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接吻


 騎士団城は石造りの、王都内の建築物では最大級の規模を誇っている。高い城壁に囲われた敷地は3つの建物で構成されており、正門周りを飾る前庭の右側に、厩舎と刀剣等の修繕を行う鍛冶場、粉を挽きパンを焼く工房など日常的な作業場を設けた『下城』、広い中庭を隔てて鍛錬場や大食堂、談話室など騎士たちが主に集まって過ごす『中城』、そして騎士たちが寝起きする『高城』である。中城と高城は渡り廊下で繋がれ、高城の最上階中央に執務室――――総轄長の部屋があるらしい。馬車に揺られる中、補佐官が教えてくれたのだ。


 黒塗りの重厚な門の両端には2人の門番が控え、馬車の窓越しにフロレンスに敬礼する。

 正門を通り抜け、フロレンスの手を借りて馬車を降りると、暗い金髪を無造作に流したイグナーツと、初めて会う青年が迎えた。見知らぬ方の青年が待ちかねたように駆け寄ってくる。


「おかえりー。フロレンス!」


 ――――とても綺麗、と人の美醜に(うと)いセラフィナでさえ思わず見惚れてしまう美男子だった。

 騎士として鍛えているはずなのにほっそりとした体躯の青年だ。3人の中で一番背丈を抜いている。目尻の切れ込んだ瞳とはっきり整った目鼻立ち、蠱惑的な口元。容貌そのものは謎めいた艶があり、見続けていると目の毒になりそうだ。

 砂色の髪が柔らかに微風と踊り、翡翠の双眸が悪戯っぽく(またた)いた。


「この子が新しい? すっごく可愛い! こんなに可愛い子が上司なら俺、お仕事頑張っちゃうよ!」


 はしゃぐような声が響く。これまで何人もの女性を骨抜きにしてきた甘い響きだった。

 フロレンスは彼を睨むが、自然と口に出たらしくその表情に悪意はない。そして幸いなことに、修道女には通用しなかった。


「セラフィナ・シックザールです。よろしくお願いします」


 彼女は教会の人間らしく、組んだ両手を腹に当ててペコリと礼をした。

 可愛らしい容姿と、庇護欲が沸き上がるような純真な双眸。修道服1枚に護られた、頼りなげな肢体。鈍色(にびいろ)の修道服は誰の趣味かドレスに似た造りをしていて、手首にかけてぴっとり覆う袖は肩部(けんぶ)がふんわり膨らんでいる。くびれた細い腰、すとんと足首まで垂れるスカート部分。修道女らしく慎ましやかな装いだが、良いところのお嬢さんっぽくもある。

 ディナダンはすぐに気に入った。瞳が零れんばかりに大きい、華奢な見た目は彼の好みに外れているも、悪くない。やや痩せがちだが、締まるところは締まり、ふくよかなところは適度に柔らかそうだ。頭の先が青年たちの肩にぎりぎり届かないくらいの身長で、話すとじっと見上げられるのが男心に火を点ける。


「ディナダン・オルオフだよ。これからよろしくね」


 (かしこ)まったふりをして腰を折り、無警戒な娘の右手をさらう。透けた白い手の甲に口づける。

 ちゅ、と小さく鳴った音。手の甲に感じた生ぬるい柔らかさ。セラフィナは固まった。

 もう一度。今度は角度を変えて見せつけるような流し目で再び唇を落とされ、彼女は絶叫した。


「ひゃ――――っ!!」

「ディナダン!」


 おどけた調子で、彼は無邪気を演じた。


「まあ遠慮しないで」

「お前な」


 彼女の反応など意に解さず、立ち上がったディナダンはなおも右腕を掴んで己の口元へ近づける。逃げ腰になった娘の姿勢を素早く見て取り、意地悪く問う。


「どうしたの? お兄さんが嫌い?」

「だ、だめです……」


 あたふたと動転し、今にも泣きそうだ。瞳は(にじ)んで水面のように揺れ、真っ白な肌が火照る。蕾のような唇はぱくぱくと酸素を求めるようにあえいだ。ますます煽られて、ディナダンは唇を妖艶に綻ばせた。業を煮やしたフロレンスが彼の不埒な手をはたく。


「やめとけ。お前の知ってる女とは違うんだぞ」

「だって可愛くない? 手にキスしただけで真っ赤になるんだよ」

「加減というものを知らないのかお前は! 修道女だぞ!」

「可愛いんだから仕方ない。やっぱりあいつらが言ってた通りだぁ」


 どれだけ注意されてもディナダンは飄々(ひょうひょう)としている。反省などせず、今度は左手かな、などとのたまえばセラフィナは爆発した。左手に持った布袋の棒を振り回す。


「く、口づけというのはですね! 愛する者同士が主の面前でのみ許された行為なんです! それを、……そ、そ、それを何のためらいもなく!」


 赤らめたり青ざめたりと忙しそうにしながら、セラフィナは激しく抗議する。

 セラフィナの中で接吻は神聖なものである。誓った永遠の愛をお互いの心に刻み込む大事な儀式だ。やたらめったらして良いはずがない。しかもこんなに軽々しく、何度も。罰当たりだ。


「え?」

「え?」

「は?」


 必死の抗議を、信じられないという顔つきでぽかんと口を開けるディナダン。彼を制していたフロレンスとイグナーツもだ。目を丸くして彼女を注視している。


「え、嘘。本気で言ってる?」

「子供……」

「フロー。俺は見てられねえ」

「へっ?」


 それぞれの呆れ顔に今度はセラフィナが拍子抜けし、左腕を下ろす。


「ここまで初心(うぶ)だったら清々しいよね」

「あの、えっと……変なこと言いました?」


 胸にまとめた両手を揉んで、娘は眉を下げる。怒るのは諦めたみたいだ。というか、困惑している。

 ずいぶんと清純な心の持ち主で、ここに来たことがとんでもなく不幸に思える。


「ここら辺の教育も補佐官がしてくれるってことで」

「こういうことまで教えないといけないのか……」

「じゃあ俺が教えたげても良いよ!」


 嬉々として申し出るディナダンにフロレンスは無言で手を振って拒み、セラフィナの肩を叩く。


「そろそろ昼食ですね。行きましょうか、総轄長」

「おー、そういやそんな時間か」


 昼休憩の時刻を告げる騎士団城の鐘楼が鳴り、イグナーツがふいっと中城に方向を移す。


 余韻を高く長引かせる鐘が、始まりの音にも聞こえた。


 修道女にとって、これが始まりなのだ。彼女はこの騎士団を統べる最高位に座し、騎士たちを従わせる。どう転ぶかは誰にも分からない。団長や、補佐官ですら。



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