【第34話】極北の氷の迷宮。……閣下、吹雪の中に潜む「埃」を吸い取れば、出口はすぐそこですわ!
国境の砦を「丸洗い」という前代未聞の手法で突破したカステル辺境伯騎士団は、ついに魔導帝国の外郭を成す永久凍土の禁域――『氷の迷宮』へと足を踏み入れた。
そこは、天を突くような巨大な氷の壁が複雑に組み合わさり、一度迷い込めば二度と生きては戻れないとされる死の迷宮である。何より、迷宮内には「魔力を喰らう氷の粉塵」が猛烈な吹雪となって吹き荒れ、侵入者の視界と感覚を完全に奪い去る、帝国最強の防衛機構が働いていた。
「……前が見えん。ハンス、ノア、列を乱すな。……リーネ、寒くないか? 魔法の防寒外套をもう一枚重ねよう。……いや、三枚だ」
ジークヴァルトは、馬車の中でリーネを何重もの毛布と、自らの魔力を編み込んだ特殊な防寒着で包み込んでいた。リーネはもはや着膨れして、小さな雪だるまのようになっている。
「閣下……。お気持ちは嬉しいですが、これでは腕が動かせませんわ。お掃除のブラシが握れません」
「……この極寒の中で掃除などさせるわけにはいかない。吹雪は私が剣圧で散らす。君は私の胸の中で、この『極北専用・発熱魔導カイロ』を抱いていろ」
ジークヴァルトは、騎士団の進軍を止めてでも、リーネの指先が僅かに冷えることさえ許さなかった。彼は窓の外で荒れ狂う白い闇――呪いの吹雪に向けて、苛烈な魔力を込めた視線を送った。
しかし、ジークヴァルトがどれほど鋭い剣圧を放ち、雪を切り裂こうとも、不気味な氷の粉塵は霧のように再び集まり、瞬く間に視界を白一色に塗りつぶしてしまう。
「……おかしいですわ。この吹雪、冷たいだけじゃなくて、とっても『粉っぽい』です」
リーネは、着膨れした腕を必死に動かし、窓の隙間から外の空気を僅かに取り込んだ。
彼女の【神域の純浄】が、吹き付ける雪の中に混じった「不純物」を瞬時に感知したのだ。
「閣下。……これは雪ではなくて、細かな『魔力のカス』が空中に滞留しているのですわ。換気扇のフィルターが目詰まりしている時と同じです。……これでは、出口が見えないのも当たり前ですわね」
「……目詰まりだと? これは帝国が誇る氷壁の結界のはずだが」
「いいえ。……とっても不衛生な、宙に浮く埃の塊です。……ホコリちゃん! 出番ですわ! あそこの目詰まりを、全部吸い取ってスッキリさせてあげてください!」
「キュイイイッ!」
リーネの膝の上で丸まっていた真っ白な毛玉――魔獣ホコリが、待ってましたと言わんばかりに跳ね上がった。
ホコリはリーネの魔力を受け取ると、その小さな体をみるみるうちに巨大な綿飴のように膨らませ始めた。直径三メートルを超える大質量となったホコリは、馬車の天窓から外へと飛び出した。
「な……っ!? あの毛玉、何を……っ!」
騎士たちが驚愕する中、巨大化したホコリは迷宮の通路の中央で、掃除機のように大きく口を開けた。
――ズオォォォォォォォォン!!
凄まじい吸引力が、迷宮内を吹き荒れていた「氷の粉塵(魔力のカス)」を、物理的な質量と共に飲み込み始めた。
リーネが【伝説の洗浄石】を掲げ、ホコリの吸引力に浄化の指向性を与える。
「【洗浄・空気清浄】!!」
リーネが指を鳴らした瞬間、ホコリが吸い込んだ粉塵が、彼の体内で純粋な光の粒子へと変換され、代わりに「磨き上げられた清涼な空気」が、迷宮の奥深くまで一気に吹き抜けた。
すると、どうだろう。
一寸先も見えなかった白い闇が、霧が晴れるように瞬時に消滅したのである。
現れたのは、磨き上げられたクリスタルのような輝きを放つ、透き通った氷の壁。そしてその先には、迷宮の「出口」へと続く一本の真っ直ぐな道が、誰の目にも明らかなほどハッキリと露出していた。
「……あら。あんなところに、隠れていた汚れ(伏兵)さんがいらっしゃいますわ」
リーネが指差した先。
吹雪に紛れて奇襲をかけようと潜んでいた帝国の「極北暗殺部隊」が、視界が晴れたことで、一糸乱れぬポーズのまま丸裸にされていた。
「な……っ、馬鹿な! 我が迷宮の吹雪が、あの毛玉一匹に吸い尽くされただと!?」
暗殺者たちは、隠れる場所を失い、完全に硬直した。
リーネは「お掃除の邪魔ですわ。退いていただけますか?」と、手近な【聖水の小瓶】を彼らの足元に向けて放り投げた。
パリン! という音と共に、聖水が氷の地面に広がる。
次の瞬間、リーネの浄化魔力が氷の表面を「摩擦係数ゼロ」の超滑らかな状態へと磨き上げてしまった。
「うわああああっ!?」
「滑る! 立てない! ……っ、ピカピカすぎて、目が眩むぅぅぅ!!」
暗殺者たちは、立ち上がろうとするたびに足を滑らせ、自分たちが磨き上げた(浄化された)氷の壁に激突し、自滅していった。
リーネの放った浄化は、彼らの武器に塗られた毒さえも「不潔な汚れ」として蒸発させ、彼らをただの「美肌になった気弱な男たち」へと変えてしまったのである。
「……ふぅ。これでようやく、空気が美味しくなりましたわ」
リーネは、小さくなったホコリを再び膝の上で抱きしめ、満足げに微笑んだ。
ジークヴァルトは、抜こうとした剣を鞘に戻し、半ば呆れたように彼女の頬をなぞった。
「……リーネ。君の助手は、もはや一つの軍隊を無効化するほどの性能だな。……だが、これでもう迷うことはない」
ジークヴァルトが馬車の御者に進軍を命じると、騎士団はかつてないほどの快晴――リーネが作り出した「聖なる空気」の中を、迷宮の出口に向かって疾走した。
迷宮を抜けたその瞬間。
一行の目の前に、それは現れた。
天空まで届くかのような巨大な氷の塔。そして、その周囲を埋め尽くす、どす黒い雲の渦。
数千年の魔力の煤が物理的な闇となって城壁を覆い、触れるものすべてを腐敗させる、世界最大の不浄の源泉。
魔導帝国の本拠地――『極北の氷城』である。
「……閣下。見てください。あんなに煤けて真っ黒な城……。放っておいたら、世界中の雑巾がいくつあっても足りませんわ!」
リーネは、怒りに震える拳を握りしめ、かつてないほどのお掃除義憤に身を焦がした。
彼女にとって、帝国の皇帝は「世界の敵」ではなく、「世界一大きなゴミを溜め込んだ、最悪の家主」に過ぎなかった。
「……ああ、分かった。リーネ。……あの城ごと、君の光で丸洗いしてやろう」
ジークヴァルトは、リーネの瞳に宿る「お掃除の決意」を認め、力強く頷いた。
いよいよ、物語は最終決戦の地へ。
世界の汚れを根こそぎ消し去るための、伝説の「大掃除」が、ついに始まろうとしていた。




