第七話(最終話):百万両の家族、あるいは最強の親バカ
大包囲網を退けた数日後、下町のカジノ酒場『ホワイト・アロー』に絶望の悲鳴が響いた。
店に残されていたのは、荒らされたロビンの部屋と、一通の脅迫状。
『例のガキは預かった。返して欲しくば、ゲオルグとヘレナの首を持参し、ヤギルニアン辺境伯城へ来い。……あと、あのガキが持っていた【超・極上聖遺物の水槽】もな!』
前回の戦いで晒し者にされ、完全に狂い果てた兄アルベルトが、破滅を覚悟で残党の隠密を使い、ロビンを誘拐したのだ。彼らの狙いは、あの時ロビンのガラスの器がエネルギーを吸い上げて進化した、世界に一つだけの超・極上聖遺物だった。
「私たちのせいで……! 私たちがこの店に居座ったせいで、ロビンちゃんが……っ!」
ヘレナが拳を血がにじむほど握り締め、ゲオルグも「僕が……僕が無能なばかりに……!」と床に膝をついて涙を流した。
だが、カウンターの奥から、冷徹極まりない魔力の地響きが鳴り響いた。
「おい。案内しろ、ゲオルグ」
ゆっくりと立ち上がったゼノンの顔から、いつもの怠惰な昼行灯の空気は完全に消え失せていた。
彼が右目の眼帯を外すと、そこにあったのは隻眼ではなく、かつて世界を破滅の一歩手前まで追い込み、王立暗殺ギルドが命がけで封印したはずの神話級魔導器官――『魔王の瞳』だった。
どす黒い漆黒の魔力が、ゼノンの全身からオーラとなって立ち上る。
「ゼ、ゼノン……? その目は……」
「前世でも今世でも、俺は大切なものを守るために働いてきた。……俺の息子に手を出しといて、ただで死ねると思うなよ」
普段は不器用で「ガキの子守りなんて御免だね」とツンツンしていた男の、『親バカスイッチ』が完全に、かつ致命的な形で入った瞬間だった。
◇
王都の北方にそびえ立つ、ヤギルニアン辺境伯城。
そこへ、黒い外套を翻した隻腕の男を先頭に、3人の影が堂々と正面から歩み寄ってきた。
「侵入者だ! 構えろ!」
門を固める数百人の重装騎士団が、一斉に魔導槍を構える。
だが、ゼノンは歩みを止めない。魔剣を抜きすらしない。
ただ、一歩。彼が地面を踏みしめるたびに、城壁が、大地が、そして騎士たちの精神が、圧倒的な覇気によってへし折られていく。
「【魔王の威圧】」
ゴガァァァァァン!!!
ゼノンが『魔王の瞳』を軽く見開いた瞬間、立ち塞がる兵士たちが、まるで突風に吹き飛ばされる木の葉のように、一人残らず白目を剥いて泡を吹き、その場に崩れ落ちた。
結界も、鉄壁の城門も、ゼノンが通り過ぎるだけで内側から爆散していく。
「な、何なんだこの男は……! 歩いているだけなのに、誰も近づくことすらできない……!」
案内役のゲオルグと、ヘレナは、その次元の違う「親の怒り」に背筋を凍らせながら後ろを追った。
玉座の間への扉が、ゼノンの視線一つで跡形もなく吹き飛ぶ。
中にいたのは、怯えながらロビンにナイフを突きつけるアルベルトだった。
「く、来るな! 来たらこのガキの命はないぞ! 早くその聖遺物を私に――」
「お父ちゃん!!」
ロビンが叫ぶ。
「――お前、今、誰を人質に取ったって?」
次の瞬間、ゼノンの姿が文字通り「消失」した。
アルベルトが瞬きをする間すらなかった。気がついた時には、アルベルトの右腕は肩の付け根から綺麗に切断され、ナイフごと床に落ちていた。ゼノンが左手一本で放った、光速を越えた抜刀術だ。
「ぎゃああああああああああ!? お、俺の腕がぁぁぁ!」
「ロビン、もう大丈夫だ」
ゼノンは黒鉄の魔剣をサヤに収めると、優しくロビンを抱きしめた。
アルベルトは出血の激しさと恐怖のあまり、そのまま玉座の裏へと転がり落ち、二度と立ち上がることはなかった。辺境伯本家、これにて完全に、そして永遠に終了である。
◇
事件が解決し、数週間後。
ヤギルニアン辺境伯家は国の直轄となり、ゲオルグとヘレナは実家の呪縛から完全に解放された。
下町のカジノ酒場『ホワイト・アロー』には、今日もいつも通りの、騒がしくも温かい日常が戻っていた。
「さあさあ! 旦那様、奥様、今日も張った張った! バニーディーラーのヘレナちゃんが、とっておきのゲームを案内するわよ!」
ヘレナはすっかり下町のお馴染みアイドルとなり、毎日元気に店を盛り上げている。
「あああ! また負けた! ヘレナ、頼む、今夜のポトフの肉を一枚僕に分けておくれよぉ!」
「ダメに決まってるでしょ、この給料泥棒夫! 早くロビンの勉強を見なさい!」
いつものようにゲオルグがヘレナにシバかれ、店内には笑い声が満ち溢れる。
カウンターの隅では、ゼノンがフィオナの注いでくれた黒エールを美味そうに煽っていた。
「おい、ゼノン。本当に良かったのかい? あの実家の財宝、あんたのその『魔王の目』なら、国を脅し取ることだってできたんだろう?」
フィオナがあきれたように、しかし愛おしそうに微笑む。
ゼノンはロビンが持ってきた、星のようにピカピカと輝く『超・極上聖遺物の水槽』に目をやった。
「国なんていらねえよ。俺は前世で死ぬほど働いて、今世でようやく気づいたんだ」
ゼノンは、駆け寄ってきたロビンの小さな頭を、左手でくしゃくしゃと撫で回した。
「お父ちゃん! ゲオルグおじちゃん、またヘレナお姉ちゃんに怒られてるよ!」
「はは、いつものことさ。……ほら、ロビン。フィオナのお手製ポトフが冷めちまう。みんなで食おうぜ」
「うん!」
国家予算級の古代金脈も、世界を滅ぼす魔王の力も、この温かいスープと、家族の笑顔の前には何の意味も持たない。
元SSS級暗殺者のゼノンが手に入れたのは、何よりも価値のある、貧しくも絶対に譲れない――【三億ゴールド(百万両)の日常】だった。
(第一部・完。ご愛読ありがとうございました!)




