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真夜中会談


 大小2つのランプが、食堂へ移動した5人の影を映す。赤々と燃える火が長身の老人の瞳を反射し、シワの刻まれた表情を一層険しくさせた。


「夜分に大変ご迷惑をおかけしました。私は王立騎士団の総轄長補佐を務めるフロレンス・ヨナ・チェスティエ。そしてこちらが第一騎士団団長のイグナーツ・ブルーハです」


 名前が2つあるのは貴族の証だ。フロレンスは、左目を隠す眼帯はいかにも歴戦の騎士という風情で、同時に紳士的な品もまつわっていた。

 相手が名乗ったからにはこちらも名を明かさねばならないと、不服そうに金縁眼鏡の鷲鼻の老人は腕を組み、しわがれ声でぼそぼそと呟いた。


「……ゾルタン・シックザール。枢機卿じゃ。こっちの背の高いのがダニエル・カザグランダ神父。それとこの子が……」

「枢機卿。先ほどは申し訳ございません」


 ゾルタン・シックザールと名乗った小柄な枢機卿が言い終わらぬうちに、フロレンスは改めて謝罪する。この3人の中で彼が最も高い地位にあると判断し、事情を説明しようとした。


「王立騎士団ということは、あの話も知っているのか? 大聖堂にまで押しかけて……」

「あの話とはもしかして……。もうそちらにも伝わっていますか?」


 シックザール枢機卿が迷惑そうな顔で己の胸元を探り、例の手紙をぴらりと摘まんでフロレンスらに見せる。2人は身を乗り出し、まじまじと熟読した。


「今朝、宮廷の遣いがこれを渡してきたのじゃ」


 そこには宰相の名で、『セラフィナ・シックザールを次期総轄長に任命する』と記されていた。

 この手紙はいわゆる、辞令だ。いわく、聖職者にも叙任や各地の教会への派遣などでこういった文書が作成されるらしいが、あくまで教会内部の話で、しかも教皇の名と印章が添えられる。間違っても宮廷の宰相が教会の人間に向けて国家への奉仕を命じることはあり得ない。

 世俗の権力が教会に干渉するなど、許されない。異例の事態だ。それが目下、堂々と行われている。


 手紙に記された『王立騎士団』とはここ、王国テネーレの騎士団だ。王室と宮廷が作った武力組織なので政治的な意味合いが強く、宗教の外にある。

 その騎士団のトップに君臨するのが『総轄長』と呼ばれる人間なのだ。決して、教会の修道女にすぎない小娘に授けられて良い地位ではない。


 どういった経緯で、神の花嫁たる修道女を、血気盛んな男どもの集団に放り込もうとするのか。手短すぎる文面では見当もつかない。


「セラフィナは世事(せじ)(うと)い。政治の何たるやすら理解していない。そのような娘が、近衛(このえ)師団(しだん)に次ぐ王家直属の騎士団の総轄長など考えられんぞ」

「宮廷からの手紙が公的な体裁で来たということは、猊下(げいか)の承認があったのでしょうな」


 信仰に生き、神に尽くすため隔絶された世界で過ごす鳥籠の娘を、唯一外へ放てる人物。メサイア教の最高位聖職者である教皇しかいない。何らかの思惑があって決定したことは確実だ。だがその思惑が見えてこない。


「それはそうと。ったく、どこにいんだよ。このセラフィナ・シックザールってのは……」


 イグナーツの苛立ち交じりの毒づきを聞いて、黒髪の娘がはっと顔を上げた。星空のようにきらきらと印象的な瞳だ。可愛らしい、という表現がとても合う。14、5歳だろうか。


「私です」

『は?』


 フロレンスとイグナーツのすっとぼけた声が被る。


「いえ、ですから、私がセラフィナ・シックザールなのですが……」


 …………。

 沈黙。ひたすら沈黙。

 彼女の言葉を理解するのに少々手間取り、


『はあぁあああああっ!!?』


 青年たちの絶叫が張り裂けた。




「どういうことだよフロー!! 名前知ってたんだろ? 気づけよ!!」

「気づくか! 誰がこんなのを見てうちの総轄長だと思う!?」

「思わねえよ!!」

「枢機卿。何やら失礼な言葉が聞こえますが」

「締め出せ」


 セラフィナ・シックザール。彼女の隣に座る年老いた枢機卿の娘だ。聖職者は原則として妻帯を認められないので、養子として孤児を引き取る人が多い。

 セラフィナの両親が生後間もない乳飲み子を置いて行方をくらまし、大聖堂の祭壇に捨てられていたのを発見したシックザール枢機卿が、孫娘という形で引き取ったということだ。若々しさと縁遠く、ほとんど老人たちが生活する場に人々がガヤガヤと出入りするのは、ひとえに彼女の振り撒く愛嬌の賜物である。


 ただ、外見と年齢が恐ろしく合わない。


 磨き方を変えていたなら絶世とは言わずともそこそこの美人に育っていたろうに、そのまま年を経てきたせいで幼い雰囲気を漂わせている。


「これでも今年で19歳なんですよ……」


 しょぼんとうつむく娘を慰めながら、ダニエル神父は2人を眼光で威圧した。眼光だけではない、逞しい体格さえも彼らを圧倒した。

 顔だけなら気難しそうな老人で終わりそうなものを、がっしりした肉体がどうしてもフロレンスたちの目を威圧する。大聖堂でミサを執り行っているより、それこそ騎士団の上位で剣を取り、騎士たちを仕切っている方がよほど似合いそうだ。


「で、何の用だ。まさかこの子に乱暴を働こうと」

「断じて違います。我々も本日、セラフィナ嬢が総轄長に就任されると聞きまして、どのような方か確かめに来た次第」

「ほーう。こんな夜更けに」


 ダニエル神父はなおも疑わしげな眼を向ける。確かに夜、大聖堂に侵入し、修道女に掴みかかっていれば誤解されても仕方がない。フロレンスは言葉を重ねて否定した。


「ワシらも、なんでこの子が血生臭い場所に入れられるのか、はなはだ疑問なのじゃが……」

「総轄長の後任は宮廷との協議で決定されますが、最終的には総轄長の判断が優先されますので」


 総轄長の任命権は絶対である。宮廷の承認を得ることで、ひいては国王の決定を意味するからだ。教会側も、教皇が納得の上というなら口答えできない。


「解せんのう。当の本人には相談をせんと」


 枢機卿はちらりと愛娘を見遣る。娘はフロレンスとイグナーツをまっすぐ見つめていた。自分の置かれている状況を、ちゃんと理解しているのだろうか。


「断ることはできんのか?」

「枢機卿。猊下の御裁可がある以上、それは無理でしょう。教皇猊下の御尊顔に泥を塗ることになってしまいます」

「しかしセラフィナ自身が嫌がれば、猊下といえどお考えを改めてくださるじゃろう? セラフィナは当事者になるのだから」


 シックザール枢機卿の口ぶりからすると、教皇もセラフィナには甘いのかもしれない。

 これは望みが持てる――――とフロレンスとイグナーツは閃いた。


「そうですね。断っていただいて良いと思います。荒っぽい連中が多いですし、かなり血生臭い場面にも遭遇しますので、女性には荷が重いかと」

「いちいち血を見てぶっ倒れられても迷惑だしな。そもそも仕事が違うから慣れんのも辛いと思うぞ」

「断るなら正式に公表される前が良い。猊下にはわたしたちから伝えよう。代役はわたしで良いだろう。帯剣協会の元総長が行くというなら、不足はあるまい」

「総長であられましたか。ダニエル神父。それは心強い」


 どうりでガタイに恵まれているわけだ。現役を退いても鍛錬は欠かしていないのだろう。掌には剣だこができているしちょっとした動作にも機敏を感じる。彼が代わりに来てくれるなら、王立騎士団も文句は言わない。か弱い修道女とは比べるまでもなくお誂え向きだ。


 2人の願いはただひとつ。

 頼む。断ってくれ――――


 黒い瞳がぱちぱちと(またた)いた。


「……パードレ……ダニエル神父がいらっしゃるのに、教皇猊下が私にとご判断なさったのですよね?」

「猊下が判断されたというよりは、おそらく宮廷がお前を指名して、猊下がそれに賛同されたという形だと思うが」

「宮廷のご判断だとしても、それは(しゅ)の御意思かもしれません。断ってしまえば主のお考えにもとります」


 鈴のように心地良い声が、凛と響いた。シックザール枢機卿とダニエル神父は絶句している。


「教皇猊下は主の代理人です。猊下が宮廷のご判断をお認めになられたなら、謹んでお受けします」

「セラフィナ……」

「あとは主がお導き下さるでしょう」


 修道女がにっこりと笑う。屈託のない、不安や困難などひとつもないというような、ある種の強さを感じる笑みだ。

 そんな無邪気な彼女にシックザール枢機卿は鼻の下を伸ばしたが、ダニエルは呆れ返った様子でフロレンスたちを見、静かに首を横に振った。


 2人は共通の認識に至り、諦観した。

 彼女は『超』がつくほど敬虔でクソ真面目で――――非常に面倒な女だと。


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