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【第20話】王都大掃除、完了!……陛下、私を「救国の聖女」と呼ぶより、新しい雑巾をください

 王都シュトラールの夜明けは、建国以来、最も清浄な光と共に訪れた。

 昨日まで街を覆っていたどんよりとした瘴気や、地下から吹き出していた異臭は、跡形もなく消え去っている。水路を流れる水は、朝日を浴びて水晶のように透き通り、道行く人々は皆、肺の奥まで洗われるような空気の美味さに足を止め、空を仰いでいた。

 王都の至る所にかけられた「月虹」の余韻が、街全体を祝福するように淡く輝いている。


 その頃、王宮の地下牢獄へと続く廊下では、鉄格子の閉まる重い音が響いていた。

 引き立てられていくのは、かつてエルストリア伯爵家の嫡男として、その傲慢さを振りまいていたロイド・エルストリア、そして神殿の権威を笠に着ていた汚職司祭バルガスであった。

 だが、彼らにはもはや、喚き散らす力すら残されていなかった。


「……あ、あ……白、い……何も、ない……」


 ロイドの瞳には、何の光も宿っていない。リーネが放った【伝説の洗浄石】による極限の浄化は、彼の肉体に宿っていた呪毒だけでなく、彼を突き動かしていた「どす黒い執念」や「悪意」そのものを根こそぎ洗い流してしまったのだ。

 汚れが深すぎたがゆえに、浄化が終わった後の彼には、自分を繋ぎ止めるための「業」さえ残っておらず、ただの空っぽな器として、騎士団に引きずられていった。

 エルストリア伯爵家は、名実ともにこの歴史から完全に抹消されたのである。


 ◆


 王宮の正門バルコニー。そこには、王国の象徴である黄金の獅子の旗と共に、この国を救った英雄たちが並び立っていた。

 中央には、威厳に満ちた姿の国王陛下。その右隣には、呪毒から完全に解放され、かつての「王国最強」の威圧感を取り戻したジークヴァルト。

 そして左隣には、淡い紫色の清廉なドレスに身を包んだ、リーネの姿があった。


「王都の民よ、聞くが良い!」


 国王の声が、魔法によって広場を埋め尽くす数万の群衆へと響き渡る。


「我が国を蝕んでいた古の不浄は、今ここに、カステル辺境伯夫人リーネの手によって完全に浄化された! 彼女こそが、天より遣わされた真の聖女であり、我が王国の光である! これより、リーネ・フォン・カステルを『救国の真聖女』として公に推戴する!」


 地鳴りのような歓声が上がった。

 かつて彼女を「地味で無能な掃除女」と嘲笑っていた貴族たちは、恥じ入るように頭を垂れ、民衆は「聖女様!」「カステルの女神様!」と、喉が張り裂けんばかりにその名を叫んだ。

 広場を埋め尽くす人々が、波が引くように次々と膝をつき、リーネに向かって祈りを捧げる。


 だが、その光景を目の当たりにしているリーネ自身は、頬を微かに赤らめ、困惑したように眼鏡を直そうとする手癖を見せていた。


(……皆様、あんなに大きな声を出して……。お掃除で喉を痛めてしまわないかしら)


 彼女の関心は、自分に向けられた称賛よりも、あまりに熱狂的な民衆の健康状態に向けられていた。


「リーネよ。そなたは、この国を滅亡の危機から救った。……望む報酬を何でも申すがよい。王都の一等地に屋敷を与えるか? それとも、宝石で埋め尽くされた王冠か?」


 国王の問いに、広場は水を打ったように静まり返った。誰もが、彼女が何を望むのかを固唾を飲んで見守っていた。

 ジークヴァルトは、リーネの腰を強く抱き寄せ、彼女が何を言おうとも、自分がそれを全力で叶えるという意思を瞳に宿して彼女を見つめた。


 リーネは、深く息を吐くと、国王を真っ直ぐに見上げた。


「……陛下。恐れ多いことですが、私、金銀財宝や立派な屋敷は必要ありませんわ」


「ほう? では、何を望むのだ」


「はい。……カステル領の端に、古くてボロボロになった小さな教会があるのです。あそこの屋根と床を、最高級の建材で修繕する許可をいただけないでしょうか。それから……」


 リーネは、少しだけ欲張りなことを言うような顔をして、指を一本立てた。


「……汚れを完璧に拭き取れる、魔導糸で織られた最高級の雑巾を、百枚。……いえ、もしよろしければ二百枚、いただけますでしょうか? 王都はもうピカピカですから、次は領地の隅々まで磨き上げたいのですわ」


 沈黙。

 広場の数万人が、そして国王までもが、呆気に取られたように硬直した。

 国を救った代償が、教会の修繕と雑巾。あまりにも無欲で、あまりにも「地味」なその願い。

 だが、次の瞬間、その場を支配したのは、爆発的な温かさと感動の渦だった。


「……ふはっ、はははは! やはり君は、最後まで君なのだな、リーネ!」


 ジークヴァルトが、我慢しきれないといった様子で高笑いを上げた。彼は愛おしくてたまらないという顔でリーネを抱き上げ、周囲の貴族や国王さえも無視して、その額に深い接吻を落とした。


「陛下、お聞きになられた通りです。……彼女を『聖女』として王都に繋ぎ止めることは、誰にも許さない。……リーネ、行こう。君が心ゆくまで掃除を楽しみ、私が君を心ゆくまで甘やかせる、私たちの家へ」


「閣下、皆様が見ておられますわ! 恥ずかしいです!」


「構わん。……皆、聞け! リーネは私の妻であり、私の魂の輝きだ! この光を、私は一生かけて独占させてもらう!」


 ジークヴァルトは、圧倒的な魔圧と共にそう宣言すると、リーネを横抱きにしたままバルコニーを後にした。国王は苦笑しながら、「雑巾五百枚と、教会の修繕費用を十倍にして送らせよう」と、逃げるように去る二人の背中に声をかけた。


 ◆


 数刻後。辺境伯家の豪華な魔導馬車が、王都の門を出ようとしていた。

 馬車の窓からは、弟子となったノアが身を乗り出し、見送る民衆に向かって「リーネ様のお掃除、勉強させていただきます!」と、神殿の法衣を翻して手を振っている。足元では、真っ白な毛玉と化した魔獣ホコリが、「キュイ!」と満足げに鼻を鳴らしていた。


「……ふぅ。これでようやく、一区切りですわね」


 馬車の中で、リーネはジークヴァルトの肩に頭を預け、穏やかな吐息をついた。

 王都での日々は、恐怖や混乱もあったけれど、最後には澄み渡る空のようにスッキリとしたものになった。


「リーネ。……これから帰るカステル領は、この王都よりもずっと広く、そして磨き甲斐のある場所だ。……覚悟はできているか?」


「はい、閣下。……私、カステル領全体を、世界一ピカピカにしてみせますわ!」


 リーネの力強い言葉に、ジークヴァルトは熱い独占欲を隠そうともせず、彼女の顎をそっと持ち上げた。


「……ああ。だが、私を掃除するのも忘れるなよ。……私の心に住み着いた、君への愛着という名の『しつこい汚れ』は、一生かけても落とさせないからな」


「……閣下。それは、磨けば磨くほど輝く、大切な宝物ですわ」


 二人の唇が重なり、馬車は夕焼けに染まる街道を、辺境へと向かって走り出す。

 地味な掃除女が、一国の運命を洗浄し、最強の死神の心を再生させた物語。

 その王都編はここに完結し、二人の舞台は、より深く、より甘い、辺境の領地経営とハネムーンの日々へと続いていくのであった。


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