【第4話】厳格な義母様と怯える義妹様がやってきました。私の淹れたお茶と「ついでのお掃除」で、なぜか全力でスカウトされています
バルトロメウス副官が、呪詛返しによって無様に王都へ逃げ帰った数日後のこと。
カステル辺境伯邸の門前に、一台の豪華な馬車が止まった。
現れたのは、別邸で療養中だったジークヴァルトの両親――前辺境伯グスタフと、その妻エレオノーラ。そして、幼い妹のミリーだった。
「……ジーク! 無事なのですか! バルトロメウスが『呪いが暴走して手が付けられない』と泣き叫びながら戻ってきたと聞いて、いても立ってもいられず……っ!」
馬車から降りるなり、悲痛な声を上げたのは母エレオノーラだった。彼女は王都の公爵家出身で、立ち居振る舞いは常に厳格。カステル家の品位を何より重んじる女性だ。
だが、屋敷の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、彼女は言葉を失った。
「……え? ここ、本当にジークの屋敷なの?」
かつて死の瘴気に覆われ、どす黒い影が這い回っていたはずの館内は、今や陽光を弾くほどに輝いていた。大理石の床は顔が映るほどに磨き上げられ、空気は春の野山のような清涼感に満ちている。
そこへ、二階から足音が響いた。
「母上。騒々しいですよ。リーネが驚くではありませんか」
現れたのは、包帯を脱ぎ捨て、見違えるほど凛々しくなったジークヴァルトだった。
彼はまだ少し痩せているものの、その肌には艶が戻り、瞳には力強い光が宿っている。
「ジ、ジーク……! あなた、そのお姿は……! 呪いはどうしたのです!?」
「……彼女が、すべて消し去ってくれたのです。私の妻、リーネが」
ジークヴァルトが愛おしそうに振り返ると、その背後から、地味な灰色のドレスを着たリーネが、ぺこりと頭を下げて現れた。
「初めまして、お義父様、お義母様。リーネ・エルストリアです」
エレオノーラは、リーネを頭の先から爪先まで鋭い視線で射抜いた。
丸眼鏡に、飾り気のない髪。およそ辺境伯夫人の華やかさとは無縁の「地味な娘」だ。
「……あなたが、伯爵家から『役立たず』として差し出された娘さんね。ジークを救ったという功績は認めます。けれど、我がカステル家は王国の盾。女主人がこのような……地味で頼りない様子では、示しがつきませんわ」
「あっ……あの、……申し訳ございません」
エレオノーラの言葉は冷たかった。隣で父グスタフが「おい、エレオノーラ、言い過ぎだ」と宥めるが、彼女は止まらない。
さらに、兄を慕っていた妹のミリーが、ジークヴァルトの足元に隠れ、リーネを怖がって泣き出しそうになっていた。
「うう……。お家がキラキラしてて、怖い……。お兄様、変な女の人に騙されてるの……?」
リーネは、責められても顔色一つ変えなかった。実家での罵詈雑言に比べれば、家族を心配するエレオノーラの言葉は、むしろ温かくすら感じられたからだ。
「ご心配をおかけして申し訳ありません、お義母様。ミリー様も、長旅でお疲れですね。……まずは、温かいお茶をお淹れしますわ。お掃除のついでに調合した、ただのハーブティーですけれど」
◆
応接間に通された家族の前で、リーネは手際よくお茶を準備した。
彼女は、茶葉を【洗浄】して微細な雑味を取り除き、自身の【神域の純浄】を込めたお湯で、香りを最大限に引き出す。
さらに、庭で採れた木の実を浄化し、魔力を込めた蜜で煮詰めた「一口菓子」を添えた。
「どうぞ。お口に合うと良いのですが」
「……ふん。お茶くらいで私の評価は変わりませんわよ」
エレオノーラは、優雅な動作でカップを口に運んだ。
――その瞬間、彼女の背筋がピンと伸びた。
「な……っ!?」
口の中に広がったのは、およそこの世のものとは思えない「純粋な香気」だった。
喉を通るたびに、長年の公爵夫人としての公務で蓄積されていた「慢性的な肩こり」や「目の疲れ」が、パァッ……と霧が晴れるように消えていく。
「……何、これ……。体が、羽が生えたように軽くなって……。それに、このお菓子……っ!」
試しに一口食べた菓子からは、凝縮された生命の輝きが溢れ出した。
ミリーも、おそるおそる一口食べると、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。
「おいしい……! お花畑の味がする! お姉様、これ、すっごくおいしい!」
先ほどまで怯えていたミリーが、自分からリーネの膝に飛び込んだ。
リーネは優しく彼女の頭を撫でながら、【洗浄】の微細な波動を送り、旅の疲れを癒やしていく。
「ミリー様、いい子ですね。後でお部屋をもっとフカフカに『お掃除』して差し上げますね」
「わあ、お掃除して! お姉様、だいすき!」
一瞬で攻略された妹を見て、ジークヴァルトが「私のリーネにあまりベタベタしないでくれ、ミリー」と大真面目な顔で独占欲を発動させる中、母エレオノーラは震える手でカップを置いた。
「……リーネ。あなた、これを『ただのお茶』と言ったの?」
「はい。地味な私の、唯一の特技ですから」
「……馬鹿なことを。これは王宮の筆頭魔導師が淹れるエリクサーよりも純度が高いわ。……リーネ、聞きなさい。あなたはカステル家の女主人として、相応しくありません」
ジークヴァルトがカッと目を見開き、「母上!」と叫ぼうとした時。
エレオノーラは、リーネの両手をガシッと掴んだ。その瞳には、先ほどまでの冷徹さは微塵もなく、執念に近い「情熱」が宿っていた。
「……あなたは、私の『専属侍女』、いえ、『一番の親友』として、今すぐ私と一緒に王都の別邸へ来るべきよ! この技術、この浄化の力……。社交界の毒婦たちを一掃できるわ! ジークにはもったいなさすぎる!」
「はぁ!?」
ジークヴァルトが絶叫した。
厳格だったはずの母が、リーネの家事能力に惚れ込みすぎて、あろうことか息子から嫁を奪おうとし始めたのだ。
「ダメだ、母上! リーネは私の妻だ! 指一本、誰にも……親族であっても触れさせない!」
「あら、良いじゃない。ジーク、あなたにはまだ早いお嫁さんよ。リーネ、私の肌が十年前に戻ったのよ!? これ、あなたの【洗浄】のせいでしょう? もう、あなた無しでは生きていけないわ!」
父グスタフも、お茶を飲み干して若返った顔で「……確かに、この娘を独り占めするのは罪だな」と頷いている。
「あの、皆様……。私はただ、お掃除をしたいだけなのですが……」
おろおろするリーネを巡って、辺境伯一家による「壮絶なリーネ争奪戦」が勃発した。
ジークヴァルトはリーネを後ろに隠し、両親に対してかつての戦場のような凄まじい威圧感を放つ。
「……分かったか、父上、母上。リーネは、私が生涯をかけて守り、愛でる唯一の女性だ。……掃除をさせたければ、私の許可を取れ。……ただし、一分につき一千万ゴルドだ」
「息子よ、強欲すぎやしないか!?」
地味な自分を巡って、雲の上の存在だった家族たちが騒いでいる。
リーネは戸惑いながらも、冷え切っていた実家では決して味わえなかった「自分を必要としてくれる温かさ」に、少しだけ眼鏡の奥を潤ませるのだった。
しかし、この一家の騒動が王都にまで伝わり、リーネを「無能」と切り捨てたエルストリア伯爵家が、自分たちが何を失ったのかを本当の意味で知ることになるのは、もう少し先のお話である。




