3 絡まる糸の行方
痺れ薬のようだ、と俺がほっとしたのはそれからすぐだった。似たような症状を見たことがあったってのもあったし、どうやら毒の類じゃねぇってのはわかった。……つまり、俺が生きてたからだ。
苦しげに酒場の壁に寄りかかる俺に恐る恐る近づいてきた近所の子供にジェイクへの伝言と頼むと予想よりかなり早くヤツが走ってきたが、まだ痺れは治まっていなかった。
「キールを探せ。グランを追って……あの路地だ」
「しかし……」
「俺はどーにか、なる。グランは、誰かと一緒のところを、複数の連中に連れ去られてやがる」
顎で指した路地をちらりと振り返ったジェイクの表情に緊張が走る。ついでに逡巡もだ。俺はもう一度ヤツを睨みつけて「行け」と低く言った。低い声で言ったのは実を言えば、声を出すのがやっとだったからだ。
ジェイクがその言葉に頷いて駆けてくれたから良かったようなものの……俺はジェイクの姿が路地に消えていくのを見るとほっとして、そして――完全にブラックアウトした。
「………うだ、様子は? まだ意識は戻らないのか」
「まだ。医者は目さえ覚めれば問題ないって言ってたけど。そっちはどう?」
「キールの怪我は問題ない。問題あるといえばグランセさんだが……」
ジェイクと、ランシアの声だ。まだ意識が戻らねぇ、だと? いや、それよりキールの怪我ってどういう意味だ?
「何も言わない?」
「ああ。貝みたいに押し黙っている。ハリーが起きれてくれないとどうにもなりそうにない」
「……つねってみようか」
少しずつ、頭の中が整理されて今現在の自分の状況を思い出している。俺は……ああ、痺れ薬でやられたんだ。あの女、とんだ曲者だった。
くすくすとジェイクが笑いを漏らすのがわかった。その声から緊張感や警戒といったものが解かれる。
「顔に傷が残ると悲しむ女性もいるかもしれないから、止めておいてあげてくれ」
「男は少しくらい傷跡があったほうが良い」
「男の勲章か――ランシア、あなたは面白い人だな」
面白――かねぇ。コイツはホントにやりかねない。俺は慌てて起きようと身体に力を込めるが、予想外に動かなくて僅かに腕が動いただけだった。仕方なく、ゆっくりと目を開ける。
予想外に明るい光が飛び込んできて、俺は何度か瞬きを繰り返した。
「ハリー」
ジェイクが俺を呼ぶのに目を動かすと、ヤツはほっと表情を緩ませる。
「皆に知らせてくる」
そういい残して踵を返そうとするのへ、俺は急いで声を出した。
「ジェ、イ」
思わず掠れた声しか出なかったが、ジェイクはぴたと足を止めて振り返る。俺はもう一度大きく呼気を吸い上げ、唾を飲み込んでからゆっくり言った。
「キール、怪我は」
「心配ない。もうぴんぴんして逆にあなたを心配している」
「悪、いな……」
深呼吸すると言葉が滑らかになるようだった。「それで」と俺は続ける。
「グランは」
「無事だ。今部屋にいる。フェルがついててくれている」
ジェイクが言いながら笑みを浮かべ、こっくりと頷いた。どうやら俺を安心させるための嘘ってわけじゃねぇらしい。
俺はそこで二度めの安堵の吐息をつくと、もうひとつ思い出して表情を引き締めた。
「グランと一緒、だった男は」
「それが……逃げられてしまった。……グランセさんは、ずっとだんまりなんだ」
申し訳なさそうにジェイクが答えた。もしも一緒に保護しとけば話も楽だったってのはコイツもわかってるから……ンなことを言う。
俺は身体を起こしながら ――途中、ランシアに支えてもらった。女に支えられるなんて情けねえもあったもんじゃない―― しょんぼりしてるジェイクに「気にするな」と言うと、曖昧に頷くヤツに向かって、続けた。
「グランと、話したい」
ジェイクみたいなヤツにはいろいろ頼んだほうがいい。ヘタに気を回してそっとしといてやったりすると逆効果だ。案の定、ヤツは「わかった」と言うと微かに笑みを浮かべたまま部屋を出て行く。
「……ハリーはどう思う?」
俺がすっかり上体を起こすのに手を貸してくれていたランシアがぽつりと呟く。
「何が。――グランか」
「グランセは何かを隠してるのは明白。別に秘密は悪いことじゃない」
だけど、と。ランシアは珍しく語尾を濁して黙り込んだ。いつもはっきり物事を喋るヤツが珍しい。
「ンだよ、言ってみ」
そう水を向けると、ランシアは銀色の髪をさらりと揺らして ――その髪の色にどっかの誰かさんを思い出したなんてぜってー言えねぇな―― 扉の方を気にすると、声を低く落とした。
「グランセは、女と会っている」
「……女?」
「背の小さい、髪の長い女だ。城まで来たこともある。私は見た」
はーん……前にキールが言ってたな、コソコソ誰かと会ってたって。別に好きな女くらいいてもいーじゃねぇか。ランシアは俺が考えたことを正確に感じ取ったらしく、首を振った。
「あの女は駄目だ。何をどうみても胡散臭い」
ランシアがここまで嫌悪感を露にするのも珍しい。良くも悪くも平等で公平なヤツだと思ってた。
「妬きもちか?」
にやりと口角を上げてそう訊ねれば、あっさり「違う」と返ってきた。
「なんて説明すればいいのか、うまく言えない。でもあの女は――」
ランシアが言いかけたそのとき、扉にノックがしてすぐ「私だ」とジェイクの声がした。返事をする前に開いた扉の向こうに立っていたジェイクがすいと身体を引いて後ろのグランを通す――え?
「オーベルが、代わりに話をするそうだ」
困惑気味にジェイクが言うと、フェルが緊張した面持ちで深く頭を下げる。
「……わかった」
しばし迷って俺が了承すると、ジェイクはランシアに目で合図をすると部屋を出て行った。だいぶヤツも何もいわずとも意図を察してくれるようになった、と俺はひそかに思う。アレで超がつくほどカタブツでなきゃいいんだが……
「私からご説明します」
ベッドへ歩み寄ってくるとフェルはもう一度、頭を下げた。心なしか顔が青白い。
「座れ」
さっきまでランシアが腰掛けていた椅子を目で合図すると、フェルの瞳に動揺が走る。ヤツにとっちゃ上官に事情を説明するのに座るわけにいかない、とでも思っているんだろう。
黙ったまま見つめていると、何度か瞬きを繰り返しながらも「では、失礼します」と椅子に腰掛けた。
「ヴェンセル様にお願いがございます」
唐突に先にそれを切り出したフェルに、さすがの俺も大きく息をついて、考えた。
まったく意味がわからない。今回の話はグランのことであって何故それをフェルが話そうというのか。そして説明すると言ってグランの代わりに来た割にまず頼みごとなんて、いつものフェルらしくねぇ。
俺はじっとヤツを見ていたが、フェルは俺を見返したままじっと答えを待っている。根負けしたのは俺のほうで、結局「ハリー、と呼べ」と答えることでフェルの申し出を受けた形になった。
「ハリー様、グランセが会っていた人物について、言及を避けていただけませんか」
フェルはまっすぐ俺を見て一息にそう言うと、下唇を噛んでごくりと唾を飲み込んだ。
「それについての理由も、ご容赦いただきたいのです」
そう続けたフェルの意図がわからずに、さすがの俺も目を丸くする。
「つまり」
俺がまずそう枕詞を持ち出したのは、その間もこれは一体どういうことなのかを考えるのが止まらなかったからだ。
「つまり、何も聞くな、と?」
「はい」
フェルは真剣だった。両の拳が膝の上で握り締められており、極度に緊張しているのが伝わってくる。
「確かに、自由行動内での出来事なら俺にあれこれいう権利はねぇ。が、グランを追ったキールや俺に影響が出ている。……これをもってしても黙っていろという意味か?」
「申し訳ありません」
再度、フェルが頭を下げた。そしてそのまま上げてこない。……どういうことだ? 事があの古ダヌキの亡霊とグランに関するだけじゃなく、何故フェルがそこまでヤツを庇うのか――まったくわからない。
「フェルナンド」
しばしの間の後、俺が名前を呼ぶとフェルはあからさまにびくりと身体を跳ねさせた。
「お前がそう言うのなら何かあるんだろう。わかった、と言ってやりてぇが……その所為でキールや俺や、今回城から連れ出してきた連中に何かあってからじゃ遅い。――お前、そこまで責任持てるか?」
返事はない。フェルの膝の上に置かれた拳がだんだんと白くなる。強く握り締めている証拠だ。迷いか、決意か。フェルの脳裏を占めるのはそのどっちなのだろう。
「フェル」
愛称を呼ぶと一瞬、フェルが瞳を上げて俺を見る。しかしすぐに伏せられる瞳。その仕草は、迷っている証拠だ。
「ひとりで抱え込む必要はねぇ。それに今はいつもと違って、何もかも報告しなきゃいけないわけもねぇしな」
「……ハリー、様」
押し出すようなフェルの声は、どこか泣き声に近かった。けれどくっと顔を上げたその頬に涙のあとはなく、俺をしっかと見据えるその瞳も潤んではいなかった。
「今からお話しますことは、決して誰にも――隊長殿にもお話いただかないよう、お願いいたします」