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第二騎士団長


 面倒臭いことになったと、胸糞悪くなるほど澄み切った蒼い空を見上げては胸のむかむかを自覚する。

 時間も遅いということで大聖堂の寝床を提供され、あまつさえ朝食もご馳走になった――――あくまで娘のお節介だ――――身でそれは失礼だろうという気もするが、『総轄長が修道女』について反対なのに変わりはない。


 厩舎(きゅうしゃ)に馬を繋ぎ、騎士団城の門に着くと門番が姿勢を正して敬礼し、通してくれる。広い王立騎士団の敷地に設けられた外の鍛錬場では、第一騎士団の騎士たちがけたたましい金属音を響かせながら鍛錬に(いそ)しんでいた。時折副団長の号令が飛び交う。団長がいなくても副団長の監督の下、怠らず剣を振るう彼らをイグナーツは頼もしく感じる。


 フロレンスとイグナーツをみとめて敬礼する騎士たちに軽く手を振って、騎士団城内に身体を引っ込ませる。体力勝負が主戦場の実動部隊にはそぐわない、寄木細工の芸術的な模様の廊下を踏み歩いていると、後ろから久しい声がかかった。


「おひさぁ」


 軽い感じのする、どこか挑発的で少々高めの(こわ)つき。こんな声の特徴は、1人しか思い当たらない。ようやく帰ってきたかと、嫌々ながら振り返る。

 先には見慣れた――――相変わらずため息が出そうな麗姿(れいし)があった。

 細作りだが騎士らしく強靭で締まった上背にすんなりした(くび)つき、そこに一分(いちぶ)の狂いもなく整い抜かれた眉目。目尻にほのかな陰影が差す双眸に通った鼻筋、形の良い唇。同性ですら綺麗だとうならせる容貌だ。本人もそれをよくよく鼻にかけている。

 思わせぶりに主張する深い緑のピアス。採光窓を抜ける日差しが彼の髪を金に透かす。澄んだ翡翠の瞳を細める彼の表情は、気紛れに色気を流す猫の面影と重なった。


「ダン」

「ディナダン」


 フロレンスとイグナーツは同時に名を呼ぶ。呼ばれた青年は人(なつ)こく、あだっぽい笑みを浮かべた。中途半端な長さの髪を耳にかける仕草も、男のくせにやけに色めいている。


「探したんだよ? 第一の連中もちょっと騒いでた。馬もなかったみたいだから、のっぴきならない事情があったんでしょう、って言ってたけど」


 今までどこに行っていたのか、聞きたい素振りを(かも)して青年が近寄る。それはこっちのセリフだと言いたげにフロレンスが肩をすくめた。


「まったく。いつ帰ってきたんだ。遠い場所でもないのにどれだけかかったと思っている。向こうの部署からは数日前に無事完了したって報告が届いたんだけど? あそこからの距離なら一昨日(おととい)には戻れたはずだ。……なんで、今日なんだろうな?」


 フロレンスの冷静な言葉責めにディナダンはギョッと後退する。


「げっ。……バレてた?」

「あのな」


 フロレンスはいらいらと前髪を掻き上げた。第二騎士団が遠征に出ると、必ずと言っていいほどこうした事態になる。

 2週間前、テネーレの西部の村々に盗賊が出没したという地方騎士団の担当部署から連絡があった。盗賊の略奪行為が凄まじく、かつ武器などの所持量からかなりの危険性が判断され、より精鋭の王立騎士団に出動の要請がかかったのだった。第二騎士団長の強い希望でそちらを動員し、門を出ていく背中がやけに嬉々としているなと(うたぐ)りつつ見送ったら、案の定。


「長引いちゃった」


 若き第二騎士団長は遅着(ちちゃく)の理由を悪びれずさらっと言い流した。


「何が」

「えーと、ジェンマでしょ、クリセーデでしょ、エイミー……『行かないで』って腕に巻きついてくるの。いじらしいよね」


 どこぞの馬の骨だか分からない女の名を指折り数えて笑う顔が憎たらしい。こんな女にだらしない男が王立騎士団の第二騎士団を預かっているのだから世も末だ。


「要は娼館に入り浸っていたと」

「あっははは。そんなところに行くわけないじゃない。酒屋さんだよ」

「どっちも同じだ!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたフロレンスが激昂する。イグナーツも呆れていた。フロレンスにくどくどと叱り飛ばされ、生ぬるい艶笑を浮かべていた青年の表情が次第に沈み、むくれていく。


「分かっているのか? 私事で時間を浪費することは許されないんだぞ! 命令違反で突き出されたいか!」

「あーもう! 分かったよっ。うるさいなぁ!」

「ディナダン!」


 両耳を塞いで聞こえないふりを返すディナダンの(えり)を掴む。怒りが最高潮に達したフロレンスの頬は紅い。補佐官として、王立騎士団を率いる立場にある者として、規則を破る騎士が許せないのだ。騎士たちの気を引き締めさせる上でも彼の主張は当たり前で、しごくもっともである。


「そういう君らこそなんなのさ。門番が、すごい形相で出て行ったって言ってたけど? そっちこそ遊びじゃないよね? 2人して朝帰りなんてすっごく怪しいんだけど」


 自分ばかり責められてはたまったものじゃないと、ディナダンが言い返す。


「誰にも理由を言わないで出て行くって相当だよ。後ろめたいことをしてきたんじゃないの?」

「大聖堂に行ってただけだ」

「大聖堂? 俺がいない間に悪いことでもしたの?」

告解(そっち)じゃない」


 宮廷からの正式なお達しはまだなので、正直に話すべきかどうかフロレンスは迷う。だが首をかしげたディナダンには思い当たる節があるのか、ずいと身を乗り出した。


「思い出した。宮廷の使者から聞いたんだけど、修道女なんだって?」


 もう知れ渡っているのかと、フロレンスとイグナーツは頷いた。フロレンスたちが大聖堂で厄介になっている間に知らせが来たらしい。新しい総轄長を入れる期日も間近だ。鍛錬をしている様子からは混乱は見られなかったが、他の騎士たちも内心穏やかでないだろう。


「びっくりしたよ。なんで女の子を? 俺は別に良いけど、周りがカンカンだったよ」


 心底どうでも良さげにうんと伸びをする青年。


「俺たちが知るわけないだろ。てっきりフローがなると思ってんだから」

「そりゃあね。俺も思ってた」

「教会の力が欲しいんだろう。その上で扱いやすそうな人間を選んだんじゃないか?」

「だから修道女、ね」


 ディナダンは含みを込めて艶然と唇を吊り上げる。女の欲望を掻き立てる妖しい顔貌とあいまって毒々しい。


「要は政略結婚って? 修道女ちゃんが王立騎士団に嫁いできたわけだ。教会の資産っていう持参金を持ってね」


 さすが百戦錬磨の女性遍歴。爽やかに爆弾を落としてくれる。考えもつかなかった露骨な比喩にフロレンスたちは固まった。


「けっこ……」

「だってそうでしょ? 教会との繋がりを濃くしたいから、手頃な結婚相手を探して。修道女ちゃんはうちの騎士みーんなの奥さんになったみたいなもん」

「お前、なんてことを!」


 身も蓋もない発言を一喝する。言い合いが再発するかと思いきや、ディナダンがいたずらっぽく人差し指を口先に当てた。


「冗談だよ」


 冗談には聞こえない。


「でも結婚と同じに考えたらしっくりくるんじゃないかな。両家の関係を取り持ちたいんだったら、結婚するのが普通じゃない? フロレンス」


 と、貴族階級のフロレンスに答えを求める。彼は有力侯爵家の次男坊ながら、総轄長に次ぐ王立騎士団の補佐官の地位に就いているということで、貴族たちの垂涎の的となっている。26歳と男盛りの年齢も手伝って縁談がひっきりなしに来るそうだ。本人は黙殺している。


「……こんな結婚はお断りだ。悪い性格じゃなさそうだけど」

「へえ?」


 興味深そうに詳細を急かすディナダンの短い相槌。


「先にご挨拶してきたの。ずるいなぁ」

「いや。殴るか蹴るか踏むか投げるかするつもりで行った」

「……相変わらず君は過激」


 イグナーツのどうしようもない動機を聞いて、ディナダンは引いた。やるかやらないかでいえば間違いなくやる男なのだが、そんな期待はどうか裏切ってほしい。


「ね、ね。どんな子だった?」


 修道女に会いに行ったと知るや、ディナダンはずいずい詰め寄ってくる。げんなりのイグナーツをよそにフロレンスがうーん、と彼女とのやり取りを思い返す。

 艶やかな宵の髪。血管が透けそうなほど美しい白雪の肌。明るく煌めく黒い瞳。愛らしい顔立ち。神を心から慕う無垢な精神。

 第一印象は、翼が生えていても不思議でない、天使さながらの娘――――だった。


「見た目は悪くなかった。修道女にするには勇気がいると思うよ」

「へえぇ。楽しみ!」


 ディナダンの顔色が変わった。それはもう爛々(らんらん)と。獲物に狙いを定めた獣さながらだった。


「体型は? 俺の好みっぽい?」


 こうなると容赦ない。満足するまで問いただしてくる。


「……今年で19」

「は?」

「まだ18だね」


色香漂う瞳が点になる。


「今年、ってことは俺より5つ下?」

「そうなるな」

「えっとそのー……修道女っていうのはもしかして、『天使』とかいう?」

「知っているのか」

「それ多分、うちの連中が『かわいい』って言ってる子だぁ」


 騎士団でも見知っている人間は多いらしい。別に不自然ではない。むしろあり得る話だ。テネーレ国民のほとんどが信徒で、誰にでも開かれているメサイア教の大聖堂なのだから。足繁く大聖堂を訪れる騎士なんかは見覚えがあるのだろう。


「総轄長になるくらいだから年上かな、って思ったんだけど。そういえば修道女なんて『天使』しか聞いたことがないね。教会なんて男ばっかりで、聖職者か修道士しかいないし」


 教会は男の聖職者と修道士しか神への従事を認めていない。メサイア教が(おこ)った当初の伝道師が男ばかりだったからと言われている。だが男女関係なく敬虔な信者が大陸でかなり増えたため、教会も態度を和らげ、各国では地方などに女子修道院が設けられているそうだ。

 だが絶対数としての女性の修道士は極めて僅かで、少なくともテネーレの王都では彼女1人しかいない。

 ディナダンは真剣な顔つきでぶつぶつ呟き始めた。女が絡む時だけは真面目になるのだ。


「うん。……うん、問題ない。年上のお姉様じゃないのが残念だけど」


 何が問題ないのか言及してみたいところである。


「問題ありまくりだろが! 修道女が総轄長だぞ!」

「良いじゃない。華があるのは大事だよ。丁度欲しかったんだよねぇ。楽しみだなぁ。修道女なんてねぇ。背徳的でぞくぞくする」


 不穏な声色を聞くだけで、彼の生々しい女性遍歴が浮かび上がってくる。

 見習いの(じゅう)騎士(きし)の時分、老貴族に嫁いだ若い令嬢に忍び寄り、口説き落として一夜といわず幾度(いくど)も逢瀬を交わしただの、宮廷の侍女と複数愛し合った果てにそのうちの1人から刺されそうになっただの、娼館か綺麗ぞろいの酒場では彼の顔見たさに毎日のごとく熱烈な手紙を送っているだの……いつか女で身を滅ぼしそうな男だ。その上、修道女をも手籠めにしようと考えるとは。


「いつか本当に刺されるぞ、お前」


 眼光鋭く筋骨も隆々(りゅうりゅう)とした例の神父を思い出し、うんざりしながらも半ば本気でフロレンスは忠告した。


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