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ダークブレイカー・ゼロ  作者: 増岡時麿
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プロローグ

「正義」とは――、

そこに打算的な理由はなく、ただ助けたいという一心で、困っている人を迷わず救うことができる者のことだ。



 小学六年のあの日から、ボクの人生におけるこの真理はずっと変わっていない。そういうお前はどうなんだと聞かれれば、ボク自身は正義のヒーローでもなんでないし、どちらかと言えばとても臆病な人間なのだが。

 これといった取り柄も無ければ、運動はからっきしで、勉強は苦手。ついでに性根も腐りきっている。たしか小学六年より前までは、卑屈で情緒不安定で、死ねいと思った奴の頭を爆発させる能力が欲しいなぁとか割りと本気で考えていたちょっと危ない子だったと思う。

 ……ああ、やめよう。あまり思い出したくない。過去の自分は黒い歴史の中へ置き去りにしてきたんだ。



 とにかく、いまのボクは人助けのために行動できるヒロイックな人間を心の底から尊敬しているし、そうなりたいとも思っている。

 だから自分でもそんなまっすぐでカッコいい生き方ができるように、困っている人なら誰でも助けようと、臆病者なりに少しは努力をしているつもりだ。



 ついでに言ってしまうと、そういう機会に恵まれていると言えなくもない。理不尽すぎて訳わからんし、たまに発狂したくもなるが、どうやらボクは厄介ごとに巻き込まれやすい不幸体質らしいのだ。

 なにせ路地裏で良からず者に絡まれている女の子とか、ほぼ毎朝と見かける恒例イベントだったりする。その度に参上してはチンピラ共を挑発している隙に女の子を逃がして、自分も反対方向へ逃げるという寸法。

 捕まってボコボコにされる前にあいつらを撒くのは一苦労だ。いつも必死こいて逃げ回っているおかげなのか、この二年でちょっとくらいは足が速くなった。



 あとはそうだな、小さい頃はよく危ない事件にも出くわしていたが、最近ではそういうこともめっきり減っている。今はせいぜい窃盗犯に狙われたり、買った物が不良品だったり、鳥のフンが頭に投下されたりと、小さな不幸が数え切れないほどあるだけだな。

 正直ウンザリすることもあるが、昔に比べたら大分マシだ。なによりこの不幸体質のおかげで困っている人を見つけられるんだ。

 そんな人たちの力になれるのならこんな不幸も悪くないと思えるくらいには、ボクも精神的に成長したんだ。



 野暮ったい損得勘定も、型にはまった理屈もいらない。ただ単純に誰かを守りたいって気持ちさえあればいい。困っている人がいれば、危険も顧みずに全力で助けに行く。

 「あいつ」が教えてくれたそんな勇気のある姿勢は、絶対的で完璧な正義であり、ボクが信じる唯一の正義なのだ。だからボクも、困っている人は誰でも助ける。



……そう、誰でも助ける。それが善人であろうと悪人であろうとも。たとえ、それが猿とコモドオオトカゲを足して二で割ったような顔をした、ちょっと人間っぽくない化け物だったとしてもだ。



「おぅわっ!?」

 勢い余ってヘッドスライディングの形で盛大に転んだ。全身を激しく強打してしまったから立ち上がることもままならないのだが、ここで鈍痛に悶えている暇はない。眼鏡を拾い、なりふり構わず駆け出す。



 なんとか小道から大通りへ抜け出したのはいいものの、辺りに人気が無いのは絶望的だった。

 半ば無法地帯の廃墟と化したこの街では、日が暮れると皆自宅で静かに過ごすことが周知の規範となっている。その暗黙ルールを破るのは、夜の街で群れて粋になっているよくわからん奴らか、影で良からぬことを企てる危なっかしい変態かどっちかだ。

 それでも、そんなしょうもない連中でもいいから、すがり付きたいほどボクは取り乱していた。



 もはや生きた心地がしない。誰でも全力で助けることが正義だとか、さも得意気に持論の美徳をのたまったばかりなのだが、今はボクの方が誰かに助けてもらいたいくらいだ。



 ほんの数分前、前々から施設に滞納していた家賃をなんとか今月末で返済できるようになり、そこそこの軍資金も貯えたので、これでやっとゴミ溜めみたいなバイト先から解放されるなぁと珍しく幸せな気分で帰り道を歩いていたところ、



 その途中で倒れている人を発見した。



 こういう場面に直面することは頻繁にあったから、さほど動揺はしなかったのだが、近づいて見たその人の容姿にギョッとして背筋が凍りついた。



 むき出しの痩せ細った上半身はネズミのごとく灰色の細かい毛で覆われており、恐る恐る視認した顔はツギハギだらけの酷い有り様であったが、その表情はまるで能面のようにのっぺりとしていた。



 なんだこれ、死んでる?

 見なかったことにして素通りしようかとも考えたが、それはいくらなんでも己の主義に反するので、一応声をかけてみることにした。

 ……えっーと、あのー、大丈夫ですか。そっと尋ねてみる。――すると反応があった。



――ブォン!!



 死体かと思われたそれは、突然グルンと身をひねらせながら飛び上がるようにして立ち上がったのだ。

 全長は二メートルをゆうに越えている。よく見ると左足が欠損しており、右足一本で器用に直立している。

 両腕はダランと垂れ下がって、首は後ろに反った状態。倒れていた時から見開かれたままの白い眼は虚空を見つめていた。



 血の気がサーッと引いていく。

 あまりのことに全身が硬直して声も出せなかったが、思考停止した脳みその代わりに生まれ持った本能は、この状況が危険であることを瞬時に察知した。



――早ク逃ゲロ。



 まごついた神経信号が脚をバタつかせ、絡まって倒れそうになるが、上手く体勢を整えてから必死で前進させる。

 離れてすぐにチラッと振り返ってみる。ひぃっと、女々しい小さな悲鳴が喉の奥から漏れてしまった。

 やはりこの不運との出会いはちょいと驚かせる程度では済まなかったようだ。



 案の定、奴は追いかけてきた。

 デカい図体を前後にブンブンと激しく振りながら、一本足とは思えない速さでこちらへ向かってくる。なにあれ気持ち悪い。



――というわけで、カカシのオバケに襲われている真っ最中である。

 なにを言っているのか意味不明だと思うが、ボクだって訳がわからない。

 狂犬や通り魔に追い回された経験はあっても、スケアクロウに追われるなんて前代未聞だ。

 神様はボクになんの恨みがあるのかは知らないけど、せめて罰を下すのならもうちょっと現実味を大切にしてほしい。

 いくらなんでもありえない。世界をあらゆる法則に乗っ取って創造したのなら、ボク一人の運命を狂わせるだけのために怪奇現象を起こすとか適当な仕事すんなよ。



 やっとの思いで駅ビルの付近まで来て、地下街へと続く階段を降りる。十数年前には栄えていたこの場所も、今となっては見る影もない。

 電気は通っておらず、目の前の通路は真っ暗闇で、天井の電球はひとつ残らず外され、電光広告のほとんどは無惨に割れており、ガラス越しに見える蛍光灯は埃をかぶっている。

 パニックになっていたボクは明かりが無いことなど気にとめる余裕もなく、暗い中をめったやたらに走り回る。



 しかし冷静さを欠いているとは言え、ここは子どもの頃ずっと遊び場にしてきたから大まかなの構造はそれなりに把握できるはずだ。

 このまま真っ直ぐ突き抜けた先にある柱に衝突しないよう、うまいこと曲がって右に方向転換し、長く続くシャッター通りを抜け、古びたエレベーターの側にある開けっぱなしの非常口に入って、狭い階段を下り、地下駐車場へ隠れようとした……が、



 ガチャガチャガチャガチャ!!

 おいおい、冗談だろ。開かねぇぞ、このドア。

 行き止まり。もう本気で泣きそう。巨大迷路のような地下街の最深部まで潜ったのだから、さすがに見つかる心配はないと思うし、ここまで来る可能性なんて考えたくもないが、もし仮にヤツがこの場所まで辿り着いたとしたら、ボクになす術は無い。ゲームオーバーだ。



「クソがッ」

 そう吐き捨て、しばらくその場に立ち尽くし、何か打開策はないのかと足りない頭を働かせた結果、荒くなった呼吸を落ち着かせ、壁にもたれてうずくまった。

 とりあえずはここで身をひそめてやり過ごすしかない。戻って非常口の扉だけでも閉めてこようかと考えたが、正直そんな気力はないし、そもそも階段を上ったり扉を閉めたりと、暗い中を手探りでそこまでの作業をやり切れる自信がなかった。ここまで走って来れたさっきの自分がすごすぎる。



 途方に暮れ、ただ時間が経つのをじっと待つ。

 せっかくの長い休みなのに登校日なんてめんどーだなぁとか、眼鏡のレンズに軽くヒビが入ったから交換しなきゃとか、帰ったらすぐに体を洗ってさっさと寝ようとか、そんなどうでもいいことを漠然と考えながら、いつか迫り来るかもしれない恐怖と戦っていた。

 ……そういえば明日は「あいつ」が帰ってくるんだっけ。少し嬉しいことを思い出して顔が緩んだ、その時、



――ゴゴゴゴゴ、ドシャァァァ!!



 階段の方から何かが転げ落ちてきたような、凄まじい音が響いた。あ、これ終わったな。

 不安が確信へと変わった瞬間である。行き止まりになった時点で引き返すべきだったのだ。ここまで来れば大丈夫だとか浅はかな期待を少しでも抱いたのが決定的な間違い。

 忘れたのか? いつもそうだったじゃないかよ。こんな最悪のパターンで事なきを得た試しがないだろ。不幸体質も相まって、嫌な予感ほどよく当たるんだ。

 奥で何かがガンガンと壁にぶつかる音がして、それから床に人が叩きつけられたような生々しい音が響き渡った。――あそこに無表情のカカシが横たわってウネウネとうごめいているに違いない。

 目が見えないこの状況では、耳だけが頼りだ。動悸が止まらない。ズルズルと気味の悪い音。カカシが折れた脚を引きずりながら芋虫のような動きで、こちらへ這い寄ってくる姿を想像する。

 さっと横切って逃げるしかない。そう思って立ち上がろうとするが、どうやらボクはこういう時に限って腰が抜けるアホらしい。



 音がだんだんと大きくなり、すぐそこで何かの気配がする。

 おそらくカカシとの距離はもう三メートルもない。が、まだ動けない。いい加減にしろ、こういう時だからこそ根性を出さないでどうする。



 頑張れ頑張れできるできると、己を奮い立たせようとむきになっていたら、――急に引きずる音が止んだ。

 まるでそこにいるはずのモノが、フッと消えてしまったかのような錯覚を覚える。しんと空間が静まり返り、緊張して思わず息を飲む。

 足に力が入るようになって、物音を立てないようにそーっと腰を持ち上げようとすると、――目の前にボォっと能面が浮かび上がった。



 かすれた声で絶叫。あまりの恐怖に総毛立つ。



「おかえり」



 淡い光で全貌を照らし出されたカカシは、そう言われると、いつの間にか開かれていたドアの向こうへと姿を消した。度肝を抜かれたまま顔を上げると、そこには燭台を持って佇んでいる誰かがいた。



 長髪の若い女だった。黒ずくめのローブっぽい衣装。顔は垂れ下がった前髪でハッキリとは判らないが、うっすらと確認できる表情は怪訝な面持ちであり、彼女はまるで不審人物を見るような目でボクを見据え、そして静かに呟いた。



「あの……、もう帰った方がいいです……」



 そう優しく注意を促して、地下駐車場の中へ入り、ゆっくりと扉を閉めた。光を失った空間で鍵がかかる音がこだまする。無音の闇に戻った。



 言われたとおり帰らせてもらうわ。のろりと立ち上がって、ガクガク震える足を支えながら壁づたいに歩く。……なんなんだよ、もう。

 全てが分からず終いだった。まぁ、無事に済んだならそれでいいか。



――と、この時は思っていた。



 この出来事は単なる予兆に過ぎなかったということを、ボクはすぐに思い知らされることとなる。



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