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実戦演習  作者: 香住
2/10

2 噂と真実

 その日の陽が暮れてから、俺たちは馬で城を後にした。急な話だったとはいえ五人はそれぞれ出来得る限りの支度をして。一番時間がかかるのはやはり家庭を持っているジェイクだろうと思ったが、意外にフェルだった。ヤツはいいとこのお坊ちゃんだからな、まあいろいろあんだろ。

「ちょっとハリー、ペース早くなーい? も少しゆっくり行こうよー」

 遠慮なく声を張り上げるのは真中あたりにいるキールだ。浮かれやがって声もどこか楽しげに。高い声に、キールのすぐ前にいたフェルが振り返って何か言っている。はっきりは聞こえねえが「あまり大きな声を使わないほうがいい」とでも言ったんだろう、キールも軽くそっかーなどと答えている。

 ちなみにフェルはどうも、緊張してやがるらしい。キールを振り返ったついでに俺を、不安げな目で見てから前を向く。その前はランシアだ。今ンとこ落ち着いてるが、コイツは暴走すると止まらない。さすがに俺でも抑えきれるかどうか……そう考えるとランシアとキールと、随分な爆弾を抱えたもんだ。

「グラン、どうかしたか」

 俺のすぐ前を行くヤツは、どーも城を出てから頻繁に周囲をキョロキョロと見回している。何か探してンのか?

「……何でもな――」

 俺の質問に早口に答えたつもりが、語尾を飲み込んだ。黙ったグランの視線の先に見えたのは―――人影?

「ハリー!」

 俺が馬を止めようとしたその一瞬前に、グランが低くだが厳しく俺を呼んだ。

「何でもないんだ。気にしないでくれ」

 その言葉はひとつひとつの音が、重かった。逡巡しなかったといえば嘘だ。でもコイツがそこまで言うのなら――何か、はあるんだろう。そしてそれをグランはひとりで抱えるつもりらしい。

「……わかった」

 ここで、もしかしたらグランを問い詰めるのが良策だったのかも知れねぇ。けれどヤツは真正面から俺を見てはっきりと言いやがった。それなら、それで、いい。何かあったらそんときだ。


 夜明けより少し前に、エンテの外れに辿り着いた。いつも周回中に良く使う宿は避けて裏通りの小さな宿に部屋を三つ取り、まずはゆっくり休むこととした。俺は小さな窓を少し開けて窓枠に腰掛けると、煙草を取り出し火をつける。

「ハロルド」

 同室のグランが神妙な面持ちで俺の傍に立った。何も答えずただヤツを見上げて先を促すと、迷うようにその茶色の瞳が空を泳ぐ。

「煙草か?」

「違う。さっき、ここに来るとき、誰か……見かけたか?」

 わざと煙草の箱を差し出してやるとそれがグランの喉のつかえを外したのか、一気に言葉がこぼれ出た――『誰か』と。

「まあ……いろいろ見かけたな。おんなじような旅人とか、商人の馬車とかよ」

 別にとぼけるつもりじゃねえが、俺は煙を吐いて当り障りのない返事を返す。

 あんときの、だな。人影はわかったが、男か女か、大人か子供かさえもわからねえ。ただわかるのは、あの人影がグランを待っていたっつーことと……それから、グランもそいつを探してたっつーことだ。でないとあんな風に『なんでもない』なんて言わねぇだろう。

 俺の返事をまともに受け止めたのか、グランは数秒俺を見つめて、そしてふっと息をつく。

「……そうか」

「誰か、捜してたのか」

 再び、迷う瞳。そっちは雄弁にイエスと言っている。しかし言葉には成り得ない。

「――いや、別に」

「オンナか」

 にやりと口元を歪めて言ってやると、ヤツの瞳に一瞬だけ怒りが点る。事実だからなのか、もしくはからかい混じりの口調が気に入らなかったのか――グランはそれきり何も言わず、自分のベッドへと入っていく。

 俺は煙草を消すと僅かに闇が薄れてき始めた空を臨む窓を閉め、厚いカーテンを引くとさすがに移動疲れもあって眠気が襲う。

「誰を捜してた」

 膨らんだベッドの塊に向かってぼそりと俺は言った。たぶんグランは起きているだろう。聞こえているだろう。そしておそらく、返事をしないだろう、眠った振りをして。

「詮索するつもりはねぇけどな。仕事中に他のこと考えてっと怪我するぜ。――特に今回は、向こうさんも手加減してこねぇだろうし」

 しんとした闇の中に、勿論返事はなかった。それがグランの意図なのか、もしくは俺かヤツかが眠っちまったからかは――もう、わからなかった。


「ハリー、いいかげんに起きたらどうだ」

 溜息といっしょにそんな声が唐突に耳に響き、俺は返事の代わりに大きく溜息をついた。

「なんだ、起きてるのか?――おはよう」

 片手で髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら上半身を起こすと、そこにはにこやかに笑うジェイクの姿。

「……やーなお目覚め」

「贅沢言うとイヴレット嬢に言いつけるぞ」

 枕もとの煙草を手探りで探して一本くわえると、もう一度頭をぐしゃぐしゃとかき回す。

「何時だ?」

 ジェイクは昼過ぎの時刻を告げる。それに加えて、皆はもうとっくに起きていること、夜まではフリー行動としたことなどを続けた。

「自由行動か……」

 僅かに考えたのは昨夜――いや、今朝のグランの様子のせいだ。

「何か、まずかったか?」

 俺の反応に敏感に何かを感じたらしいジェイクがそう訊ねるが、俺は「いや」とだけ短く返し、そしてやっと、くわえたままの煙草に火をつけた。あのあとで自由行動はちっと心配だが、仕方ねぇ。ジェイクのせいじゃねえし、グランが結局誰を捜してるのかもわからなかった。

「ハリー」

 真剣な声でジェイクが俺を呼ぶ。コイツもだいぶ連中に似てきたな、と最近思う。もしここであいつらがいたらやっぱり、こんな風に俺は呼ばれるだろう。

「グランの様子に気をつけとけ」

「グランセさんの?」

 予想外に、ジェイクに反応があった。「……何故?」と妙に声が低い質問に、俺は逡巡する。

「実は――妙な噂を聞いている」

 俺の戸惑う様子を見て、ジェイクがひとつ息をついてから、そう言った。ジェイクがグランに「さん」をつけるのはどうも、ヤツが近衛精鋭だったせいらしい。今は見習からやり直しだってのに……しょうがねぇか、コイツは元々近衛兵だ。

「噂?」

「私はそんな話は信じてはいないのだが……」

 ジェイクの説明は簡単だった。――ロサード王が、まだ、生きている。

 そいつは俺も聞いたことがある。というかヤツが窓から身を翻して姿を消してからというもの、それはずっとついて回る噂だった。だから俺らは気にしてねぇし、セレにも勿論アシュレにも気にする必要はねぇと言ってきた。が、しかし、ここ最近はそれに加えてもっと具体的な話があがっているらしい。

 ロサード王がアシュレ王の命を狙って刺客を送り込んでいる。グランセ=フォリッジが近衛見習として入ってきたのが、まず手始め―――

 具体的に名前が挙がったのがグランだったワケか。同じ元近衛兵でもレヴがその噂にあがンなかったのはアシュレが戴冠したときからずっと忠誠を誓っているから、か? どっちにしても性質の悪い話だ。

「ただこれは、近衛兵の中でも見習の連中が言っているだけで、我々のような近衛兵までは届いていない。恐らくはグランセさんとの実力にかなり差があるのを妬んだのだろうと思われる」

「そいつは、セレには?」

「いや、報告していない。もう少し確実性が高くなれば考えようと思っていた」

 ジェイクが首を振る。そして肩を落として両手を組んだ。

「しかし今は後悔している。隊長にお話しておくべきだったかもしれない、こんなことになるとは……」

 言いながらちらりと俺を見るその視線に、何かがこもっているように思えて俺はジロリとジェイクを睨んだ。

「まさか、あなたがグランセさんを呼ぶとは思わなかった。それにグランセさんも、まさかあなたの誘いに乗るとは……」

「お前、ヤツを疑ってるのか」

 つまり、そーいうこった。真実かどうかはわからないが、王を狙っていると噂のある人物がこの『模擬実戦』に加わる――しかも、城を攻める側に回るなんて話がうますぎる。俺がまさか元・近衛精鋭として剣を交わした相手を誘うとは思ってもみなかったんだろう。

「可能性はゼロじゃない」

「バーカ、ンなこといったら誰だってそうじゃねぇか。俺だってそうだ、反乱軍をまとめて反旗を翻す可能性はゼロじゃねぇ、だろ?」

 無造作に煙草の火を消すと、俺は手早くツナギを着て部屋の隅にある洗面台で顔を洗った。

「その話、口外するな。――ここにいる連中にもだ」

「しかし……」

「しかしもかかしもねぇよ。十日以内にあの城を攻め落す作戦を練るのが先だ。連中が戻ってきたらここへ集めとけよ、俺はちょっと出てくる」

「ハリー!」

 意義を唱えようと立ち上がりかけたジェイクの肩を押し戻し、俺はニヤリと笑うと手を振って部屋を後にする。

 出てくる、と言ったものの行く当てがあるわけじゃねぇ。ぶらぶらと街を歩いていると人の頭の向こうに見慣れた後頭部があるのがわかった――噂の、主だ。

 声をかけるか躊躇ったのは、ヤツがひとりじゃなかったから。長いマントにフードを被った小柄な男がヤツの隣にいた。革命んときの近衛精鋭であんなフード被ってるヤツがいたな、たしか。こんなトコで同窓会ってワケでもねぇだろう。――それに、レヴは城にいた。

 いや待てよ、もしかしたらあのとき咎めのなかったレヴは向こうの手駒に入っていないのかもしれない。フードの男、フード……そうか、魔法部隊の男だ。

「あー、ハリー? ……なにやってんの?」

 俺がその二人から距離を開けて様子をうかがっていると、素っ頓狂な声で近づいてくる阿呆がいて、俺は思わずその口をふさいだ。

「っと! 苦しいっての! 何すんのさこのヘンタイ!」

「阿ー呆。黙ってるかとっとと宿に帰るかどっちか選べ。今すぐだ」

 キールはむっとした顔で俺の手を引っぺがすとイーと歯を剥いて嫌な顔をしてみせたくせに宿に戻るわけもなく俺がうかがってる方向へ背伸びする。

「ねぇ、アレ、グランセ?」

 小声で訊ねてくるキールに、俺は「らしいな」と短く答えて考える。別にグランを疑ってるわけじゃねぇが……このままなのも監視してるみたいで気にいらねぇ。

「なんかあったの? あーもしかして例の噂、ハリーの耳にも入った?」

 こそこそと小声で核心を突くキールの口をもう一度押さえると、いやーな顔で俺の手を引っぺがした。

「うちらの間でけっこーな噂だよ。だって本人が否定しないんだもん」

「否定しない?」

 聞き返すと、キールはこっくりと頷いた。

「前にさー、グランセが夜中に誰かに会ってたのを見たってやつがいてさ。たまたまその話で盛り上がってるとこへ本人が登場しちゃって、焦った馬鹿なやつが直接聞いちゃったんだよ、おまえが夜中に会ってるのは反乱軍の一味か?ってね」

 ホント、馬鹿なヤツだ。当の本人にンなこと聞くか、フツー? 俺が呆れてふっと溜息をつくと、キールがくすりと笑う。

「バカでしょー? いきなり本人登場でビビったといえさあ。――で、グランセはそれに対して答えたの。『そうかもな』って」

「そうかもな?」

「そう。否定するわけでもなく、焦るわけでもなくただ淡々と『そうかもな』って。見習なんてバカなガキが多いからさー、その一言でシーンとなっちゃって」

 肩を竦めてみせるキールに、俺は喉ンとこまで出かかった、お前もガキの癖に、って。

 どうにか飲み込んで苦笑に摩り替えるとキールはちょっと眉根を寄せたものの、声にしなかった言葉に拘ろうとはしなかった。

「グランセはいいやつなんだけどね。腕も良いし手加減しないしさ。でもそれからはちょっと距離置かれるようになっちゃった」

 ちょっと複雑な表情でグランを見るキールの目に、同情の色が見て取れた。そしてふと、口調をいつもの調子に変えて俺を見上げる。

「ね、あの子と会ってたのかもね。それなら言いたくない気持ちわかるなあ」

「……は?」

 いきなり言い出したキールの言葉に、理解不能と俺が聞き返すと、キールはあからさまに軽蔑のまなざしで俺を横目で睨む。

「なによ、別にいーじゃない訓練中じゃないときに女の子に会ってたって!」

「女……?」

 俺はもう一度よくフードの男を見た。確かに小柄だし女って言われればそうかも知れねぇ。なんで俺は男だって思ったんだ? あの魔法部隊の男のせいか?

 俺の驚いた顔と反応ですべてを悟ったらしいキールは、ちょっと大げさに溜息をついてがっくりとうな垂れてみせた。

「ねえハリー、あんたそんなんでよくイヴさんが逃げてかないね。つくづく同情するわ、あたし」

 おいおい、なんでここでイヴが出てくンだよ。……っつーか誰がこのガキにクソ余計なこと教えやがった!

 俺の言いたいことはどうやらそのまんま顔に出てたらしく、キールはふんっと鼻を鳴らしてにやりと笑う。

「ふん、そんなのわざわざ調べなくったってみーんな知ってるって! ……でもさ、遠距離恋愛なんてあんたも結構切ないねー」

 ばしっと俺の腕を叩くキールを無視してくるりと身を翻す。ったく、バカなことばっかり興味示しやがって、このガキが!

「ねぇーちょっとぉー、いーのーグランセ、向こう行っちゃ――」

 俺の背中に飛んできていたキールの声が、後半不自然にぷつりと途切れた。一瞬気にはなったが、いつまでも遊んでるわけにもいかない。しかし、その次の瞬間キールの声が鋭く俺を呼んだ。

「ハリー!」

 同時に、地を蹴る足音。身軽なキールは足も速い。どこかティアを思い出させる。ティアのほうが随分と可愛かったけどな。

 振り向けば、グランとその連れ――マント男が数人の連中に連れ去られそうになるところだった。人ごみの向こうだ。周りの連中は気づいてない。――つまりそれほど手際よく、声を上げるまもなく、か!

 二人の姿が細い路地に消えていくのを、俺は人ごみに制されて近づけないまま見ていた。

「キール! 見失うな!」

 そう叫べば、小柄なキールはすいすいと人の間を縫って俺より随分先を駆けている。俺の声が聞こえたようで、軽く左手が上がった。

 やっとで俺が人波を掻き分けると、その中のひとりがぐらりとバランスをくずして倒れかけ、手にしていた籠から果物がごろごろと転がった。

「きゃ……あ!」

「悪ィ、ちょっと急いでて」

 迷ったが、完全に転んじまった相手は若い女だ。放っとくわけにもいかずに俺は急いでその女を支えるようにして立たせ、「怪我は?」と訊ねた。ちらりと見ると、キールの姿が路地に消える。アイツ、無茶なことしなきゃいーけどな。

「大丈夫です。ありがとう、ございます……」

「怪我がなけりゃよかった。悪いが、急ぐんで」

 早口に言うと俺はその女の脇をすり抜けようとして――冷ややかな声につかまった。

「近衛精鋭副隊長、ハロルド=ヴェンセル」

 驚いて振り向くと、その女の手が不自然に動くのを感じた。――同時に、小さな痛み。左腕に、短く浅い切り傷がうっすらと赤い線を作っていた。

 なんだ?と思った瞬間女は身を翻して駆けて行き、追おうとした俺は急にがくりと身体中のの力が抜けた。立っていられなくて膝をつく。息は、出来る。――麻酔薬か?

 力の入らないまま俺は頭だけをもたげて、キールの消えた路地のほうを見ていた。

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