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乙女の祈り


 赤煉瓦のいかにも要塞といった外観とは打って変わって、騎士団城の内装は瀟洒(しょうしゃ)だ。中城には開放感のある玄関広間の正面には馬蹄(ばてい)形の階段があり、鍛錬場や談話室、休憩室など主に交流の空間が中心の2階に続く。玄関広間の奥に大食堂と医務室が設けられているそうだ。


 大食堂は第一と第二のすべての騎士が一堂に会する場所なだけあって、非常に広い。昼の時間になったばかりだから、大勢の騎士たちが詰めかけ和気藹々としていた。

 大食堂の扉が開かれ、補佐官と団長2人に囲まれたセラフィナが顔を出す。配膳された盆を持ちながら、あるいは食事を摂りながら会話に盛り上がっていた小さな集団が振り返り、あ、と声を上げる。


「嘘だろ」

「本物の修道女じゃん」

「とうとう来やがった」


 思わず漏れた、という風な述懐を皮切りに、水面に一石を投じて生まれた波紋のように次々とどよめきが訪れる。


「え? まじ? 『天使』? まじ?」

「本物だ……実在する……!!」

「距離が(ちけ)ぇ……。やば、めっちゃ可愛い」

「つうか、良いのか? 仕事できんの?」

「団長たちずりぃ……。おれも近づきてー」


 ざっと見渡すと、100人弱はいそうだった。辛うじて聞こえてきた言葉の方向にセラフィナがにこりと微笑むと、男臭いを通り越してとにかく醜い大音声(だいおんじょう)が湧き上がる。


「待って。今目が合った! 落ちそう。俺今恋に落ちそう!」

「落ち着け。まずあれを上司にできるかって話だよ」

「いいんだよそんなことは。後で! 今はあの可愛さを堪能させろ!! はああぁ、ずっと見てられる」

「あいつら……」

「何あの興奮。すっごく気持ち悪い」

「ダン、お前が言うな」


 室内の空気が色んな意味で(よど)んだ。そんなことは気にも留めず、セラフィナは前に進み出て先ほどと同じく完璧な角度のお辞儀をして見せる。


「この(たび)、王立騎士団の総轄長を拝命いたしました。セラフィナ・シックザールと申します。よろしくお願いいたします」


 澄んだ声が浸透する。またしん、と静まり返った。今度こそ騎士たちは返す言葉を失くしている。

 今度の総轄長が修道女であることはすでに知れ渡っている。だがそれを当の本人の口から告げられたことで、初めて動かしようのない現実を突きつけられたのだ。可憐な娘の登場に浮足立っていた男たちも閉口している。


「さて。挨拶も済みましたし、我々も昼食としましょう」


 我に返った連中に異議を唱えられてはかなわないと、フロレンスが席に案内する。前もって食事が用意されていた。騎士の誰かが運んでくれたのだろう。

 セラフィナが彼らの目に極力触れぬよう、補佐官たちが周囲に座る。漂う『誰も何も聞くな』という暗黙の命令に察しの良い騎士たちは従い、ぽつぽつと和やかな雰囲気を取り戻し始めた。目の前に並べられた食事を前にセラフィナは首にかけたロザリオを外して両の指に絡める。

 組んだ手を額に当て、セラフィナは長い睫毛を伏せる。


「Pater noster, qui es in caelis…… (天にまします我らが父よ……)」


 習慣の、食前の祈りだ。教会の人間は朝課(ちょうか)を始めとする日頃の祈祷のみならず、食前と食後にも神への感謝を捧げる。騎士団に入ってもこの祈りは欠かせない。


「Panem nostrum quotidianum da nobis hodie (我らの生きる糧を今日与えたまえ)」


 祈りに集中するセラフィナは、3人の注目に気づかない。


「……sed libera nos a Malo. Amen (悪より我らを救い解放したまえ。かくあれと)」


 心が洗われた清らかな気持ちで最後の聖句を捧げ、瞳を開けるとぶつかった6つの目線に慌てる。祈りの言葉を間違えてしまったかしらと斜め上の勘違いをした。


「おちびちゃん。何、それ」

「お祈りです。大聖堂では皆さんやっておられました。えっと、こちらではしないんですか?」

「やったことないなぁ。ラテン語? 知らないし」

「あ……すみません。やめた方が良いでしょうか」


 騎士たちがしない祈りを1人だけ毎回行っていたら目障りだろう。うるさかったかもしれない。

 祈りは生活の一部……セラフィナに言わせれば呼吸に近い。神への愛を都度都度示す当たり前のもの。否定されたらすごく悲しい。

 王立騎士団に入るにあたって、大聖堂で当たり前に行っていた習慣や考え方は忘れるようにとダニエル神父に忠告された。『修道女』を前面に持ち込むと騎士との間に溝が深まりかねないからと。それでも無意識に唱えてしまった。全部、やめなければいけないのだろうか。


「良いんじゃない? 好きにしたら。誰にも迷惑かけないんだし」

「良いですか? ありがとうございます!」


 ディナダンの好意的な意見にぱっと顔色を(あか)らめる。謝意の限りを込めた目で見つめると、青年の目尻の深い瞳が(すが)められ、喉がゆっくりと上下した。


「……これはこれで美味しそう」

『おい』


 補佐官と第一騎士団長の声が重なる。


「やだなぁ。本気にしないでよ」

「お前の発言はいつもの行状の延長にあるから安心できない」

「俺そんなに信用ないの!?」


 頭上で飛び交うじゃれついた言い合いを聞きながら、セラフィナは小皿のパンをちぎる。ふかふかでもちっとした食感の白パンだ。大聖堂で作られる平たくて口内の水分を吸われるどっしりとした種なしパンとは全然違う。食べやすくてほんのり甘みがある。

 香味液に漬けたのち炙り焼きにした鴨肉、脂身の多い部位の豚肉を根菜とともに煮込んだスープ、薄く伸ばした小麦の生地で細かく刻んで練ったキノコを包んだパイみたいな一品。どれもこれも食欲を誘う。肉食を避ける修道生活を過ごしていたため、抵抗はあるものの、騎士の食生活に慣れないとと言い聞かせて口に運ぶ。


 ――――爺 様(カルディナリス)にも食べていただきたいな。


 自分の置かれた状況も忘れて、セラフィナは口いっぱいに広がった肉汁のうまみに陶然と(ひた)った。



********



 昼食を終え――――騎士と同じ量はどうしても食べられず半分以上残してしまった――――、高城の最上階に向かう。5階分の石の階段を登り切る頃には握った棒を杖代わりに、ぜえぜえと息が上がっていた。対するフロレンスは汗ひとつ浮かべず涼しげだ。


「体力がありませんね」


 他の部屋のものより装飾性に富んだ扉の取っ手を引かれる。

 あてがわれた、天井が高く広い一室。大きな窓がある壁に置かれた重量感のある両袖型の執務机を見てセラフィナは唖然とした。とんでもない量の書類の塔がふたつ、つつけば雪崩(なだ)れ落ちそうな不安定な均衡を保ってそびえている。

 部屋の中央には愛らしい猫足のテーブルと、それを挟む2つのソファ。寝台、姿見、衣装箪笥、書棚、貴重品を保管する鍵付きの櫃。寝起きと兼用の仕事部屋なようだ。書類の山さえなければ快適に過ごせそうな空間である。


「チェスティエさん。目の前にたくさん紙が積まれています」

「貴方の決裁待ちの書類です。新しい総轄長が決まるまで3ヶ月空席だったので、その間に溜まったものです」

「……いつまででしょう」

「期限を過ぎたものが多いですが、そこは宮廷に掛け合って()ばしてもらっています。貴方が就任したので遅滞なく、ですね」

「遅滞なく?」

「今すぐかと」

「今すぐ?」

「今すぐ」


 思わず繰り返して問えば、語感を変えて復唱された。茶化した言い方ではない。淡々と、『早くやれ』と急かされている。


「大丈夫です。期限切れのほとんどは署名するだけで済むので。内容は私が確認してあるのでお気になさらず。貴方に作成していただきたい書類は事前に分けていますし、そちらも私の案を添えています」

「え、ええ……。ありがとう、ございます……?」


 お膳立てをしてもらっているのは大変ありがたい。が、純粋に恩義を感じるだけで収まる状況だろうか。

 これはゆっくりしている場合ではない。セラフィナは大事に所持していた細長い袋を櫃の上に置き、執務椅子に腰を据えた。革張りの執務椅子は座り心地が良く、うっかり寝てしまいそうだが休む暇はない。机上に整理されていたペンを執る。


 フロレンスがすべての文面に目を通しているということだが、一応セラフィナも読んでおく。書かれた文章は理解できても実際どういうことかはピンとこない。いずれすべてが明瞭になる日が来ると信じて、王立騎士団のことを少しでも知っていければと解読する。

 そんな姿にフロレンスが意外そうな息をつく。


「分からないことがあれば聞いてください。私がいなければ団長に」

「ありがとうございます」

「過去の資料や報告書を見たければ2階の資料室に行ってください。大体5、6年分はあります。ないと思いますが、それより過去の年分が欲しい場合は地下の保管庫へどうぞ。鍵はそこの引き出しにあります」

「に、2階? 地下?」

「あと、今日の日報も夕方にお届けする予定ですので。内容を読むのは感心ですがそれに時間を取られているといつまでも終わらないのでほどほどにしてくださいね。では、私は宮廷に行ってきます」

「ごめんなさい。ちょっとついていけなくて…………チェスティエさんっ?」


 怒涛のごとく押し寄せた情報の数々にセラフィナはなけなしの余裕をすべて捨てさせられる。彼女の困惑に耳を貸す素振りもなくフロレンスは出て行った。


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