5 現在位置、解散
キールは右腕と右脚に軽く包帯を巻いていた。傷の具合を訊ねるとニヤリと笑って
「ぜーんぜんへっちゃら! ジェイクがさぁ~、心配性過ぎるんだよネ」
とぶんぶん腕を振り回す。「で、何?」ときょとんとした顔で俺を見ながら。
「作戦だよ。他に何があんだっつーの」
「だってあたしだけ呼ばれたからさ、何事かと思って」
キールはそこでちょこんとベッドの端に座り、脚をぶらつかせながら俺の次の言葉を待っていた。
「皆には内緒なんでしょ?」
すっかり俺の考えてることが見抜かれてやがる。俺は「ああ」と答えながら椅子を引き、窓辺に置いてあった煙草を掴んだ。途端にキールがむっと眉根を寄せる。コイツがあんまりコレを好きじゃねえのは知ってるから、俺もわざわざ煙草を一本取り出した状態で火をつけずに持っているだけだ。
「お前、城から俺の剣盗って来い」
「は?」
「武器倉庫の場所、知ってンだろ?」
ご丁寧にアシュレのヤツが俺の剣の模造品まで作りやがったから、いつものヤツは置いてきちまってるんだよな。
「知ってるけど……なんで?」
「使うからだよ」
「ふつーに取りに行けば?」
「バレちまうだろ」
「誰に?」
「敵サンに」
キールはそこで質問するのを止めると、腕を組んで空を見上げ「うーん」と唸った。
「バレねぇように持って来いよ? 間違っても大騒ぎすんじゃねえぞ」
「はぁーい」
しぶしぶながらキールが頷いた。そこで俺が煙草に火をつけると、呆れたように溜息をつく。
「アレ重いんだからね? 女の子にあんなもん運ばせるなんて、オニ!」
「別にここまで持ってこなくていい。西門の近くに隠しとけ」
「へ?」
ぶらぶらさせてた足をぴたりと止めると、キールは間抜けな声を出した。俺は煙草を吹かしながら何でもねえことのように続けた。
「二日後の深夜二時、西門で陽動を始めろ。剣はそれまでに用意しとけ。その後は指示を出す」
「りょ……りょー、かい」
「出発はお前に任せる。ケツが決まってっから自分で考えて動け。――フォロー、要るか?」
口角を上げてそう訊ねれば、キールは寄せた眉根をますますぎゅっと不快そうに寄せる。
「要らないよっ! そんな簡単な仕事、ひとりでどーにでもなる!」
「オッケ。んじゃ二日後な」
ひらひらと手を振ってやるとキールは何か言いかけて口を開き、そして諦めてつぐむとベッドから立ち上がってずんずんと部屋を出て行く。扉のところで俺が「キール」と呼び止めると、足がぴたりと止まった。
「模造じゃねえ剣を一振り、お前も用意しとけ。護身用だ」
伸びた髪が揺れる背中にそう言うと、キールは振り返らずに左手を上げてひらりと振った。
キールが出て行ったあとでゆっくりと煙草をふかしていると、控えめにノックの音がした。少しの間の後で細く開いた向こうには、赤い髪が見える。
「ジェイ、連中を呼んで来い」
俺の声にほっとしたような声音で「ああ」とだけ答えると、ジェイクはすぐに連中を引き連れてきた。キールがいないことに、どこか戸惑い気味にしている。
「二日後の午前二時、西門で陽動が始まる」
いきなり要点から喋り始めた俺に、戸惑いながらも連中に緊張感が走った。
フェルはさっきの話のせいか、青白い顔のままだった。それが緊張なのか迷いなのか……わからねぇ。対照的なのはランシアだ。ちょっと口角を上げ気味に、興奮しているのがわかる。コイツはどこかで手綱をぎゅっと締めてやらねえと本気で暴走するからな、あとでジェイにマークさせよう。
一番普通にしているのがジェイクだ。コイツはもう慣れてるからな。いや、慣れてるのはグランセの方が上か……と思うが、ヤツはどことなく落ち着かない。
「西門で騒ぎが起こったら正門を攻める。グランセ、ランシア、ジェイク。いいか、出来るだけ城に近づこうとしろ」
妙な物言いになったのは否めない。三人がすぐに返事をしないのも当然だ。
「近づこうとしろ、とはどういうことだ?」
「そうだ、西門に兵が割かれていれば正門からの突入は容易い」
ジェイクが最初に口火を切った。それをきっかけに、ランシアがはっと我に返ったように加勢する。
「――裏をつくのか」
「アタリ」
グランセはさすが冷静に考えているようだった。俺はそこでもう一度、ニヤリと笑みを浮かべる。
「西門はキールひとりだ、たいした陽動にゃなんねぇよ。西門は陽動作戦だってわかりゃいい。正門に兵がハケ始めたら、俺とフェルで西門から突入する」
陽動作戦は向こうさんも予測しているだろう。で、あればその裏にもう一手仕込んでおけばいい。
「お前らは城の前庭まで進め。城内には入るな」
「なんでさ?」
ごく自然な質問がランシアから放たれる。何故? そう、何故か――
「そいつはそんときのお楽しみだ」
「ケチ」
唇を尖らせてまるで子供みたいにすねたランシアの肩に、ジェイクが宥めるようにぽんと手を置いた。グランセが何も言わねぇのは……もしかしたら俺の考えてることがバレバレなのかも知れねぇな。
「今から作戦開始だ。キールはもう発っている。あとはそれぞれの判断で動け。俺の命令よりその場の判断を重視しろ。――以上だ」
そこまで一気に言ってから、「あ、それとな」と付け加える。
「全員、必ず模造剣以外に真剣を持て。コレだけは守ること。いいな?」
了解、の声は最初にジェイクとグランセ、そしてランシア、フェルとだんだん声が小さくなっていく。
「それじゃ、正門チームはここで。二日後に会おう、ハリー」
にこやかにそう言うと、つまらなさそうなランシアをジェイクがずるずると引っ張って扉を出て行く。ジェイクに目配せすると、ヤツはわかっていたようで軽く頷き、そして部屋の外に消えた。グランセも大人しくついていく。扉が閉まる前、ちらりと一瞥だけを俺に寄越した。
大きく肩で息をついてどっかりと椅子に座りなおすと、フェルがおずおずと言ったように近づく。
「あの、ハリー様……」
「様付けはいらねぇってのに、お前も頑固だな」
じろりと見ると、首を竦めて小さく頭を下げている。
「っつーか、サマ付けしてるヒマ、なくなるからな」
「先ほどの件、あの、私はどうしたら……」
困ったように眉を寄せているフェルに、俺は「あーそーだなー」とのんびり返す。
コイツのこういうとこは神経質って感じだよな。あと二日ってのを「あと二日しかない」って思うタイプだ、きっと。
……そう考えると「まだ二日ある」と能天気に考えるのは、俺以外じゃランシアとキールくらいだと思った。ったく、あんなガキどもと一緒かよ。
「二日後の午前二時、西門まで来い。王座の間まで、俺をフォローしろ」
「し、しかし……」
「あとはどーにかなる。いざって時は俺が指示を出す。ちゃんとついてこいよ?」
フェルは黙ったままだ。さっきの話をどう処理するか、具体的でないと困っちまうんだろう。かといって下手にあちこち気を回さないほうがやり易い。
「ちゃんと剣を用意しとけよ?」
「あの……ハリー様」
おずおずとフェルが俺を呼ぶ。ついと視線を合わせると、妙に神妙な面持ちだ。まるでこれから自分ちに攻め込むみたいな顔してやがる。
「もしも反乱軍がこの期に乗じてきたら……それを考えると城に伝令を遣わすべきと思うのです。やはり隊長にすべてお話して――」
「すべてお話しなくたって問題ねえっての。っつーかお前、裏切って城に行くんじゃねえぞ?」
ジョークのつもりでそう言うと、フェルが黙ったままぐっと返す言葉に詰まった。……コイツ、マジでやりそうで怖え。
俺は背筋を伸ばしてフェルに向き直る。
「城に行って、セレに伝えて、ンでもって今回の演習が中止になったとする。そーなると今回の騒ぎに反乱軍が便乗することはねえが、いずれヤツらは何らかの行動を起こすだろう。今回のチャンスに乗じて連中がノってくれば――迎え撃てば、それで終わりだろ? そっちの方が簡単じゃねえ?」
今か、いずれか。遅かれ早かれ反乱軍は動き出すだろう。予測が出来ないそのときよりも、多少情報が漏れている今上手くおびき寄せて叩いちまった方がはるかに簡単だ。
「しかし、今回の演習では皆、摸擬刀を使っています。もしも何かあったら、太刀打ちできるはずがありません」
フェルも必死だった。自分の責任を感じてるんだろう、別にフェル自信が裏切ったわけじゃないのに居たたまれないという顔をしている。
「戦闘準備が出来ている摸擬刀と、まったく無警戒の真剣と、どっちが有利だと思う? 力の差は得物の差か? 気持ちの差か?」
瞳に迷いの光が宿る。心の天秤はどちらに傾くか――考えても明確な答えが出るわけがない。答えは、俺たち自身が作り出すんだからな。
「緊張感ってヤツはなかなかイイ仕事するんだぜ? まあ、お前らに真剣持てって言った分、俺たちのほうが有利ではあるな」
ニヤリ、と。横目でフェルを見てから笑う。オーケイ?と目顔で問い掛ければ、フェルが諦めたように肩を落とした。
「わかりました、では剣を調達して二日後の午前二時、西門へ参ります」
「アテにしてるぜ? お前が来なきゃかなりキツい仕事だからな」
ぽんっと肩を叩くと、フェルは「ハリーさん」と初めて俺を「さん」付けで呼んだ。
「よろしくお願いします」
「コチラコソ?」
親指をぐいと立ててそう答えると、フェルの顔に初めて僅かな安堵が滲んだ。