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冒険者ギルドの裏権力者に強制就職させられてしまう【異世界BL】

掲載日:2026/07/02




「大丈夫。機嫌を損ねても最悪クビなだけだから。死にはしない」


 ギルドマスターの抑揚のない声が室内に響く。



 口元が震えた。衝撃的な言葉に愛想笑いすら引っ込んだ。


 イアムは期待に胸を膨らませたどこにでもいる普通の若者だった。

 だから、たった()()の冒険者によって人生を大きく狂わされることになるなんて、考えたこともなかったのである。






 緊張と興奮、それは同時にやってきた。


 王都近郊に位置する街、ランフィルノ。そこにある有名な冒険者ギルドの書類選考に通ったのだ。



 イアムはギルド職員として働くことを目標に生きてきた。

 地元の学校で冒険者事務科を専攻し、無事に卒業した。現在は就職先を探しているところだ。


 冒険者ギルドの職員に案内され、筆記試験が行われる会議室に入ると、応募者でひしめき合っていた。想像以上の光景に緊張感が高まる。せっかく巡ってきたチャンスだ。物にしようとペンを握る手に力が入った。


 なんとか筆記試験を乗り切ると、次は面接が待っていた。面接は3人ずつで行われたのだが、左右の応募者のレベルの高さに気圧(けお)され、終盤は何を話したのかよく覚えていない。


 面接が終了し、これは無理かもしれない…と手応えを得れず、廊下をとぼとぼと歩く。



 都会には多くの冒険者が集まり、最新技術も導入されていて、設備も充実している。地元では経験できないことが学べる場だと思った。こんな有名なギルドに就職できたら、親もさぞ喜んでくれるだろう。イアムは書類選考が通過して舞い上がっていたが、周りは名の知れた学校を卒業している優秀そうな応募者ばかり。自分の場違いさを感じてしまった。


 ふぅ、と一息つく。面接が終わったことで肩の力が抜け、周囲に目を向ける余裕が出てきた。


 時刻は夕方になっていた。冒険者ギルドのロビーに戻ると、クエスト終わりの冒険者で賑わっていた。


 冒険者たちは皆、強そうな派手な装備で身を固めている。戦いを終えて鎧が汚れている者、顔に古傷がある者、怪我を負っている者も少なくはない。冒険者業が命と隣り合わせの仕事であることを改めて実感した。

 数々の脅威から人々を救い、この世界の平和を支えている彼らにイアムは心の中で敬意を捧げた。




 何気なく視線を巡らせると、腕を組み、壁に背を預けている美丈夫が目に留まった。


 肩に触れるほどまで伸びた(つや)やかなブルーブラックの髪。左寄りの分け目から流れた長い前髪が片目を覆い、その隙間から切れ長の瞳が覗いている。


 黒シャツに黒ズボンという軽装だったが、周囲のどんな豪華な鎧よりも彼の存在のほうが目立って見えた。開いた胸元から覗く鍛えられた胸板や余裕ありげな堂々とした佇まいから、ただ者ではないことがうかがえた。現に、両脇に立つ冒険者たちは彼の護衛かのように周囲に目を光らせている。



 ――あんな美しい人、初めて見た。


 無表情で怖そう。だけど際立った容姿に自然と目が奪われてしまう。



 ギルドの喧騒が耳に入り、はっと意識が引き戻された。しまった。じろじろ見すぎた…!相手は気づいていないようだけれど、失礼なことをしてしまった。イアムは心の中で反省し、視線を男からギルド内へ戻した。



 受付カウンターには、ひっきりなしに冒険者の列ができている。依頼掲示板(クエストボード)にはビッチリと依頼書が貼ってあった。地元のギルドよりもクエストの数が多いことがよく分かる。


 武器やポーションを売っているブースもあり、必要なものがすぐに揃うのは冒険者にとってありがたいだろう。

 壁に取り付けられた魔導モニターには冒険者たちの戦闘風景が映し出されていた。新人の勧誘か、ギルドの実績を示すためなのか。どちらにせよ、見ているだけで冒険欲をそそられた。


 やっぱり冒険者ギルドはかっこいいなあ……。しばらくギルド内を眺めてうっとりしていると、不意に影が落ちた。


 なんだろう、と視線を動かす。


「……!」


 さきほどの美丈夫がイアムを無言で見下ろしていた。真近で見るその彫刻のような顔立ちは、気後れさせるほどの迫力があった。男はイアムの頭の先から足先までなぞるように見てきた。



「あの子、ゼルグラード様になにかしたの?」


「いや分からねえけど、怒らせたのかも…」


 男の後ろでコソコソと話している冒険者たちの声が聞こえた。一瞬で不穏な空気を感じ取る。


 なにかまずいことでもしたかな……?


 あ、もしかしてさっき見ていたことに気づいたのか?



 男の顔色をうかがっていると、その端正な口元が動いた。


「見ない顔だな。冒険者カードを見せろ」


 男の声は低く、支配的で、有無を言わせぬ圧力があった。イアムは後ずさりしたくなったがどうにか耐えた。


「すみません…持っていないです」


「…なに?新しく登録するのか?名前はなんだ」


「イアム・リースです。今日はギルド職員の面接だったので、これから帰るところです。なにかお気に障ったのなら、申し訳ありません…」


 イアムはすぐに頭を下げた。問題になってはまずい。この美丈夫が話しかけてきた原因が何かは分からないが、敵意がないことをアピールしとくに越したことはないだろう。


「そうか。ここで働くつもりか」


「ま、まあ受かったらですけど……」



「受かったら?」


 男は眉間に皺を寄せ、険しい顔をした。鋭い眼差しを向けられたイアムは、その居心地の悪さに体を縮こませた。

 男は次の瞬間イアムの肩に手を回し、無理やり受付まで連れて行く。イアムは状況を飲み込めないまま歩かされた。


「ギルドマスターを呼べ」


 男の声を聞いた受付職員は慌てて席を離れる。イアムは動揺した。冒険者ギルドの統括者であるギルドマスターを呼ぶなんてこの男何者だ?呆気にとられていると、しばらくしてスーツを着た年配の男が現れた。


「なにかあったのかね、ゼルグラードくん。私を呼ぶなんて珍しい」


 貫禄のある風貌からして、この方がギルドマスターなのだろう。本来なら、会えるのは最終面接ぐらいなのではないだろうか。そんな上の人と、向かい合うことになってしまうなんて。



「マスター、こいつを合格にしろ。イアムだ」


 ゼルグラードと呼ばれたこの男は、肩に回した手に力を込めてイアムをぐっと引き寄せた。突然の一言に目が点になる。何かの聞き間違いか?


 ギルドマスターはイアムの存在に今気づいたようで、視線を男からイアムに移す。ギルドマスターと目が合い、慌てて姿勢をピンと伸ばした。


「合格って…。ああ、もしかして君は今日の面接を受けたのかな?」


「えっと、はい。…あの、本日は貴重な機会をいただきありがとうございました。……その、面接の結果は真摯に受け止める所存です。まだ挑戦できるのであれば、ぜひ二次面接にも臨みたいと思っています」


 急な展開に心が追いつかない。それでも冷静さを取り戻そうと努めた。ギルドマスターの前でみっともない振る舞いを晒すわけにはいかない。前向きな姿勢は喜ばれると、面接指導者にしつこく言われていたのを思い出し、必死で言葉をかき集めた。



「あ?そんなことをする必要はねえ。マスター、さっさとイアムと契約しろ」


「ええっ?」


 言い終えて少し安堵したところに、隣の男が追い打ちをかけてくる。さっきからどういうつもりなんだ?個人の権限で合格になどできるはずがないだろう。


 この男の乱暴な言葉がイアムの発言として扱われるのは心外だった。良くない印象を持たれては困ると、ギルドマスターに向かって手と首を横に振って自分の意思じゃないことをアピールした。ギルドマスターがその様子を細目で見てきた。そして静かに頷く。


「分かった。君を採用する」


 思わず息を呑んだ。つい先ほど面接が終わったばっかりで、ギルドマスターに応募者の情報が行き届いているわけがない。イアムの人となりや面接の評価を聞いてもいないのに、この僅かな時間で決断を下したギルドマスターに驚きを抑えきれない。


 1人の冒険者の戯言のような言葉で、イアムを取り巻く環境が劇的に変化した。まるで夢でも見ているかのようだ。



 幸運の女神が微笑んだのか、はたまた神の(たわむ)れか。

 

 なんにしろ、ギルド職員を志す者なら誰もが一度は憧れるこの冒険者ギルドで働けるなら、これ以上の喜びはないだろう。


 異例の採用とは分かっていても、イアムは嬉しさで顔がほころんだ。喜びを隠せなかった。

 どうしてゼルグラードという人は俺を推薦してくれたのだろうと疑問が浮かび、イアムはニヤけた顔を手で覆いながら男の顔を見上げた。目が合うと、ずっと無表情だった男が優しげに微笑んだ。


 この人笑うんだ、と呑気に思っていると周囲が騒めき出した。何が起きたのかと辺りを見渡す。イアムたちを傍観していた人が多くいることに今更ながら気づいた。


 「あのゼルグラードさんが…?」「笑った…?」職員や冒険者たちは心底驚いた様子で男を凝視している。ギルドマスターも何故か目を丸くしていた。


 状況が掴めずにおろおろとしているイアムに、我に返ったギルドマスターが声をかけた。早速、採用の手続きを行うことになり、イアムの関心はすぐに周囲から外れた。


 イアムはなんて幸せ者なのだろうと思わずにはいられなかった。男に頭を下げたあと、天にも昇る気持ちでギルドマスターの後ろを追うように歩いた。



 ―――しかし執務室に通され、ギルドマスターから就職の説明を受けた数十分後には、イアムはどん底へ突き落とされていた。


 とんでもないところに就職してしまったかもしれない、と後悔してももう遅かった。



 さきほど合格にしろと言ってきた男の名は、

 ゼルグラード・ザリオン。

 彼はギルドの貴重な財源だった。スマートで若々しい外見からは想像もしていなかったが、最高ランクの冒険者であり、荒れ狂う凶暴なモンスターとの戦いを幾度となく制してきた猛者だ。


 ゼルグラードに熱狂する冒険者は後を絶たず、いつしか彼を中心とした集団がギルド内に出来上がっていた。新規の冒険者はゼルグラードの魅力に取り込まれていき、集団の勢力は拡大。彼のカリスマ性を冒険者ギルドが軽視できる状態ではなくなった。


 ギルドは彼に多大な恩恵を受けている事実があるので頭が上がらない。多少の我儘は目をつぶっている。冒険者を牛耳っている男だが、その影響力により秩序が保たれてもいる。ゼルグラードがいる限り、この場所は冒険者の無法地帯にはならない。


 気に入らないギルド職員は次々と辞めさせられる。だからゼルグラードには逆らうな。とギルドマスターに言われた。


 この冒険者ギルドは引く手数多の人気職。新しいギルド職員を入れることは容易い。


 つまりイアムは運良く就職できたはいいものの、いつ解雇されるか分からない、そんな不安定な状況に置かれてしまったことを理解した。





 初の就職。憧れの冒険者ギルド。イアムは受付に配属された。雑用から始まり、同期と切磋琢磨し、色んな仕事を経て成長していく――そんな当たり前なことが、なかなかできなかった。


 主にゼルグラードの対応に追われたからだ。



 ゼルグラードは受付には並ばない。特別室という部屋に通される。そこであらゆる取引を行うという。


「イアム、お前も来い」


 勤務初日、ゼルグラードにそう呼びかけられた。先輩に仕事を教えて貰っている最中だった。どうしていいか分からず、先輩に助けを求めるように視線を流す。先輩は無言で顎を動かし「いけ」と合図した。


 イアムは戸惑いながら、彼とベテランのギルド職員について行った。ベテランのギルド職員が下座で、ゼルグラードとイアムが上座。なんでこうなっているのかというと、ギルド職員の横に座ろうとしたらゼルグラードに引っ張られて強制的に隣に座らせられたからだ。もちろんギルド職員になる前まで、学校で勉強していたからマナーは分かっている。それなのに初日からこのような無礼な形になり、イアムは顔面蒼白だった。



 ゼルグラードの取引の場に、イアムは必ず同席しなければならなかった。特に何をするわけでもない。ただ隣で2人の話を聞いているだけの置き物のような存在だった。話の大半は、王都にあるギルド本部や商会からの指名依頼に関するものだった。ベテランのギルド職員は両者の橋渡しを行っているようだ。


 難しい話が飛び交い、最初は聞いていてもほとんど理解できなかった。徐々に耳が慣れ、イアムは会話内容に関心を寄せるようになった。勉強のためにメモを取ってもいいか恐る恐る尋ねると、ベテラン職員に「出回っていない情報もあるからダメだ。ここで聞いたことは誰にも話すな」と冷たく言われた。


 少し気落ちしているとゼルグラードが「興味があるのか」と頬を緩ませた。明らかに機嫌が良い。それからというもの、話し合いが終わったあとはゼルグラードの今までの仕事話や最近の出来事を聞く時間になった。


 イアムが話に耳を傾けているのがよっぽど嬉しいのか、ゼルグラードは満足そうな表情を浮かべる。彼の話は端的で無駄がなく、内容が頭に入ってきやすかった。



 ベテラン職員の他にゼルグラードが特別室に呼ぶのはイアムだけだった。ギルド職員も冒険者も立ち入ることはできない。

 ゼルグラードは取引が終わると、ギルドに留まるより仕事に出かけることが多い。右腕左腕とされる昔からの仲間に声をかけるくらいで、他の冒険者に一瞥(いちべつ)もくれず、ギルドを去っていくような温かみの無さそうな男だ。しかし無表情で冷たいその顔は、イアムを視界に入れると、雪解けのように和らいでいく。


 イアムは自分と周りとでゼルグラードの態度が違うことに薄々勘づいていたが、自惚れだろうと片付けた。


 ゼルグラードが不在のときは、仕事を覚えることに尽力した。しかし通常業務に遅れが出ていることで、同僚からは厄介者を見るような目を向けられ腫れ物扱い。女性のギルド職員には、妬みのような顔を向けられる。ゼルグラードのご尊顔を拝みたいからこのギルドを就職先に選ぶ人もいるようだ。


 冒険者たちの間では『ゼルグラードお気に入りのギルド職員』という印象が根付いており、あまりいい顔をされない。嫉妬混じりの視線がまとわりついた。


 初めの頃は、そんな周囲の厳しい空気に囲まれ、職場の居心地は決して良くなかった。それでも職員を辞めたいとは思わなかった。



 小さい時に冒険者に助けてもらったことがあり、最初はそのかっこよさに惚れて冒険者を志したが、イアムにはスキルや才能がまるでなかった。落ち込んでいると、家族に冒険者ギルドの職員になるのはどうかと提案された。


 イアムは困っている人を助けたいという気持ちが昔から強いようで、誰かの手助けをすることがよくあった。その姿を見ていた親から勧められたギルド職員という職業は、冒険者の活動が円滑に回るように彼らを支えるのが仕事だ。確かにギルド職員のほうが向いているかもしれない。イアムは今度は自分が冒険者を助けたいと思った。


 学校での授業は楽しかったし、地元のギルドでの実習も良い経験だった。



 見込み通り、イアムは縁の下の力持ちのような立ち位置が性に合っていた。それが幸いして、雑用を任されることに抵抗はなかった。同僚の仕事を率先して手伝い、少しずつ出来る仕事を増やしていった。


 冒険者たちが困っていたら、どんなに小さなことでも真剣に向き合った。落し物を拾うとか、パーティの中で1人だけ立っている冒険者に椅子を用意するとかそんな些細な行動に加え、会話した冒険者の情報を忘れないように記録して、その人に合った支援を提案できるように調べ物をしたり、悩みや相談を持ちかけられれば解決方法を模索したりした。


 冒険者1人1人に「お疲れ様です」と声をかけるのは忘れない。イアムにとって冒険者はいつどこで助けてもらうことになるか分からない、尊敬に値する存在だったからだ。


 ギルド職員や冒険者に対して、イアムは丁寧な振る舞いを心がけた。誰であっても態度を変えず、見返りを求めることなく手を差し伸べる。そんなイアムの下心のなさが伝わったのか、日が経つにつれて、邪険に扱う者は少なくなってきたように見受けられた。


 とはいえ、ゼルグラードと妙に親しげなイアムを面白くないと感じる者がいないわけではない。

 わざとぶつかるなど、陰湿な嫌がらせのようなものがあった。ある日、そのせいで肘を打ってアザができた。


「イアム、それはどうした」


 ゼルグラードが目ざとくそれに気づき、指摘してきた。半袖の下にできたアザを、イアムは反射的に手で隠した。


「え、あ、ちょっと壁にぶつかって……」


 しどろもどろになりながら答える。


「本当か?誰かにやられたんじゃないか?」


 イアムの手をどかし、ゼルグラードがアザをツーっと撫でる。その感触にビクッとして逃げるように身を引いた。


「いえ、違います…」


 距離は近いがあくまでお客様の立場のゼルグラードに職場の問題を話すべきではないと思い、なんとかごまかした。それ以上の追求はなく、彼の治癒魔法でアザは綺麗になくなった。


 翌日から、アザになった原因の職員はギルドに現れなかった。イアムは嫌な考えが頭に浮かんだ。ゼルグラードが何かしたのではないか、という疑いを持った。思い起こせば、イアムに風当たりが強かった冒険者の姿を数日後には見かけなくなったことが何度もあった。働きやすくなってきたこの職場環境の裏には、ゼルグラードがいるのではないか。そんな気がしてならなかった。


 ゼルグラードは例のギルド職員について言及してこなかった。それがかえって薄気味悪かった。



 謎のボディタッチが始まったのはこの頃からだ。


 ベテラン職員が特別室から退出して、ゼルグラードと2人きりになる時間が少しあった。「怪我してないか?」と言ってイアムの腕に触れ、そのまま無言で腕をひと撫でした。


 それ以来2人きりになると、ことある事に肌に触れてくるようになった。頬を触ることもあれば、手を握ってくることもある。女性ではなくて、なぜ男の俺に??イアムはそんな疑問を抱きつつも、ゼルグラードのすることを止めることができなかった。

 ギルドの裏権力者であるゼルグラードにどう接したらいいのか、未だに正解が分からなかったのだ。彼に逆らうなと忠告され、ゼルグラードの様子をうかがう毎日を過ごす。かといって()びへつらうご機嫌取りのような真似がイアムにはできない。彼の一挙手一投足に神経を尖らせ、正直生きた心地がしなかった。


 触られても、これを拒否していいのか判断がつかない。イアムからすると男の身体に男が触ってくるのはおかしいと思うのだが、ゼルグラードにとっては普通の距離感なのかもしれない。下手に手を払いのけて機嫌を損ねてしまうのが怖かった。

 

 周りからはゼルグラードとの交流を羨ましがられるが、彼以外の冒険者と関わっている時の方がずっと心安らかでいられた。


 いかに冒険者たちがゼルグラードを慕っているかは、たびたびその名が冒険者の話題に上がることからも明らかだ。しかし、ゼルグラードの何がそこまで彼らの心を動かし、狂信的な支持を集めているのか、イアムには謎でしかなかった。どうしても憧れよりも恐れが勝ってしまうからだ。



 ゼルグラードが不在のある日、ギルド内が騒然とした。受付カウンターの列に並んでいた冒険者たちが、一斉にその場を抜け出す。

 

 魔導モニターで、ゼルグラードとドラゴンの交戦が放映されていたのだ。冒険者だけではなくギルド職員も皆、画面に釘付けになった。


 そこで初めてイアムは、ゼルグラードの本当の凄さを知ることになる。



 ゼルグラードは空に向けて剣を掲げた。晴れ晴れとしていた空に次第に灰色の雲が集まり始める。ピカッと光り、剣先めがけて雷が落ちた。それと共に突風も剣に吸収されていく。やがて雷鳴も風の唸りも消え去った。


 目を閉じ、ゼルグラードは意識を集中させる。魔法を唱えると、剣に宿った雷と風の力が解き放たれた。剣から現れたのは全身に電流をまとい、バチッバチッと黄白色の火花を散らす巨体の黒獣だ。そして新たにもう1体出現した。巨獣の逆立った毛並みの隙間から翠の光が漏れ、その身には絶えず風が渦巻いていた。

 2体の黒獣がゼルグラードの盾になるように前に出る。鋭い牙を剥き、ドラゴンを威嚇する。


 勢いよく走り出した黒獣はドラゴンの攻撃を上手く避けながら近づいていく。風の黒獣が仕掛ける。ドラゴンを暴風の中に閉じ込めた。身動きが取れずに足掻くドラゴンの頭に登り、雷の黒獣が噛み付く。黒獣が放った電流がドラゴンの体を駆け巡る。ドラゴンは苦悶(くもん)の叫びを上げた。―――いつの間にそこにいたのだろう。ドラゴンの後ろに回ったゼルグラードは、目にも止まらぬスピードでドラゴンの(どう)()ぎ払った。

 

 ドラゴンが鈍い音を立てて倒れ、砂埃が舞い上がる。傷1つ負わずドラゴンを討ち果たした。

 ゼルグラードの完全勝利だった。




 ギルド内は歓声に包まれた。雄叫びが上がり、拍手が鳴り止まない。イアムも気づけば拍手していた。

 

 これがゼルグラードの強さ。


 話で聞いていたものとは次元が違った。闇と光が入り交じり、幻想的でありながら、まるで大迫力の映画でも見ているかのような光景だった。

 

 鮮烈な残像が脳裏に焼き付いて離れない。イアムはしばらく職務を忘れ、呆けたようにその場に立ち尽くす。先輩のギルド職員に肩を叩かれて、夢から覚めるように現実へと引き戻された。先輩も映像に見入っていたので怒られることはなく「凄かったなあ」と感嘆の声を漏らした。



 冒険者がゼルグラードにあれだけ熱中する理由が分かった気がした。


 あの雄姿に魅せられるのだ。



 仕事の合間にふと目に入る魔導モニターには、基本的にはニュースやギルドからのお知らせが流れている。そしてたまに冒険者たちの活躍が映し出される。ゼルグラードの戦闘シーンも映ることがあるようだが、イアムはタイミング悪く、いつもそれを見逃していた。


 今日ようやく彼の映像を観ることができたイアムは、これまで観てきた冒険者とは一線を画す戦いぶりを目の当たりにした。

 戦ってモンスターを倒す。それだけで凄いはずだ。だが、ゼルグラードの戦い方には、観る者をその世界へ引きずり込む力があった。彼は自然界に溢れる力を取り込み、意のままに操る特殊能力を持つ。広大な自然を支配し、己の舞台に変えてしまう姿は、圧巻としか言いようがなかった。


 ゼルグラードの戦いが終わって映像が切り替わっても、興奮は冷めない。しばらく誰もが、その余韻に浸っていた。周囲のその様子を見れば、どうして彼がこんなに人々を魅了するのかその答えは明白だろう。



「イアム、はやく来い」


 実物のゼルグラードは相変わらず怖いが、あの映像を見てからは尊敬の気持ちも抱くようになった。

 ドラゴンとの戦闘の感想を伝えると、ゼルグラードは歓喜に満ちた表情を見せた。心の底から嬉しそうな屈託のない笑顔を向けられて、張り詰めていた警戒心が緩んでいく。


 彼に対して勝手な先入観を抱いていただけなのかもしれない。これからもっとゼルグラードのことを知っていけば、良い関係が築けるのではないか。そんな期待が芽生えた。


 この調子なら、ギルド職員をまだまだ続けていける。イアムの心に静かな安心感がもたらされた。







 数年後、イアムはギルド職員を辞めさせられた。


 クエスト達成後すぐにギルドにやってきた若い男の冒険者が、治療が必要なことに気づかなかったようでその場で体調不良を訴えた。様子を見ようとして近づいたところ、その冒険者がフラついた拍子にイアムに抱きついた。

 その瞬間、ゼルグラードと目が合った。瞳が大きく開かれ、瞬く間に鋭い目つきへと変わった。背筋が凍るほどの怒りの眼光がイアムたちに突き刺さった。


 ゼルグラードはブチ切れ、イアムとその冒険者を引き剥がし、冒険者を躊躇なく踏みつけた。イアムはゼルグラードのその無慈悲な行動に驚愕した。


「こいつは始末しておけ」


 踏みつけられた若者は、まだこのギルドに来て日が浅い単独の冒険者だった。だから知り合いがいないこの街で、その冒険者を心配する者はいなかった。ゼルグラードの言葉に、周りはためらいもなく従う。



 ――何をする気だ!?止めないと……っ


 イアムは冒険者に手を伸ばそうとしたが、カツカツとこちらに近づいてくるゼルグラードの射抜くような視線に一瞬たじろいだ。


 口を開く前にゼルグラードはイアムの顔をつかみ、そのまま引きずってギルドマスターの執務室に押し入った。

 イアムをソファに投げつけて、ゼルグラードはギルドマスターに話をしに行く。


 しばらくして、「退職届にサインしろ」とギルドマスターに命じられた。



 ゼルグラードの機嫌を損ねたのだ、と理解した。



 いつの間にか隣に座っているゼルグラードからの圧が(すさ)まじい。震えるままにサインし、すぐさま回収された。イアムは呆然とした。終わった。仕事をクビになったのだ。


 イアムがこのギルドで今まで積み上げてきたもの全てが、一瞬で砕け散ったような感覚に襲われた。ショックのあまり、その場で気絶してしまった。




 意識のないイアムを、ゼルグラードは宝物を扱うように抱きかかえた。あどけない無防備な寝顔を見ると、自然と怒りが引いていく。


 ゼルグラードはここ最近、ずっとイライラしていた。


 最初は自分のテリトリー(冒険者ギルド)にイアムを引き込むことで満足していた。イアムがそこにいるだけで癒され、味わったことのない幸福感に包まれた。


 右腕と左腕からの報告で、ゼルグラードの不在の間にイアムを排除しようとする動きがあると知り、激しい怒りが込み上げた。俺のものに手を出そうとは身の程知らずが。

 それからは不穏な動きがあれば容赦なく潰してきた。イアムを傷つける奴は許さない。ゼルグラードに直接言いつけることをしないイアムは、健気でいじらしく、守らずにはいられない存在だった。


 イアムに危害を加えようとする者は年々減っていき、これで安泰なはずだった。


 イアムの様子はどうだと右腕と左腕に尋ねた時、「問題ないです。楽しそうにしてますよ」という返答が耳に引っかかった。ゼルグラードは、冒険者ギルドでイアムが他の冒険者とどのように関わっているかを気にしたことはなかった。ギルドに入るとイアムは自分のそばに来て離れない。目に入れても痛くないほど愛くるしい。俺のためにいる、俺だけのもの。縄張りにいれた宝物を誰にも壊させない。そればかりだった。ゼルグラードは立ち止まって考える。"楽しそう"とはなんだ?


 イアムの働きぶりを観察した。これにより、ゼルグラードの感情は大きく揺さぶられた。冒険者に話しかけられて笑顔で対応するイアム。肩を落としている者に優しく声をかけるイアム。周りに目を配り、困っている者がいればすぐに駆け寄るイアム。なんだこれは。俺のものなのに、なぜ俺以外を見ている?なぜそんなに可愛い笑顔を振りまいているんだ?日を追うごとに苛立ちが増していった。もはや無視できないほどに。そして迎えた今日。ついに堪忍袋の緒が切れた。


 触れるな、俺のイアムに……!


 ゼルグラードはかつてないほど激昂した。イアムの身体を自分以外の者が触った。それどころか密着までしたのだ。今すぐ記憶を消してくれと願うくらい許しがたい真実だった。踏みつけた肉塊を見つめるイアムにも腹が立った。イアムは誰の手も届かぬ場所に置いておかねばならない。考えてみれば、俺のものを大衆の目に触れさせていたこと自体がおかしかった。



 イアムを退職させることでゼルグラードの怒りはようやく静まった。ソファからイアムを抱え上げ、執務室を後にする。


 イアムがそばにいることで満たされていたはずなのに、時間が経てば経つほど胸の奥に広がる欠乏感は、やがて新たな欲を生み出した。

 欲を満たしては、また欠乏する。そのたびに欲は増していく。減る気配はまるでない。イアムを家に囲い込むだけで満足するわけがないのである。しかし、無自覚なゼルグラードはまだ分かっていなかった。尽きることのない欲求に支配され、飽くことなく貪り続けてしまうことになるなどとは。







おわり




お読みいただきありがとうございました!



前作『レアスキルで飛躍のはずが、規格外スキル持ちに"わからせ"られています』もおすすめです(^-^)ノ


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