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騎士は激怒した


 王都の端、小高い丘陵地帯に建てられた王立騎士団の城は赤煉瓦でできた堅牢な造りで、好天の日は青空を背景に鮮やかな外壁が一層存在感を放つ。時代とともに騎士の数を増やすとともに盛んに増改築がなされた城は、騎士たちの声や武具の音などで常に騒がしい。

 そんな騎士団城がいつになく静かだ。何かにつけそう感じるたび、第二騎士団が城を出ているからだという結論に至る。第二騎士団長の気質のせいか、軽薄な性格や個性的でうるさい連中が多く、彼らがいるのといないのとでは城内の空気も違う。入団したての頃はあまりの騒々しさに嫌気が差したが、それが当たり前となった今では寂しいものを感じる。


 夕食を終えてから、特にやることもない。いつもは同室の人間と娯楽やら雑談をして時間を潰すのだが、生憎そいつが城を離れているので手持ち無沙汰だ。

 自分とは違い、遅くまで業務を処理しているだろう友人の部屋へ行こうと、自室のベッドに座っていたイグナーツは腰を上げる。

 それとほとんど同時に、扉が(きし)みを上げた。


「夜分失礼」


 爽やかに扉を開け放った人物は、王立騎士団の補佐官を任されて早5年になる青年だった。金茶の髪が首筋でさらさらなびく。前髪は左半分を長めに伸ばしていて、そこには黒の眼帯がちらりと隠れていた。


 有力貴族、チェスティエ侯爵の実弟にして随一の剣聖(けんせい)との(ほま)れあるフロレンスだ。温厚な茶褐色の右目が柔らかに笑む。

 左目は過去の盗賊討伐でやられたという。敵の陣地に無闇な深入りをして罠を踏んだ前総轄長を庇い、負った傷。それが契機となり、前総轄長に気に入られて騎士の端くれから補佐官という高い地位に一気に栄転したという。


 前総轄長は気に入った相手をとことん優遇する分かりやすい人だったが、見る目は保障できた。実際、有能と評判だったフロレンスは平騎士時代から同僚の信望を集め、武術の腕だって宮廷の近衛師団をも圧倒させるほど秀でている。補佐官の資質も言わずもがな。


「フロー。仕事は終わったのか?」


 イグナーツはフロレンスのことを『フロー』と呼ぶ。彼が勝手に作った愛称だ。代わりに彼も『イグ』と呼ばせている。フロレンスは組んだ両手を高く上げ、くつろいだように伸びをする。


「キリのいいところで切り上げた。お前には総轄長の件について言っとこうと思って。気になってただろ?」


 後半の一言に、イグナーツは背筋を伸ばした。まさに、その話題について話し合いたかったところである。


 前総轄長がいきなり辞任を言い出し、周囲の説得も聞かず勝手に騎士団城を出て3ヶ月。状況はかなり落ち着いたところであるが、フロレンスが総轄長代理として補佐官業務の傍ら残された仕事を処理している。とはいえ総轄長の判断や決裁がなければ完全に消化できないものもあるため、執務室の机は書類の山で溢れているそうだ。さっさと宮廷が騎士の中から新しい総轄長を任命してくれなければ雪崩を起こす。


 本来なら絶対に席を空けてはいけない最高責任者の椅子をずっと無人にしていたのだから、よほどのことがあったのだろうと想像はつくが、騎士たちには不可解極まりなかった。


「ようやく決まったか、総轄長さんよ」


 笑顔の乏しいイグナーツが珍しくにやつきながら友人の肩に腕を回した。

 王立騎士たちにとって、次の総轄長は1人しかいなかった。なぜ今まで引き延ばしていたのか理解に苦しむくらいだ。

 しかし、苦笑と共に零れた一言は、彼を呆然とさせるのに充分だった。


「あー、僕じゃない」


 一瞬何が『僕じゃない』のか見失ったイグナーツだったが、自分の前言と照らし合わせてさらに問う。


「……総轄長じゃない? 補佐官止まりってことか?」

「ん、まあ、そうみたい」

「お前じゃねえなら誰がなるんだよ」


 別に王立騎士団内でなくとも、原則として総轄長が選任した者ならばそれが後任となる。第一騎士団長であるイグナーツや、同室の第二騎士団長にも可能性はある。しかしフロレンスという第一の候補が消え去った今、次位に当たる彼らの線は極めて薄い。

 とすれば、他の騎士団か近衛師団など宮廷の護衛部隊の人間か。しかしフロレンスの口から出た人物は、イグナーツの予想を完全に逸脱するものだった。


「大聖堂の修道女だって」

「……はあぁっ!? 修道女ぉ!?」


 直後、隣の部屋と接する壁からトントンと控えめな音がした。大音量を責められたようだ。だが団長の部屋である手前、強くは叩けなかったのだろう。


「イグ。うるさい。まだ内々だから。今朝、兄上の手紙にそう書いてあっただけ。今日中にも大聖堂に通達を送る予定だとさ。うちの兄が高等法院の筆頭司法官なのは知っているだろう? 人事関係の同僚がようやく教えてくれたらしい。僕も信じられなくてようやく受け入れられたところだけど……」

「んなことどうでも良いんだよ! 女なんざ馬鹿にしてんのか!!」

「イグ、だから音量……」


 大聖堂といえば、テネーレ王国の各地に鎮座する修道院と教会の母体であり、信仰の中心地ともいうべき場所だ。大聖堂が治める領地は広大で、膨大な知識を収容し、それでもって磨かれた医療などの先進技術を貯め込んでいる。

 テネーレのみならず、大陸の全域で信仰されているメサイア教。万物を創った創造主を父と仰ぎ、彼が子なる人間たちに教示した行動と(いまし)めを教理として、神への愛と贖罪(しょくざい)、そして死後の救済を説く。

 浅いながらも信心のあるイグナーツだが、それとこれとは別だ。ありがたいなんて全然思えない。むしろ大迷惑だ。なぜ修道女を実力重視の騎士団に迎えねばならないのか。


「歳は今年で19だっけ」

「知るか!! ざけんな! 本気で何考えてんだ上は!」


 背中に追い出した暗い金の長髪をガシガシと掻く。

 騎士を志した少年は7歳になると武芸中心の訓練を開始し、根を上げずに5年間打ち込んだら今度は宮廷に連れていかれ、騎士見習の従騎士として修練を積む傍ら、礼儀作法と主人への奉仕を学ぶ。そして6年後、能力が遺憾なく認められれば騎士叙任式を経て、晴れて立派な騎士となる。


 当たり前だが騎士団に入っても実力主義は続く。だからみんな血眼で腕を磨くのだ。それはイグナーツとて同じ。

 そうまでしても得ることのできない頂点を、剣と無縁の若い女が奪う。

 納得できるか。


「こちとら命賭けてんだ! 祈ってばっかの小娘に指図されてたまっか!!」

「イグ、落ち着いて」

「落ち着ける話だったらな!」


 一度頭に血が昇ればなかなか下がらない性格上、イグナーツは声を荒げてフロレンスに食いかかる。


「小娘ったって、お前と5つ違いだろ? イグだってまだ24じゃないか」

「騎士でもねえ女になんで命令されなきゃなんねえんだって言ってんだよ!」

「そりゃあ、一理あるけど」


 自身もイグナーツの言い分どおりの疑問を持っていたのだろう。フロレンスは反論せず、理にかないそうな理由づけがないか思案する。


「どういうことだ! フロー!!」

「だから落ち着いて」


 胸倉を掴み、ふーっと獣のように息巻くイグナーツを(なだ)めつつ、彼は肩をすくめる。


「理由なら僕も知りたい。特に大した理由は書いてなかったし。通達が届いたら向こうもびっくりするんじゃないか?」

「あっちの事情なんか知らねえよ」

「教会ってなんだかんだ力があるだろう? 喜捨と長年の色々で資産もある。そこを狙ったんじゃないか?」


 強大な権力を抱き込むにしても、戦いとは全く縁のない女を抜擢するとは。

 確かに、宮廷にとって教会の莫大な財産は魅力的だろう。資金力だけではない、国境も関係なく人々にもたらす絶対の影響力、輝かんばかりの知識、告解と様々な国で活動することで得た情報の数々。取り込めればかなりの戦力である。

 それで総轄長に登用とはかなり乱暴な理屈になるが、目下そのくらいしか考えつかない。


「そんならせめて、帯剣(たいけん)協会(きょうかい)の誰かにしろよ……!」


 帯剣騎士協会たいけんきしきょうかい――――通称『帯剣協会』は教会の庇護の下、成立した騎士修道会だ。メサイア教の教義に忠実で、『質素・清貧・潔白』を掲げ厳格な生活を送る精鋭集団。ぎりぎり王都内に構えていることもあり、彼らと比べてお上品とは言いがたい王立騎士団とは度々揉め事を起こしていた。

 近年は王室も誇り高い志と禁欲的な生き様、騎士道精神溢れる帯剣騎士協会に信頼を傾け始めているとかで、各騎士団の総轄長が頭を悩ませていた。


 修道女を迎え入れるくらいなら、妥協して帯剣騎士協会の手練(てだれ)の騎士を貰いたい。いくらなんでも、王立騎士団だって女に頼るほど落ちぶれちゃいないのだ。


「今度来る修道女はね、教会でもかなり有名で、『天使』って呼ばれているみたいだよ。教皇猊下(げいか)も気にかけていて、帯剣協会でもその子の信奉者が大勢いる」

「あ?」


 知らねえよと言いたげに、イグナーツは唸り声を漏らした。


「だからそれだけ愛されているってこと」

「意味分かんねえ」

「簡単じゃないか。利用すれば良い。一般市民に慕われている修道女様を前面に押し出しておけば、上の隠れ(みの)になる。宮廷が教会をどう説得して引っ張れたのかは分からないけど、『天使』をこちら側につければ教会も便宜を図るしかない。もし『天使』の評判が落ちたら教会の威信にかかわるからね。初めから修道女様をお飾りにしておけば使い捨ても……」

「で、俺たちはどうなんだよ。我慢しろってことか?」


 宮廷の上層部の読めない意図をフロレンスなりに斟酌(しんしゃく)して説明するも、イグナーツが遮って詰め寄る。

 フロレンスはとうに諦めた面持ちで、ふうと息を漏らす。


「置物と思えば気持ちは楽だよ」


 妙に悟りきった一言だった。

 明らかにはぐらかされた答えにイグナーツは(ほう)け、ふっと一瞬だけ笑い――――たちまち極悪の険相(けんそう)に変じた。


「……認めねえぞ俺は! 行くからな!」

「イグ……? 行くってどこに! しかも夜だぞ!」


 外は暗い。多くの家々が夕飯を終えて入浴なり就寝なりの準備をする時間帯である。小さな子供はとっくに寝ているかもしれない。そんな時に職務関係なくどこかへ殴り込むなど、それこそ王立騎士団の恥ではないか。


「決まってんだろ!」


 興奮した調子で彼は怒鳴った。


「天使の修道女とやらをブチのめして再起不能にして入団阻止するんだよっ!!」


 フロレンスはうんざりと額を押さえた。

 彼の気持ちは分からなくもない。フロレンスも反対だ。上の事情を推し量れても、割り切ることはできない。だが悪いのは打診も一切なくフロレンスたちの遥か頭上で話をまとめて勝手に決めた宮廷である。修道女も巻き込まれた側なのだ。むしろ王立騎士団以上に哀れまれるべきである。


 だがイグナーツの沸騰しきった頭ではそこまで考える余地もなく、とにかく目の前の憎き相手を叩き潰して候補を替えさせることしか見えていなかった。



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