6 麻酔薬の女
フェルはどことなく不安げな顔をしたまま宿を発った。俺にはあいつが何を言いたかったかわかるような気がする――俺はそれまでどう過ごすのか、と。そう問われることがわかっていたから、俺はわざとヤツの口車に乗らなかったり気配をうかがってフェルの疑問に答えてやらなかったりとすることで、回答を避けていた。ヤツはそれに気が付いていたんだろう、だから何も訊ねずに発っていった。
正門チームが発ったのはそれから少し経ってからのことだった。あいつらは問題ないだろう、ジェイクがいるし、万が一のときはグランセがいる。腕っ節だけを言うならランシアも引けを取らない。
最後に宿を出た俺はそのままシウダの町に出る。この間、グランが女と密会してた場所だ。同じような夕刻の景色に、俺は目を細めながら周囲を観察した。
どうってことのない平和な町並みだ。数日前、ここであんなことがあったなんて想像もつかない。
あのとき――ぶつかったのは普通の女に見えた。一瞬だったからろくに顔さえ覚えていない。髪が――長かったような気もするが、その色は記憶にない。若いと感じたが、それが定かかどうかもわからない。ただ、ぴりぴりと殺気をまとう戦闘用の女じゃなかった……と、思う。左腕の切り傷は、浅い。
恐らくは薄いナイフのようなものに薬を塗ったのだろう。そんなものを常時持ち歩いている『普通の女』などいるはずもなく、ましてやその前に俺の名前を確かめるなど――
考えれば考えるほどわからない。何故俺なのか、そして何故痺れ薬なのか。俺を足止めして何をするつもりだったのか、そして何故、俺を殺さなかったのか。
あの女が反乱軍の一味で、グランを連れ去ろうとした連中の仲間なのだとすれば俺の名を確かめる理由はわかるが、殺さなかった理由がわからない。
それなら逆は――フェルが言ってたようにグランたちの仲間、つまり反乱軍を調べてた連中なのだとすれば俺を足止めするのは何故だ? あのままグランとその相手が連れ去られてしまったら困るのは連中だろう。
ふと、何かが頭の中を掠めた。なんだ? 何かが引っかかる。俺は通り道から外れて往来を眺めると、ゆっくりと煙草を取り出して火をつける。掠めた何かの尻尾を、そろりそろりと探り出していく。そうだ、つまり。
――俺に、知られたくなかった?
グランの属する組織のことを、城の連中に、つまり俺に知られたくなかったんじゃないか? それならわからなくはない。城に知られないよう反乱軍を調べていたのなら俺に追ってこられるのは具合が悪いだろうし、かといって殺すわけにいかない。それなら何とか筋がとおる。
しかし、反乱軍を調べているのなら軍に協力したって良さそうなものだ。というより、軍属じゃねえのになんで連中は反乱軍を調べて――グランまで仲間にしてるんだ?
結局考えはまとまらない。仕方なく、俺は数人にあの夜の出来事を知っているかどうかを訊ねた。近くの物売りの店番や奥まった宿の客、通りがかりの子供――目ぼしい情報は入ってこない。
半ば諦めてぼんやりと通りを眺めているとふと、見られているような気がして視線を上げた。
周囲を注意深く観察する。特に変わったことはない。往来を歩いてる人間も店の人間も変わったことはない。なのに――なんだ、この違和感は。
気配の元が辿れないのが歯痒いながらも慎重に観察していると、やっとわかった。子供だ。少し離れた先の店先で手すりに腰掛けて脚をぶらつかせている。まだ小さいガキだ、エヴァジオンの伝令よりももっとちいさな――
俺がガキをじっと見ているとその視線が合い、相手は慌てて手すりから飛び降りて路地に逃げ込む。当然、俺はその後を追った。路地は狭いが人通りはそれほどなく、駆けていくガキがちらりと俺を振り返り、驚いたようにぴょんと一瞬飛び上がって、すぐ右に消えた。俺がスピードを上げてその消えた角に着くと、もうガキの姿はない。が、油断せずに進んでいく。
ふにゃっと、今通り過ぎたばかりの小道から悲鳴のような鳴き声が聞こえて振り返ると、続けてにゃにゃにゃにゃあ!と不機嫌そうな鳴き声と一緒に「痛っ!」という悲鳴が響き、物陰から猫がばっと飛び出してくる。逃げ出た猫は目の前にいた俺に驚いてぴたっと足を止めたがすぐに脇を駆け抜けていく。
「――そこにいンだろ? 出て来い」
猫の出てきた物陰に向かって俺は言った。しばらくはシーンと何の音もしなかったが、
「バレバレなんだっつーの」
と溜息交じりで言うと、カサリと衣擦れの音がする。こわごわと顔を覗かせたガキは左手の甲を押さえている。その隙間から赤い線が見えた。さっきの猫に引っかかれでもしたんだろう。
「お前、俺の見張りか?」
びくりとガキが首を竦める。黒い髪にまん丸な青い瞳。……あんときのユラよりちっせーな。
「見張ってたんだろ、俺を」
ちょんと頭をつつくと、ガキはびくりを身体を震わせてぎゅっと目を瞑り、慌ててこくこくと頷いた。目を瞑ったのは……殴られるとでも思ったのか、このガキ。
「んで、誰に報告するんだ?」
ジロリと睨むと、ガキは焦った様子で目を逸らす。しかし、何も喋らない。喋れないわけじゃねえよな、さっき悲鳴あげてたし。
その場に沈黙が数秒、ちょっと居心地悪くなるくらいに流れてから俺はむんずとガキの襟首を掴んで持ち上げた。
「う……わぁあっ?!」
青い瞳を俺と同じ位置まで持ち上げると、ガキは足をバタつかせて必死に抵抗を試みる。しかし、左手が痛いのか手は動かせないままだ。
「誰の手先でこんなコトしてんだっつーの。俺を見張るなんざ十年早い」
わざと強く睨みつけるとガキは俺の手にも伝わるほどびくりと身体を振るわせる。青い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。あのなあ、泣くんじゃねえよ男の癖に――と言いかけたとき、ふと気配に気づいた。後ろだ。
ガキに気を取られてたか、と舌打ちして振り返ろうとしたときに、視界の隅にすいと銀色の刃が見えた。
「そいつを降ろしな」
女の声だ。まさか、あのときの。記憶の中からあのときの声を探り出す。同じか? 似ているか?
「……ガキのお迎えが来たってワケか」
俺はガキを掴んだ手は離さず、ゆっくりと振り返ろうとする。
「動くな」
右の首筋にひやりと冷たい刃が当てられ、少しずつ体温が移っていく。女の顔は見えない。
「もう一度だけ言う。そいつを降ろせ」
あの女の声じゃない、と唐突に思った。でも、どこかで聞いたことがある。どこだ――? あのときの女でなければ、一体どこで――?
苛立ったように刃が強く首に押し当てられる。もうひんやりとはしない。ゆっくりガキを降ろそうとすると、女の剣が俺の背中に当たって柄が揺れ、刃が首筋から離れる。刹那。
「きゃ……っ!」
身体を捻って刃を押しのけ、そのついでにガキを掴んだまま後ろの女に蹴りを繰り出すと、そんな悲鳴と一緒に手ごたえが……ねえ。かわされた?
振り向くと、飛び退って俺の蹴りを避けた女のフードが、その勢いでさらりと背中に落ちたところだった。
「お、前……」
「ちょっとー、いきなり女の子にケリ入れるなんてどーゆーことさ! ったく、サイテー」
ぐしゃぐしゃっと髪をかき上げたその女。長く伸びた赤毛に茶色の釣上がり気味の瞳。声に聞き覚えがあって当然だ。
「……何やってンだよ、こんなトコで」
俺は溜息とともに掴んでたガキを離す。ガキは慌てて女の――シャオの後ろに駆け込んだ。
「あんたこそ何してんのさ、こんなトコで?」
俺を睨みつけながらそう言うと、シャオは後ろに隠れたガキの頭を撫でてやりながら、にっこり笑った。但し、ガキに対してだ。
「あーあ、怖かったねーカイル、もう大丈夫」
「……説明しろよ」
溜息、二つめ。ったく、いったいどーなってんだコイツ、エースと一緒にアーラにいたんじゃなかったのかよ。
あんときはシャオはまだまだガキだった。口うるさくってチビで生意気で……今でもその辺は変わってねえが、外見はやっぱり変わった。つか、こうも変わるもんかねえ。
背も伸びたし、髪もかなり長くなった。まあ、出るトコもそれなりに出て女っぽくなってやがる。とはいえ、あのとき俺に斬りつけた女じゃないことは確かだ。これだけ変わったからといって俺がシャオを見間違える筈がない。
俺がじろじろと無遠慮に見ていると、シャオは当然のように不機嫌になっていき、終いには「なにさ!」と俺を怒鳴りつけた。
「何じろじろじろじろ見てんのさ! ……ああ、もしかしてあたしがすっごく綺麗になっちゃったんで驚いてる? まあそれならしょうがないかー」
「で? 説明しろっつの」
溜息、三つめ。
シャオはぷっと頬を膨らませ、腕を組んでふんとそっぽを向いた。いつの間にか俺に突きつけた剣は腰の鞘に納まっている。
「まさかお前の子供とか言うんじゃねえし、なあ?」
わざとそう言うと、案の定シャオは「なんだって?!」と叫んで俺を睨みつける。
「あたしのどこが母親に見えんのさ! まだ花の十代なんだか――むぐ」
掴みかかられそうになるのシャオの口許を手でふさいでおいて、俺ははたとある考えに気が付いた。……そうか、そういうわけか。なるほど、だから、か。
ばらばらだったパズルのピースは綺麗に埋め込まれた形になった。グランの所属してる組織も、何故そいつらが軍とつるまないのかも――そして俺のことを何故殺めなかったのかも、これですべて説明がつく。
納得した俺が手を外してやると、シャオはがぶりと俺の手を噛む仕草をしながら後ろのガキの頭を撫でまわす。
「ーったくホンット、デリカシーってものに欠けんのよ、ハリー! ……カイルはあんな大人にならないようにネ~?」
カイル、と呼ばれたガキはさっきから一言も喋らねえくせに、こーいうときだけはしっかり頷いてやがる。ったく、便乗してんじゃねえっての。
俺は四つめの溜息をついて腕を組む。疑問はすべて解決した。わかった今じゃ、なんで最初に気づかなかったのか不思議なくらいだ。
「エースは来てンのか」
俺の質問に、さすがにシャオが真顔になる。単純なその質問に、俺がその裏側にある事実に気づいたことが隠されているのを感づいている。
上目遣いで俺を睨むこと、数分。ふっと息をつき、僅かに目を逸らした。
「うん。良くない噂が随分と耳に入ってきてるんでね」
「随分とデケェ耳だな」
俺はくすりと笑うが、シャオは表情を緩めずに視線を戻した。警戒の眼。小さな子ライオンのような目で俺を睨み上げている。
「手を出すな、とか言う?」
何度か言葉に迷って、シャオは結局そう訊ねた。俺は即答で「いや」と答える。
「城の兵士も数に限りがあるんでね。国民が自発的に警備してくれンなら上等」
「コラ近衛兵、怠けるな」
ぴし、と人差し指を突きつけてそう言うと、シャオは肩を竦めて溜息をつく。
「あーあ、バレないようにやろうと思ってたのにさ」
「バレねえようにって……エースの指示か?」
シャオは赤い髪を左右に振る。さらさらと揺れる音が聞こえてくるようだ。
「すぐバレると思うけど、って言ってた。エースとしてはどっちでもいいみたい」
「……そーゆーヤツなんだよ」
シャオは不満げだったが、俺はそれを聞いて思わず苦笑を漏らす。なんだか懐かしかった。
エースの指示はいつも的確で、迷いがなく、自信に裏打ちされていた。エースが口にすればどんな難題でも軽くこなせる気がしていた。あーいうのをホントのカリスマっつーのかもしれねえな。
「ンで? どういう作戦になってるんだ?」
「ひみつ」
シャオの返事は躊躇がなく、言ってつんとそっぽを向くシャオに俺は「あソ」とそっけなく答えた。
「知りたい?」
「ベツニ」
「知りたくないのー?」
しつっこくまとわりつくシャオにシッシッと手を振ると、ヤツはむっと眉根を寄せ
「いーよ、じゃあ教えてあげなーいっ!」
「ご自由に」
さて、と踵を返そうとする俺の気配を感じ取ったのか、シャオは拗ねた表情をふいと引き締め、「あのさ」と小さく言った。それに反応して足を止め、振り返った俺をちらりと上目遣いで見てから、シャオは不本意そうに呟く。
本当は言いたくないけれど他の何かのために、という態度がありありだ。
「いつ、城に仕掛けんの」
「……ひみつ」
お返しにそう言ってやるとシャオは当然、顔面これ不愉快という一色に染まった。
「ケチ! いーじゃん教えてくれたってさ!」
飛んできた拳をひょいと避けながら俺はポケットから煙草を取り出す。それを見て、シャオがますます不機嫌な色を濃くする。
「ドケチ! なにさなにさハリーなんて、そんなにひねくれてばっかりだといつかイヴさんにも愛想つかされちゃうんだからねっ! 行こっ、カイル!」
一気にまくし立てるとガキの腕をむんずと掴み、シャオは随分な勢いで俺の前を去っていった。ゆっくりと煙草に火をつけ、俺は溜息をつく。
「ったく、あいついつまで経ってもガキだな……」
頭に血が上ると後先のことが考えられないのが欠点だろう。もーちょい、大人になったらブレーキが利くかもしれねぇ。
懐かしい顔が次々と思い浮かぶ。あのときの伝令チームのチビたちはもうあんなにデカくなってんのか。ユラなんて、いつまでもガキみてえな気がするけどな。
そしてひととおりの回想の後で最も最後まで強く残るのは、やはり長い金髪だった。
「エース、か」
エースが何かを嗅ぎ取って警戒しているのなら問題はないかもしれない。シャオに城を攻める日を告げて、エースたちにフォローしてもらえば良かったかも知れないが……何故か、そんな気にならなかった。
短くなった煙草をかかとで踏み潰してから、俺はゆっくりとオフォスへと向かった。