五話 追憶
記憶は曖昧だが、四歳の頃だったと思う。
それ以前のことは覚えていない。素性の知れない男に連れられ、ボクは児童施設へやってきたのだと聞かされた。
一番最初に残っている思い出は、寮母に叱られ、頬を叩かれたこと。理由はよく覚えていない。隣で誰かが泣いていた。きっとボクのせいなんだろう。だから、ぶたれたのは当然のことなのだ。
ボクはドジだから、よく間違いをする。
階段から転げ落ちた時は、痛いだけでケガはなくて、誰も心配しなかったけど、ベッドから落ちて骨折した時は、寮母さんにひどく怒られた。
川へみんなで泳ぎに行った時に溺れて、みんな笑ってくれたけど、自力で上がろうとしなかったから、意気地無しだと言われた。
鬼ごっこをすると、みんながボクに鬼を任せてくれるのに、足が遅いから誰も捕まらなくて、つまらないと全員ガッカリしていた。
掃除をしている時、知らないうちに箒を折ってしまった。みんなは球遊びをしてて、掃除をしていたのはボクだけだったから、どう考えてもボクが壊してしまったんだ。
他の子たちと買い物に行った時、頼まれた荷物を運んでいると、店員さんにドロボウだと思われた。頑張って釈明しようとしたけど、言い訳にしか聞こえないって、信じてもらえなかった。
一緒にいた子が泣きベソをかきながら、ズボンに入っているおもちゃ付きのお菓子を取り出した。後から、お前がヘタクソのせいだと責められた。寮母さんも、あんたといたからあの子が疑われたのよ、って悲しそうに泣いていた。
他のみんなもボクを責める。キチガイだキチガイだと罵る。ボクはキチガイなんだ。
みんながそう言うんだから、きっとボクが悪いんだ。
車で遠出した時は、ボクがトロいせいで公園に置いて行かれた。歩いて帰る途中に、何度も転んでケガをした。足下に気を付けて歩くと、すれ違ったお兄さんたちとぶつかって、飲み物を零し、服を汚してしまって殴られた。
大きな犬に追いかけられて足を噛まれた。動けずにうずくまっていると、知らない男の人がボクを助けてくれた。施設に電話をかけて話しながらすごく怒っている。ペットボトルをボクに投げつけた。
金にもならないのかよ、完全に見捨てられてるぜ、お前。と怒鳴られ、外に放り出された。
施設に着く頃には夜になってて、みんなにこっぴどく怒られた。それでもみんなはボクを許してくれて、白いご飯をたくさん食べさせてくれた。
他の子たちと違って、ボクには部屋がない。みんなボクと一緒は嫌だけど、夜はいつも交代交代で寝床を用意してくれる。
横になって、みんなの下に追いやられ、足蹴にされながら寝る。同い年の子に、お前は本当に恵まれているな、お前が羨ましいよ、と言われた。
……こんなに良くしてもらっているのに、なんでボクは叱られることばっかりするんだろう。
七歳の時、ボクの世話を担当してくれる寮母さんが、ある日、車に乗せてくれた。
あんたは昔、私を痛めつけた男と同じ目をしているわ。と、怒りながらも連れて行ってくれた。罵倒した後に寮母さんは舌打ちをして、小さな声で、ブタ、と言った。ボクみたいな奴と同じにされた豚さんが可哀想。ごめんなさい。
着いた場所は、ブラック教団の講堂だった。
それから毎週の土曜日は、ここへ通うようになった。講堂の仏壇がある大きな畳の広間で、黄色い紙束を渡され、ひらがなで書いてあるお経を何度も声に出して読み上げる。
ボクの中にある悪いモノを祓うためだと、神様やご先祖様への感謝が足りないのだと、寮母さんは言った。たまにおかしな夢を見ること、よくドジを踏むことはそれが原因だそうだ。
ボクは頭が悪いから、お経の言葉の意味は解らなかったけど、せっかくボクのために用意してくれたモノなので、正座して一生懸命、神様にお願いするように読んだ。
時々、車の中でずっと待つだけで良かったり、夜遅く日が変わるまで地元の民謡踊りを練習した。
講堂はとても広かったけど、歩き回っていると目障りだと叱られるので、暇なときは人の見えない所で座って虫と遊んだり、埃の跡で絵を描いていた。
九歳の時から、一人で遊ぶようになった。
外は怖かったけど、施設のみんなはボクのことが嫌いだから仕方ない。
怒らせないように振る舞っても、人の顔色を伺うような態度が気に入らないと叱られた。
広場の端っこでみんなに混ざらずオドオドしていると、いけ好かない、とドロ団子をいっぱい投げられた。
だからみんなに迷惑がかからないように、自分だけの居場所を探した。大通りにある使われていない地下街だ。
ここは真っ暗で、怖いお兄さんたちも溜まり場にしてないし、誰も来ない。側に捨ててあった大きなグレー色のコートを見つける。それを被って闇の中でジッとしているのは心地よかった。
日が暮れる前に地下街を出て、なんだか軽くなった気持ちで歩道を歩く。これなら、門限の時間までは、みんなの迷惑にならなくて済むかなぁ。
急に目の前が眩しいほど明るくなった。──後ろから何かがぶつかってきて、お店のシャッターに身体を打ち付けられる。
エンジンの唸る音と、人の声が聞こえる。閉じていた目を開くと、大きなトラックがあった。自治団体に搬入する食材を運ぶトラックだ。
何やってんだろう。また寮母さんに怒られちゃうな。みんなをガッカリさせちゃうな。そんなことを考えながら、どんどん意識が無くなっていった。
目を覚ますと、布団の中にいた。施設の子供部屋だった。頭に包帯が巻かれている。子供たちが部屋に入ってきて、何かを投げ寄越した。
また石やドロ団子を投げられたのかと思って、びくっと身構える。毛布の上に幼児用のお菓子が置かれていた。
お前はまだガキだからそれでいいだろ、とみんなで笑いながら出て行った。
嬉しくなってボクも笑う。なんだかみんな優しいな。これなら大ケガをするのも、たまにはいいかもしれない。これはまだ食べないで記念に取っておこう。
ちょっと手や足が痛かったけど、部屋を出て、事務室を目指す。寮母さんたちにも心配をかけたかもしれないから挨拶しなきゃ。あとで、みんなにもお礼を言おう。
恥ずかしいから、覗いて様子を伺う。三人の寮母さんたちが談笑していた。
「なんで死ななかったかねぇ。そしたら、もっとふんだくれたのに」
「まあ、いいじゃないですか。また同じような事故に遭わせればいいだけですし。あれもたまには役に立つわ」
「死んじゃったら、ストレスのはけ口もなくなっちゃう。玉ねぎってね、私を虐めてた兄にも目つきが似てるんですよぉー。もっと小さい頃に骨折ってやった時なんか、スカっとしたのね」
「そうよ、これからもっと嬲ってやりましょう。あいつ、何をされても謝ることしか知らない気持ち悪い子供だから」
持っていたお菓子を落とした。老けた寮母が汚く大声で笑い、太った寮母がブタみたいに鼻を鳴らして笑い、やせ細った寮母が分厚い唇を叩きながら笑った。
彼女たちの笑い声に反応するように、胸がギュウと苦しくなった。息が上手くできない。何故か、震えも止まらない。怖くも寒くもないはずなのに。
ああ、そうだったんだ……本当にボクが嫌いなだけだったんだ。別にボクが悪いことをしたわけじゃなくて? もう、わからないよ。
部屋に戻って、また布団に入りボーッとする。ボクに車でぶつかった人には迷惑かけちゃったかな。……こんなふうに考えることも止めようかな。
運んできてくれたご飯を、いらないと断る。何も食べたくない。何も考えたくない。もう全部どうでもいい。疲れたよ。死にたい。
どうしてボクだけがこんな目に遭うんだ。窓から外を眺める。きっと神様もボクを嫌っているんだ。天国の世界で、ボクのことを虐めるように仕向けている人たちがいて、寮母たちみたいに嘲り笑っているんだ。
それからずっと眠るの繰り返し。目覚める度に思う。なんで、まだ死なないんだ。はやく死なせてよ。
三日が過ぎた晩、子供たちがまたご飯を運んできた。ボクを押さえつけ、白米に牛乳とハチミツを混ぜたモノを無理矢理口いっぱいに入れてきた。
抵抗しようとするが、力が入らない。咳をして咽せ、泣きながら懇願しても止めてくれない。死にたい死にたい死にたい。お願いだから、死なせてくれよ……。
子供たちが嘲笑する。寮母が駆け込んできた。声を振り絞って救いを請う。助けてください。
寮母も子供たちと一緒になってボクにご飯を食べさせた。固く口を閉じたボクの顔を引っ叩いた。
「本っっ当にバカじゃないの!? あんたが今ここで死んだらどうなると思ってるの!? 教団や団体に、私たちの責任だって言われるじゃない!! 誰がここまで育ててやったと思っているのよ!? 死んで可哀想だって同情されたいの!? 死ぬんだったら、またトラックに撥ねられて今度こそ死ねばいいでしょ!! 性格ひん曲がってるから犯罪でもやらかすと思ってたけど、まさかここまで落ちぶれていたとはねぇ!? いい!? 次、同じようなことしたら、こんなんじゃ済まさないわよ!? 返事はぁ!? 黙ってないで何か言いなさい、このブタ!!」
もう一度、引っ叩かれる。うるさい笑い声が鼓膜に響く。
今、ボクが一体なにを考えているのか、気付かれてはいないので無表情なのだろう。
よかった。ここで感情をむき出しにしたら、これから先が台無しだもんな。
……いいか、お前らは絶対に、ボクが殺してやる。自分の手で。
ただでは殺さない。人間いつかは誰でも死ぬんだ。それじゃあ割に合わない。きちんと罪は精算しないとな。
与えられてきた屈辱の分だけ、苦しめて殺してやる。いままでボクにしてきたことを後悔しながら、泣いて謝り、許しを請いながら死ねばいい。
全員の顔を目に焼き付けるようにして見渡す。おい、見てるんだろ? ボクを不幸にして楽しんでいる誰かさんたちよ。
紹介してやる。この太った寮母が『ブタ』だ。人のことを指してブタと言うんだから、コイツもそう呼んで構わないだろう。ババアの方がそのまま『クソババア』で、ガリッガリの方が『骨』だ。
そこにいる細めのどんぶり面したジャガイモ小僧が『カツ丼』。人のモノを勝手に盗って粋がったり、付け焼き刃の知識をひけらかして自分を誇示したがる能無し野郎だ。
その隣が『イカ夫』。平べったくてデカい顔がイカっぽいだろ? バカさ加減はカツ丼と大体同じ。どうやら肩幅が狭いのを気にしているらしく、よく太い首を突っ張って伸ばし、無駄な努力をしている。
あっちが『ナル川くん』だ。ナルシストで、学校の友達も選んでステータスにしたがっているカス。これも上に同じく。○○踊りみたいなヘッタクソダンスを覚え、チンピラ共と馴れ合おうとした結果、ボコボコにされている図は噴飯モノだったな。
あのブサイクが『ゴリラ』な。女なのに男みたいなゴツい体格をした文字通りのゴリラだ。本人はいまだに自分が可愛いと思っているらしい。なんでもかんでも人のせいにする屑。
以上が、これから地獄を見ることになるゴミ共だ。
今は何もしない。いつかボクが金でも何でも使って殺してやる。せいぜい笑ってろよ。
殺す……できる限り残酷に、殺す殺す殺す、絶対に殺す……っ!
この憎悪と殺意に誓い、必ず遂行してみせる。