【第43話】腐食の砦で待ち伏せ。……閣下、そんなにドロドロな方(実家の残党)は、まとめてお洗濯して差し上げましょう!
ロザリア王国の首都を「王都まるごと洗濯」という規格外の御業で救済したカステル辺境伯騎士団は、さらに北、魔導帝国の領土深くへとその歩みを進めていた。
だが、帝国の本拠地へと続く唯一の隘路を塞ぐように、その禍々しい巨躯を横たえる城塞が現れた。――『腐食の砦』。
そこは帝国の禁忌魔導師たちが管理する、生物を腐らせ、鉄を錆びさせ、魔力を汚濁させる「不浄の霧」の発生源であった。砦の周囲数キロメートルは、触れるものすべてを底なしの泥濘へと変える黒い沼地と化し、空には不気味な紫色の雲が渦巻いている。
「……閣下。あちらの建物、とっても『お掃除しがい』がなさそうですわ。……いえ、そもそも建物として認めたくありません。あんなにドロドロに汚して、お屋敷が可哀想ですわ!」
魔導馬車の窓から外を見たリーネは、かつてないほど激しい憤りにその小さな肩を震わせていた。
彼女のアメジスト色の瞳には、砦から溢れ出す腐食の粘液が、単なる兵器ではなく「公共の場への悪質な不法投棄」にしか見えていなかったのである。
「リーネ、下がっていなさい。……あの沼地、私の剣で蒸発させてやろう。……一歩も、君の靴を汚させるわけにはいかないからな」
ジークヴァルトは、漆黒の外套をなびかせ、凄まじい魔圧を放ちながら馬車を降りた。
だが、砦の門の上に、ゆらりと「それ」が現れた。
「……ひ、ひひっ……。来たな……。捨て駒の、掃除女め……っ!」
その声に、リーネは僅かに動きを止めた。
門の上に立っていたのは、帝国の禁忌術によって無理やり命を繋ぎ、ドロドロの黒い粘液を全身から噴き出している、かつてのエルストリア伯爵――リーネの父と、その兄の成れ果てであった。
彼らは夜会で没落した後、帝国の工作員に拾われ、リーネへの復讐心という「負の感情」を燃料にするための、生ける呪具へと改造されていたのだ。
「お父様……。お兄様……」
「黙れぇぇ! お前のせいで、我らはすべてを失った! この姿を見ろ! ……帝国が授けてくれたこの『腐食の力』で、貴様も、その愛しい辺境伯も、まとめてドロドロに溶かしてゴミ溜めにしてやるわ!!」
狂ったような咆哮と共に、砦から巨大な「泥の触手」が放たれた。
それは触れるものすべてを腐敗させ、一瞬にして形を失わせる絶望の濁流だ。
「……なんて。なんて、お行儀がよろしくないのかしら」
リーネの声から、一切の迷いが消えた。
彼女は、自分を虐げてきた家族への同情など、一微塵も抱いていなかった。彼女が感じているのは、ただ一点。
「お父様もお兄様も。……そんなにドロドロになって、世界を汚して……。それはもう、お洗濯で済むレベルではありません。……『不法投棄物』として、今すぐ根こそぎ磨き落として差し上げますわ!」
リーネは、収納袋から新開発の【魔導高圧洗浄ロングノズル】を取り出した。
それは、伝説の洗浄石の出力を一点に集中させ、あらゆる「しつこい汚れ(呪い)」を物理的に破壊・洗浄するための、お掃除の最終兵器である。
「閣下、私が『道』を洗います! ……あの方たちを、まとめてスッキリさせてあげましょう!」
「……ああ。分かった。……リーネ、君の邪魔をする『ゴミ』は、私が一粒残さず切り伏せてやろう」
ジークヴァルトは、リーネの腰を力強く抱き寄せ、彼女が泥に触れないよう、魔法の浮力で彼女を空中に固定した。
リーネは、ジークヴァルトの腕の中で、迷いなくノズルの引き金を引いた。
「【洗浄・徹底泥落とし(ディープ・クレンジング)】!!」
――ズガァァァァァァン!!
ノズルの先から放たれたのは、太陽の輝きを凝縮したような、眩いばかりの「聖水の激流」であった。
それは破壊の光ではない。触れるものすべてから「不純物(呪いと悪意)」を根こそぎ剥ぎ取り、物質本来の、あるべき姿へと強制的に還す、至高の洗浄エネルギー。
激流が、迫りくる泥の触手を一瞬で水へと還し、そのまま砦の門の上にいた父と兄を直撃した。
「ぎゃあああああああ!? 熱い、熱い熱い! 俺の……俺の『汚れ』が……俺の存在が、洗い流されるぅぅぅ!!」
絶叫を上げる実家の男たち。
リーネの放った光は、彼らの肉体に宿っていた「帝国から与えられた不浄な命」を、猛烈な勢いで磨き落としていく。
彼らは自分たちの「悪意」こそが自分たち自身だと思い込んでいた。だが、リーネの極限の浄化に触れた瞬間、その「汚れ(自己)」が剥ぎ取られ、後に残るものが何もなくなってしまったのである。
光が止んだ時。
そこには、ドロドロの沼地も、紫の霧も、そして実家の面々の姿も、跡形もなく消え去っていた。
あるのは、リーネによって磨き上げられ、ダイヤモンドのように透明な輝きを放つ「水晶の砦」と、以前よりもずっと清らかな、花の香りが漂う風だけであった。
「……ふぅ。これでようやく、道がスッキリいたしましたわ」
リーネは、手にしたロングノズルを愛おしそうに撫で、満足げに微笑んだ。
彼女にとって、実家との決着は「悲劇」でも「復讐」でもなく、単なる「溜まりに溜まった頑固な黒ずみの、徹底的な除去」に過ぎなかったのだ。
「……リーネ。君の『お掃除』は、もはや因縁さえも塵一つ残さず、宇宙の彼方へ洗い流してしまうのだな」
ジークヴァルトは、腕の中のリーネを一度だけ強く抱きしめ直すと、その美しい銀髪に指を絡めた。
彼は、彼女がどれほど凄まじいことをしたのかを理解していた。実家の血筋という「呪縛」さえも、彼女は物理的な汚れとして処理し、自らを完全に自由にしてみせたのだ。
「……さあ、閣下。……お邪魔なゴミも片付きましたし、いよいよ、あちらの『世界一のゴミ屋敷(帝国の本拠地)』へ向かいましょう!」
「ああ。……君の進む道に、私が一粒の塵も残させない。……全軍、爆走しろ! 目的地は、帝国の心臓部だ!」
ジークヴァルトの号令と共に、ピカピカに磨かれた『水晶の砦』の門を、辺境伯騎士団が疾風のごとく駆け抜けていく。
後に残されたのは、かつてないほど清浄な空間と、伝説の聖女が通った跡にだけ咲く、光り輝く白い花々。
実家という名の「最後の汚れ」を洗い流したリーネは、今、最強の夫と共に、世界の果てを丸洗いするための最終決戦へと、一切の迷いなく突き進むのであった。




