと俺を睨み、剣を持ち直した。

「そいつを真剣に替えろ」

 顎でしゃくって見せなくてもわかる。キールが瞠目して俺を見る。見返した俺の視界に、ついさっき対峙した男と同様に、口許を白い布で覆った連中がちらと写りこんだ。……来やがった、な。

「国王軍を率いて、反乱軍を城内に入れるな」

「はん……?」

 意味がわからないといった顔で瞬きを何度か繰り返すキールの目にも、連中が映った。

 近衛兵たちも、まだあっけに取られたままだ。今回の『演習』、たったの六人ってのは前情報が回っているだろうからな。予期していない展開に、連中は止めようともしない。

「そいつらを中へ入れるな!」

 俺の叫び声に、近衛兵はびくりと身体を振るわせる。俺をみて、連中をみて、そして手の中の模造刀を見やる。

「誰か真剣を持って来い! 連中の剣は模造じゃねえぞ! 訓練じゃねえ、ホンモノだ!」

 一足早く理解したキールが、今まで手にしていた模造を放り投げて右の腰につるしていた真剣を抜いて連中へと向かった。その最初の一撃に、キィンと甲高い音が響いたことで、やっと近衛兵は理解したらしい、数人がくるりと踵を返す。

「フェル、中だ!」

「は……はい!」

 一瞬戸惑い気味にヤツは西門を振り返った。今のとこはキールがどうにかやっている。気にならねえといえば嘘になる。ここはどうにかもったとしても、正門は大丈夫か?連中が西門に的を絞ってたんなら問題ないが、まさか正門にも――

「ハリーさん、正門の方は……!」

 フェルが息を切らしながら後ろから怒鳴った。「わからねえ」とだけまずは返しておいて、「大丈夫だ、心配すんな」と付け加えた。


* * * * *


 キィンと響く高い音と、そして剣に伝わる振動が、その事実を物語ってた。……真剣だってこと。どっちの意味でもね。模造刀じゃなくて真剣。訓練じゃなくて真剣。

 このタイミングを考えると、どう見たってあたしがヘマしたってことになる。どっかで尾けられたんだ。じゃなきゃこんな連中が西門に姿を現すなんて、ない。

「真剣が来るまで、模造でも充分避けられるよっ!」

 連中は五人。白い布で口もとを覆ってるのだけがお揃いで、あとは年齢も背格好も、髪の色もばらばらだ。女もひとりいる。

 あたしひとりじゃ五人を止めることなんて無理だし、近衛兵はポカンとしたままで最初はどうしようかと思ったけど、ハリーが行き際に指示してくれたことで彼らの動きは滑らかになった。あたしの叫びに、近衛兵たちはちゃんと呼応してくれる。良かった、ちょっと助かった。

 一番近い武器庫がすぐ傍にあったのも幸いして、西門の近衛兵にはすぐに真剣が渡る。あたしはそれに大いに安堵して――そして城を見上げた。

 ハリー、そっちは……大丈夫なの?


「キール、余所見するなっ」

 ふっと気を抜いた瞬間を相手は見逃してなんかくれなかった。銀色の長い髪があたしの視界を覆い、そしてその下で同じ色の刃が翻るのが見える。髪と同化した色。

 咄嗟に弾いたのも遅くて、女の刃はあたしの右肩を抉っていた。縄でぎゅっと締め付けられたような突っ張りのあとにおとずれる、心臓の鼓動と同じ数の痛み。

「キール!」

 顔見知りの近衛兵があたしをずるずると引っ張って女から引き剥がしてくれる。まるでそこだけ別の生き物のように血液を吐き出す肩をあたしは正視出来なくて、その兵士が手早くマントを裂いてくれた。

「……ここ、頼んでもいい?」

「いいよ、休んでろ」

 裂いたマントを巻きつけてくれる手が震えていた。

 寒い? 怖い? ――そうだよね、あたしだって怖い。真剣を持っていけって言われて、多少心の準備があったものの。心臓がドキドキいってるのは傷のせいなのかな。それとも恐怖で?

 巻き終わりを結んでもらうのももどかしくあたしが立ち上がると、兵士はぎょっとしたように「キール……?」と不安そうに呼んだ。

「正門に行って来る。ここを死守して! 反乱軍を城に入れちゃダメよ!」

「お、おい!」

 制止の声と腕とを振り切って、あたしは正門に駆けた。連中があたしを見張ってただけなら西門だけに来るだろうけど、もしかしてもしかしたら他のみんなの動きだって見つかってたかもしれない。反乱軍が来ているってことを何とか伝えたい……!

 心臓の音と肩の脈打ちと、それから駆ける足のどれがいったい一番速かっただろう。浅い呼吸が喉に圧迫を与える頃、あたしは遠目で正門の様子を見ることが出来た。白い布を巻きつけた連中と、近衛兵たち。

 西門が、ハリーの指示で彼らを『反乱軍』と認識して行動しているのとは大違いで、かなりの混乱っぷりが見て取れる。ちょっともう! ジェイク何やってるのよ、あの人ハリーの腹心じゃないの?!

「ジェイ! ジェーーーイ! どこ?!」

「キール!」

 ぐいとあたしの肩を掴んだのはランシアだった。あたしが悲鳴をあげてやっと彼女は肩に巻かれたマントの端切れが血でべっとりと濡れているのを知って、「ごめん!」と言う。

「いい、よ……大丈夫。それよりジェイクは? 他の皆はどこ?」

「この混乱はどういうこと? ハリーは?」

 ほぼ同時にあたしたちはお互いに質問し合い、そしてすぐにランシアが引いてくれた。

「向こう。しんがりについてもらって苦戦中。他に出来ることは?」

 正門の向こう側を指差して、ランシアが早口に言う。あたしはその言葉が終わるか終わらないかと同時に駆け出して、そして振り返りながら言った。

「すぐに全員に真剣を! 中に入れないで!」

 説明もしないで頼んだそれを、ランシアは「了解!」と短く答えてくれるのも背中で聞いた。大丈夫、きっと大丈夫。ランシアならきっと大丈夫。どきどき跳ねる心臓にそう言い聞かせながら、あたしは正門へ向かった。城の中よりも外の方が混乱してる。

 連中はやっぱり、こっちにかなりの人数を割いてた……! あたしが囮だってわかってたんだ。

 なんだか、すごく悔しかった。演習をすることが漏れてたのはともかくとして、あたしがまんまとどっかで網にかかったことが呪わしかった。もし、あたしのせいで。

「ジェイク!」

 こんなとき、彼の赤い髪は目立っていいと思う。あたしはそんなことを思いながら剣を抜き、やっぱり白マスクをつけてる連中の中に飛び込んだ。近衛兵が数人、うへえっとか言いながら尻餅をついた。白マスクは怯むことはない。そりゃそうだ、自分たちから仕掛けたんだもの。

「真剣を持て!」

 あたしはそれだけやっとで叫んだのを、いったい何人が聞いてくれただろう。

 なんであたしの声はこんなに細いんだろう。届かないんだろう。さっきのハリーみたいに響かないんだろう。きっとハリーなら一喝でこんな騒ぎは静められるのに。あたしは、なんて――

「キール?! いったいどういうことだ!」

 あたしが正門にいるというイレギュラーな現状が、ジェイクには危機感を与えていた。彼はいつも予定通り、マニュアル重視。その中で違う答えが弾き出されると何かあった、とすぐにピンと来る。いつもはそんなジェイクのことを融通が利かないって思ってたけど……今は、ありがたい。

 心臓よりももしかしたら早く、右肩が悲鳴をあげている。それでも剣戟は治まらない。手を止めれば肩が痛まない代わりに命が消える。――そうだ、これは実戦だから。

「反乱軍を中に入れないで! 正門死守!」

 あたしの、説明の足らない指示はそのとき何よりも雄弁だったと、あとでジェイクは言った。

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