表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/50

【第41話】世界が黒い雪に埋もれました。……閣下、これではお洗濯物が干せませんわ!

 魔導帝国の最奥、極北の氷城から放たれた禁忌の魔術『大いなる冬』。それは、単なる寒波や降雪ではなかった。

 空を覆い尽くしたどす黒い雲から降り注ぐのは、触れるものすべてから熱を奪い、植物を腐らせ、魔力回路を物理的に目詰まりさせる「呪いの粉塵」――黒い雪であった。

 その雪は、一度積もれば溶けることなく、粘り気のあるすすとなって大地を覆い、世界を巨大なゴミ捨て場へと変えようとしていた。


 カステル辺境伯領の境界線。そこには、押し寄せる黒い雪の壁を、リーネが設置した【伝説の洗浄石】の結界が辛うじて押し留めていた。結界の内側は春のような陽気だが、一歩外に出れば、そこには高さ数メートルに達する「不潔な雪の断崖」が聳え立っている。


 ◆


 その日の朝、カステル本邸のバルコニーでは、リーネが絶望に満ちた声を上げていた。


「……なんてこと。閣下、見てください。あんなに真っ黒なものが空から降ってきて……これでは、お洗濯物が一枚も干せませんわ!」


 リーネは、洗い立ての真っ白なシーツを抱えたまま、窓の外のどす黒い空を仰いで憤慨していた。

 ジークヴァルトは、彼女を冷たい風から守るように背後から抱きしめ、その肩に顔を埋めた。


「……リーネ。あれは帝国の最終兵器だ。世界中の魔導師が絶望し、各国の王たちが震え上がっている終末の予兆なのだ。……それを『お洗濯の邪魔』と断じるのは、世界で君だけだろうな」


「だってお掃除のプロとして、あんなに広範囲を汚しっぱなしにするなんて、絶対に許せませんわ! あんなに不衛生な雪が積もっていたら、皆様が病気になってしまいますし、何より……お屋敷の換気ができません!」


 リーネの「お掃除義憤」は、もはや国家の危機という枠を遥かに越えていた。

 彼女にとって、帝国の皇帝は「世界の支配者」ではなく、「世界中で一番マナーの悪い、不法投棄の常習犯」に他ならない。


「閣下。……私、決めましたわ。このままここで閉じこもっていても、世界中の『詰まり』は治りません。……私、あの黒い雪を全部、根こそぎ『雪かき』してまいります!」


 リーネの力強い宣言に、ジークヴァルトは一瞬だけ驚きを見せたが、すぐにその瞳を誇らしげな、そして深い独占欲を孕んだ光で満たした。


「……君がそう言うのなら、私はその道を切り拓くだけだ。……世界を洗う君の背中を、誰にも、一歩も近づかせはしない」


 ジークヴァルトは即座に全軍を招集した。

 ハンスはリーネのために、特注の「雪かき専用・防寒お掃除エプロン」を十着用意し、バルトは「土が汚れる前に、姫様が全部洗ってくださるんだな!」と涙を流して肥料を積み込んだ。


 ◆


 出発の準備が整った本邸の広場。

 そこには、弟子ノアが心血を注いで開発した、これまでの馬車の概念を覆す巨大な「魔導高圧散水戦車」が鎮座していた。

 洗浄石の力を増幅し、周囲数百メートルを一気に浄化する高圧ノズルが四方に備え付けられ、魔力を溜め込むための巨大なタンクには、リーネが特別に浄化した「高濃度聖水」が満たされている。


「師匠、準備は万端です! この『お掃除戦車』さえあれば、帝国の呪雪など、ただの泥水として洗い流せますわ!」


「キュイイイッ!!」


 ノアがノズルを叩いて胸を張り、ホコリ(魔獣)が「空気清浄担当」として車輪の横で勇ましく鳴いた。


「さあ、皆様。世界中の淀みを通しに行きましょう! ……あ、閣下。お説教はもう、昨日三時間もお聞きしましたから、今日は短めにお願いいたしますわ」


「……ふん。ならば一言だけだ。……君の指先から、私の魔力が離れることはない。……君が世界を磨き上げる時、私は君の心臓を一番近くで守る盾となる」


 ジークヴァルトは、リーネをひょいと抱き上げ、戦車の最上部にある「指揮台(という名の特製のお掃除席)」へと座らせた。

 そこは、ジークヴァルトがリーネを常に腕の中に閉じ込めておける、世界で最も安全で、最も過保護な場所であった。


 ◆


 カステル領の境界。

 リーネが【伝説の洗浄石】を組み込んだノズルを、立ち塞がる「黒い雪の壁」へと向けた。


「【神域の純浄・世界一の雪かき(グローバル・パージ)】――はい、スッキリいたしましょうね!」


 リーネが引き金を引いた。

 ――ドォォォォォォォォン!!


 ノズルから放たれたのは、太陽の輝きを凝縮したような、眩いばかりの「聖水の奔流」であった。

 それは破壊の光ではない。触れるものすべてから「不浄」という概念を剥ぎ取り、本来の姿へと還す、至高の洗浄エネルギー。


 激流が黒い雪の壁を直撃した瞬間、不気味な煤の塊は「シュアァァァッ!」という悲鳴のような音を立てて蒸発し、下からは磨き上げられたようなピカピカの街道が現れた。

 光の波及は止まらず、街道の左右数十メートルにわたって、黒い世界が「色」を取り戻していく。枯れていた木々は一瞬で新緑を芽吹かせ、凍りついていた鳥たちが、驚きと共に羽ばたいた。


「……あら、とっても滑らかに進めますわ! 閣下、もっと速度を上げてください!」


「……ああ、分かった。……全軍、リーネが拓いた『聖なる道』を爆走しろ! 遅れる者は、私が置いていく!」


 ジークヴァルトの号令と共に、カステル軍の戦車と騎士団が、黒い雪の世界を「消しゴムで消す」かのような勢いで突き進み始めた。

 通常なら数ヶ月かかる極北への行軍。だが、リーネの「広域雪かき」が加わった軍勢は、もはや物理法則さえも洗い流したかのような速度で、帝国の支配領域へと深く、深く食い込んでいく。


 その頃。

 遠く離れた帝国の前線基地では、魔法の監視網が次々と「消失」していくことに、魔導師たちがパニックを起こしていた。


「……報告します! 第1から第12までの呪雪壁、すべてが『掃除』されました! 消失ではありません、物理的に磨き消されています!」


「馬鹿な……。我が帝国の、世界を閉ざす『大いなる冬』が……ただの雪かきで突破されたというのか!?」


 帝国の常識は、リーネの「お掃除第一」という情熱の前では、ただの「しつこい汚れ」に過ぎなかった。


「……閣下。あそこの村、煙突が詰まっていてとっても苦しそうですわ。……ついでに、あそこも丸洗いして差し上げましょう!」


「……ああ。好きにするがいい。……私の妻が通った後は、この世で最も美しい楽園になるのだからな」


 ジークヴァルトはリーネの腰を強く抱きしめ、彼女が見せる「ピカピカの明日」を独占しながら、突き進む。

 地味な掃除女が、世界を覆う最大のゴミを掃除するための伝説の進軍。

 その第一歩は、凍てついた世界に、希望という名の「清々しい空気」を力強く送り込んだのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ