【第40話】領地の門前で大掃除。……閣下、不法投棄(侵入者)はまとめて「丸洗い」に限りますわ!
カステル領の境界、領都へと続く『白銀の門』の前には、かつてないほど不浄な軍勢がひしめき合っていた。
それは、前話でリーネとジークヴァルトに恥をかかされ、門前払いを食らった強欲な商人たちが、金に飽かせて買い集めた没落貴族の私設兵や、素行の悪い傭兵たちで構成された混合軍である。
「……ふん。カステル領には、触れるだけで汚れが落ちる『魔法の道具』が溢れているという。……それを奪い、王都で売れば、我らは一気に国の経済を牛耳る主役となれるのだ!」
黄金の刺繍が施された馬車の上で、商人が肥え太った腹を揺らしながら下卑た笑い声を上げた。
彼らの目的は、リーネの魔力が宿った「掃除道具」の強奪。そして、彼女が持つ「物質に魂を宿らせる秘術」を独占すること。
数百人の兵士たちは、錆びついた剣や、手入れの行き届いていない鈍い鎧をガチャつかせ、殺気という名の「心の煤」を辺りに撒き散らしていた。
◆
「……閣下。あの、門の外がとっても『埃っぽい』ですわ」
本邸のテラスから遠見の魔導具(水晶球)を覗き込んでいたリーネは、丸眼鏡の代わりとなった手鏡を見つめながら、心底困ったように眉をひそめた。
ジークヴァルトは、彼女を冷たい風から守るように背後から抱きしめ、漆黒の外套で包み込んでいる。彼の瞳には、領地を侵そうとする不届き者たちへの、苛烈な殺意が宿っていた。
「……リーネ。案ずるな。……塵を掃き溜めに戻すのは、私の役目だ。……ハンス、ノア。騎士団を動かせ。……一匹残らず、虚無に葬り去ってやる」
ジークヴァルトが剣を抜こうとした、その時。
リーネが、彼の手をそっと握って押し留めた。
「いいえ、閣下。……あんなにたくさんの方が、泥だらけの靴で勝手に入ってこられたら、お庭が台無しになってしまいますわ。……殺伐とした争いなんて、お掃除の美学に反します」
リーネの目には、押し寄せる軍勢が「恐ろしい敵」ではなく、不法に投棄された「巨大な粗大ゴミ」にしか見えていなかった。
「……あんなに煤けて、お顔まで真っ黒にして。……あれでは、お父様や神殿の時と同じです。……皆様、心が詰まってしまって、とってもイライラしていらっしゃるのね」
リーネは、悲しげに首を振ると、隣で控えていた弟子ノアを振り返った。
「ノア様、準備はよろしくて? ……先日届いた、あの『大型散水車』の出番ですわ」
「はい、師匠! 伝説の洗浄石を直列に繋いだ【広域・高圧洗浄システム】、いつでも起動可能です! ……皆様、師匠の『お掃除の洗礼』を受ける覚悟はよろしくて!?」
「キュイイイッ!!」
ホコリ(魔獣)が、戦意満々に真っ白な毛を逆立てて鳴いた。
◆
カステル領の門が開いた。
突撃の合図を待っていた商人たちの軍勢の前に現れたのは、重装備の騎士団ではなく――三台の巨大な、水を満載した魔導戦車を従えた、一人の少女だった。
「……なんだ? たった一人の女と、水車だと? ははは! 我らを水遊びで追い返そうというのか!」
傭兵たちが嘲笑い、剣を掲げて走り出す。
だが、リーネは静かに、手にした【伝説の洗浄石】を組み込んだ『特注・超高圧・聖水ノズル』を構えた。
「……皆様、お行儀がよろしくありませんわ。不法投棄(侵入)は、まとめて『丸洗い』に限ります。……はい、スッキリいたしましょうね!」
リーネが魔力を込め、ノズルの引き金を引いた。
――ドォォォォォォォォン!!
次の瞬間、門の前は、目も眩むような純白の「泡」と「聖水」の激流に飲み込まれた。
それは破壊の奔流ではない。リーネの【神域の純浄】が込められた、極限の「洗浄エネルギー」である。
激流が兵士たちを直撃する。
本来なら人をなぎ倒すほどの圧力だが、リーネの光に触れた瞬間、兵士たちは衝撃を感じる代わりに、かつてないほどの「心地よさ」に包まれた。
鎧の隙間にこびりついていた数年分の泥が、一瞬で剥がれ落ちる。
錆び付いていた剣が、新品同様の輝きを取り戻し、汚れと共に呪いや殺気が蒸発していく。
何より、リーネの放った泡は、彼らの脳内にこびりついていた「強欲」や「暴力衝動」という名の精神的な煤を、容赦なく丸洗いしてしまったのである。
「……あ、あれ? 俺、なんでこんなところで剣を振り回してたんだっけ?」
「なんだ、この清々しさは……。身体が軽い、肌がツルツルだぞ……っ!」
「……争うなんて、なんて不衛生なことなんだ。……俺、お家に帰って、お風呂に入りたい……」
数分後。
泡が引いた後の門前には、戦意を喪失した数百人の男たちが、放心状態で座り込んでいた。
彼らの鎧は鏡のようにピカピカに磨き上げられ、全員がリーネの浄化によって「美肌」になり、かつての濁った瞳は、赤ん坊のように澄み渡っている。
彼らは武器を捨て、なぜか自分たちの足元に落ちている石ころを「これ、少し汚れていますね」と、丁寧に磨き始めたりしていた。
「な……な、な……っ!? 私の私兵が、一瞬で『善人』にされてしまっただと!?」
馬車の上で震える商人の前に、ジークヴァルトが静かに降り立った。
彼はリーネの「広域丸洗い」によって、文字通り無力化された軍勢を見渡し、呆れたように、けれど誇らしげに鼻を鳴らした。
「……フン。不法投棄されたゴミは、分別の末に掃き出せ、というのがカステルの掟だ。……ハンス。この商人たちを回収しろ。……リーネの『お掃除』を邪魔した罪、その薄汚れた魂が真っ白になるまで、地下の掃除当番を命じるといい」
「かしこまりました、閣下。……さあ、汚れ(主犯)の皆様。お掃除の修行のお時間ですぞ」
ハンスと騎士たちが、腰を抜かした商人たちを引きずっていく。
彼らは後に、リーネが作り出した「世界一清潔な地下室」で、毎日死に物狂いで床を磨き、数ヶ月後には「お掃除こそが人生の真理」と語る敬虔な清掃員へと更生させられることになる。
「……ふぅ。これで、お庭の入り口もスッキリいたしましたわね」
リーネがノズルを下ろし、額の汗を拭うと、そこには虹がかかっていた。
荒らされるはずだった門前は、以前よりもずっと磨き上げられ、爽やかな香りに満ちている。
ジークヴァルトは、リーネの元へ歩み寄ると、彼女をその逞しい腕の中に閉じ込めた。
「……リーネ。君の浄化は、もはや一つの軍隊を『善人』に変えてしまうのだな。……正直なところ、私は君に、そんな慈悲をかける必要はないと思っていたのだが」
「閣下。……人を傷つけるのは、後片付けが大変ですわ。……でも、皆様が綺麗になって、自分でお掃除を始めてくだされば、世界はもっともっとピカピカになると思いませんか?」
リーネの、どこまでも前向きで、そして圧倒的な「お掃除の正義」。
ジークヴァルトは、彼女のその無垢な強さに、改めて自分の心が浄化されていくのを感じていた。
「……ああ。君の言う通りだ。……だが、今夜はもうお掃除は終わりだ。……君のその素晴らしい手を、私が存分に手入れ(愛で)させてくれ」
「閣下、皆様が見ていらっしゃいますわ! ……もう、過保護なのですから」
リーネは顔を真っ赤にしながらも、ジークヴァルトの胸に頭を預けた。
カステル領は、リーネの「物理的に敵を洗い流す」という新境地により、鉄壁の守護を手に入れた。
だが、この一件は、隣国の魔導帝国にさらなる危機感を与えることになる。
「カステルの聖女は、軍隊を無効化する力を手に入れた」と。
平和な日常の裏で、ついに帝国の「大いなる冬」の本体が、リーネの光を完全に消し去るべく、歴史上類を見ない規模の「呪いの嵐」を形成し始めていた。
物語は、領地防衛という枠を越え、ふたたび世界規模の激動へと、その歯車を回し始めるのであった。




