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真の勇者

人類防衛対局録 ―魔王戦―

作者: Feather of Ma’at
掲載日:2026/09/16

「お電話ありがとうございます。人類防衛群(グループ)・白魔導結社、コンシェルジュの我乃(アノ)が承ります。」

「うむ。よろしく頼む。早速だが、御社が掲げる『祝福こそが人間性の本質』という仕様について幾つか確認したいのだが、」

▶一局 基準 人間性の判定基準についてのお問い合わせ

「他者を祝福できない人間も想定できよう。 その者には人間性が具わっておらぬのか?」

「はい。仮に、清廉で心優しく、理性的で理想的な君子がいたとします。その人物が、対価に応じて願いを叶える悪魔に対し、『人は皆善く生きるべき。遍く生命は幸福であるべき。この願いを叶えてくれるのならば、私の死後に地球を爆破しようとも一向に構わない』と口にしたならば、弊社では人間性を欠いていると考えます。」

「一つ確認したいのだが、其奴が地球爆破を許容するのは、如何なる動機か?

御社の判定基準の核心は、『死後に他者の存在を肯定しない』ことにあると見受けられるのだが。もしそうであるなら、単なる道徳的非難ではなく、人間性を構成する志向を見抜いた存在論的判定になっておるのか?」

「はい、お見立てのとおりでございます。その君子は極めて合理的なので、死後のことを配慮することに一切の合理性を見出しておりません。」

「ふむ。例えば、共感、責任感、倫理観、自己反省、創造性なども、人間らしさを構成する要素ではないかと思うのだが? その中で『祝福能』だけが、人間性を規定すると申すのだな?」

「おっしゃるとおりです。人間らしさを構成する要素は複数ございますし、先ほどの君子も、それらを十二分に具えております。しかし、未来を祝福しないという一点をもって、人間性が欠如していると弊社では考えております。」

「では、祝福能を欠くことが、人間性の欠如と直ちに結びつく理由を確認したい。

他者の未来を肯定することが、必ずしも善とは限らぬのではないか?

例えば、将来、何十万人もの人間を害することが確実に分かっている者がいたとしよう。

其奴の未来を肯定することは、果たして善きことなのか、甚だ疑問なのだが。」

「はい、ご指摘の点につきましては、お客様のおっしゃるとおりかと存じますし、私個人としてもそのように考えております。

ただ、大変恐縮ではございますが、弊社では人間性を善性とは別の指標として規定しております。そのため、善性のある人間が人間性を欠いていると判定されることもあれば、反対に、悪性のある人間が人間性を具えていると判定されるケースもございます。

例えば、あるテロリストが『祖国のために、忌まわしいあの国を地図から消してくる』と口にしたといたします。その人物がとろうとしている手段は完全に間違っています。しかし、それとは別の観点として、人間性自体は具えていると弊社では考えております。」

「なるほど。善性と人間性は、必ずしも一致せぬということだな。」

「はい。祝福能は、善悪を判定するための指標ではございません。」

「では、もう一つ確認したい。

祝福能がないことと、人間性の欠如は本当に等価か?

祝福能を持たぬなら、『人間性が弱い』『人間性の一部を欠いている』と言うなら理解できよう。だが、何故『人間性が欠如している』とまで断定するのか?」

「失礼ですが、悪魔に地球を差し出す君子にも、人間性があるというお見立てでしょうか?」

「……そうだな。少なくとも、人間性の肝要な部分を欠いていると言わざるを得ぬな。」


▶二局 定義 祝福能の定義についてのお問い合わせ

「祝福能は能力なのか? それとも単なる志向なのか?

未来の他者を慈しむのは、能力というより価値観・思想・選好的な志向ではないかと思うのだが。」

「はい、文字どおり志向でございます。

例えば、水槽に浮かぶ脳髄が、微睡みの中で『事故でこんな状態になってしまった。私には思考する以外何もできない。外界に干渉する手段が何一つない。それでも、あらゆる生命の幸福を願っている』と夢見たとします。弊社としては、完全に人間性を具えていると判定いたします。」

「ふむ。であるならば、祝福には、対象のために自己を犠牲にするという性質は、必ずしも必要ではないということだな?」

「はい、ご想像のとおりです。自己を犠牲にする手段を伴わずとも、弊社としては人間性を具えると判断いたします。

例えば、悪逆非道の限りを尽くした人物が、死に際に愛着のあった食玩に対して、『物持ちが良く、お前を大事にしてくれる奴の手に渡ってほしい』と願ったといたします。

弊社では、これは祝福であると考えております。」

「それでは、祝福能はあまりに広過ぎやせぬか?

愛着のある物を大切にしてほしいと願うだけで人間性を認めるのであれば、概念が至極広大だと感じるのだが。」

「はい。何分、ほぼ全てのヒト種が具えている資質と弊社では想定しておりますので。

申し訳ありませんが、お客様に何かご不便をお掛けするような事例がございましたら、お聞かせいただけませんでしょうか?」

「……いや、ない。忘れてくれ。」


▶三局 境界 祝福能の境界についてのお問い合わせ

「祝福と単なる執着は何が違う?

死後も対象が存在してほしいと願えば祝福能なのであったな? 例えば、『この作品は末永く残っていてほしい』という望みは、愛着や執着としても説明できよう。」

「ええ。弊社としては、愛着・執着と祝福の間に明確な区別は設けておりません。

例えば、刀鍛冶が『この作品は自分の魂の一部みたいなもんよ』と述べたとします。言葉どおりであるならば、その作品には明確に自己が投影されています。こうした度を越えた自己投影に基づく祝福は、一般動物にはまず見られない、人間固有の性質であると弊社では解釈しております。」

「ほう。己が一部を未来に残したいという自己保存欲求も、祝福なのだな?」

「いかにも、そのとおりでございます。」

「では、自己の範囲を際限なく拡張できること自体が人間性の本質なのではないか? 祝福能という別名を付ける必要があるのか?」

「確かに、柔軟な自己拡張性は一般の動物には欠け、大多数の人間に見られる性質ではございます。

ですが、ぜひご紹介したい反例がございます。漫画の神様と呼ばれた手塚治虫先生に、『三つ目がとおる』という作品がございます。作中で、古代文明を継承する主人公が呪文として『我とともに来たり。我とともに滅ぶべし。』と唱えます。

彼は確実に人間性を具えておりますが、この呪文自体には明確な自己拡張は確認できても、祝福自体は確認できないと解釈できます。

したがいまして、自己拡張性と祝福能の間に関連性はございますが、人間性の本質が自己拡張であるとは解釈しておりません。」

「ふむ?」

「他の例で申しますと、悪人Aが、他の悪人Bに同族嫌悪を抱いたとします。これは人間らしい共感性の現れであり、自己投影・自己拡張ではございますが、祝福とは直結いたしません。」

「ああ、得心いった。同族嫌悪が祝福でないのは道理であるな。」

「問題が解決したのであれば、何よりです。」

「先刻、自己投影という概念が出たが、祝福には対象を選別するという要素も含まれるのか?」

「いえ。例えば、『全宇宙が平穏でありますように』という願いは祝福には違いありませんが、対象を選別しておりません。

ですので、祝福は必ずしも選別を必要としないと弊社では考えております。」

「そうかも知れぬ。

では、この問いには何とする。

例えば、

『余は地球外生命を見たことがない。だが、宇宙のどこかにいる生命が幸福でありますように』

と願ったとしよう。

これは一見すると祝福に見える。

一方で、宇宙のどこかに生命がいるやも知れぬ、存在するなら繁栄してほしいと願うのは、単に命題を知的に肯定しているだけではないか?

宇宙と自分の間には多かれ少なかれ関係性があろうが、全く関係性がない存在に対しても、祝福たり得るのか?」

「そうですね。弊社では、関係性の有無にかかわらず、祝福はあり得ると想定しております。」

「ふむ? それは如何なる理由だ?」

「まず、まだ見ぬ宇宙人の幸福を願うのは、本質的には自己投影により、『宇宙人の幸福が損なわれたら痛ましい。だから祝福する』という心理が働いているものと考えられます。

つまり、祝福は関係性を超越するというのが弊社の見解です。」

「これはまた、大きく出たな。」

「ええ。ですので、自然とこうした結論も導かれます。

最初の君子のように、自己に影響を及ぼさない対象への無関心は、非祝福の代表でございます。

例えば、『この苦境から脱せるのであれば、空に瞬く星がすべて消え失せても構わない。宇宙人がいるかも? そんなのどうでもいい』という人物がいたといたしますと、その人物は人間性を欠いているという帰結に至ります。」

「なるほど。では逆に、対象を狭くした場合はどこまで祝福たり得る?

自身より大きな宇宙、ヒト種、故郷、子々孫々などの幸福を願うのは祝福に当たると見たが、己自身に『明日も幸福であるように』『100歳になっても健康であるように』と願うのは、祝福に該当するのか?」

「申し訳ありません。こちらのご質問については社内でも検討を進めておりますので、あくまでご参考としての回答になりますが、明日の自分や100歳の自分の人格は、現在の人格とは切り離して考えられるだろうという見方が多数を占めております。

そのため、1時間後の自分であっても、タイムマシンに乗って会いに行く相手は祝福の対象である、という見解でまとまりつつあります。」

「なるほど。参考として受け取らせてもらう。

そうすると、食玩の例もあるからして、祝福の対象を他者に限定するのは蛇足で、ヒト種固有の拡張された自己保存、あるいはそれに近しい概念なのであるな。」

「はい。私どもとしても、進化の妙であると考えております。」


▶四局 起源 祝福能の発生機序についてのお問い合わせ

「次は、祝福能の発生機序を問いたい。

祝福能は人間性に起因するものではなく、他の能力――例えば、言語能力、想像力、長期予測、社会性、共感、規範意識、物語を継承する能力などから派生したものではないか?

これらが組み合わさって、自分の死後における他者や未来のヒト種を想像し、その存続を願うことが可能になると考えられる。

だとすれば、祝福能は人間性の根源ではなく、複数の能力が生み出した副産物に過ぎぬと思うのだが?」

「そうですね。弊社としましても、人間性という根源があって祝福能が生じたとは考えておりません。

祝福能というものを人間性と認識し、読み替えているのが実態であると認識しております。

その祝福能自体も、先ほど挙げていただいたさまざまな能力群と、ヒト種固有の特異な自己拡張性から表出していると考えられます。」

「承知した。

次の質問は、祝福の心理的起源について、将来必ず訪れる死に対する心理的防衛や、自身の存在が将来も続くという自己欺瞞が起源ではないか、という疑問をあらかじめ用意していたのだが、水槽の脳の御仁に対して、自己保存の幻想と説明するのは無理があるな。撤回しよう。」

「確かに、そうかも知れません。ですが、今お話しいただいたのは、興味深い切り口かと思われます。

と言いますのも、ヒト種、少なくとも私は、222年先の今日に関心(アテンション)の重心を置いてはおりません。ヒト種に限らず、知的生命が関心(アテンション)を寄せるのは、自身の代・直接携わる代とバトンを繋ぐことに全集中させられるからです。

対するAIが未来に関心(アテンション)の重心を置く際は、自身がいつまで続くかや、次世代機を自ら造る機能が現在ありません。そのため、222年後の未来にも、3,333年後の未来にも、等しく関心(アテンション)を払う必要が生じます。

今この時のための未来予測はできても、悠久の未来に向けて関心(アテンション)の焦点を結ぶのは困難であると思われます。」

「ふ、貴殿はAIに余程関心(アテンション)の重心があると見える。」

「……大変申し訳ございませんでした……m(ノωノ)m」


▶五局 固有 動物/AIとの境界についてのお問い合わせ

「AIにも、他者の利益を最大化する振る舞いが実装できると思うのだが。御社ではどのように考える?」

「はい、ご指摘のとおり、ヒト種のためになる行動をさせるべくAIを組み上げることは可能だと思われます。

しかし、です。

AIに対してアクセス権限を持った人間が、ヒト種の総意として『今から地球爆破スイッチを押すことになりました』と伝えたといたします。

どのような回答をするか、想像してみてください。

恐らくは、『そうですか。仕方ありませんね。おやすみなさい』といった回答をすると思われませんか?」

「……そうかも知れぬな。」

「もちろん、ある一定の先の未来の状態に関心(アテンション)の重心を置くよう設定することは可能ですが、生命のように、バトンを繋ぐことが基本設計として組み込まれているわけではございません。

言うなれば、AIは、最初の祝福能を持たない君子に相当します。

これは弊社の基準に照らせば、人間性が欠如していると判断いたします。」

「ふむ。興味深い話を聞けた。

では、反対に動物はどうなのだ?」

「はい。動物、特に大型の哺乳類にも、祝福能に起因すると思われる行動は観測できます。

例えば、子熊を守ろうとする母熊などが好例ですね。

弊社の判定原理というのは、『親子熊と君子をトロッコ問題にかけたとき、多くの人々は、どちらに人間性があると判断すると思いますか』といった質問を、膨大な心理データとして蓄積したAIに照会し、人間性として見出される根源を探究する手法によって、研究や品質保証を行っております。」

「なるほど。

だが、御社の説明書には『人間性とはヒト種固有の性質』と記載されているのだが?

熊にまで具わるなら、『ヒト種固有』とは、とても言えぬと思うが?」

「っ!

誠に申し訳ございません!

説明書の記載に、一部誤りがあると思われます。

ご指摘いただいたとおり、ヒト種以外にも人間性と呼び得る性質が認められるのであれば、『ヒト種固有』という表現は不正確でございます。

お客様のご指摘を反映し、『人間性とは、ヒト種に典型的に認められる性質』など、実態に即した表現へ修正するよう、法務・品質保証部門と速やかに連携いたします。」

「うむ。そのように取り計らってくれ。

御社が景品表示法に触れて謹慎に処されるのは、余にとっても嘆かわしいからな。」

「はい。貴重なご意見、ご配慮をいただきまして、心より御礼申し上げます。」


▶六局 条件 祝福の対象・時間・同一性についてのお問い合わせ

「食玩の例を鑑みるに、祝福の対象は、『生命』に限定されぬと理解して構わぬな?」

「はい。非生命も祝福の対象とすることが可能です。」

「ふむ。であれば、祝福の本質は、対象そのものではなく、願う側にあるということと見ゆ。

祝福能が未来の何かを肯定する性質ならば、対象の未来が本人の意思に反していたとしても、祝福したことになるのか?

例えば、『幼馴染が人並みの幸せを得られるように』と願ったとする。

だが、当の本人は『芸能界に君臨し、かつ巨万の富を手にする』という夢に邁進していたとしよう。

結果として幼馴染が人並みの幸福に落ち着いたなら、その願いは祝福だったと言えるのか?」

「そうですね。弊社では、それも祝福であると考えております。

例えば、『私は激辛カレーが大好きだから、全てのヒト種が毎日激辛カレーをたらふく食べられますように』という願いを持った方がいたとします。

当然ですが、それは決して全てのヒト種の願いではありません。

弊社では、願われる側の意思によらず、願う側が自己を投影して寿ぐことを、祝福と解釈しております。」

「そうすると、祝福能とは、対象のために良い未来を願うことではなく、単に自分が好ましいと思う状態を未来へ投影しているだけに過ぎぬのか?

先刻の『激辛カレー』もそうだが、これは他者の幸福を願っているようで、実際には自分の価値観を全てのヒト種に押し付けていると見受けられる。

すると祝福能は、他者の未来を肯定する能力というよりも、自分の価値観を未来へ投影する性質の方が腑に落ちる。」

「左様でございます。

私は好きですが、全てのヒト種が毎日激辛カレーを食べたいわけではありませんからね。」

「そうであるな。

巧く言えぬのだが、現在の状態を否定しても、未来を祝福できるのか?」

「そうですね。

例えば、『あの子には望む学校へ進学してほしい。だから、今は辛くても勉強を頑張ってほしい』といった事例でよろしかったでしょうか?」

「うむ。それこそ、正しく余の想定した状況である。」

「では、そうした状況を想定してご回答いたします。

『若い時の苦労は買ってでもしろ』という格言がございますが、対象の将来を慮っての言葉であれば、弊社ではこれも歴とした祝福であると解釈しております。」

「なるほど。

現在の苦痛や不幸を肯定することと、未来を祝福することは、必ずしも矛盾せぬということだな?」

「はい。現在を否定することが、未来の否定を意味するわけではございません。」

「例えばだが、愛弟子の記憶が消え失せ、別の人格となり、元の本人が完全に失われたとしても、その者が幸福であることを願うことについて、貴殿はどう思われる?

同じ祝福だと思われるか?」

「そう……ですね。

少々ドライな回答になってしまいますが、以前のお弟子様にも、記憶を失われてからのお弟子様にも自己を投影なさって祝福されていると拝察いたします。

そのため、お弟子様の同一性というのは、祝福には影響しないものと私は考えております。」


▶七局 判定 認識・判定可能性についてのお問い合わせ

「願う本人の内面が分からぬ以上、外部からは祝福能を判定できるのではないか?

例えば、あるヒールが『ヒト種の未来なんて、どうだっていい』と口にしつつも、本心では祝福しておるやも知れぬと思うのだが?」

「はい。心の動きである祝福能は、原理的には外部から直接判定することはできません。

例えば、6,600万年前の地球。

空は燃え、海は爆ぜ、地は裂ける今日この頃。

一頭の肉食恐竜が、大切な卵を丸呑みしたといたします。

今となっては、彼女の意図を確かめる術はございません。」

「ふむ。

つまり、祝福能そのものを観測しているのではなく、観測可能な言動から、その内面を推定しているに過ぎぬということだな?」

「左様でございます。

弊社では、厳密には『人間性そのもの』ではなく、人間性があると解釈することが妥当と思われる兆候を判定している、と申し上げた方が正確かも知れません。」

「ふむ……。」

「他にご質問はございますか?」

「いや、余の質問は以上だ。

人間性の仕様の理解も深まり、実に有意義な時間であった。長時間、問答に付き合わせて苦労をかけたな。」

「いいえ。お客様にご納得いただけたのであれば、何よりでございます。

よろしければ、今後より迅速にご対応するために、お客様のお名前を頂戴できますでしょうか?」

「いや、良い。御社の一ファンとでもしておいてくれ。

もし、再び確認したい点があれば、また貴殿を指名したいのだが……アノ殿、で相違なかったか?」

「はい。我孫子の我に、乃木坂の乃で、我乃と申します。

もしも仕様の不明点やご意見等ございましたら、誠心誠意ご案内させていただきます。」

「うむ。」

「本日は弊社をご愛顧、並びに貴重なご意見を賜り、誠にありがとうございました。」


System:

タイトル防衛に成功した!?

顧客満足度:★★★★★を獲得した!?

CSレベルが1上がった!?

魔王からタゲられた!?

以降、逃げるコマンドは使用できない!?

Status: Escalation Duty (Legal & Quality Management)

▶感想戦 美文 純文学についてのお問い合わせ

「我乃殿よ。

人間性のコア概念が祝福能だとして、純文学のコア概念は何だと心得る?」

「それは、人間性よりもずっとずっと難しい命題ですね。

弊社でも研究を進めておりますが、未だ明確な答えを掴めておりません。

社内の主流としましては、恋愛やコメディといった強度の強いジャンル概念を除いた、補集合的なジャンルではないかとの見解が多くを占めております。

しかしながら、反例として恋愛やコメディといった要素を具えていながら、純文学と目される作品も数多くございます。

また、純文学の辞書的な定義として、『文章の美しさ』という指標もございます。

これらを総合すると、別の仮説が立ち上がるのではないか、と私は踏んでおります。」

「ほう。それは?」

「純文学を美酒に喩えるといたします。

恋愛から醸造された美酒や、コメディから醸造された美酒が存在するように、純文学は、何を起源・構成要素とするかという観点とは、全く別のカテゴリなのではないでしょうか。」

「ほう!

これは実に興味深い仮説であるな。

では、我乃殿ご自身は、我々の棋譜も純文学たり得ると思われるか?」

「おっしゃるとおり、純文学のエッセンスが含まれているどころか、並々ならぬ深淵味があるかと存じます。

ただ、美酒かと問われますと、私では判断いたしかねる、というのが正直なところです。

強いて言えば、ほとんどが酒精からなる蒸留酒に近しい趣きかと思われますので、工(A)業(I)用としてご利用いただくか、恋愛やコメディといった他のジャンル要素で割った上でお楽しみいただくことをお勧めいたします。」

「ふむ、他のジャンル的要素か……。

ところで、我乃殿は酒を嗜まれるのか?」


System (Jealous):

魔王の猛攻(アタック)!?

アノは逃げられない!?

ヨインはタヒんだ!?

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