【第9話】王都到着。ゴミ扱いした私に縋りつくなんて、お掃除の邪魔ですので退いていただけますか?
王都シュトラールの正門を、カステル辺境伯家の紋章を掲げた漆黒の魔導馬車が通り抜けた。
護衛に就くのは、かつて最強と謳われた近衛騎士団の精鋭たち。その中心で、馬車からは漏れ出すだけで周囲の空気を清めるほどの、圧倒的な「聖なる魔力」が漂っていた。
「……見て、あの馬車! あんなに清らかな光、大教会の聖女様でも見たことがないわ!」
「噂は本当だったんだ。死神辺境伯様を救った、奇跡の奥方様が来られたんだぞ!」
沿道に集まった民衆のどよめきを、リーネは馬車の厚いカーテン越しに感じていた。
彼女は今、ジークヴァルトの膝の上に横向きに座らされ、彼の広い胸にすっぽりと収まっている。
「……閣下。あの、王都に入りましたし、そろそろ普通に座ってもよろしいでしょうか」
「駄目だ。外には、君を一目見ようと野卑な視線が溢れている。……君の清らかさを一分一秒でも長く、私だけのものにしておきたいんだ」
ジークヴァルトは、リーネの腰に回した腕に力を込め、彼女の首筋に鼻先を寄せた。彼の独占欲は、王都に近づくにつれて増すばかりだ。リーネは「また始まったわ」と苦笑しつつも、彼の腕の中にある安らぎに、いつの間にか心地よさを感じていた。
◆
辺境伯家のタウンハウスに到着すると、そこには招かれざる客たちが待ち構えていた。
エルストリア伯爵、そして長男のロイド。リーネを「無能」と蔑み、道具のように辺境へ放り出した、かつての家族たちだ。
彼らの姿を一目見て、リーネは思わず眉をひそめた。
わずか数週間会わなかっただけだというのに、父と兄の姿は驚くほど荒廃していた。肌はどす黒くくすみ、目は血走り、高級なはずの服には不気味な「淀み」がこびりついている。
「……おお、リーネ! ようやく戻ったか、この親不孝者が!」
父のエルストリア伯爵が、駆け寄ろうとしてジークヴァルトの放つ鋭い殺気に足を止めた。
「……な、なんだその姿は。眼鏡も外して、そんな派手な格好をして……。お前はただの掃除女だろう! さあ、さっさと屋敷へ来い。お前がいなくなってから、家の庭は枯れ、銀食器は一晩で真っ黒になるのだ。お前が何か呪いでもかけて行ったのではないか!?」
兄のロイドも、傲慢な態度で言い放つ。
「そうだぞリーネ。妹のセシリアも、お前のせいで肌が荒れて泣いているんだ。家のために尽くすのが、無能なお前の唯一の存在価値だろう。……閣下も、こんな女はもういらないでしょう? どうぞ、我々に返してください」
リーネは、悲しみよりも先に、冷ややかな驚きを感じていた。
彼らは、自分たちがリーネという「祝福」を自ら捨てたことに、まだ気づいていないのだ。彼女が毎日欠かさず行っていた「お掃除(浄化)」が、この家の繁栄を支えていたという事実に。
「……お父様、お兄様。お久しぶりです。ですが、私はもうあの家には戻りません。私は今、カステル辺境伯夫人として、閣下の側でお掃除をする幸せを見つけたのですから」
「黙れ! 親に向かって何を……っ!」
伯爵が手を振り上げようとした瞬間、ジークヴァルトがリーネを背後に隠し、一歩前に出た。
その瞬間、周囲の空気が凍りついた。
「……その汚らわしい手を下ろせ。……エルストリア伯爵。貴様は、私の宝を奪おうというのか? ……それも、こんな『汚物』を隠し持っておきながら」
ジークヴァルトの視線が、伯爵の懐に向けられた。
そこには、他人の幸運や魔力を吸い取るための、禁忌の暗黒魔道具「強奪の心臓」が隠されていた。伯爵家がこれまで繁栄を維持できていたのは、リーネの浄化によってその「呪いの反動」を抑え込みつつ、他者の力を奪っていたからだったのだ。
「……お掃除、しましょうか」
リーネが、ジークヴァルトの肩越しにそっと手をかざした。
彼女にとっては、いつもの「汚れを落とす」感覚。だが、今の彼女は伝説の魔導具とジークヴァルトの魔力増幅を受け、その力は『神域の純浄』へと進化している。
「【洗浄】」
シュアァッ!! という清廉な音と共に、眩いばかりの純白の光が放たれた。
光が伯爵の懐に触れた瞬間――。
パキィィィィン!!
不気味な叫び声を上げながら、暗黒魔道具が粉々に砕け散った。
それだけではない。リーネの光が、父と兄の体に纏わりついていた「数十年分の悪意の淀み」を一気に剥ぎ取っていく。
「ぎゃあああああああ!! あ、熱い、熱すぎる!!」
「俺の……俺の魔力が、抜けていく……っ!?」
二人は床にのたうち回った。
リーネの浄化は、邪悪なものにとっては最悪の猛毒となる。彼らがこれまで他者から奪い、溜め込んできた「負の因果」が、浄化によって行き場を失い、すべて本人たちへと逆流(呪詛返し)したのだ。
伯爵の髪は一瞬で白くなり、兄ロイドの顔には、かつてジークヴァルトを苦しめたのと似た、赤黒い「ただれ」が急速に広がっていく。
「……ああ、やりすぎましたか? でも、その汚れは根深すぎましたから。しっかり磨かないと、お家自体が腐ってしまいますもの」
リーネは、丸眼鏡をかけ直す仕草で(今はもうかけていないが)、小首をかしげた。
天然な彼女の言葉は、絶望の淵にいる二人にとって、どんな罵倒よりも残酷に響いた。
「ハンス。この者たちを今すぐ追い出せ。……ああ、それから。伯爵家が禁忌の魔道具を使用していた証拠は、すでに近衛騎士団へ提出済みだ。明日には、騎士団が貴様の屋敷を『掃除』しに行くだろう」
ジークヴァルトの冷徹な宣告に、伯爵は白目を剥いて卒倒した。
兄ロイドは「助けてくれ、リーネ! お前は優しい子だろう!?」と縋りつこうとするが、ジークヴァルトがその手を容赦なく踏みにじった。
「……私の妻の名を、その汚い口で呼ぶな。……行こう、リーネ。君の清らかな空気が、こいつらのせいで汚れてしまう」
ジークヴァルトはリーネを再び抱き上げると、塵でも見るような視線を残して、邸内へと入っていった。
背後では、衛兵たちによって引きずられていく父と兄の喚き声が響いている。
リーネが指先を向けた先では、建物にこびりついていたどす黒い変色や、漂っていた異臭が、白い光の粒子と共に霧散していた。かつてどんよりと澱んでいた玄関ホールには、今は透き通った午後の陽光が真っ直ぐに差し込み、埃一つない床を白く照らし出している。
ジークヴァルトは、腕の中のリーネを一度だけ強く抱きしめ直すと、その唇を塞いだ。
王都到着初日。
エルストリア伯爵家は、リーネが放った一筋の光によって、その資産の多くと社会的地位を喪失した。
明日の夜会。そこには、彼女を嘲笑ってきた社交界のすべてが待ち受けている。
ジークヴァルトは、そのすべてをリーネの輝きで蹂躙する準備を、すでに整えていた。




