1 御意のままに
その日は珍しく城に戻っていた。まあ、たまには戻んねぇといろいろ煩いのがいるからな。それに戻ったら戻ったで城勤めの奴や城下の連中の顔も見られるし、たまになら悪かない。アシュレが煩いのは今に始まったことじゃねぇし?
久しぶりに一週間も城にいた俺としてはそろそろ街に戻りたいんだが、そうもいかねぇ。アシュレの機嫌の良さに城の連中がほっとしてるのもわかるしな。
……別に奴は俺にいてほしいと思ってるっつーわけじゃねぇ。珍しい顔が城内ウロウロしてると遊び相手にちょうどいいんだろう。実際、二日に一度は相手をしてやってる。それでも、敏感なアシュレはそろそろ俺が街に戻りたいのに感づいたらしい。変化は日常になっちまうと面白くねぇモンなんだが……わかってんのかねぇ、このお嬢さんは。
「前々から思っていたんだが……」
王の執務室で、アシュレが真顔で切り出した。コイツは滅多に感情を表に出さない。続く言葉が何か、良いことなのか悪いことなのか――アシュレの隣に立つセレが僅かに表情を硬くする。
次いで、アシュレがとうとうと語ったことは――簡単に言うと、近衛の連中は実戦経験が足らない、ということだった。
確かに、訓練は充分過ぎるくらいしてるだろう。けれど実際に戦った経験は何事にも代えがたい。国内は今、さほど混乱も見せておらず平和だ。平和は願ったり叶ったりだが、実戦経験がない兵士がいざっつーときにどう転ぶかわかんねぇってのは、理解出来る。
セレもレダも、アシュレの言うことには俺同様同意出来るんだろう。街に出っ放しの俺なんかよりもずっとそいつを肌で感じているに違いない。武力は使わないに越したことはないが、必要なときに使えねぇのも困る。
「そこで、だ」
簡単に現状の問題点を指摘したあと、アシュレは続けた。
「実戦演習を行おうと思うのだが、どうだ?」
「実戦演習?」
俺が鸚鵡返しにアシュレの言葉を繰り返すと、奴は軽く頷いた。
「勿論模擬戦だ。訓練に命を懸けるわけにはいかぬからな」
「しかし……摸擬戦とは? 日常の訓練試合と何を変えるのでしょう?」
レダが不安げに質問する。訓練だけじゃなく時々試合形式もやっているからだ。
「真剣味が足りぬ。――とはいえ、お前たちの所為と言っているわけではない。勿論、兵士の志気が足らないという意味でもないぞ」
そこで初めてアシュレは口元に笑みを乗せて、俺を見た。いやな予感、だ。
「紅白戦だ。城を守る者と城を攻める者。双方、戦略を立てるところから実戦まで」
「それはいささか無理があります。怪我人が出ては――」
「訓練や試合では怪我人は出ぬのか?」
セレが慌てた様子で異議を唱えるのに、アシュレがさらりと切り返す。実際、訓練中に力量の差から、試合では熱くなり過ぎて、それぞれ怪我人は絶えない。セレもレダも一瞬それを思い出してか、返す言葉に詰まった。
「当然、真剣ではなく模擬刀を使わせる。――持って来い」
呼び鈴を鳴らすと、王付の従者が数本の剣を携えて部屋に入ってきてアシュレの手元にブツを置く。ちゃりんと、普通の剣と同じ音がした。
「……いつの間にそんなモン」
「重さも真剣と同じにさせた。殺傷能力は格段に低い」
呆れて俺が呟くとアシュレは一本手にして軽く振ってみせ、そいつをセレに差し出した。渡された剣の刃をセレは調べていたが、ふうっと息をついて目を伏せる。
「確かにこれでは斬ることは出来ませんが、打撲は負うでしょう」
「致命傷を負ったと自己判断したらそこで退場だ。別にこれで気を失うまで戦えと言ってるわけではない」
アシュレは笑みを浮かべたままだった。そーいやここ数日自室で書き物をしてたり調べ物をするとか言ってたことが多かったが……こんなコト考えてたとは。
「どうだ? さしあたっては城を攻め落せばお前の勝ちだ、ハロルド」
「なっ……俺が賊役かよ?」
「賊が城を攻めるのか、もしくは乗っ取られた城を取り戻すのかはお前の自由設定だ」
ニヤリ、とアシュレの口元が緩む。そしてそれですべてだといわんばかりに口を閉ざすと、いつもの顔に戻って俺たちを見つめていた。
セレとレダの迷いを含んだ視線が俺に集まる。……ったく、しょうがねぇ。二人に向けて俺は僅かに肩を竦めてみせ、
「この部屋のどっかに花瓶置いとけ」
言いながら部屋を見回したとき、問うような視線が俺とぶつかった。
「お前をぶっ叩くワケにいかねぇだろーが。捨てるヤツでいいから花瓶置いとけ」
俺の言いたいことが通じたアシュレは大きく頷く。つまり――その花瓶が王代わりだ。俺がそいつを割ったら勝ち、ってこと。
セレが溜息をついて肩を上下させた。アシュレは事務的な口調に戻る。
「期日は十日間だ」
「リョーカイ」
「兵士を半分連れて行け」
「ンなにいらねぇよ。二桁になると数えきれねぇからな」
ひらひらと手を振って俺は執務室の入り口に向かう。部屋を出るときにちょっとだけ振り向くと、執務机でアシュレが満足そうに頷いているのが見えた。
「……まったく、王のなさることは――」
「しょーがねぇだろ、王サマの命令だ」
「しかし、君が断れば王もごり押しは出来なかっただろう」
俺のあとからついてきた近衛精鋭隊長殿は明らかに俺を責めるような口ぶりだった。
「仕方ないわ、言い出したら絶対に引かないんですもの。でもハロルド、大丈夫なの?」
珍しくレダがアシュレの肩を持つ。確かにあのお嬢さんはいったん言い出したことを引っ込めることが大いに嫌いらしい。頭ごなしにNOと言うよりも、危険の無い範囲で受け入れるほうが得策だっつーことをレダもだいぶ学習したみたいだった。
「大丈夫ってどーいう意味だ」
苦笑しながら返すと、レダが困ったようにセレを見る。
「ま、たった今から俺たちは敵同士、ってコトだ。よろしくな、隊長殿」
「……ハリー、君……楽しんでない?」
気が乗らなさそうな隊長殿と話を詰めて、俺は結局兵士を何人かピックアップすることになった。アシュレは半分ずつに分けて紅白戦を予想してたみたいだが、俺にはそーいう大勢の指揮は向かねぇんだよな。
今日の午後に何人か声をかけて夜には出発することを決めたが、実行日は十日間のうちいつかは決めなかった。それについてはセレが「いつなのか決めてくれないか」と最後まで言ったが、俺はノーを貫いた。
ったく、どこの賊が何日の何時に襲撃します、なんて予告すンだよ。十日間のうちいつかってわかってるだけありがたいと思えっつーの。
昼飯が終わるころにはセレも諦めたようで、俺が訓練所に向かうときには笑顔で「手加減はしないからね」と言いやがった。「お互いサマ」と返したが……あいつが笑顔でそんなこと言う方がコワイ。
「ハリーーーさぁーーーーーーーん!」
訓練所に向かう途中、俺の名を思いっきり呼ぶイヌに遭遇。結構遠くから、かなりの全速力で走ってきやがった。
「た、た、た、隊長と戦うって、ホントですかっ?!」
「おー、もう知ってンのか」
話回るの早ぇなー、と呑気に構えてた俺に、イヌがべたっと抱きついた。
「なっ、なんだよ、離せ!」
「隊長と喧嘩したんですか?!」
キラキラ目でまっすぐ俺を見上げるイヌを引っぺがしながら、俺は「アホか」と吹き出した。
「単なる演習だ、お前らはちゃんと城守れよ」
ポンポンと頭を叩いてやると、イヌはぴしっと敬礼する。
「ハリーさん、オレ……じゃない、自分は是非ともご一緒させていただきたいです!」
「ダメだ」
即座に却下すると、デイルはその反応が意外だったようで一瞬目を丸くした。
「な、な、な、何でですかっ?! ハリーさん、何人か味方を連れて行くんですよね? それならオレを連れてってください!」
「ダーメーだ。お前はしっかり城を守れ」
「ハリーさぁん!」
追い縋ってくるデイルを無視して――とはいえ、連れて歩いてるように見えるだろう――俺は訓練所に向かった。
「ハリー」
俺の姿を見つけて次に駆け寄ってきたのは赤髪の男。いつものごとく、コイツは感じた疑問をまっすぐぶつけてくる。
「私は連れて行ってもらえるのか」
「ダメだっつってもお前は来るんだろ」
俺は半分諦め顔で言う。来るなと強く言えばデイルはまだ大人しく引っ込むが、コイツはそうはいかねぇ。
「その代わり、今回は報告はなしだ」
しっかりとジェイクに念を押しておく。こんなときまでいつもの調子で都度都度報告されちゃたまったモンじゃない。
「了解している。実は隊長から、目の届かない間ハリーの行動を逐一チェックしておくよう頼まれてもいるんだ」
オイ。よっぽど俺がなんかしでかすみたいじゃねぇか。セレのヤツ、ちゃっかり手を回しやがって。
「ハリーさぁん……なんでオレはダメなんですか……」
忘れてた。ついてきたイヌが明らかに傷ついた顔で尻尾を垂れている。いや、うな垂れている。
「お前には城を守る任務をやって欲しい」
俺に似て特攻タイプのデイルには今回攻め込む側に回りたくてしょうがねぇだろう。確かにそのほうが向いてるかも知れねぇが、守りながら戦うことを先に覚えたほうがヤツのためだ。城を守れれば、そこをどう攻めるかを考えるようになるだろう。
「でも……オレ……」
俺の言うことも理解は出来るんだろうが、行きたい、やりたいって気持ちを抑えるのが出来ないようでデイルは困った顔で唇を噛んでいた。
「ジェイク、フェルとキールを捜して来い」
そんなデイルの前で酷かと思ったが、俺はなるだけ平静な顔でそう言った。親しい友人の名前を聞くとデイルはもっと落ち込むかと思いきや、何故か嬉しそうな顔をしてやがる。
ジェイクはすぐに駆けていくこともなく、苦笑して首を振った。
「その必要は無いだろう。今日はその話で持ちきりだ。君を見つければ即――」
「そのとーおりっ」
振り向けば、キールがニヤニヤしながら立っていた。随分変わった。デカくなったのは背だけじゃない。いや、もちろん態度のことだ。自信がついたんだろう。
「あたしをスカウトしにきたワケ?」
「……すっげー言いたかねぇけど、ま、そんなモンだ。支度しとけ」
ピン、と軽くデコを弾いておいて俺は改めて別な顔を捜す。
「ちょっとー、行くなんてまだ言ってないじゃん!」なーんてキールが煩く喚くのは無視、ってことで。
「あのう、ハリーさん。誰を捜してるんですか?」
俺についてきてるイヌがそう訊ねた。もう行きたいって言うつもりがないのは、デイルの様子を見てりゃわかる。俺がどうしても連れてかねぇのがわかったんだろう。
「ランシアとグランセだ。知ってるか?」
「ランシアって……ランシア=メイフィールド? って! 知らないわけないじゃないですか!」
デイルがいきなりデカイ声で叫ぶ。確かにあの女は目立つだろう、ココじゃ、な。
自分の声のデカさに自分でびっくりしたのか、デイルはぱちぱちと瞬きしながら「ええと……」と考える。
「グランセさんって方は聞いたことないですね…」
「かもな。まだ近衛に戻ったばっかだろ」
「戻った?」
聞き返された質問に俺は沈黙で答えておいた。フルネームで言ったらもしかしたらコイツは覚えているかもしれない、昔の近衛精鋭のことを。
「んじゃ、お前ランシア捜して来い。俺は向こうの訓練場見てくっからよ」
「はい!」
勢い良く返事をして駆けていく後姿を見ながら、俺は苦笑を漏らす。っとにアイツを見てるとカルを思い出してしょうがねぇ。今度、髪伸ばさせてみるか。
ジェイク、フェル、キール。それからランシアとグランセがつかまればこれで5人か。充分だ。期せずして革命のときと同じ人数だけれど――単なる偶然なんていくらでもある。
第二訓練場は新入りばかりが集まっている。その奥にある休憩室へ向かうと、俺を見て半分の連中が驚いて背筋を伸ばした。ま、残りの半分の連中は知らねぇヤツが来たって雰囲気でぼんやりしてたけどな。新入りなら仕方ねぇ。
俺へ向かってくる視線の中で一番強いそれを見つければ――ヤツが、いた。人差し指でくいくいっと手招きすると、ヤツは思いっきり嫌そうに眉を寄せる。それを無視してそのまま外へ出、壁にもたれて待っていれば……出てきた。ふわりと風に、長い茶色の髪がなびく。
「何の用だよ」
「手伝ってもらいてぇことがあんだけどよ」
相変わらず偉そうな口を利く。気迫だけは負けてねぇな。コイツがここでどんな思いをしてるのか――それは俺にはわからない。むしろ理解してやらねぇ方がコイツにとってはいいんじゃないか、と思う。時々レヴァインが相手してるのも知ってるし、それはそれでいいだろう。
「何で俺に」
「気まぐれ?」
何を、と聞かないあたりが既にココまで噂が広まってるってことだ。ジョーク半分で答えた俺に、ヤツはふんと鼻を鳴らす。
「あんたの気まぐれに付き合うほどヒマじゃない」
「たまにゃ気まぐれっとけよ」
じっと、黒い瞳が俺を見上げる。数秒、そうやって睨んだあとでグランセはふっと目を逸らした。
「今回の話、新入りの身じゃ完っ全に蚊帳の外だからな、つまらないと思ってた。俺は――今、クロウは使わないけど……それでいいか」
「オーケー。お前の剣の腕をじっくり拝見させてもらうぜ」
「……厭味だな」
「この程度でか? 覚悟しとけよ、煩いのが来るからな」
契約成立の祝いにポケットから煙草を取り出して火をつけ、深く吸い込む。
支度をしとけ、と言い残して休憩室を出たところで、タイミングよくデイルが俺を見つけた。その後ろにはすらりと背の高い女がついてくる。
「ハリーさーん、連れてきましたよ~」
相変わらず愛想のない女だった。ランシア=メイフィールド。マウロス山脈の谷で倒れてたコイツを保護したのはもう随分前の話だ。
あンときぎくりとしたのは――その倒れ方、遭遇のシチュエイション、長い髪がそっくりそのまま、俺がセレを拾ったときと同じだったから。
だから、じゃねぇけど……ランシアが意識を取り戻したときに最初に「お前、女か?」って聞いちまって張り倒されたのは仕方ねぇ。
「用件は聞いた、噂も聞いた、ハリーの用件は当然わかってる」
開口一番、ランシアは早口でまくし立てる。口調はちょっと、性格はかなりアシュレに似ている。違うことといえばランシアのほうが口数が多いことか。ついでにかなりガキだ。
「ンなら問題ねぇな」
「待て、私は行くとは言っていない。まあ面白そうだから行ってもいいけど。それよりハリー、こいつが例のデイル=マティス? ハリーの話でよく知ってると思っていたのに、私の予想より背が高くて驚いた。もっとこう、チビっちゃいのを予想してたのに、残念」
そうだ、もうひとり似てる人間を思い出した――ジェイクだ。言わなくてもいいことをだーっと喋っちまって完全に悪気がないところなんてヤツにそっくりじゃねぇか。
現にデイルは初対面の人間にこんなにざっくりやられるとは予想外だったらしく、「チ……チビ?!」とあんぐり口をあけている。ランシアは女だてらに178cmの長身だ。
「どうせ行くんだろ。お前がこんなネタに乗っからねぇとは思えないしな」
「当然。面白いゲームには乗らないと損」
真顔でそう言いながら親指を立ててグーのポーズを寄越す。俺はまあ、コイツが変り種だってのはわかってたが…近衛になってからも随分と馬鹿な連中と馬鹿なことをして目立っているらしい。
例えば夜中こっそり抜け出したり街で飲み歩いて騒いだり酒場の女に惚れられたり、かと思えば廊下にカエルを仕込んだり池に張った氷に乗っかって落っこちたり、ニワトリを全部逃がしちまって怒鳴られたりとまるでお子様だ。
とはいえガキのころから父親に教わったっつー剣の腕は確かなもんで、近衛になったときは別な意味でかなり騒がせた。なんせあのレダを相手に勝ったのだ。
「で? 他には誰をスカウトしたんだ? あ、デイルもそう?」
ランシアの質問に俺が答えるより早く、デイルがぶんぶんと首を振る。
「自分は今回、城の防護に回ります。ハリーさんをよろしくお願いします!」
そう言ってランシアに向かって深々と頭を下げた。オイ、なんで俺がお前からランシアに『お願い』されなきゃなんねぇんだよ。っつーかランシア、お前何うんうんって頷いてるんだっての!
「私に任せろ! ハリーの命尽きたとて、私がその遺志継いでみせよう!」
「勝手に殺すな!」
ったく、バカバカしいったらありゃしねぇ。コイツのこーいうところがもう少し大人になってくれりゃ腕は良いし使えるんだが……
「あ、そうそうハリーさん、途中でフェルに会ったんで、伝えときましたよ!」
「おーそーか、サンキュ」
アイツはどっちかっつーと城で警護に当たりたいタイプだろうからな、逆から見て、警護の穴が見えればいい。
「ええ~、俺が行くのか? お前じゃなくて? ホントに? お前俺を担いでない? ……って散々念押されましたけど、がっつり伝えておきました!」
相変わらず、デイルはフェルの台詞ンとこだけ声色を使う。ちょっと嫌そうな口調がフェルらしい。苦笑した俺を尻目に、ランシアが「あ」と口の中で言った。
「それ、オーベルか? オーベルの真似?」
「そうっス! 似てます? 似てます?」
「似てる似てる! もっかいやって!」
……オイ。お前らホンットにうるせーぞ。