表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/50

【第19話】王都地下水道の大掃除。……お兄様、そんなに汚泥を溜め込んでは詰まってしまいますわ

 王都シュトラールの地下には、数千年の歴史と共に築き上げられた巨大な網目状の地下水道が広がっている。そこは王国の繁栄を支える大動脈であると同時に、人々の忌避する汚れや魔力の残滓が沈殿する、暗黒の淵でもあった。

 その最深部、禁忌の封印が施されていたはずの「忘却の貯水槽」にて、どす黒い粘液を撒き散らす異形の怪物が咆哮を上げていた。


「……ひっ、ひひっ! 出ろ、出ろ! すべてを飲み込み、あの女を、あの辺境伯を泥の中に引きずり込め!」


 狂った笑い声を上げているのは、もはやかつての端正な顔立ちを失い、全身が泥と呪毒に塗れたロイド・エルストリアだった。彼は神殿の汚職司祭バルガスから授かった禁忌の魔導具を心臓に埋め込み、地下に溜まった数百年分の「澱み」を、物理的な実体を持つ巨大な汚泥の魔物へと変貌させていた。

 王都の至る所にある排水口からは、耐え難い悪臭を放つ黒い霧が噴出し、街は一瞬にして「不浄の都」へと変わりつつあった。


 ◆


「……なんてこと。これでは王都全体が、詰まってしまいますわ!」


 タウンハウスの窓を閉め切り、リーネは丸眼鏡を指で押し上げながら、深刻な面持ちで地上を見下ろしていた。彼女の目には、街の地下から噴き出す魔力の濁流が、巨大な配管の詰まりのように見えていた。


「リーネ。……案ずるな。ハンスと騎士団には避難誘導を命じた。ノア、お前は地下への道案内をしろ。……私は、リーネを連れて直接『根源』を叩く」


 ジークヴァルトは、リーネを横抱きにすると、漆黒の外套を翻した。その隣には、男装を解いた少女神官ノアが、浄化の法衣を纏って控えている。


「……はい、リーネ様! 神殿の記録にある地下水道の最短ルートは把握しております。……行きましょう、この国の『汚れ』を一掃するために!」


 一行は、ジークヴァルトの転移魔法によって、一気に地下水道の中層へと降り立った。

 そこは、膝まで浸かるほどの汚泥が激流となって逆流し、壁一面には不気味なカビと瘴気がこびりついていた。


「……ひどいですわ。こんなに放っておくなんて、お掃除の怠慢です!」


 リーネは憤慨した。彼女にとって、これは「国家の危機」である前に「最悪の衛生状態」だった。彼女は収納袋から【聖樹のバケツ】を取り出し、さらに弟子となったノアに【白銀熊のブラシ】を一本予備で手渡した。


「ノア様、壁の煤を! ホコリちゃんは流れてくる細かいゴミを! 閣下は、私の足場を確保してください!」


「キュイ!」

「……承知いたしました、師匠!」

「……やれやれ。戦場でも私を顎で使うのは、世界で君だけだな、リーネ」


 ジークヴァルトは苦笑しながらも、リーネの周囲に不可視の防護壁を張り、彼女の足元に光の橋を架ける。

 リーネが【洗浄】の波動を放ちながら進むと、汚泥は瞬時に清らかな水へと変わり、悪臭は霧散していく。


 最深部の貯水槽にたどり着いた時、そこには高さ十メートルを超える、汚泥の巨人が鎮座していた。その核となっているのは、魔物に飲み込まれかけ、下半身が泥と一体化したロイドの姿だった。


「……来たな、リーネ! 見ろ、これが俺の新しい力だ! お前のちっぽけな光など、この王都中の闇で塗り潰して……」


「お兄様、お話の途中ですが、その格好はあまりに不潔ですわ」


 リーネは、ロイドの怒号をピシャリと遮った。

 彼女の視線は、ロイドではなく、彼の背後の壁に埋もれていた「ある一点」に釘付けになっていた。


「……あら? あんなところに、とっても綺麗な石が埋まっていますわ。汚れに隠れて、苦しそうです……」


 リーネが指差した場所。そこには、数千年の泥に覆われながらも、時折、淡い蒼光を放つ小さな結晶があった。

 ノアが目を見開いて叫ぶ。


「……あれは! 失われた神代の遺物【伝説の洗浄石エーテル・クリンス】ではありませんか!? 神殿の古文書にしか記されていない、あらゆる魔力を無尽蔵に浄化し続けるという……っ!」


「よし、まずはお掃除のついでに、あの石を助け出しましょう!」


 リーネは、ジークヴァルトに抱えられたまま、汚泥の巨人の攻撃を紙一重で避けつつ、壁の石に手を伸ばした。

 彼女の指先が石に触れた瞬間――。


 キィィィィィィン!!


 地下水道全体を揺るがすような、かつてないほど清廉な高音が響き渡った。

 リーネの【神域の純浄】が、伝説の洗浄石を「起動」させたのだ。石を覆っていた数千年の汚れが剥がれ落ち、中から溢れ出したのは、世界の根源を清めるための「原初の光」だった。


「……まあ! なんてスッキリした輝きかしら!」


 リーネはその石を手に持つと、そのまま汚泥の巨人――そしてロイドへと向けた。


「【極限・大洗浄アルティメット・パージ】!!」


 ――ドォォォォォォォォン!!


 地下水道の最深部から、地上に向けて、一本の巨大な「光の柱」が突き抜けた。

 それは破壊の光ではない。触れるものすべてから不純物を取り除き、本来あるべき清らかな姿へと強制的に還す、慈悲深き「丸洗い」の光だった。


 汚泥の巨人は悲鳴を上げる間もなく蒸発し、王都の地下を流れていた数万トンの汚泥は、瞬時に清流へと変わった。

 そして核となっていたロイドは、石の光を直撃し、埋め込まれていた禁忌の魔導具ごと「洗浄」された。


「……あ、あ……あ……」


 ロイドは、地位も、魔力も、そしてリーネへの歪んだ憎執さえも浄化され、ただの「空っぽの人間」として地面に転がった。彼が溜め込んでいた汚れがあまりに深すぎたため、浄化が終わった後の彼には、自分を保つための「業」すら残っていなかったのだ。


「……終わりましたわね。閣下、ノア様、ホコリちゃん。とっても綺麗になりましたわ」


 リーネは、手に入れた【伝説の洗浄石】を大切に布で包みながら、満足げに微笑んだ。

 地下水道には、もはや異臭のかけらもなく、ただ涼やかな風が吹き抜けている。


 その頃、地上の王都では。

 排水口から溢れ出していた黒い霧が消え、代わりに街中の水路から、キラキラと輝く聖なる水が溢れ出していた。

 空を覆っていた瘴気の雲は四散し、夜空には見たこともないほど巨大な「月の光による虹(月虹)」が架かっていた。


「……奇跡だ。聖女様が、王都を救ってくださったんだ!」


 民衆が次々と膝をつき、祈りを捧げる中、ジークヴァルトは地下からリーネを抱き抱えて戻ってきた。


「……リーネ。これで、名実ともに君はこの国の『光』となった。……だが、忘れるな」


 ジークヴァルトは、光輝く虹の下で、リーネを力強く抱きしめた。


「君がどれほど世界を浄化しようとも、君を独占する私の『愛』という汚れだけは、決して落とさせないからな」


「……閣下。それはお掃除しなくても良い、素敵な汚れですわ」


 リーネは初めて、自分からジークヴァルトの首に手を回し、幸せそうに目を閉じた。

 実家との因縁を地下水道の奥深くに洗い流し、リーネとジークヴァルトは、真のハッピーエンド――そして、さらなる広大な世界への冒険へと、歩みを進めるのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ