18. 魔王と勇者
重い。暗い。書くのが非常に辛かった。
下の方で漸く通常運転に。
「私はね、勇者。正直、お前が羨ましかったんだ」
そういった魔王の瞳は、あの時と同じように静かだった。
あの最後の時。
俺が彼の胸を刺し貫いた瞬間。
あの瞬間、俺を見つめていた魔王の瞳は憎しみも何も無く、ただ静かだった。
ただ静かに見つめてくる、俺と同じ紫の瞳。
同じく神の祝福を受けた存在。
同じなのに、立場が真逆の存在。
そしてその姿は――――
魔王が目を閉じると共に、音も無く消え去っていった。
―――――― ※ ――――――
真剣な表情で見つめてくる魔王を、勇者はただ言葉も無く見つめた。
「感情のままに楽しければ笑い、悲しければ泣いて時には怒る。私は、そんな人として素直に感情をあらわにしているお前が、正直羨ましかった。あの玉座に縛り付けられたままでも、そんなお前を見続けるのが楽しいと思えたんだ」
「お前は神の祝福を受けていたはずだ。それならば……」
「それが発覚した場合、もっと被害は拡大していただろう。だから私は瞳の色を偽って玉座にあり続けたんだ」
その一言で、漸く魔王の瞳の色が違う理由に至った。
だがそれを知ったからといって一体何と声をかけたらいいのか分からず、勇者はただじっと魔王の言葉に耳を傾けた。
「最初から私には何も無かった。その前も後も、私に望みというものは存在しなかった」
「…………」
「長いときをあの玉座に縛られ続けて、最後は自分の存在する意味も見失っていた。……だから望んだのだ。『私』という存在を終わらせてくれる者を」
「なんだよ、それ……は」
「勝手な話だと言うことは承知している。その間にも魔物達は世界を蹂躙し、生き物全てを排除しようと躍起になっていた。私は全てを見ていた。あの玉座の上から全てを。でも何も手を出すことも無かった。あえて何もしようとは思わなかった。私に罪があるとすれば何もしなかった事か。いや、魔物達の望むままに力を与えていたことか。だがどれほど魔物達に力を与えても私の力が枯渇する事は無く、そして人々の苦しみは増していった」
「……ふざ、けるな」
うめくような勇者の言葉に、それでも魔王は言葉を止めることなくさらに続けた。
「だから私は私に終わりを求めた。それが私が初めて持った望みだ。そして神はその思いを聞き届けてくれ、私の前にお前という勇者を連れてきてくれた」
「…………」
勇者は何かを堪えるように、手を強く握り締めていた。
「私は漸く望んでいたものが与えられる。おそらくそれが最後のとき、私が笑っていた理由。だから……」
「ふざけるな!!」
叫ぶような声に、魔王は思わず言葉をつむぐ。
「俺は何のためにお前を討った。お前は何もしていないだと!?それじゃ何も罪もないお前に全てを押し付けて俺はお前を討ったとでも言うのか!!」
「罪は無いとはいっていない」
「じゃあ何か。俺はただお前を討つためだけに存在してたとでも言うのか!」
「…………」
「お前の望みを叶えるために、それだけの為に俺達はあれほどまでの旅を続けてきたんじゃないぞ!」
「すまない」
「謝るな!お前の責任じゃないんだろうが!!ああ、くそっ。こんな事を言いたいんじゃないんだ」
突然知らされたあの戦いの裏の話しに、勇者も混乱する頭を何とか整理するだけで手一杯だった。
しばらくお互い口をつぐんだままじっとしていたが、その沈黙が少しだけ勇者を落ち着かせてくれた。
うつむいたままの魔王に、勇者は小さく問いかけた。
「お前にも、助けてくれる者達が居たんだろう。お前を慕っていたやつらが」
その言葉に、魔王は何かに思いを馳せるかのように目を閉じた。
「…………確かに、勇者の言うとおりだ。ロディス、フューリー、アズラク、メティア……。他にも幾人か居た。私に呪いを掛けたリガルデも、私を思ってゆえの行動だった事は理解しているつもりだ」
魔王の挙げた名前には、勇者も聞き覚えがあった。本来ならば魔王の口から出てくるはずの無い名前ばかりだ。
「ちょっと待て。その名前は、お前に敵対して立っていたやつ等なんじゃ……」
「だから言っただろ。私は玉座に座しただけの、ただの道具だったと。そんな私の頼みを受けて彼らは動いてくれていたのだ」
「それにリガルデ……」
それは現在の魔王の名だ。
「あいつは優しい男だった。聡明な、な。だが私は結果的にその聡明さを逆手に取って利用した」
寂しそうな声に、勇者も問わずにはいられなかった。
「何で、お前は……おまえ自身の罪ではないのに、それを背負おうとしたんだ」
その問いに、魔王は顔を上げ大人びた表情を浮かべ答えた。
「私は疲れていたんだ。それに……王と言うのはそういうものなのだろ。全ての責を負う者。国の象徴。全てを背負い、その責を負って皆を導くもの」
勇者は彼女の言葉を聞きながら、かつて対立した事のある『次代の王』といわれた人間を思い出していた。どうしようもないほどの大馬鹿者だった男だ。
あの大バカは救いようの無いほどのバカだった。権力を自らの力と言いその力に酔って悪政を敷き、偉大な自らの前に前にひざをつくものたちが皆、自分を恐れていると信じ切っていたがゆえに民を蔑ろにし続けた大バカ者。
そんな大バカ者は最終的に、その状況を見かね立ち上がった臣下の一人の手によって反乱を起こされ、最後は討たれた。
目の前に、人よりも責任を重く感じ取る元魔王が存在している。
かつて処断された、あの大バカ王子とは比べ物にはならないほど自分の責任を自覚している。
元魔王は自分の責を放棄した事を自覚し、その上その放棄した責任を取った。
俺に自らを討たせる、という事で。
だが何故そんな事をいまさら俺に言うんだ。
そんな行き場の無い感情が胸の奥で吹き荒れる。
怒り、戸惑い。
それ以上に――――深い悲しみを覚えた。
正直、魔王が憎かったわけじゃない。
いや、この言葉には語弊があるか。
憎んでいた。
全ての元凶である魔王が、憎いと思っていた。
だが初めて相対したとき……。
何故か魔王を憎むという気持ちがあまり沸いてこないことが疑問だった。憎むべき敵を前にして何故。
だがそんな気持ちを押し殺し、赤い瞳を睨みつけ剣を振り上げ切りつけた。
そして、漸く討ち取った瞬間。
俺と同じ紫の瞳と視線が交錯し、その姿が目の前から消え去った瞬間。
俺は何かを―――失った。
何故か、そう思った。
胸を占める喪失した感覚。
神の言葉を信じるならば、俺とあいつは対として存在するものだっだ。
対立するためではなく、お互いを補い合うためにあるもの。魂の片割れ。
だから俺は、意味も分からず分からない思いに突き動かされるかのように、何かを残そうとあの場所にあれを作ったのだ。
勇者も思わず過去に考えを巡らせていると、魔王はそんな勇者の様子を気付いた風も無く言葉を続けた。
「私のなした事は世界の騒乱を導いただけだった。争いの種をまいただけだった。そして人もまた安寧を長い間失った」
その言葉にハッとして魔王を見つめると、魔王もまたこちらを見返していた。
「この村も、平穏になったからこそ建つことの出来た村なのだろう?」
その言葉に、初日に魔王が言葉を失っていた理由にようやく気付いた。
自らのやった末路が世界の荒廃であり、責任を果たした後の結果この村がようやく出来たのだと。
平和になったからこそ成り立つこの村があり、穏やかに日々を過ごす村人達の姿があるのだと。
そう気付いたからこそ、だから最初のあの時、言葉を躊躇ったのか。
もしこいつがこんな事を考えなければ。
この事をもっと昔に知っていたら。
別の道が見出せてたら、こんな事にならなかった。
『もし』や『たら』や『れば』といった仮定の話ならば、考えればいくらでも出てくる。
だがそれは…………それら全ては、終わってしまった過去の話しなのだ。
どれほど過去を悔やんでも取り戻すことは叶わない。どれほどいまさら悩んでも、終わってしまった出来事をやり直すことは不可能なのだ。
「魔王。もう……いい」
弱弱しく止める声に気付くことなく、魔王は言葉を続ける。
「自分勝手な願いを抱いた、という事は嫌と言うほど理解はしているんだ」
「もう止めろ」
そう言って魔王の頭に手を置く。魔王もそうされてようやく口を閉じ、じっと勇者を見上げた。
「もう、いいんだ。お前の気持ちも分かった。お前の辛さも、悲しみも……。全てがお前のせいじゃない。お前は、お前が信じた事を成しただけだ。その過程がどうであれ、結果がどうであろうと、今はもう過去の話だ。全て、終わってしまった話なんだ」
魔王はじっと勇者の声に耳を傾けていた。
「もう、過去に囚われ続けるのは止めろ。もう、全て終わった事なんだから」
「だが……」
なおも言い募ろうとする魔王に、勇者は首を横に振って言った。
「いいんだ。俺もお前も、前は敵同士として相対した。だが今は敵対する理由も意味も無い」
「だが私にはここにいる理由も存在する意義も無い。あの神の思惑以外には何も……」
最後の一言にはさすがに勇者も思わず顔を引きつらせたが無理矢理気を取り直し、改めて魔王と視線を合わせ苦笑しながら言った。
「今ここで生きていくのに、理由なんてものを深く考えるやつはそう居ないさ。存在する理由なんてものを突き詰めて考えて生きているやつなんてものもな。大半の生き物はこの地上に生れ落ちたからには、その生を必死に生き延びてゆく。それだけを考えて皆は必死に抗い生きているんだ。必要なのは勇気を持って足掻きながら生き続ける事。そして目の前にある様々な事象に立ち向かう力を掴む事なんだ」
「勇者……」
「それに、今更お前が先代魔王という事を言って何になる。過去の争いは、俺がお前を討って全ては終わった。どんな形であれ、それであの戦いに決着はついたんだ。そして現在の俺達は、そうした過去の戦いを生き抜いて、それらを乗り越えて今ここに立っている。過去にあった犠牲や思い出を抱えてここまで来たからこそ、今の俺達がいるんだ」
勇者の言葉に、魔王は涙をこぼした。
泣かれた事に内心微妙に焦りながらも、勇者は言葉を続けた。
「お前を倒して俺達はあの苦しい時代に終りを告げ、新しい始まりを歩き始めたんだ。そんな過去の終わった話を、今更蒸し返しても何もならない。むしろそんな苦難の道を踏み越えて歩いて来た俺達にとって、そんな過去の話を持ち出されても戸惑いの方が大きい。俺達は短い時間を生きるからこそ、そういった思いを納得いく形に昇華させてここまで来たんだ」
静かに涙を流す魔王の姿に、勇者は内心おろおろしながらも言葉を続けた。
「ここまでいってもまだ理由が必要というなら、俺がここに居てもらいたいと思っている。それじゃあ理由にならないか?」
その言葉に魔王は一瞬目を見開き、そして涙をこぼしながら小さく「ありがとう」と言った。
「勇者。私はその言葉だけで救われる気がするよ。お前にここに居てもいいと言われただけで、本当に……本当に、嬉しい」
そう言ってさらにこぼれはじめた涙に、逆に勇者は慌てた。
な、泣かせたのは確かに俺なんだが、どうやったら止まるんだ?というか、止まってくれ!!
「えーと。あー、ま、魔王。その……何だ」
誰か!誰でもいいから、今すぐ!!魔王の涙を止めてくれェェ!!!
しばらくお互い何も言葉無くじっとしていたが、魔王は涙をぬぐうと少し照れくさそうにしながら勇者に言った。
「勇者」
「な、何だ?」
「もうちょっとかがんでくれ」
そう言われて、頭に疑問符を浮かべながらさらにかがんだ。
そして魔王はおもむろに勇者の頬にチュッ、とキスを一つ。
勇者は一瞬何をされたのか理解できず、理解出来るにしたがって驚愕に目を見開く。
「お、おま……おの、おにょ…………にゃに…………」
あまりの衝撃的な出来事に、頭の働きが一気に停止したせいか意味不明な言葉しか出てこなかった。
「勇者。私は今日ほどお前の存在が嬉しいと思った事はない。だから信頼の証だ」
涙に濡れながらも、その表情に先ほどまで浮かんでいた暗いものはまったく見られなかった。むしろ喜びに輝いている、と表現したほうがいいだろうか。
逆に勇者は告げられた言葉が理解出来ず問い返した。
「し、信頼!?」
「そうだ。信頼の証だ」
え~と。信頼の証で頬にキス……頬に…………。
顔に血が上るのが分かった。
「ま、魔王」
それ以上何を言えばいいのか分からなかった。
戸惑い固まる勇者に、魔王はその小さな手を差し出した。
「勇者。帰ろう。私達の家へ」
なんだかよく分からんうちに、最終的には立場が逆になったぞ。
そんな意味不明な事を考えていたが、最後は破顔一笑してその手を取った。
「ああ。帰ろう」
―――――― ※ ――――――
数日後。
勇者には魔王をどうしても問い詰めておかなければならない事が一つだけあった。
「魔王。一つ聞きたいんだが、いいか?」
「ん?まだ何かあったか?」
「この間話した時に『見ていた』と言っていたが、お前あの城から出られないと言っていたよな。どうやって見ていたんだ?まさかとは思うが、魔術でも使って覗き見なんて事をしていたんじゃないだろうな」
そういった瞬間、笑顔のまま魔王は見事なまでに固まっていた。
そのままの状態で、両者見詰め合う事しばし……。
先に目をそらしたのは…………魔王だった。
よもやまさかとは思っていたが、覗き見をする魔王。他人事であれば笑える話になるのだろうが、対象が自分だと思うと笑うに笑えん。
「お前な……」
「い、いや。それは事情があったと言うか、何というか……」
あきれ返った様子の勇者に、魔王も必死に弁解の言葉を考えるがどう言葉を重ねてもどうにもならない事に気付いたのか、だんだんと言葉が尻すぼみになっていた。
「あぅ……」
「お前はストーカーか」
思わず出てきた言葉に、さすがの魔王も何も言葉はなかった。
「覗き見していたって、どんな場面だよ」
色々と変な事をやってきていた自覚はあったから、そんな場面を見られていたかと思うと微妙に恥ずかしい気がしていた。
「い、いや。変な場面は決して見ていないぞ。うん。そんな大それた場面なんて見た事は無いぞ」
異様に焦った風な魔王に、訝しげな視線を向ける。
「池に嵌ったとか、うっかり加減を間違えて謎のクレーターを作ったとかそんな楽しそうな場面を覗いていた訳じゃないぞ。新しい魔術を試してて川を決壊させたけど結果オーライだったとか、精霊を駆使して某貴族からネコババしていたとか、そんな場面は決して見ていないぞ」
うろたえていたせいか、魔王は簡単に口を滑らせてくれた。
逆に、聞くにつれ勇者の目が据わっていった。
よーく解った。
ほぼ俺のしてきた事は網羅している、という事だな。
今は娘なので殴るわけにもいかないから、せめてガッツリと説教させてもらおう。
そう考えて口を開いた。
だが。
「見ていたのは悪かったと思っているんだぞ。けどそれ以上は何も見ていないからな。明らかに黒く塗りつぶしたいと思えるような、青春メモリーなんて見てもいないからな」
その言葉に、開きかけていた口をつぐむ。
俺の……黒歴史…………だと!?
その一言に、あれやこれや黒く塗りつぶしたいと思い続けてようやく消去出来たと思っていた思い出が、走馬灯のように勇者の脳裏に次々と描き出されていた。
「あの、その……私はなに一つ見ていないのだからな。何も見ていないぞ。ピンクのフリルとか決して絶対見ていないからな。可愛いとか思ってもいないぞ。あれも……」
「魔王!」
「ひゃいっ!!」
呆然と立ち尽くしていた勇者の様子に気付くことなく色々と口を滑らせていた魔王は、勇者の突然の大声に思わず姿勢を正した。
「分かった」
「はい?」
魔王には、勇者が何が分かったのかさっぱり分からなかった。
「この話はこれで終りだ。うん。終りにしよう。そうするべきなんだよ」
真剣な表情で、これ以上何も語るなと目が言っていた。
「誰にも話すことは絶対に許さんぞ。な。理解出来るよな」
優しい声音なのに、何故か否定するという行動を一切許さない気配がにじみ出ていた。
そんな勇者の姿に、魔王もコクコクと素直に頷いた。
そして、その日の会話はそれで終りとなった。
この話でやりたかったのは、勇者のほっぺにキスだす!
本望です!!
私はやりとげたぁぁ!!!
覗き見魔王、万歳♪




