【第17話】異端調査官がやってきました。……美少年だと思ったら、私に弟子入りしたい女の子だったのですか?
王都神殿からの刺客、もとい「異端調査官」が別邸の門を叩いたのは、朝の霧がまだ色濃く立ち込める時刻のことだった。
カステル辺境伯家の精鋭騎士たちが殺気立ち、抜剣せんばかりの勢いで迎え撃つ中、その中心を割って一人の若者が歩み出てきた。
白金の刺繍が施された神潔な法衣に身を包み、腰には儀礼用の細剣を下げている。透き通るような白い肌に、短く切り揃えられた燃えるような赤髪。切れ長の瞳は琥珀色に輝き、その立ち居振る舞いは、どんな高位貴族の令息よりも凛々しく、中性的な美しさを湛えていた。
「王都神殿直属、異端調査官ノアである。……ジークヴァルト・フォン・カステル閣下、ならびにリーネ夫人。聖女を騙り、魔獣を操って民を惑わす『魔女』の疑いにより、これより検分を行わせてもらう」
ノアと名乗った美少年神官は、氷のように冷徹な声を響かせた。
その瞬間、ジークヴァルトの周囲の空気が、パキパキと音を立てて凍りついた。
「……調査官だと? よくもまあ、そんな小奇麗な顔で私の屋敷に踏み込めたものだ。……リーネ、下がっていなさい。こんな若造、一瞬で灰にしてやる」
ジークヴァルトの殺気は、もはや隠しきれるレベルではなかった。
彼はノアが「若く、美しい男」であるという事実に、猛烈な拒絶反応を示していた。リーネを「魔女」と呼んだ不敬もさることながら、その若々しい美貌が、自分よりリーネの目に止まるのではないかという、身勝手極まりない独占欲が爆発していたのである。
「閣下、そんなに怖いお顔をなさらないでください。……ノア様、と言いましたかしら。そんなに肩を怒らせて……。あ、そのお召し物、王都からの旅路で煤けてしまっていますわ。とっても息苦しそうです」
リーネは、ジークヴァルトの外套の裾を掴みながら、ノアをじっと見つめた。
彼女の目には、ノアが纏う「異端調査官」としての威圧感よりも、その法衣の繊維の間に詰まった街道の砂埃や、ノア自身が抱えている「無理をしている澱み」の方が気になっていた。
「……ふん、魔女の常套句か。同情を誘い、懐に潜り込むつもりだろうが、私には通用しない。……さあ、鑑定を始めるぞ。この『真実の香炉』が黒い煙を上げれば、貴様は即座に火刑台行きだ」
ノアは懐から、古い銀製の香炉を取り出した。
神殿に代々伝わる魔道具で、持ち主の魔力に反応して、対象が「聖」か「魔」かを判別する煙を吐き出すという。
ノアが魔力を込めると、香炉からは「シュ、シュッ……」と、今にも消えそうな、細く黒ずんだ煙が漏れ出した。
「……見たか! 煙が黒い! 貴様はやはり、悪魔に魂を売った……っ!」
「あら、大変。ノア様、それは判定ではありませんわ。その香炉、中にお線香の燃えカスが詰まって目詰まりを起こしています!」
リーネは、ノアが掲げた香炉をひょいと奪い取った。
ノアが「な、何を……っ!」と驚愕する間もなく、リーネは収納袋から愛用の【白銀熊のブラシ】と、数滴の【聖水】を取り出す。
「【洗浄】――これでは、神様への香りが台無しですわ。もっとスッキリさせてあげますね」
リーネは、神殿の至宝であるはずの香炉を、まるで使い古した鍋でも洗うかのような手際で、シャカシャカと磨き始めた。
彼女の【神域の純浄】が、ノアの焦りや神殿の腐敗さえも洗い流すように、銀の表面を駆け巡る。
――キィィィィィィン!!
次の瞬間、香炉が太陽のような眩い光を放ち、中から「純白」という言葉では足りないほどの、輝く霧が溢れ出した。
その霧は一瞬にして別邸の庭全体を包み込み、木々の葉を揺らし、鳥たちを呼び戻した。
立ち上る香りは、天界の庭園を思わせるほど清らかで、吸い込むだけで全身の疲れが霧散していく。
「な……っ、な、なんだ、この香りは……!? 聖なる力が、全身に満ち溢れて……っ」
ノアは、そのあまりの神々しさに持っていた杖を落とし、へなへなとその場に膝をついた。
そして、さらなる異変が起きた。
リーネが放った強烈な浄化の波動が、ノアが喉元に隠していた「性別を偽り、男の声と姿を維持する魔道具」を直撃したのである。
パリィィィン!!
不快な音と共に魔道具が砕け散ると、ノアの琥珀色の瞳から、抑え込んでいた涙が溢れ出した。
短く見えていた赤髪が、魔法の拘束を解かれて、背中までさらさらと流れ落ちる。喉元に張り付いていた偽りの喉仏が消え、そこには白磁のように滑らかな、少女特有の細い首筋が露わになった。
「……あ、あれ? ノア様、女の子だったのですか?」
リーネが目を見開いて首を傾げる。
ジークヴァルトは、ノアが女だと分かった瞬間に、これまでの殺気と嫉妬を霧散させた。……が、今度は別の意味で、リーネを背後に隠して眉をひそめた。
「……男装してまで異端調査官に潜り込むとは、神殿も相当腐っているな。おい、女。正体がバレた以上、もう調査どころではないだろう」
しかし、ノアはジークヴァルトの言葉など耳に入っていないようだった。
彼女は潤んだ瞳で、磨き上げられた銀の香炉と、それを持つリーネを交互に見つめた。
そして、何かに憑りつかれたような、熱烈な表情でリーネの足元に縋り付いたのである。
「……これだ。これこそが、私がずっと探し求めていた……汚れなき、真実の輝き……っ!」
「ひゃっ!? の、ノア様?」
「司祭様たちは嘘をついていた! あなたは魔女などではない……! この濁りきった神殿で、誰よりも神に近い場所にいる、真の聖女様だ……っ! ……お願いです、聖女様! 私を、私をあなたの弟子にしてください! その『お掃除の術』を、私に授けていただきたいのです!」
ノアは地面に額を擦り付け、必死に弟子入りを志願し始めた。
彼女は、神殿の内部腐敗に絶望し、自らを律するために男装をして生きてきたが、リーネの放った圧倒的な「清らかさ」に、魂ごと救われてしまったのだ。
「お掃除の弟子……? あ、あの、私、ただ汚れを落としているだけなのですが……」
きょとんとするリーネ。
一方、ジークヴァルトは、ノアの「弟子入り=リーネの側に居座る」という意図を察知し、再び別のベクトルの不機嫌さを爆発させた。
「……断る。リーネに弟子など必要ない。……だいたい、君は神殿の回し者だろう。今すぐ王都へ帰れ」
「帰りません! あんな、嘘ばかりの場所に未練はありません! ……リーネ様、私、神殿の裏工作をすべてお話しします! あなたの実家のロイドが、どのような嘘の証拠を作っているかも! ……ですから、そばに置いてください!」
ノアの切実な訴えに、リーネは「それなら、一緒にお掃除を頑張りましょうか」と、あっさりと微笑んでしまった。
「リーネ!!」
ジークヴァルトの叫びも虚しく、別邸には「もふもふの助手」に続き、「男装(解除)女子の弟子」という、新たな居候が増えることになった。
リーネの無自覚な「お掃除」が、ついに神殿の牙城を内側から崩し始める、決定的な一手となったのである。




